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 ラ・ブームも開始から数刻が過ぎたところで、ようやく料理係としての仕事も終りだ。

 メリアや先輩たちと話しながら、雑多なまかないをそれぞれ適当に食べる。

 これはこれで、結構楽しいのだ。

 

 そろそろダンスが始まる頃。今頃講堂内では、貴族も平民も関係なく踊り合っているのだろう。

 料理係に立候補して正解だった。うまくすればこのままダンスには顔を出さずに済みそう。

 我ながら、ずるいかな。と思いつつも、チキンに手を伸ばし、フォークでつついた。

 皆行儀もなにもなくて、この自堕落で悪いことをしているような、わくわくする感じ。

 なんか大人っぽい!


「エカルテ! エカルテはいる!?」


 よく通る声で、名前を呼ばれて飛び上がった。

 いたずらを大人に見つかったような気分。慌ててソースのついた口元を拭った。


「な、なに? どうしたのそんなに慌てて」


 シュシュがドレスアップした姿で、調理場を覗いている。

 髪を巻き、メイクをしてるものの、アクセサリー等は身につけていないし、豪奢過ぎない薄手のワンピースで、カジュアルな服装をしていた。

 当然のようにその背後にはルティレがいる。


「どうしたもこうしたもありませんわ! どうしてダンスに出ないのよ。ずっと探してたのよ。寂しいじゃない!」


 つかつかと足音を高らかに鳴らして、オレの元まで歩いてきて、睨み下ろす。

 その視線の横で、シエルもひょいと顔を出した。「シュシュちゃん、足はやいよ! エカルテの場所教えたら走って行っちゃうんだもん!」

 シエルもまだオレ達と同じでシャツにパンツの作業着姿のままだ。彼女はシュシュを横目に、料理係リーダーのコーユーさんに声をかけた。コーユーさんは6年生の気っ風のいいお姉さんだ。


「そろそろ料理係の皆さんも講堂にどうぞ、だそうです」


 シエルが言うと、コーユーさんは調理場中に聞こえるように、声を張り上げた。

「あいよ。んじゃ、皆は先に戻って着替えるなり、風呂入るなり、汗臭いまま突撃するなりしちゃって! 片付けは明日でもいいからさ!」


 はーい、と皆が元気よく返事をすると、シュシュがオレの手を掴んだ。


「ほら。エカルテ、準備するわよ」


「いや、私……踊るの苦手だし……。っていうか、私汗かいてるから、あんまり触んないほうが良いよ」


 女性としてのステップの踏み方なんて知らないし……。も、言いたかったけど流石に口には出さなかった。


「別に汗くらい気にしないわよ。わたくしにとって、今宵の主役はあなたなのよ。さあ、早く!」


「わ、分かったから。何張り切ってるの、シュシュ」


 女のオレは、好きじゃないんじゃなかったの? とは聞けなかった。

 妙に張り切っている彼女に背中を押されつつ、シエルやメリアと共に一度お風呂で汗を流してから、寮に戻った。


 どうせ一晩中やっているのだ。先は長いし、別に急ぐことはないと思うのだけれど、シュシュにしては珍しく、じれた様子でオレ達の寮で待つと言ってくれた。



「来たわね!」


 お風呂から寝室に戻るなり、シュシュが目を輝かせながら差し出したのは、派手な装飾のウェストコートに、同じ柄のブリーチズ。男性ものだ。


「えっと……」


 オレが戸惑っていると、シュシュは自慢気な表情を浮かべた。


「今夜のパーティ、楽しいのよ。皆思い思いの格好をしているの。女装したり、男装したり。仮装したり」


「うん」


 シュシュの格好を見ても、服装はかなりカジュアルで自由なんだろうっていうのは、分かる。

 分かるけど。


「今夜ばかりはあなたが男性の格好をしても――」


 事情を知らないメリアの目があるせいだろう。言い淀んで、両手に持った服に目線を落としてから、付け足した。「もちろん、誰がどんな格好をしても良いのだけれど。ねえ、着てみない?」


「い、良いよ。私は……。自分の服があるし」


 シエルと一緒にバザーで見つけた、ノースリーブワンピース。古着だけどデザインがとても気に入ったのだ。


「着てみるだけよ」


「いいったら!」


 押し付けられた服を払いのける。

 つい荒い声が出て、手を強く払われたシュシュはそれでも怯むこと無く、オレをにらみつける。


「どうしてそんなに頑ななのよ。ただの仮装よ、こんなもの。他の子だって結構居るわよ」


 仮装。冗談。そう、もしかしたらそれだけの話なんだろう。

 それでもオレは、嫌だった。男物の服を着ることが怖かったのだ。


「…どうしてって、言われても。嫌なものは嫌だよ」


「わたくしにはね、エカルテ。あなたのその姿を見ると不憫でならないのよ」


 どくん、と心臓が跳ねた。ふびん。かわいそう。

 オレが? 


「不憫って、なんだよ。私は…私は、毎日楽しいのに」


 シュシュに言い返す語尾が震えた。

 楽しいし、女で良かったって思ってる。心の底から思っているんだ。

 かわいそうなわけが、ない。


「ねえ、シュシュちゃん。エカルテ嫌がってるし、そのくらいにしておこうよ。服って、好みとかもあるしさ」


 間に割って入ったシエルがとりなすような笑みを浮かべる。

 その事になぜだかオレはとても申し訳なく感じた。


「そうね、シエル。この際だからあなたにも言いたいことがあるのよ……メリア。悪いんだけれど、席を外してくれない?」


「え。あ。でも、エカルテ……大丈夫?」


 シュシュにちらと視線を送られて、メリアが眉を寄せる。

 心配するような目をオレに向けてくる。


「うん……ごめん、メリア」


 オレがうなずくと、メリアも小さく「分かった。無理、しないでね」と頷いて部屋を出ていった。

 しょぼくれて、垂れ下がった尻尾が扉の向こうに消えていく。

 胸が締め付けられるようだった。


 オレはメリアに、大事な友だちに、大切な事を何一つ言っていない。

 それなのに心配してくれる彼女の目がとても痛くて、顔を上げていられなくなった。

 シュシュとシエル。その間でまごつくだけの、9歳の頃のオレと何も変わらない、弱々しい姿だ。


「それで、シュシュちゃん。話ってなに?」


 しばしの沈黙の後、口火を切ったのはシエルだった。


「単刀直入に言うわ。エカルテを苦しめているのは、あなたよ。シエル」


「へ? わたし?」


「そう。大浴場の時に確信したわ。エカルテは無理して女のふりをしているのよ。それをさせているのは、あなただわ」


 指を突きつけられて、シエルは目を丸くして、小首をかしげる。


「シュシュちゃん。意味がわかんないんだけど」


「シュシュ。オレは、」


「あなたは、黙ってて。今はシエルと話しているの」


「黙らないよ! シエルはオレを肯定してくれたんだ。オレは、別に無理なんてしてない! 女になりたいし、女であることが楽しいんだ!」


「それよ。まるでシエルは甘やかすだけのだめな母親だわ。ねえ、シエル。あなたはエカルテが元々男として生まれて、育ってきた事は知っているのよね?」


「知ってるよ。だからこそ苦しんできたことも、わたしは知ってる」


「だったらおかしいって思うべきよ。彼は男としての魂を持って生まれて、元々男として問題なく成長してきたのよ。彼の本質はどうしたって男だわ。それなのに、どうして女になることが間違いだって教えてあげないの? あなたも言ったように、彼は苦しんできたんでしょうね。それは女に適合しようとすることが、間違ってるからよ。そんな単純な理由に優秀なあなたが気づかないはずもないでしょう」


 シエルの目は男物の服に向いている。彼女は一瞬表情をなくし、ぎゅっと目を閉じた。

 シエルが何を思ったか、オレには分からない。だけどそれは痛みに耐えているような表情に思えた。

 顔を上げた時、彼女は毅然とした表情をしていた。シエルはシュシュに答える。


「わたしは、エカルテの選択が間違ってるなんて思っていない。女の体になっちゃって、エカルテはいっぱい泣いてた。迷って、たくさん傷ついてた。

 そんな中で、彼女が選んだのなら、わたしは間違ってないって思う。わたしだって出来ることなら、選ぶのを手伝ってあげたいよ。でも、それは自分で決めなきゃいけないことだから。どっちが正解、なんて言えない。エカルテが男女どっちを選ぼうが、わたしは受け入れる。それだけだよ」


「綺麗事ね。それになんの意味があるのかしら。あなたは何か行動するのが怖いだけだわ。そうやって肯定するだけだから、エカルテの苦しみが増すのよ。お風呂にまで着いてきてあげて、なんでも肯定してあげる。その癖一番大事なところは責任を持たないつもり? そんなの、愛じゃない。依存してるだけよ」


 シュシュの表情は揺らがない。いつだって自信に満ち溢れている。シエルは口の端を曲げる笑みを浮かべた。自嘲のように、オレには見えた。


「…否定はしないよ。自覚もしてるし。それでも、わたしはエカルテがちゃんと選べるまでずっと一緒に居るつもり。手は、貸してあげられないけど、一緒に傷つくことは出来ると思うから」


「それでやっていることが甘やかすだけ? 間違っているって分かったら、傷つけてでも、叱ってでも無理やりにでも正しい道に連れ戻していくのが、わたくしは愛だと思うのよ。彼は本当のところで女になんてなりたいなんて思っていないわ。環境がそう言わせているだけよ」


「さっきから愛、愛ってなに。それこそシュシュちゃんの決めつけじゃない」


「愛しているのよ。彼を。あなたは違うの?」


「…わたし、エカルテのこと好きだよ」


「そう。好き、ね。自分に都合のいいお人形を愛でるだけなら、別にエカルテじゃなくてもよろしいんじゃなくて?」


 シュシュは、シエルにいっそ憐れむような目を向けていた。


「……」


 シエルは何も答えない。ただやっぱり口の端には笑みを浮かべている。

 無理やり捻じ曲げたようなそれが、とてもつらかった。

 腹が立った。

 それはシュシュにじゃなくてたぶんオレ自身へのものだったのだ。

 オレは、叫んでいた。


「シュシュ! いい加減にして! シエルにそれ以上酷いこと言うと、許さないから!」


「ええ、もう言わないわ。その代わり服を着て頂戴」


「…分かったよ! 着ればいいんだろ! 人を傷つけてそんなに楽しい!?」


 オレは乱暴にシュシュから服を奪う。荒々しい手つきで、服を脱ぎ去っていく。

 貧相な下着姿が顕になる。

 胸だってないし、お尻だって腰回りだって、ちっとも女らしくない。コンプレックスまみれの体だ。確かに、やなところだらけだ。

 それでも皆と一緒に居たいから戻りたくないっていうのは、わがままなの?


 オレは怒りに身を任せ、男物の服をさっさと身にまとっていく。

 シャツに大きすぎるウェストコートが酷く不格好だ。

 オレの体が小さすぎるのだ。


 傷つける。それはシュシュへの言葉以上に、自分への言葉だったのだ。

 この状況は、オレが巻き起こしているものだ。

 

 彼女は奪われた服には、もう目も向けていない。

 最初から服なんて口実に過ぎなかったんだろう。


「人を傷つけようが、わたくしは言いたいことは言うべきだとおもうし、正しいと思うことは成す主義よ。わたくしはあなたの辛そうな顔はもうみたくないのよ」


 シュシュは演説でもするかのような堂々たる態度で言葉を継ぐ。

 彼女は少しも揺らがない。自信とプライドの塊。

 自分の存在に自信がなくて、他者に同調を求めている今のオレとは、なにもかも真逆だ。



「フェッテに聞いたの。あなたにかけた術は不完全。失敗だった、と。分かるかしら。

 今の女である状態は、不完全なの。そもそもフェッテにエカルテの居場所を教えたのはわたくしなのよ。あなたも知っているでしょうけど彼女は今術を完全にする方法を探しているわ。もうすぐ、別人として、だけれど、男に戻れるのよ。もう、女の振りなんてしなくていいの。もう苦しまなくていいのよ」


 慈しむような口調に、正しさをたたえた穏やかな笑み。もしかしたら、母親はこういう顔で子供をあやすのかもしれないと、どこか思う。


「不完全……。失敗? オレが?」


 シエルに子供扱いされると、最近は反発してしまう。

 シュシュの言葉には、それはなかった。ただあるのはやわらかな無力感だった。 

 言われた通り、浴場では、すごく恥ずかしかった。

 大丈夫と思っても、他人の体を見ることよりも、自分の体を晒すことが恥ずかしかったのだ。


 本当は、彼女の言う通り女になることなんて心の奥底では望んでいないのかもしれない。

 自分の体を恥だと感じていて、オレにあるのはただ、皆と離れたくないという思い。

 それだけで女になろうとしている。


 その事が、またシエルを傷つけて、オレに帰ってきている。

 シュシュに言葉のナイフを振り上げさせているのは、オレ自身だ。


 どこまでも沼に沈んでいくような無力感。

 それを、乾いた音が引き上げてくれた。


 はっとして顔を上げると、シエルがシュシュの頬をはたいていた。


「シュシュちゃん。ごめん。でも、今のは許せない」


「シエル……あなた」


 シュシュは呆然として自らの赤くなった頬に手をやる。

 信じられないものを見た顔をして、なんども目をしばたかせる。


 音に反応してか、ルティレが部屋に飛び込んでくる。「お嬢様! 大丈夫ですか!」

 殺気を感じて、オレはシエルの前に出た。


「ルティレ!」


「おう……エカルテ! また――」


 魔力を高めた一瞬、ルティレと視線が交差する。

 その視線に、少し湿気のあるものを感じたのは気のせいだったのだろうか。


「ルティレ、およしなさい。友人の前でみっともないわ。部屋の外に戻りなさい」


「…はい。お嬢様がそうおっしゃるのでしたら」


 素直に部屋から出ていく際、もう一度ちらとオレの方をルティレは見たけれど、何も言わなかった。


「エカルテも、ルティレも案外血の気が多くていけないわね。男の子って、こうなのかしら。でも、立派ね。女の子を守ろうなんて。確信したわ。あなたは昔のまま、変わらない。どうしたって男よ」


 くすくすと口元に手をやって、シュシュは小さく笑う。

 向き直った表情は、すっかり柔らかい。叩かれたことなんて、なかったみたいだ。

 彼女の慈愛の視線に絡め取らて、縛られる。口は動くのに、声が上手く出せなかった。


「おれは、女に……なるよ。なりたいんだ」


「本当に? 本当にそう思っているの?」


「シュシュちゃん!」


「分かっているわよ。これ以上言わないわ。服だって、もう自由にしたらいい。わたくしは確信を得られただけで満足よ」


 先に行っているから。言い残して、シュシュは去っていく。

 本当だよ。その言葉はなぜか口から出なかった。

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