笑って。
「月、出てないなぁ」
深夜の談話室でシエルは窓からを見上げた。月は分厚い雲に隠されている。
最低限の魔術灯の照明があるものの、部屋は目を凝らしてようやく家具がぼんやり浮かび上がる程度に薄暗い。ソファーに座って、夜の静寂に沈んだ部屋を眺めている。
気持ちが高ぶっていて眠れない。
唇に手をやると、さっきの彼女の血の暖かさが残っている気がした。
やってしまった。自分の弱さに呆れてしまう。
『シエルが居たら大人になれない』
案外その言葉に傷ついたりはしなかった。
もちろん、彼女が本気で言った言葉じゃないって分かってるのもある。
それ以上に、これは喜ぶべきことなんだって、思う。
エカルテが少しずつわたしから自立しようとしてくれている証拠なんだから。
周りのこと。男。女。
悩んで、考えて、迷って。悲しんで。傷ついても、ちゃんとエカルテは前に進もうとしているんだ。
ヴァロッテのことだって、前だったら怒ったことを後悔しても、周りの目なんて気にもしなかったんだろうって思う。
エカルテは悩んでいたけど、友達のために怒れるって、わたしはすごいことだって思う。
しっかり行動できるのは、エカルテが強い子だからだ。
我が妹ながら、誇らしいなあって、くすりと笑みがこぼれた。
妹って言うと、最近怒られちゃうけどね。
それに引き換え、わたしは変われない。
エカルテは色々な気持ちを打ち明けてくれるのに、わたしはひとりでこうして月を見上げるばかりだ。 彼女はわたしを大人だと言うけれど、自分の気持ちに向き合い続けているエカルテのほうが、よっぽど大人だ。
わたしは周りに合わせているだけ。気持ちを誰にも伝えようとしない。昔も、今も。ちっとも成長なんてしてないんだから。
『離さないで良いって言ったよね』
自分の言葉を思い出しただけで、赤面してしまう。なんて厚かましい事を言ってしまったんだろう。
彼女の優しさにつけ込むような事を言ってしまった。
これは、ちょっと、ううん。かなり酷い。
これじゃあ、シエルが居たら大人になれないなんて言われて当然だ。
本当はわたしは、あなたが一人で飛び立とうとしていることが、嬉しいんだよって言いたい。
大丈夫だよって応援してあげたいのだ。
彼女の、彼の苦しみを分かってあげたいのに、何も言えないのはとても歯がゆい。
だからこそ、エカルテが道を見つけるまでは一緒に居て、守ってあげたいのだ。
そんな事を考えているのに、言いたいこと、なにも言えてない。
今度こそ、あなたはいつか一人で歩けるようになるから大丈夫だよって伝えなきゃね。
「あ。最悪」
エカルテのが感染ったのかなあ。
最近よく、涙が出る気がする。嬉しいような気がするけど、ちょっと困る。
「……」
胸の奥の血液が騒いでいる。
抑えなきゃ。隠さなきゃ。
笑え笑え笑え。
そうじゃないと、この薄い皮を突き破って赤黒いそれがこぼれてしまう。
胸を抑え、口の端を上げた。笑い顔を作ったつもりだった。
「あ、あれ。おかしいな」
いつもなら消えてなくなるはずの涙が止まんない。感情が消えない。
見ないふりをしていたそれは、いつのまにかこんなにも大きく膨らんでいて、もう無視する事はできなかった。
エカルテが自立して、誰かを選んだら、わたしはまたひとりだ。
見たくなかった。考えたくなかった。けれど、それはきっともうすぐなんだ。
寂しくて、つらい。手足がすくみそうだ。
大丈夫。それは良いことだから。わたしをこんなに長い間ひとりじゃなくしてくれた。
その事に感謝しなきゃ。
だってその時こそが、迷い続けてきたエカルテがようやく幸せになれる時なのだから。
笑おう。
明日も笑って、笑って、笑って、送って、
「……あーもう。すっかりエカルテ病だ」
涙がとまんないなあ。完全に感染ってる。
……。
シエルに答えを求めてはいけない。
そんなこと、分かっていたんだ。
オレにはやるべきことがある。女として生きていきたいのなら、乗り越えねばならない試練だ。
「今日こそいくぞー!」
気合を入れて、握りこぶしを作って、寝室を出た。
お風呂である。
今までずっと誰も居ない時間を見計らって大浴場に行っていた。
恥ずかしくなくなったら、行こうと思っていたけれど、むしろ成長する毎に行きづらくなった節すらある。
決心してから勇気が出るまでに、三日かかった。
これもきっと女性になる大事な一歩だろうから、やらなきゃだめだ。
これ以上シエルに甘えてちゃダメなんだ。
とか言って、やっぱりひとりは怖かったのでシエルについてきてもらった。
さ、最初だし良いんだ。徐々に鳴らしていこうと思う。
夕飯直後の脱衣室はとても混み合っていて、当たり前だけど女性しかいない。
ちらほら見知った顔もいる。
自分が女性だけの空間に居ることが、やっぱりとても不思議に思う。
違和感と言い換えても良い。
「エカルテ、ゆっくりでいいからね」
隣のシエルはもう脱いでしまっていて、タオルでさほど隠されていない白い肌が目に飛び込んでくる。
着替えとかで分かってはいたけれど、シエルはスタイルが良い。
胸だって、背中からお尻に続く曲線だって、腰のくびれたお腹まわりだって。手足だってとても女らしいんだ。
つい、比べてしまう。
目線を落とすと、自分の下着姿がある。貧相だ。
わずかに主張をしている膨らみ。なにこれ、胸?
なんていうか、偽物のおっぱいなのかもしれないって、思う。
本当にこんなのおっぱいって呼んでいいの? 本当のおっぱいに失礼じゃない?
やだな。
オレが元男だから、こんなに女らしく無いんだろうか。
お腹だって、脚だって痩せ過ぎていてちっとも女らしくない。
仮に脚だけもぎとって男のものと並べたら、もしかしたら間違えられるんじゃないって思う。
恥ずかしい。恥ずかしくて、恥ずかしくて、今すぐここから逃げ出したくなる。
周りの女子がとてもきらきらして見える。みんながまあるく、女子らしく見える。
「…うん」
たっぷりたっぷり、考えて、ブラに手をかけたまま静止している間、シエルは何も言わずに待ってくれていた。
ああ、だめだ。
これ以上見ていると、また勇気が出なくなる。
自分に言い聞かせる。
オレは女。オレは女。私は女なんだ。だから、大丈夫。
おかしくない。変じゃない。どこも変じゃない。
えいやって心で念じて、下着に手をかけた。一気にどちらも脱ぎ去り、慌ててタオルで前を隠す。
「お、おまたせ」
「ん。行こ、エカルテ」
シエルがにこっと笑ってくれて、心底ほっとした。
浴場の方に目線を向ける。
と。オレの足は縫われたように動けなくなった。タオルで胸元に強く押し付けるように、隠した。
圧倒的な存在が、直ぐ側に居た。
「あら? あなた、こちらの浴場に来られるんですのね。今まで見たことありませんでしたのに、今更どうしましたの?」
シュシュだ。怪訝そうな目でオレの足元からてっぺんをじろり、と見ている。
圧倒的。
圧倒的な、女らしさに大げさじゃなく吹き飛ばされそうだった。
でかい!




