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おとなになりたい

「おい。二人でいちゃつくのいい加減やめろよ」


 にやついた声にはっとした。ヴァロッテのこと、すっかり忘れてた。


「ヴァロッテ君、無粋っていうんだよ、そういうの」


 シエルは座ったまま、呆れたような視線をヴァロッテに向ける。彼はただ肩をすくめてわざとらしいため息をついてみせた。

 そんな彼を見ていると、急に世界中に見られたような恥ずかしさが襲ってきて、慌てて席に座り直した。

 別におかしなことはしてないはずなのに。


「前から訊きたかったんだけど、お前らって付き合ってるの?」


「幼馴染だよ」


 フリックも咳払い一つして、座りなおす。淡白な声だった。


「はあん。まあそうか。辺境伯のご子息様が平民の娘とどうこうなるわけないもんな」


「今日は随分突っかかるね」


 フリックがたしなめるように眉をひそめた。


「別に突っかかってるわけじゃないぜ。訊きたくてさ。俺もお前も、もう15歳が近いだろ。婚約者がいたって、おかしくない年だ。フリックはどうするのかなと思ってな」


「…お父様からは、好きな相手を選びなさいと言われてる」


「はっ?」


 ヴァロッテは身を乗り出して目をむいた。

 口をあんぐりあけて、男らしくなりつつある、ほっそりとした頬を何度も撫でている。

 彼はそれから、目を何度もしばたかせた。

 眩しいものを睨むように細められた瞳に写った感情はなんなのだろう。


「普通、ありえないっていうのは、わかるよ」


 フリックが苦笑いを浮かべながら答えると、ヴァロッテは喉から声を漏らすように呻いた。


「ありえないどころの話じゃない。あーあ。俺も来年はそんな年齢だぜ。好きでもない相手と婚約してよ。大人になるんだなあ、もう」


「まあ、年齢的にはね」


「はーあ」ヴァロッテは大きく息を吐きながら、両手をテーブルの上に組んで、目を押し当てる。

 恥ずかしがっているようにも見えたし、どこか泣いているようにも見えた。


「俺さあ。フリック。この前のドラゴン騒動の時にさ、助けられたんだよ、メリアに。逃げ遅れてさ、一人山に取り残されちまって。ドラゴンの吠え声は聞こえるし、暗いし。そんな中、あいつが道案内してくれたんだよ」


「……そっか。助けられたね。ヴァロッテ。君も、色々考えたんじゃない?」


「そうだな。本当にそうだ。大人になるんだよな、俺達も」


 ヴァロッテはそれきりしばらく顔をあげようとしなかった。

 彼なりに後悔があったんだろう。このときは、そんなことをのんきに考えていた。



 翌日の出来事だった。

 すべての授業が終わり、オレはシエルやいつものルームメイト達とおしゃべりをしていた。

 レーネは彼氏ができて以降も、変わらずオレ達と放課後を共にしている。

 彼女曰く、彼氏重視の行動をする女は痛いから、らしい。よくわからない。

 授業が終わった直後ということもあって、クラスにはまだ結構な人数のクラスメイトが残っている。


「よう、メリア」


 ヴァロッテが座っておしゃべりをしているオレ達のもとへと緊張した面持ちで歩いてきて、片手をひょいと上げた。


「あ……ヴァロッテさん…」


 存外、メリアの口調は柔らかくて、緊張した所はなかった。

 むしろ、


「何?」

 

 オレのほうがよっぽど緊張していたし、攻撃的な目をしていたと思う。

 でも、仕方ないんだ。

 だってヴァロッテがメリアにしたことは許せない。


「あのさ、俺……ごめん!」


 一瞬、何が起きたか分からなかった。

 ヴァロッテが腰を深々と曲げている。

 オレも、クラスのみんなも、ぽかんと口を開けて一様に固まった。

 ヴァロッテの言葉だけが、なんだか劇場でも見ているように、頭の上に響いていた。


「俺、昔メリアのこと、いじめた。だから、ずっと謝りたかった。この前、助けてくれてありがとう。本当に、ごめん。許してくれ」

 

 徐々に、それが劇ではなく、現実のものだと私は理解した。

 頭の中が熱くなった。真っ白になるぐらい、腹がたった。

 お腹の中身が燃えたぎって、視界がぐるりと一回転しそうな感覚が襲ってくる。

 燃えたぎる言葉を、今すぐにぶつけてやりたい。

 なんで、謝ってるの? しかも、こんなクラスメイトの目の前で。


 メリアの穏やかな声がした。


「良いんですよ、ヴァロッテさん。昔のことですから」


「そうか……本当にすまない。すまなかった」


 ヴァロッテは顔を上げて、ほっとしたような顔を浮かべる。


 その顔は最悪だった。我慢できなかった。

 クラスメイトの注目のある中で謝られて、許さないって選択が、メリアに出来るわけない。

 ヴァロッテがそこまで考えていたのかはわからない。

 けれど、私は、どうしても嫌だった。許せなかった。


「ヴァロッテ!」


 私は立ち上がり、叫んでいた。自分でも聞いたことのないような、鋭い声が他人のように響いた。


「な、なんだよエカルテ。急に怒ってさ」


「なんだじゃない!」


 言葉が出てこなかった。

 こんなにも怒っている。いろいろな言葉をぶつけたいと思っているのに、唇も手も震えるばかりだ。

 謝って大人になろうとでもいうのか。

 そうやって過去のことを切り捨てて、すっきりしたら平気な顔して大人になっていくんだ。

 大人、大人、大人。ずるいよ。ヴァロッテはずるい。最低だ!


「だから、何怒ってるんだつってんだ」


「謝るなって、私言ったよ!」


「なんでだよ! 俺だってもう大人だ。過去のことはちゃんとしておきたいだろ」


「ふざけんな! メリアがどれだけ傷ついたかも知らないで!」


「大体お前に関係ないだろ。シエルが居ないと何もできない癖に、でしゃばってくんな」


「……! わ、私は!…ちがう」


 その言葉は深く深く刺さって、痛かった。

 勢い込んだ言葉も怒りも、一気にしぼんでいく。


「エカルテ。大丈夫だよ。ありがとう」


 メリアが私の手を握ってくれなければ、私は泣いていただろうか。

 彼女の方に振り返る事は出来なかった。優しい手は少しも動揺なんてしていない。

 代わりに、周りが見えた。私を蔑むような目だ。

 別のところから声が聞こえた。

 

「謝ってるんだし、許してあげたら良いのに」「っていうか、関係なくない?」「空気読めないよね」


 そんな、ぼそりとした小さな声だった。

 頭から冷水をかけられたように、心臓がぎゅっと縮上がる気がした。

 どくどくと騒がしくて、頭の中は相変わらず熱いのに、手足や全身が冷えてくる。

 

 なんだよ。

 ヴァロッテが正しいの? 周りの皆が正しいの?

 私は、間違っているの?

 それが、大人なの?


 私だって大人になりたい。皆と同じになりたい。

 でも、できない。また何か間違った。

 俺は皆と同じになれない。


 そんな事を考えていたら視界が滲んで来る。


「私は許さないから! ヴァロッテなんて大嫌い! あほ!」


 子供みたいに吐き捨てて、教室を飛び出した。

 

 シエルやメリアが何かを言っていたけれど、振り返るのは怖かった。

 寮に走って戻って、ベッドに潜り込み布団を頭から被った。

 真っ暗闇の中で、小さな子供みたいにガタガタと震えている。

 最初はメリアがバカにされているようで腹が立った。

 でも、それだけじゃない事がすごく嫌だった。

 

 平気な顔して、昔のことは、子供の頃の過ちみたいな顔して、大人になろうとしていくヴァロッテ。


 怒りの中に嫉妬が混じっている事に気づいてしまった。

 私は皆から異質な目で見られることが怖かった。

 こんな時でも自分の事を考えている私が小さくて、いやだ。


 わかんない。

 なんでヴァロッテはそんなんで大人になろうと言うの?

 皆はどうして許せなんていうの?

 なんで、オレは皆と考え方が違うの?


 なんで、私はおとなになれないんだろう。

 なんでこんなに腹が立つんだろう。


 世界がトゲだらけのように感じて、布団から出たくなかった。

 相変わらずガキのまま、一人でめそめそとしている。

 結局私は何も変われていない。

 皆はどうやって、おとなになったんだろう。


 最低だ。

 メリアが一番辛いはずなのに、結局、自分のことばかり考えている。

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