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 目をそらし、少し薄っすらと涙を浮かべつつ、彼女は小さくつぶやいた。

 見たことのない、反応だった。

 

 シエルが見たことのない表情を浮かべたのはほんの一瞬だった。

 すぐに普段どおりの表情を取り戻し、さっきの顔なんて無かったみたいだった。


 なんだか、気まずい。

 同じことをやり返しただけで、悪いことはしてない、と思う。

 オレはなにか間違ったのかな。


「ねえ。シエル」


「なあにー?」


 声もやっぱり普段どおり。明るい声だ。


「オレ……変なことした?」


 嫌われたくないな。

 誰にも嫌われたくないけど、特にシエルに。

 彼女はぴたりと歩みを止めて、オレも釣られて足を止めた。

 レンガ通りは雑踏のさざめきに覆われているのに、どこか遠くに聞こえる。

 シエルがじっと無言でオレを見下ろしているせいだ。

 

「あ、あの……ごめん」


 オレが居た堪れなくなって、先に声を発する。


「ぷっ」と彼女は吹き出して、「むに」声にだしてオレのほっぺをまた両手で掴んだ。


「ふぁふぁに!?」


「なんで謝ってるの。何も悪いことしてないよ」


「ふぁふふぁんふぁ」


 ほっぺたを掴まれたままそうなんだ、と言う。

 シエルはおかしくてたまらないといったにやつき顔で、オレのほっぺをぐにぐにと両方に引っ張る。

 訳も分からず、されるがままにされていると、シエルは声にだして、けらけらと笑ってい始めた。

 オレの顔、そんなにおかしいんだろうか。そりゃ、シエルのせいで変な顔はしてるだろうけどさ!


「エカルテ」彼女が手を離した。「エカルテー。名前呼んで」


 シエルはオレの名前を何度か呼んで、顔を覗き込む。声は楽しげで、目元もほころんでいた。


「なに、シエル」


「ね」


 彼女は短く答えると、目をそらして、胸元に手をやった。

 くすくすと小さく笑い声を上げて、ふいに歩き始める。

 慌ててオレは横に並んだ。

 身長差が出てきて、歩幅が最近合いづらい。


「シエル?」


「ねえ、エカルテ。なんだか最近変だよね? 焦ってるっていうか」


「…やっぱり、シエルにはばれちゃうんだ。オレ早く大人になりたいんだ」


「なりたくなくても、大人になんて勝手になっちゃうじゃん。焦らなくてもいいのに」


「でも、オレは……早くなりたいよ。シエルみたいにちゃんと大人になりたい」


 フェッテが男になる方法を見つけそうであることを、まだ誰にも言っていない。

 言いたくなかったのだ。


「ちょっと歩こ」


 シエルは前を向いたまま、オレの手を握った。

 手を引くわけではない。同じ歩幅でゆっくりと歩いてくれた。

 こうやって、シエルに頼ってオレは生きてきた。


 オレが男になったらシュシュは、たぶん喜ぶだろう。

 フリックは、たぶん悲しむかも知れない。

 シエルは、どう思うんだろう。喜んでくれるんだろうか。


「シエルはどんな香水をもらったの?」


「ゼラニウムの香りだって。ほら。かわいいでしょ。エカルテのもかわいいよね。」


 シエルが手渡してくれた赤い小瓶を、繋いでいない方の手で弄ぶ。

 すべすべとして、まあるい小瓶だ。


「うん。かわいい。…すごく緊張したけど、なんか…こんなもの貰えちゃって、すごく、嬉しい」

 

 他愛のない会話をしつつ、通りを歩いている。

 その最中も、頭の中はぐるぐると重い雲が回っていた。


 男と女。どれが正しい自分なんだろう。

 オレって、何?

 どうしてオレはみんなと違うんだろう。

 

 オレだけが、どうして女とか男って悩まなきゃいけないんだろう。

 そんな事がぐるぐると頭の中を回っている。

 酷く落ち着かなくて、世界のすべてが棘を持っているように感じる。


 今すぐシエルに、どうしたらいい? って訊きたかった。

 オレとずっと一緒に居てくれた彼女なら正しい答えを知っているはずだ。

 だけど、それじゃだめだ。


 いつまでもシエルに頼りきりじゃいつまでだって子供のままだ。

 隣に立つために、オレは自分の力で答えを見つけたかった。


 ふいに、シエルがぽつりと言った。


「エカルテが、わたしみたいになったら嫌だよ。わたしはぜんっぜん大人じゃない」


「嘘だ。シエルは背だって高いし、スタイルもいいし、優しいし、動じないし。おしゃれな店だって堂々と入れるし、髪を編むのだって、おしゃれだってなんでも上手。

 オレは……全部真逆だ。背だって小さいし、自分の目つきもすごく嫌いだ。いつも自分のことばっかり考えてるし、すぐ泣くし。今日だって、本当は、シエルにいいところ見せたかったんだ。でも、だめだった。結局、シエルがいないとお店にだって入れなかった。それが、オレは一番嫌なんだ。シエルに頼ってばっかりな自分が嫌だ」


「…わたしはエカルテのそういうところ好きだよ」


 シエルは前を向いたまま答える。

 握る手が、少し強くなる。シエルは、そのまま言葉を継いだ。


「自分のだめなところを、真正面から認められるところとか。気持ちをちゃんと言葉にできるところとか。エカルテは素敵なところいっぱいあるんだよ。それに、あなたは出来るけど、わたしにはできないことも、いっぱいある。だから、そんなに自分を卑下しちゃだめ」


「……うん。ごめん。ありがとう。オレ、やっぱりシエルに褒められるとすごく嬉しい。シエルは、やっぱりすごいよ」


 照れくさくて自分の熱い頬を撫でると、


「相変わらず素直!」


 シエルが唐突にらしくない鋭い声を上げて、足を止めた。

 手を繋いだままのオレも、つられてとまる。

 急に何事だろうって見上げると、困ったような半笑い顔を彼女はしている。


「え、えっと……なに?」


「もー!」


 彼女は顔を一瞬だけ、くしゃりとさせた。泣きそうな顔だと思ったけど、そうじゃなくて、今度は怒ったように眉を吊り上げる。


「エーカールテー」


 また、両頬を掴まれた。

 痛くはないけど、笑ってなかったからかなりびっくりした。

 まさか怒られるなんて思っても居なかったから。


「ふぁ、ふぁに。ふぉめん」


 何、ごめんって謝ると、シエルはますます目を吊り上げる。

 始めてみた顔だ。

 たまーに喧嘩するときだって、こんな顔はしなかった。

 相変わらず痛くはしてこないけど、ぐにぐにとほっぺたを左右に引っ張られる。

 頭が真っ白になった。シエルを、なんでか怒らせちゃったんだ。

 謝っても許してくれないなんて、どうしたらいいんだろう。


「ねえ。エカルテ。このまま、話聞いて。ただの戯言なんだけど――」


 ふ、っと。静かな声が降ってくる。シエルの目はもうつり上がってなくて、どこまでも平板なものに戻っていた。


「傷ついた小鳥がね、居たの」


「……?」


「小鳥は最初はとても傷ついてた。一人じゃ飛べないぐらい弱っていたの。小鳥と一緒に過ごす事はとても幸せで、いつまでも続けばいいなって、想ってた。でも、小鳥はもう今では自分ひとりで飛べるぐらいに傷が癒えて、しまったの」


 シエルの声も、目も感情がちっとも滲んでいない。

 それなのに、彼女の声はほんの少し。風にもてあそばれる木の葉のように揺らいでいる。


「もう、その時なんだ。わたしは、小鳥がもう飛べることを知っている。それなのに、大丈夫? まだ危ないんじゃない? まだ怪我してるんじゃない? って言い続けてるの。本当は、この手を放すべきって分かってるのに。わたしは、エカルテが思うようなすごい人じゃない。むしろ……最低だよ」


 シエルはオレのほっぺを掴んだまま、目を閉じた。

 彼女の手は、とても熱かった。

 シエルの両手を掴んで、ほっぺにぎゅっと押し当てた。シエルの熱でこのまま火傷の痕が付けばいいと、思った。


「ありがとう、シエル」


「なんで、お礼なんか……」


「言いたいから。ありがとう。シエル」

 オレはシエルの両手を頬から離させて、その手を引いた。強く、握った。「行こう」


「エカルテ! わたしは、間違ってるんだよ」


 背後にいる彼女が、どんな顔をしているのか、わからない。

 けれど、振り返らないでおこうと思う。泣き顔ってあんまり見られたくないものだろうから。


「オレ、シエルが居てくれて嬉しかった。今も、嬉しい。間違ってるかどうかなんて、オレにだって全然わかんないよ。オレは正しい自分が何なのかすらわかんない。でも、今、嬉しいよ」


「エカルテ、ごめんね。ありがとう。ごめん。ごめんね」


 がむしゃらにシエルの手を引っ張った。

 嗚咽が聞こえる。通りすがりの人々が、ちらとこちらに視線を向ける。

 それでもオレは振り返らずに歩いた。

 背中を日に照らされて、服越しに皮膚の表面がじりじりとした。

 

 それでもやっぱりオレは、シエルのようになりたいって、思っている。

 正しいかなんて知らない。

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