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選択肢は常に、3つあった。

選ぶのは簡単で、いつでも答えはひとつだった。


それを選ぶことは、幸せになることであり、人をひとり、確実に貶めることだった。



**********************



起き抜けの一杯の水が入ったコップが手から零れ落ちて、床に飛び散った。

ため息と一緒に、今日一日の欠片ほどの幸運が零れ落ちていく気がする。


「大丈夫?」

久遠の声に応えることもできずに、破片を拾おうとするあたしの指先は震えている。

例え、小さな不運でも起きると恐怖がこみ上げてくる。


―――そうやって、人に不運をまき散らして生きてきたのだから。


〝いなくなればいいのに〟

逃げ出す直前に奏音を庇うように立った男【    】が、あたしに言い捨てた。


―――ほんとにね。


今はもう、あたしの周りには誰もいない。

たった一人、久遠を除いて誰も、いない。


「危ないよ」

破片を拾ったあたしの手を包むように久遠が、握った。

久遠の冷たい手が、ひどく温かく感じた。


「キスしてあげようか?」


薄い唇の隙間から漏れる誘いは、甘美な声音。

ゆっくり頭を持ち上げて、見上げた先の真っ黒い瞳には、ぼんやりとあたしの姿が映っている。

空虚なガラス玉の奥に見えるあたしの姿が滑稽で、情けなくて、あたしは小さく息を吐き出した。


「うん」

答えた同時に伸ばされた手が、あたしの頬に触れる。

冷たい指先の感触が、あたしの頬をつつっと伝っていく。

近づいてきた久遠の顔に焦点が定まらなくなった頃、ゆっくり目を閉じた。


冷たい唇の感触を感じながら、あたしは情けなさを噛み締めた。


産まれた時から、不運体質で自分自身に降りかかるものと、周りの他者に降りかかるものがあった。

自分自身がどんなに不幸な目にあったとしても、自分自身で済むのならば良いと思う。

けれど、大抵は自分自身では済まないことの方が多い。

他者を巻き込んだときは、不幸になった周囲の人のことを想って、罪悪感に押しつぶされそうになる。


そんな梅子の心中など慮ってくれる人は少なくて―――


不幸体質の梅子の周りから、ひとり、またひとりと人が減っていった。

生きている時間が長ければ長いほどに、梅子は孤独になっていった。


そんなあたしににとって、久遠は特別だった。

異形のものである久遠は梅子の不幸体質が影響しない。

それどころか、キスをすることで梅子の不幸体質を一時的に抑えることができる。


「大丈夫、俺は梅子のことが好きだよ」

乾いた心に数滴の潤いが落ちてくる。

嘘にまみれた久遠の言葉ですら、飢えた自分には甘美な囁きだった。


「久遠―――今日も一緒にいてくれる?」


当たり前のように微笑む久遠の内心が、決して純粋なものでないことを知っていた。

久遠も久遠なりの何か思惑があるのだと、わかっていた。


けれど、それはお互い様で。


―――あたしだって、久遠を利用している。


未来の約束なんて絶対にしないあたしたちの関係は今日もソッと続いていく。


お互いの歪な関係が壊れないように、偽りの笑みを浮かべながら―――



「今日はどこに行こうか?」


首を傾げた久遠を連れて、奈良駅から出る単線に乗った。

揺れる列車の窓から外を見ると、遠くの山まで見渡すことができた。


「君、落とし物だよ」

あたしはゆっくりとハンカチに視線を持ってきた。


真っ白いタオルハンカチは見覚えのないものだった。

「いえ、私のものではないですけど」


あたしが首を振ると、目の前に立っていた男の子が「あれ?」と目を瞬かせた。


「君の物だと思ったんだけどな」

笑う彼の顔は、まるで久遠のように、嘘っぽかった。


「じゃぁ、駅員に届けることにするよ」


同じ車両の中には、私と久遠、目の前の彼、離れたところに数人の人がちらほらしかいなかった。

空いた車両の中で、あたしの目の前に男の子が座った。


「君、どこに行くの?」

ニコッと笑った彼に、久遠の目が吊り上がっていくのが横目に見えた。


「なんで、そんなことを聞くの?」

「いや、今日、平日だしね。君、俺と同じ年ぐらいかなと思って。どこに行くのか気になった」


男の子視線は久遠を無視するように、まっすぐにあたしに向けられている。


「貴方がいくつか、知らないですけれど、あたしは高校生じゃないですよ。兄と一緒に、家に帰る途中です」


久遠を【兄】と紹介するのはいつものことだった。

若い見た目のあたしたちが、二人で旅するのは目立つから。


「あっ、じゃぁ大学1年? 俺も今年の4月に大学に入学したばかりなんだ。東京の旭院大学」


男の子の言葉に、あたしはとっさに息を飲んでしまった。

旭院大学ということは、彼は攻略対象者のひとりかもしれないということ。


目の前の彼が、面白そうに眼を三日月にゆがめる。


「俺の名前は、丹波たんば 祐樹ゆうき。君は?」


意図のつかめない気味の悪い男に、あたしは真名を知らせたくなかった。


「花子」

あからさまな偽名を口にしたあたし。

祐樹は、目を細めてあたしを見つめた。

目の奥に剣呑とした光が見え隠れしている。


「フーン、花子ね。よろしくね、花子」

差し出された手を、どうしようか迷っていると、久遠が呻いた。


「汚い手で、触んな」

「なんだ、番犬つきだと大変だね」

久遠のオーラが変わって、隠しきれない殺気があふれている。

鈍感なのか、祐樹は面白がって笑っているだけ。


「花子は、神社に行くんだよね? 俺も一緒に行ってもいい?」

「なんで?」

あたしよりも先に、久遠が祐樹に切り返した。

「俺、東京の神社の跡取りなんだ。奈良の神社の神主に用があってきたんだけど。用事はもう済んだんだ。ちょっと時間が余ったから、他の神社の様子でも見に行こうと思ってたんだ」


―――東京の神社の神主。

ということは、祐樹は異形のモノではないということだろうか。


それでも貴公子ルートの攻略対象者である可能性は残っている。

近づいて、乙女ゲームに関連してしまったら、どこで何が起こるかわからない。


「あたしたちは、二人で行きたいから」

あたしのきっぱりした拒絶も、祐樹は鼻で笑った。

「俺、神社仏閣には詳しいよ。いろいろ話してあげられるから」

「結構。聞こえなかったか。おまえはお呼びじゃない」

迫る祐樹との間に、久遠が割って入る。


祐樹はチラッとあたしを見ると、深く息をついた。


「フーン、わかった。いいよ。じゃぁ、またね」

祐樹はようやく、あきらめた様子を見せた。


気が付けばもう、降りる予定の駅だ。


あたしは久遠の腕をつかむと、「じゃぁ」と短く告げて、電車を降りた。


閉まるドアの向こうで、ジッとあたしたちを見つめる祐樹の目が気になった。


2018.12.24 設定を一部変更したため、大幅に内容を差し替えています。


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