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19歳は、異形のモノたちにとって大人として認める重要な年である。
19歳になると物語のヒロインは、異形のモノたちから猛アプローチを受け始める。
―――これが、乙女ゲームの物語の大前提である。
つまり、この世界には異形のモノたちが存在するということだ。
乙女ゲームの中の梅子は、貴公子ルートの悪役的存在であったため、異形のモノルートにはあたしが知る限りは出てこなかった。
梅子と異形のモノには接点はないはずなのだ。
しかし、19歳の誕生日を迎えたあたしには、異形のモノの姿が見えた。
「久遠、何してるの?」
あたしが顔を覗き込んだ相手は、綺麗な顔立ちの優男だ。
だけど、吸い込まれそうな深い闇のような黒い瞳には、光が一切映らず、人ならざる物であることを示しているようだった。
「んー、梅子の次の旅先を占っているんだよ」
こめかみをグリグリとこぶしで回しながら、頭を抱えている奴にあたしは大きくため息をつく。
「久遠って、未来視能力でもあったっけ?」
「んーにゃ?」
猫みたいな返事をして、顔を上げる久遠は、妖弧と呼ばれる存在のようだ―――と思う。
時折3、4つに分かれた尻尾を見かけるので、妖弧なんだと勝手に思っている。
先月、19歳を迎えたあたしのところに近づいてきて、なぜか付きまとうようになったのが久遠だ。
「梅子の不幸体質って治せるみたいだよ?」
何を血迷っているのか、久遠は親切そうな顔で近づいてくると、あたしに優しそうにささやいた。
最初、〝人〟かと思ったので、非常に危ない人間が近づいてきたと思った。
しかし、彼が妖弧だとわかると、なぜかあたしは無条件に久遠を信じてしまった。
信じる―――とは違うかもしれない。
心から彼を信用しているわけじゃない。
だけど、なぜか彼の言葉に心を惹かれてしまい、「そうか」と納得してしまった。
「何か、見えたの?」
あたしが聞くと、久遠はニヤッと笑った。
「さぁ、知りたい?」
彼の笑みは、罠のような意地の悪さが見え隠れしている。
あたしは顔をしかめて、首を横に振った。
「ふーん」と面白そうに、ペロッと舌で唇を舐める仕草は、人ならざるモノを感じた。
旅を始めて1ヶ月。
貯金と、日雇いのアルバイトを重ねていると、意外と現代でも流浪の旅ができるみたいだ。
2日前、あたしは奈良にやってきた。
まだまだ、夏の日差しが痛いほどに照りつける猛暑の中。
盆地で、猛暑の奈良に降り立った。
―――夏の奈良は失敗だったかもしれない、とちょっと、後悔するほどに流れ出る汗。
近鉄奈良駅から徒歩で10分ちょっと。
路地を歩いた先に、神社がある。
中に入ってみると、そこだけ周囲よりも外気が涼しい気がした。
「はじめまして、あたし、梅子といいます。ちょっと聞いても良いかな?」
あたしが問いかけると、足にカラフルな糸をくくりつけた狛犬くんが、あたしを振り返った。
「久々だ!」「久々、話しかけられた!」
狛犬くんたちは目を丸くして、口元を大きく開けた。
どっちも、同じ顔に変わったそっくりの狛犬くんたち。
「ねぇ、私の不幸体質について、君たちは何か、知らない?」
「知ってるかな? 知らないかな?」
阿吽の姿を持つ狛犬くんたちは、顔を見合わせて首をかしげた。
「求めるならば、与えてくれないと、ね」「ねぇー」と話している狛犬くんたちは、無償でお願い事を聞いてくれる気は無い。
旅を始めて一ヶ月、どこに行っても、求められる。
「努力をしないで、結果は得られない。神様相手だって常識だよ?」
二匹の狛犬くんたちは「うん、うん」と頷いている。
「―――神様のお使いだかなんだか、偉そうなもんだねぇ」
狛犬くんたちの様子を見て、鼻で笑ったのは久遠だ。
妖弧の久遠も偉いわけじゃないだろうけれど、久遠はあたしの周りに集まってくる異形のものたちにはとにかく厳しい。
「おまえ、なんだ? 変な奴だ」
「変な奴だ!」
狛犬くんたちが、明らかに顔をしかめて口々に叫んでいる。
「俺よりも、人にお願いごとなんてしているほうが変じゃないか」
「変じゃない、変じゃない。ばーか」
狛犬くんも、久遠もなんとも低レベルな口げんかに発展してしまっている。
あたしはあわてて、互いの間に入った。
「ちょっと、ちょっと。久遠、いちいち、神使たちと喧嘩しないでよ」
あたしが狛犬くんたちではなく、久遠に対して止めに入ると、大人の男のしぐさとは思えないほど、子どもっぽく頬を膨らませた。
久遠は放っておくとして、狛犬に向き直ったあたしは「狛犬くん」と呼びかけた。
「なに?」と首を傾げる狛犬くんたちは、とても愛らしい仕草だ。
「あたし、掃除します!」
「掃除?」「掃除? 掃除?」と狛犬くんたちは、何やら突飛なことを聞いたとはしゃいでいる。
「狛犬くんたちを綺麗に、ピカピカにするので、もし、満足したらあたしのお願いを聞いてもらえますか?」
「綺麗?」「ピカピカー!」
やったー、とわかっているのかどうか、よくわからないが歓声を上げている狛犬くんたちに、あたしはホッと息をついた。
とりあえず、手始めに。
駅前のコンビニでかったミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、まだイジけている久遠に手招きした。
チラッと横目であたしを見る久遠は、わざとらしくしゃがみ込んで立ち上がる様子がない。
「おいでー」と手招きを続けていると、久遠は仕方がないとようやく、重たい腰を上げた。
「これを清めて欲しいの」
久遠は「はいはい」と慣れた様子で、あたしからペットボトルを受け取った。
薄い唇を小さく、開いて、ブツブツと呪文のようなものを口にし出す。
妖弧になぜ、このような力があるのかわからない。
けれど、久遠は何の変哲もない、ミネラルウォーターを、清め水に変えることができる。
「はい、どうぞ」
久遠は、見た目は何も変わっていないペットボトルをあたしに差し出してきた。
一連の動作を見ていた狛犬くんたちが、なぜか顔をしかめているのが見えた。
目の前の久遠は、ただ穏やかに笑って、あたしを見下ろしている。
彼からペットボトルを受け取ると、持参した布切れが、狛犬くんたちを綺麗にふき上げていく。
清め水が良いのか、軽く擦っていくと、狛犬くんたちはピカピカに光っていく。
「気持ちいいー」「気持ちいいねー」
キャッキャッと口々に、喜びの声を上げる狛犬くん。
「狛犬くんたちのカラフルな紐、可愛いね」
あたしが、足にびっしりと付いたカラフルな紐をほめると、2匹そろって口角をキューッと持ち上げた。
「これは僕たちの力だ」
「僕たちが、君たちにできることだ」
狛犬くんたちは膨らんだ胸をさらに、突き出して胸を張ってみせる。
足止めの紐。
御霊神社の狛犬くんたちには、足止めのカラフルな紐がびっしりとつけられている。
江戸時代―――
遊女通いが止まるように、子どもたちが神隠しにあわないようとの願いをこめて、狛犬の足に紐を結んでいたものが現在にも伝わっているらしい。
大事な人がちゃんと、自分の傍に居てくれるように。
願いをこめて―――
「大事な人―――か」
つぶやくようにもれる小さな声は、久遠には聞こえていたようで、彼はヘラッと笑って首をかしげた。
「寂しいの?」
久遠がいったい、何を考えているのか全然わからない。
目の前の妖弧はいったい、あたしの何を知っているのだろうか。
「どうだろうね」
彼を信じることができないあたしは、久遠の言葉を肯定も否定もしなかった。
「梅子も、やる?」「やってみる?」
狛犬くんたちに声をかけられて、ちょっと迷ったけれど、あたしは小さく頷いた。
「やる」と言ったあたしに、久遠は目を細めた。
「今の人たちは恋人と一緒にいたい、とかも願うよ」「梅子の恋人!」
狛犬くんたちは陽気に騒いでいる。
「恋人は居ないかな」
苦笑したあたしに、狛犬くんが一気にシュンッとする。
「梅子は彼氏が居ないらしい」「もてないらしい」
「余計なお世話よ」
ボソッと言い返すと、狛犬くんはケラケラと笑った。
紐を買うと本殿でおまいりをして、狛犬くんのもとに戻ってくる。
「ちゃんと、結んでね」「間違えずに結んでね」
足止め紐は、結び方も特徴がある。
結び目の表が口、裏が十。
裏表あわせて、「叶」になる結び方である。
綺麗に結ぶと狛犬くんが顔を見合わせて、「叶うといいね」「いいね」と笑った。
―――だけど、あたしは知っている。
あたしが願った人は、あたしの傍にいてはいけない人。
この願いが叶うことは万に一つもないということを。
2018.12.24 設定変更に伴い一部内容を変更しています。