俺の異世界転生期 ~記憶の保持に隠された真実〜
「だらっしゃあ!!」
両手で握るのは殴打武器のメイス。希少金属であるオリハルコン性のそれを勢いよく振るい、眼前の扉をぶち壊してやった。
「ふぅ……」
大きく息を吐き、乱れた呼吸を整える。
眼前では激しくねじ曲がった鋼鉄性の扉が、きしんだ悲鳴を上げながら室内へ倒れてゆく。
その先へ広がっていたのは石造りの広間。深紅の絨毯が一直線に伸び、最奥には、豪華な玉座へ腰掛ける一人の女性の姿が。
足を組み、肘掛けを使って呑気に頬杖を突いているそいつを睨みつけた。
年の頃は三十台中程か。女優のような整った顔立ちをしているが、長い睫毛をたたえる切れ長の目には、冷徹さと狂気の色が漂って。
瞳の奥へ感じるのは底冷えするような深い闇。そいつが身に付ける漆黒のドレスが、余計にそう思わせるのかもしれない。
でも、気後れしている場合じゃない。俺の双肩にはみんなの想いが懸かっている。倒れた扉を踏み付けて、大股で絨毯を進む。
「あんたが、運命の神フェイトか?」
すると目の前のそいつは、赤紫に彩られた唇を僅かにもたげ不敵に微笑んで。
今すぐ飛びかかりたい衝動を必死に押し殺す。怒りに囚われ狂い出しそうだが、こいつには色々と聞いておきたいことがある。
「いかにも。そういう君は、ローナ=ジョセニカだな? まずは、優勝おめでとう、と言っておこうか……」
「別に、ちっとも嬉しくねぇんだよ!」
怒りを当てつけるように足を降ろすと、床石が鈍い音を立てて砕け散った。
「淑女が、はしたないことをするものではない。礼儀作法を教えるのが先か?」
声を無視してメイスを担ぎ、大股で進む。
足元まで覆い隠す純白のドレスが邪魔で、膝下の部分はすぐに千切ってしまった。
それにしたって長い髪は邪魔だし、胸は重いし、スカートで隠されただけの股もなんだか涼しい。落ち着かないことだらけだ。
「俺たちをこの世界に転生させたのはあんただろ? っていうか、年齢も記憶も保持したまま転生って、どういうことなんだ!? こういうのは普通、赤ん坊からだろ!?」
三十才の俺は、そのままの精神を保ってこの世界へ呼ばれたんだ。しかも女として。
「そんなものは君の勝手な解釈と都合だ。こちらが必要としたのは闘技に必要な即戦力。私の思念を最後まで聞かなかったのか?」
薄笑いを崩さないその顔は、明確な意思が読み取れない。まるで試されているようで。
「思念!? こっちは事切れる寸前だったんだ! そんなもの、最後まで聞いていられるわけねぇだろ!」
頭の中へ突如響いた謎の声。どうせならと遊び半分で乗ってみたが、薄れ行く意識の中では詳細を確認する余裕などなくて。
「せめて、男のまま転生させろよ! 勝手に女の体にされた俺の身にもなってみろ!」
戦いに次ぐ戦いでボロ切れ同然になってしまった純白のドレス。その襟元を掴んで、見せ付けるように持ち上げる。
まぁ、女に転生したのも悪いことばかりじゃなかった。初めて成人女性のリアルな体を見て、直接触れることができた。とは言っても、自分の体だから当然なんだが。
おまけに、自分でも見とれるほどの愛らしい顔立ちと引き締まったスタイル。文句の付けようも無いその容姿に騙された対戦者も数多くいたのは事実だ。
「しかも女神に転生させておきながら、物攻特化って意味不明だろ!? ただの怪力女だろうが! なにがしたいんだ、あんたは!?」
俺たちの中間地点に建っている一本の石柱が目に付いた。腰までの高さがある台座の上へ、一つの水晶球が置かれている。
それは怪しげな光を放ち、左右の石壁へ複数の映像を映し出していた。恐らく、プロジェクターのような役割というわけだ。
映像は、先程まで死闘が繰り広げられていた闘技場。会場にはまだ熱に浮かされた大勢の観客が残り、お祭り騒ぎが続いている。
「君が女神に転生したことも、物理攻撃に特化したことも、遊戯を盛り上げるための演出のひとつだ。見た目通りでは面白味のカケラもないだろう?」
「結局は、全部、祭りのためのお膳立てってことかよ!? ふざけるな!!」
メイスを振り下ろし、水晶と台座を粉々に打ち砕いてやった。でも、この程度じゃ俺の、俺たちの怒りは到底収まらない。
「あんたの言う遊戯とやらのせいで、何人が死んだと思ってるんだ!? 二万人だぞ、二万人! 生き残ったのは俺だけだ!」
彼等の想いも託されて、ここに立っている。
こいつの思念に応じ次々と召還された転生者は、結界で覆われたこの島へ集められた。それこそ多種多様。天使に悪魔、勇者に魔王、果てはスライムまで。
闘技場と宿泊施設しかない島。逃げることもできず、強制的に戦いを強いられた。ある時はチーム戦、またある時は個人戦。その様子はリアルタイムで中継され、隣り合う本国のユーザーたちにも届けられていたんだ。
「お陰で今回も盛況だった。おまえがなり振り構わず突撃した全裸の水中戦も大好評……見ろ。そこへ刻まれた総アクセス数を」
「知るか! あんたたちを楽しませるわけに戦ってたわけじゃねぇんだ!」
フェイトの遊戯。それが、三年に一度行われるというこの大会の名前。総合司会者と名乗る男の話によれば、閲覧登録者は百万人。
登録外の人たちにもある程度の認知はあるし、時々は見るという人もいるとか。言わば、知る人ぞ知るイベントというわけだ。
戦いは三ヶ月以上にも及び、固い絆を結び合った転生者もいた。協力してこの戦いを勝ち上がり、俺たちの力で祭りの計画者を打ちのめしてやろうと励まし合ってきた。
だが、優勝者はただ一人。最後の決戦は、一緒に戦い抜いてきた六人の仲間たち。
苦楽を共にした仲間を手に掛けるのは耐えがたい苦痛でしかない。しかも自害することは許されず、優勝者しか島の結界を出ることができないという過酷なルール。
決断を下せずに不戦を決め込んだ俺たち。そこに現れたのは、ファンタジーでお馴染みの巨大な黒竜だった。
まるで、恐竜の標本でも見せられているようだった。翼を持った、見上げるほど大きなトカゲとでも形容すれば良いのか。
そして、黒竜の執拗な攻撃が始まった。最後の一人になるまで止まらないという怪物の猛攻を凌ぎ、俺たちは必死に戦った。
だが、一人、また一人と傷付き、絶命する仲間たち。その中には、天使に転生したサリアや、勇者に転生したカインの姿もあった。
みんな、苦楽を共にした大切な仲間だった。特に、サリアとは相思相愛の仲になったし、カインは親友と呼べるほどの存在だった。
「それでも君は生き残った。どうだ、生前に成し得なかった一位の景色は? 君が憧れ、望んだ結末がここにある……」
「え?」
言葉が出なかった。その代わり、嫌な汗が全身から滲み出してくるのが分かる。
「生前の名は、ナカニシ・セツロウ。自室に引き籠もり、小説投稿サイトへ作品を上げ続ける、ニートの底辺作家」
「どうしてそれを……」
女の視線に、全てを見透かされているような恐怖を覚えた。その声が耳を通して、脳内を掻き回すように滑り込んで来る。
「あの投稿サイトのユーザーも百万人だったな? この遊戯を楽しむユーザーと同数。勝ち上がる快感はどうだった? 誹謗中傷もあっただろうが、それを超える賞賛の声に包まれ優越感にも浸ったはず。君の承認欲求は、この島で満たされた……」
まるで薬を打ち込まれたように、その声が深く浸透してくる。先程までの怒りが途端に萎え、恐怖に似た感情が沸き上がってくる。
「ふざけるな……確かに俺は底辺作家だった。でも、命のやり取りをしていたわけじゃない! 純粋に、書くことを楽しんでた……」
「ほぉ。純粋に?」
女の纏う空気が変わった気がした。
「規約違反とされる複数のアカウントを操り、誹謗中傷で他者の心を折って退会させる。これは、相手を殺したことにならないのか?」
「ぐっ……」
何も言い返せない。それにしてもこいつは、何をどこまで知っているっていうんだ。
「挙げ句には、ポイントの水増しに相互評価依頼。そんなゲス男を英雄に仕立て上げてやったんだ。むしろ、感謝して欲しいくらいだ」
「うるさい、うるさい、うるさい!!」
もう、この世界にもうんざりだ。
「あぁ、そうさ! 俺は一番になりたかった。有名な人気作家になりたかった。書籍化作家として印税収入を得て、鼻高々に暮らしたかった。それが悪いって言うのかよ!?」
俺の言葉を、女はせせら笑う。
「そこまで外道に墜ちながら、投稿作品は鳴かず飛ばず。才能がないと悲観して、睡眠薬を多量服用。意識が飛ぶ間際、私が放った思念へすがるしかなかった哀れな男……」
「あんたに何が分かるっていうんだ……俺にはもう、なにもなかった……あの小説投稿サイトの中にしか、俺の居場所はなかった!」
三十にもなって定職に就けず、部屋へ引き籠もる毎日。おまけに人付き合いの苦手な俺が腐敗した人生を覆すには、趣味である文章表現の世界でのし上がる以外になかったんだ。
運命の神フェイトは薄い笑みを崩さない。その目が、俺の深層を的確に抉ってくる。
「ナカニシ・セツロウ。君は生まれ変わったのだよ。ローナ=ジョセニカとして。この島を出て、本土で暮らすといい。素晴らしい世界が君を歓迎するだろう」
その言葉は、ただただ不快でしかない。
「殺人鬼になった俺が、どんな顔をして生きて行けって言うんだ? 俺が背負った罪と責任は余りにも重すぎる……俺がここにいる理由は、ただひとつ……」
肩に担いだメイス。それを強く握りしめる。
「あんたを殺すことだけだ!」
この、ふざけた遊戯を終わらせる。俺に続く被害者をこれ以上増やさないために。
女までおよそ十歩という距離。ところが、走り出した直後に見えない壁へ激突。その場へ尻餅をついていた。
「また結界かよ……」
誰がどんなスキルを使っても打ち破れなかった謎の結界。俺に与えられたのは魔法を跳ね返すというマジック・シールド。そんなものでは何の役にも立たなかったんだ。
「私を殺そうなど笑止千万。今までの優勝者も同じことをしようとした……だが、この世界にも娯楽というものは必要なのだ。構わないだろう? 向こうの世界で命を絶った者を集めているのだから。これは命の再利用だ」
「ふざけるな!!」
「怒るのは構わないが、いい加減、足下を正したまえ。下着が丸見えだぞ……やはり君には、淑女としての品位が必要らしい」
悔しさに唇を噛み、どうにか立ち上がる。床へ転がったメイスを拾い、結界を狙う。
「くそったれがぁっ!!」
打つ。打つ。打つ。全ての、みんなの怒りと無念を込めて何度も打つ。
衝撃は大気を激しく震わせるが、どうあっても結界を崩すことができない。それどころか、希少金属性のメイスが情けない音を立てて、半ばから折れ曲がってしまうなんて。
「ひとつ、良いことを教えてやろう。君は、そう悲観することもない」
「は?」
メイスを投げ捨て、女を思いきり睨み付けてやった。でも、この愛らしい顔で凄んだところで、大した効果は期待できない。
「この遊戯の閲覧登録者は、たかだか百万人。登録外を見積もっても二倍が限度だろう。本土の人口は一億五千万。つまり、本土の生活に馴染んでしまえば、君を知る者などごく一部の人間だけ、というわけだ……」
女は楽しそうに唇を歪める。
「なにが言いたいんだ?」
「ここで優勝したところで、君の影響力など高が知れている、ということさ」
その言葉に、胸の奥がチクリと痛んだ。
「あぁ。そうかよ……別に、この世界で有名になりたかったわけじゃない」
「全てをやり直したかった、か?」
心臓が大きく脈打った。まるで、この女に鷲掴みにされたような気分だ。
「人生を悲観し、絶望。挙げ句に自ら命を絶つ。その行いこそ、下劣極まりないと思わないか? この遊戯以上に命を軽視していると、そうは思わないか? なぁ、セツロウ」
「ゴチャゴチャうるさいんだよ!!」
こいつは一体、なんなんだ。もう、わけが分からない。なにが言いたいんだ。
「たかだか百万人の頂点へ立つために命を犠牲にしたバカへ、こうして言い聞かせてやっているんだろうが! 愚か者め!!」
言葉が見えない力となって押し寄せた。
体は軽々と吹っ飛ばされ、絨毯の上を情けなく転がされていた。
「この遊戯を、己の生き様に照らし合わせてみたか? この戦いで何を感じ、何を得た?」
「くそっ……」
床に両手を突き、どうにか立ち上がる。もう、説教なんて聞き飽きた。おまえは親じゃない。
顔を上げると、女の鋭い視線が。
「有名になりたかったわけじゃない。そう言ったな? では、戦う理由はなんだ?」
「ふざけた遊戯を終わらせるために決まってるだろうが……生き残った一人が、あんたを殺して全てを終わらせる。そのためだけに、仲間の想いを背負って戦ってきた……」
「ふむ。もう分かっているではないか」
女は不意に柔らかな笑みを浮かべて。その全身から放たれていた刺々しい雰囲気は、ウソのように消え去っていた。
「本当に大事な物はそこにある。優勝することが、有名になることが全てではない」
「は?」
女の豹変ぶりに呆然としながらも、胸の内へ込み上げる熱い想いに気付いてしまった。
そうなんだ。気付けばこの戦いで、かけがえのないものをたくさん手に入れていた。
多くの転生者と知り合い、恋も友情も育んだ。協力や裏切り、良い所も悪い所もまざまざと見せ付けられた。
団体戦を勝ち抜き、俺たち七人は決勝の舞台へと進出。最後に残ったのは、みんなとの繋がり。いわば絆だ。
気付けば笑いが漏れていた。俺が記憶を残してこの世界へ来た意味がようやく分かった。
「これもあんたの仕業ってわけか? 要するに、俺の更正も兼ねていたってことだろ?」
「ふむ。そういうことだな……」
そうなると、一つの疑問が湧く。
「死んだ奴等はどうなったんだ?」
「前世で命を絶った。と言ったはずだが……死にきれず運良く命を拾えば、同じ世界で蘇生するだろう。命を落とせば新たな生命へ転生する。ただそれだけのこと」
話をしていたら、なぜか不意に立ちくらみがして。
思わずその場へ膝を付き、四つん這いになって体を支えることしかできずに。
「ふむ。そろそろ時間というわけか」
「どういう……意味だよ?」
床に付いた両手が徐々に透けている。いや、良く見れば、体全体が薄くなっている。
「君の本心は、元の世界へ帰りたがっているということだ。この世界では三ヶ月以上経ったが、元の世界ではほんの一日。特別に、この世界での記憶を引き継がせてやろう。現状を悲観せず、人生を楽しむことだ。まだ折り返しにも達していない、旅の途中なのだから」
「待ってくれ……まだ、あんたに礼を言ってない……」
「礼を言うのはこちらの方だ。存分に楽しませて貰った。さらばだ。異界の者よ……」
☆☆☆
目を覚ましたそこは病院だった。枕元では、看病に疲れた母がうたた寝をしていて。
自殺未遂という行為から手足を拘束されており、退院にも骨の折れる思いをする羽目に。
その後、どうにか無事に退院を果たし、仕事を探すために面接を受けまくった。
ここがダメなら次は向こう。あの世界で散々思考を巡らせ、仲間と共に闘技場や戦闘フィールドを駆け巡ったんだ。今の俺は、簡単には折れたりしない。
そうして無事に就職口にありつき、その頃にはもう、人付き合いが苦手だった俺など、まるでウソだったように。
その日の晩、久々に自室のパソコンを立ち上げ、小説投稿サイトを覗いてみた。
ここを訪れるのは数ヶ月ぶりか。いや、向こうへ行っていた期間をリアルタイムに換算するならば、半年近い時間が経過している。
「お……」
思わず声が出てしまった。
お知らせ欄に、期待を煽る赤い文字。
“感想が書かれました”
“レビューが書かれました”
“メッセージが届いています”
底辺をさまよう俺の作品へ、感想とレビューが一度に来ているなんて。
興奮を抑えきれないまま感想欄を進み、ユーザー名を確認した途端に手が止まる。
そこには、異世界で知り合った名前が散見していた。転生者の中にも、この小説投稿サイトを利用している人がちらほら。感想やレビューをくれたのも彼等だ。
現実世界で命を取り留め、蘇生した転生者たち。彼等も異世界での記憶を保持しているということか。
お気に入りユーザー登録は制限数を超えてしまい、これ以上の人たちとは繋がることができないほどで。
評価を貰ったことが嬉しいんじゃない。そんなものは二の次だ。生きていてくれた転生者がいる。そのことが堪らなく嬉しくて。
「なんで? ウソだろ……」
涙が込み上げ、視界が歪む。胸が熱くなり、言い表せない感情が一気に込み上げる。
サリアとカイン。彼等から聞いていた生前のユーザー名で、感想が書き込まれている。
「生きていて……くれたのか……」
サリアは確か、乗っていたバスが横転するという大事故に巻き込まれたと言っていた。
カインは、道路に飛び出した子供を助けた際、車に接触してしまったという話だったが。
涙を拭い、鼻をすすり、震える手でもう一度トップページへ戻る。確か、メッセージも届いていたはずだ。
膨大なメッセージ数。その最新ページにも、サリアとカインからの便りが。しかし、俺を最も驚かせたのは、直近に受信していた一件のメッセージだった。
「ウソだろ……」
差出人の名に言葉を失う。ユーザーネームはフェイト。あの運命の神と同じ名前だ。
偶然かもしれない。たまたま同じ名前を使っているユーザーなのかも。
でも、高鳴るこの胸の動悸はなんなのか。
現実世界でも得た新たな繋がり、そして、これから始まる新たな世界。
俺は興奮を隠しきれないまま、そのメッセージをクリックしていた。