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作者: ユミィ

 結婚を間近に控えて、彼の生まれ故郷の街に引っ越した。

新興住宅地と、まだ残る豊かな田畑。

森林と、小さな神社。

広い公園と整備された道路があり、大きなスーパーも農家がやっている直売所もあるこの街が、私は気に入っていた。


 それまでの仕事を辞めて、パートの仕事に就いた。

春に越してきて2ヶ月…毎日夕方4時に仕事を終えて自転車で家まで帰り、近所を30分ほどジョギングする。

 平日はほぼ毎日走るから、同じようにジョギングする方や、道ばたで井戸端会議をしている人たち、犬の散歩、学校帰りの子ども達…なんとなく、顔見知りになり、挨拶をするようになった。

 その中に、よく見かけるおじさんがいた。

年の頃は60代だろうか…定年してるのか、いつも、花の手入れをしたり、近所の人たちと話したりしていた。

なんとなく挨拶を交わすようになり、おじさんは私を見かけるといつもにっこりとしてくれるようになった。


 ある梅雨の午後だった。

夕方、いつものようにジョギングをしていたら、そのおじさんに呼び止められた。

「今の時期にしか見られない、とてもいいものがある。ここから少し行ったところだけど見に行きませんか?」


 挨拶をするようになったとはいえども、知らない人であることには変わりない。

まさかこの、人の良さそうなおじさんが何か犯罪的なことを考えている…とは思いたくなかったけれども、昨今の治安の悪さ、一見そういうことをしなさそうな人が犯罪に手を染めるニュースがあ頻繁に流れていたから、なんとなく警戒した。

でもおじさんは何度となく誘ってくるので、ついに根負けした。

いざとなったら走って逃げれる…そう思って、おじさんの後についていくことにした。


 おじさんの後についていくと、どんどん人通りも車通りもないところに進んでいく。

どこまで行くんだろう…この辺は、昔からの田圃くらいしかない、って彼が言ってたっけ…。

人家もまばらで、ぽつり、ぽつりと距離を空けて街灯があるくらい。

だんだんと怖くなってきたけれども、私の足はまるで自分の意志とは反対に、おじさんを目印に前に、前にと進むばかりだった。


 おじさんに連れて行かれたのは、だだっ広い田圃だった。

田園を囲むようにうっそうとした森が茂り、ここが東京のベッドタウンとは信じられない風景だった。

 日はとっぷりと暮れて、ほんのり明るさを残していた西の空も、藍色に変わりつつあった。

人っ子一人通らない静かな場所…静か過ぎて、なんだか怖くなって…着いてこなければ良かった、と後悔した。


 おじさんはタバコと携帯灰皿を取り出し、一服し始めた。

「もうそろそろかな」

ふぅ、っとタバコの煙を吐き出しおじさんが言った。

「あの辺りを見ててご覧」

 街灯もないような暗がりの中、叔父さんの指差す辺りを見ると…ぼんやりと、小さな小さな光が灯り、点滅した。

それはだんだんと数を増やし、真っ暗な田圃の上を舞い、光り、点滅し、集まり、霧散し…幻想的な景色を創り出した。


「…蛍だよ」

「蛍…この辺り、いるんですね…」

「娘と、よく見に来てなぁ…」

 蛍を見ながら喋るおじさんの横顔は、悲しそうにも見え、昔を懐かしんでいるようにも見え…なんだか胸が締め付けられた。


 「つきあってくれてありがとうな、お嬢さん」

おじさんは振り向いて言った。

暗くて、顔の表情までは読み取れなかったけど…なんだか、声が震えているような気がして、ドキドキした。


「いえ、蛍が見れるなんて、驚きました」

「まだこの辺りは開発されんからなぁ…来年も見れるかもしれん」

「今度、夫と来てみます」

「お、それはいいね」

「はい、いいところを教えていただいてありがとうございます」

「いえいえ」

おじさんはそう言うと、会釈してくれた。


 「…そろそろ行かないと、だなぁ」

「はい」

「私はこっちから帰るから。お嬢さんはそっちから帰りなさい。そっちの道をまっすぐ、5分も歩けば大きい道路に出るから。気をつけてな」

「あ、はい、ありがとうございます」


 私は会釈して、おじさんと反対の方向に歩き出した。

蛍達は人に馴れているのかいないのか…よくわからないけども、時折目の前にふっと現れて、私は内心どきっとした。

 ある程度行ったところで振り返ったら、もうおじさんの姿はなかった。

 それ以来、おじさんの姿を見かけることがなかった。

毎日走っていれば、顔なじみの人に会えないときもある。

だから最初はそれほど気にしていなかった…。

でも、さすがに一週間姿を見かけなかったら、心配になった。


 ある日、ジョギング途中におじさんとときどき立ち話をしていたおばさんを見かけた。

聞いてみようか、どうしようか…ためらった。

このおばさんだって、おじさんとはただの顔見知りかもしれない。

知らない、と言われたら…気まずくなるだろうし…そう考えて一度は通り過ぎたものの、やっぱり気になって引き返した。


「あの…」

「はい?」

おばさんに声をかけると、「ああ、ジョギングの子ね?」と言ってくれた。

良かった…ほぼ毎夕、見かけていたから覚えていてくれたのだ。


 ここでよくおばさんと話しているおじさんのことを聞いたら、快くおじさんのことを教えてくれた。

結婚が決まっていたお嬢さんを、交通事故で亡くして以来、意気消沈していたと。

父一人、子一人で…大事に大事に育ててきたお嬢さんだったそうだ。

そんな大事な一人娘を不慮の事故で亡くし、何の為に生きているのかわからん…と、よくこぼしていたそうだ。

 私がジョギングしているのを見て、娘によく似ている、と言っていたらしい。

その叔父さんが心臓発作で倒れ亡くなったのは…私が、おじさんに蛍を見に連れて行かれた日だった。

「小さい頃にね、娘さんとよく蛍を見に行ってたんですって。お嫁に行く前に、もう一度連れて行きたいな…って言ってたのよ」


おばさんは、昔からこの辺りに住んでいる人で、おじさんのことも、おじさんの娘さんのこともよく知っていたらしい。

おじさんに蛍を身に連れて行ってもらった、と話したら、そのおばさんは驚いたけれど…

「長く生きてると、そんな話よく聞くからね」と、笑ってくれた。


私が蛍を一緒に見に行ったのは、誰だったんだろう?

やっぱりおじさんだったのかな?

この世を離れる前に、娘さんによく似た私と蛍を見れて…嬉しかったかな…。

おじさんの人生や娘さんへの愛を思うと、なんだか胸が締め付けられて、涙が出た。

挨拶しかしなかったけど、きっときっと、おじさんの人生は…たくさんの喜怒哀楽で彩られていたのだろう。


おじさんの人生に何が起きて、何をどう感じたのかをもう知る術はないけれども。ほんの一瞬しか交わらなかった、おじさんと私の人生。

それでも…最後にもしも、おじさんが幸せを感じられたなら、それでいいのかも…そう、思った。


来年、蛍の時期になったら、お線香を持ってあの場所に行こう。

彼も一緒に来てくれるかな?

蛍達は、来年も…綺麗に、儚げに光ってくれるかな…。


ほんの少し交差した、私とおじさんの人生。

そこにどんな意味があったのかはわからないけれども。

これから、彼と…幸せになろう、と心に誓えた。

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