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「すすきー。ママの眼鏡しらなーい?」
朝ごはんの卵かけご飯を食べているとママがそう聞いて来た。
そんなママの右手には、ばっちりぴんくいろのメガネケースが握られている。
私はなにも言わず、その右手をじっと見つめた。
するとママは、私の視線を辿り自分の右手に握られているものを確認すると、ひゃーと高い声でわらった。
ママはいつもこんな感じだった。
娘の私よりどこか頼りない。
わたしだって別に学校ではしっかりものなキャラじゃないけれど、家ではママがこんなんだからわたしがしっかりするしかないと思っている。
ママはメガネケースをいつもより大きなカバンに入れ、玄関に慌ただしく走っていった。
そして玄関から大きめの声で言った。
「すすきー。ママ、出張いってくるからね。」
ママは、ゆっくり朝ごはんを食べるわたしをよそに、そそくさと玄関でヒールの靴を履いている。
「へ?なんにひ?」
卵かけご飯を口に頬張っていたからうまく喋れなかった。
「3日間くらいかな。」
「へっ!ほんなに?!」
3日間も一人で暮らすことを想像すると、とてつもなくさみしくなった。
最近、ママの仕事が急に忙しくなって来て土日も全然家にいないし、平日なんか朝しか会えない時もあった。
広い一軒家で一人でいるのは、単純に怖かったし、寂しかった。
ママは頼りないけど、私はママが大好きだった。
「大丈夫よ。3日間なんてすぐすぐ。」
ママは、さらっとそう言った。
私の気も知らないで、と思ってすこしムカついた。
そしてパンプスを履き終え立ち上がるとわたしにこう言った。
「帰って来たらね、すすきに言いたいことがあるの。だからまっててね。」
そう言うと、ママは家を飛び出した。
なんだかそう言ったママが私にはすっきりした表情に見えた。
言いたいことってなんだろう。
パパと再婚?それとも別の人?
貯金がゼロになったとか?
嫌いなニンジンが食べれるようになったとか?
大きいものから小さいものまで色々想像できた。
はやくその答えが知りたくて、私は待ちきれなかった。
でも、その答えを聞くことはもうなかった。
ーーーー
なんだか懐かしいことを思い出していた。
すると、電車のアナウンスが鳴った。
「まもなく、あひる野、あひる野。」
「おい、着いたぞ。」
隣でつり革につかまっていた男は私に言った。
あひる野。
聞いたことない駅だった。
でも、ドアから景色を見る限りビル街でも、森の中でもなく下町っぽい感じだった。
その雰囲気は、とても風情を感じた。
電車がゆっくりと止まると、男に促されるまま降りる。
私の知らない土地の匂いがした。
さらっとしていて、澄んでいる匂い。
もう辺りは夜で冷たい風が吹き抜けていて、薄手のコートのポケットに両手を突っ込んだ。
駅を出ると、やっぱり下町っぽい感じだった。
小さな木造の家が軒を連ねていて、地面には赤っぽいレンガが敷き詰められてる。
緊張する私をほぐしてくれるような温かみを感じた。
「よし、じゃあスーパーでも行くか。」
男は隣でそう言うと、うーんと背筋を伸ばした。
「スーパー……!」
私はなんだかその響きに感動した。
すると男は眉をひそめて言った。
「なに、お前。もしかしてコンビニ食しか食べませんよ系女子?」
「ちがうし、そんなめんどくさいやつじゃないから。」
私はそう吐き捨てて、続けた。
「なんか、これから本当にここで暮らすんだなぁと思って…。」
私は、まだあまり実感がなかった。
なんだか心臓が浮いているよう。
しつこいかもしれないけど、私、本当に迷惑じゃないんだろうか…。
すると、男はははっと軽い笑いをして言った。
「俺、料理はめっちゃうまいからな?そこは心配すんな。」
男はそう言うと、歩き出した。
私は別に料理のことなんか気にしてないのに。
男もそれはわかっていたはずだ。
”大丈夫。迷惑じゃない。”
私のうぬぼれだろうか、そう言ってくれているような気がした。
私は、男の後を追いかけた。
ーーーー
駅からスーパーは五分くらいでついた。
ほんとに普通のスーパー。
夕ご飯の買い物だろうか、主婦やスーツを着た人がたくさんいた。
「すすきは嫌いな食べ物ってなんだ?」
男はジャガイモを見極めながら、私に聞いた。
即座に私の脳裏に、三種類の食べ物が浮かぶ。
トマト、貝類、きのこ。
このトップ3だけは本当に食べれない。
食べ物というジャンルにいるのがまず謎なくらいだ。
もし嫌いな食べ物を言ったら、きっとこの男は私のためにそれらは食卓には出さないんまろう。
それって、すごい迷惑じゃないの?
すごいめんどくさいんじゃない?
「な、なんでもたべれる。」
私はそう答えた。
すると男は、目を丸くして
「へぇ、今時のじぇーけにしては珍しい。」
とふざけながら言うと
「じゃあ、今日はトマトサラダかな。」
と言いながら、トマト一袋をかごにいれた。
堪忍だ、私。
可哀想な自分を慰めていると、ポッケに入っていた携帯がぴろろんと鳴った。
知らないアドレスからのメールだった。
誰だろう、と思いながらメールを開く。
一文めに書いてあった文章は
”おい!ほんとに誘拐されたのか?!どこいった?!”
だった。
この馬鹿っぽくて、怒りを感じる文章から、今日3人で一緒にいたおじさんだとすぐにわかった。
この人、本当にわたしが誘拐されたと思っているんだろうか。
ちょくちょく、男に忠告していたあの言葉は本気だったのか。
この人、本物の馬鹿なんじゃないか?
このメールを男に見せたくなり、携帯から視線をあげた。
すると、さっきまでとなりで野菜をみていた男がいなくなってた。
周りを見渡しても、主婦とサラリーマンしかいない。
ど、どうしよう。
もう手持ちのお金もないから自分の家にも帰れないし、今おじさんたちに会ったら確実に家に帰される。
「あれ?どうしたの?迷子?」
キョロキョロしてる私を心配してくれたのか、店員のおばさんが心配そうに話しかけてくれた。
「迷子っていうか、人とはぐれちゃって。」
「あらぁ、放送で呼ぼうか?」
あ、その手があったか。
多分、しばらくお店をぐるぐるしてればそのうち見つかるんだろうけど、探し回るのもめんどくさいしここはおばさんの手を借りようと思った。
じゃあお願いしますと言うと、おばさんは快く私を事務室に案内してくれた。
二人で歩いているとおばさんが私に聞いた。
「その人の名前は?」
おばさんの全く当たり前な質問に私ははっと気付かされた。
私、あの人の名前しらないじゃん!
なんて初歩的なミスを、と気分が沈むと同時に、私は名前もわからない人についていってたのかという少しの情けなさも感じた。
おばさんは、しぶっている私を不思議そうに見ている。
「じゃあ、その人の特徴でもいいのよ。」
おばさんはそう言った。
特徴ならわかるぞ。
私はスラスラと彼の特徴を並べた。
黒髪の短髪で、背が180センチいくかいかないかで、体型は普通、かごにトマトを入れている。
結構言ったつもりだったけど、おばさんの顔はまだ難しそうにしている。
そこでまたまた私は自分の失態に気づいた。
特徴が普通すぎる!!!
こんな特徴、そこらへんにいる男子にだいたい当てはまるんじゃないか!
トマトを入れてるとかもはや特徴じゃないし!
でも、彼の顔は本当にこれといった特徴もないのだ。
悪い意味でブスでもない。
悶々と考えていると、私の頭に新たな彼の情報が思い出された。
あまりに渋っていたので、思い出すと瞬間的に口に出していた。
「熟女の巨乳好き………。」
「あっ!いた!!」
私が喋ると同時に、聴き慣れて、はいないが知っている声が聞こえてきた。
その声の方を見ると、あの男が焦った顔をしながらこちらに走ってきていた。
やっぱりかごにはトマトが入っていた。
当たり。
「お前、どこいったんだよ、も〜。」
なんて、男は私を責めるように言ったから
「なんで!そっちが急にいなくなったんでしょ!」
と言い返してやった。
ふとそのやりとりをみていたおばさんを見ると、なんだか彼のことを見ながらえもいわれない顔をしていた。
彼の言葉でギリギリ遮られたと思っていたけど、やっぱり聞こえていたみたいだ。
熟女巨乳。
おばさんは、苦笑いを私たちに向けながら消え入るように離れて言った。
このスーパーで男はあのおばさんに見られるたびに、このレッテルを思い出されるんだろう。
なんだか、男にちょっと申し訳なくなった。
でも男はおばさんなんかちっとも気にしてないようで、私に不思議そうに
「あれ?俺、きのこ売り場行ってくるって言わなかったっけ?」
と問いかけた。
言ってない、と私が冷たくいうと
男は、急ににやけて
「あ、わり。」
と絶対思ってない言葉を言った。
さっきまで男に謝りたいと思っていたけど、本気でちょっとイラっとした私は、男の背中をグーで軽く叩いた。
すると男はますます笑ってた。
「名前。」
「え?」
聞き返す男に私はもう一度言った。
「名前教えて。」
男は、ちょっとびっくりしたようだったけど、納得したような顔をするとこう返した。
「藤原 杏太郎。」
「ふじわら きょうたろう……。」
なんだかまだ馴染めなくてぼそっと繰り返してみた。
でもまだあんまり馴染めない。
だから小さい声で何回もつぶやいてみた。
それで笑っているのだろうか、男の小さいわらい声が頭の上からして、そして男は私の手を取って歩き出した。
多分、はぐれないようにするため。




