第八十七話 仮初めの強者
今回のお話で、第四章のラストとなります。
「ぅらあああぁぁーっ!!」
ラッセルが勢いよくローブの人物に切りかかってきたところを、ローブの人物はスッと右手の指先を前に出し、黒い魔力を灯した。
ガキィーン、という鈍い音が鳴り響いた瞬間、ラッセルの表情が驚愕に包まれる。
「なっ……バカな!」
指先一つで剣が止められた。鉄の壁にでも阻まれたかのような感触。当然ながら相手には、切り傷どころか衝撃によるダメージすら与えられていない。
「切るだけじゃダメか……ならばこれでどうだっ!?」
ラッセルは剣先に魔力を宿し、それをあっという間に増幅させる。ラッセルほどの腕があるからこそ、これぐらいの速さでできるのだ。
どう見てもこちらのほうがたくさんの魔力で溢れている。ラッセルはそう思いながら地を蹴った。今度こそローブの人物を、跡形もなく消滅させるつもりで。
「ぅぉおおおぉぉーーーっ!!」
勇ましい掛け声とともに、ラッセルは剣を振り下ろす。しかし――――
「があっ!?」
黒い魔力を宿した指先一つで、呆気なくはじかれてしまうのだった。
ドサッという音ともに、手放した剣が地面に落ちる鈍い音が路地裏に響き渡る。
「無様にも程がありますねぇ……まぁ、予想はしてましたけど」
呆れ果てたように首を横に振るローブの人物の前で、ラッセルは尻もちをついたまま震えていた。
「な、何故だ? 俺はランクBに挑戦できる資格を得ているのに……魔法剣士としての修行も積んできたのに……なんでこんな……」
「決まってるじゃありませんか。所詮アナタはその程度だったということですよ」
ローブの人物が被っているフードから、赤く鋭い目がギラリと光る。ラッセルは背筋を震わせ、言葉が出せなくなった。
そんなラッセルを見下ろしながら、ローブの人物は淡々と語る。
「アナタは自分の常識の範囲内でしか行動できない。いくら『表』では強かろうとも、それが『裏』でも通じるわけじゃない。ある意味これも常識ですが、それを見ないようにしている者は大勢います。なので別に不思議にも思いません」
「ぐっ……ぅぉおおっ!」
躍起になって拳を振りかざして飛びかかったラッセルを、ローブの人物は魔力を宿した右の手のひらで受け止める。そしてそのまま拳を握られてしまい、ラッセルはローブの人物から離れられなくなってしまう。
ラッセルが必死に拳を振りほどこうとする中、ローブの人物は続きを語る。
「大きな評価を得られて強さを実感する。普通によくある話です。嫌なことを言われ、怒りのまま突っ込んでくる。よくある光景です。そして……」
ローブの人物がそのままラッセルを自分の元に引き寄せ、小さな魔力をラッセルの腹に叩きつける。ラッセルは後方へ吹き飛び、ドサッと尻もちをついた。
「予想外の力を突き付けられ、足元から崩れ落ちる。別に珍しくもありません。誰もが一度は経験する『当たり前』の出来事です」
淡々と語るローブの人物を見上げ、ラッセルは歯をギリッと噛み締める。すると今度はローブの人物が、ニヤリと笑い始めたのが分かった。
「つまり僕が言いたいのは、別にアナタは特別でもなんでもない、数多く存在する優秀な冒険者の一人でしかないってことなんですよ。そしてその中から大成するのは、ほんの一握り。アナタはその一握りに潜り込む余地すら、僕には感じられません」
「黙れ……」
呟くようなラッセルの声に構うことなく、ローブの人物はニヤリとあからさまな笑みを浮かべ、そして真っ赤な瞳で見下ろしながら言う。
「未完成の強さに溺れて沈んでいく。いわばアナタも『仮初めの強者』の一人であり、そこから脱却できない一人ということですね♪」
「黙れえええええぇぇぇぇーーーーっ!!」
喉を潰すほどの勢いで叫ぶラッセルの周囲に、凄まじい勢いで魔力が吹き荒れる。
血走った目でローブの人物を見上げ、ゆっくりと立ち上がり、そして右手の拳を固く握り締めて飛びかかる。
掛け声はない。ただ無言のまま、歪み切った表情で真っすぐ突っ込んだ。避けられるとか反撃されるとか、もはやラッセルの頭にはそんな考えはない。ただ憎たらしい相手を完膚なきまでに叩きのめす、それしかなかった。
今のラッセルは戦士でも冒険者でもない。完全に我を失った狂人そのものだ。つまり意思がなく、思うがままに動いているだけに過ぎない。
だからこそローブの人物にとって、これほど狙いやすい相手はいなかった。
「ふふっ……ひっかかったーっと♪」
ローブの人物がパチンと指を鳴らした瞬間、漆黒の闇が噴き出し、瞬く間にラッセルを包み込んでいく。ラッセルは無我夢中で闇を振りほどこうと動き回るが、もがけばもがくほど逆効果となっていた。
もはや逃げる術はない。身動きも取れず、大人しく飲み込まれていくだけだった。
ラッセルは完全に闇に包まれ、やがて黒い魔力のオーラを身に纏った状態でその場に投げ出され、そのままうつ伏せで倒れてしまった。
無事に事が済んだと思いながら、ローブの人物は冷たい視線でラッセルを見下ろす。
「もう聞こえてないかもしれませんが、一応言っておきます。これはアナタが自ら暴走した結果ですよ。何の用だ、の後ろに余計な質問をくっつけてもらったから、こうして簡単に誘導できてしまったんです。まぁ、仮にそれがなかったとしても、情緒不安定な今のアナタならば、いずれは同じ結果になっていたでしょうが……」
ローブの人物の言葉に、ラッセルは全く反応しない。意識を失っているのか、それとも答えられないだけなのかは不明だ。もっともローブの人物からすれば、至極どうでもいいことではあったが。
「さて……思わぬ方向に事が転がりそうで、実に面白くなってきましたねぇ♪」
クックックッ、というローブの人物の笑い声が、路地裏を不気味に流れていく。
不自然なほどの闇が路地裏を包み込み、ラッセルもローブの人物の姿が、跡形もなく消え去ってしまった。
やがて闇も全て消え去り、いつもの何もない路地裏の姿が、そこに広がっていた。
◇ ◇ ◇
翌朝、アリシアたち三人の元に、宿屋の主人から悪い知らせが届いた。昨晩遅くに、ラッセルが宿屋を出てから戻ってきてないというのだ。
「まずはギルドマスターに知らせよう!」
戸惑う空気に包まれる中、アリシアがそう提案した。
闇雲に探したところで見つかりっこない。ならばギルドマスターを通して、町の兵士たちにも捜索を協力してもらおうと考えたのだ。
そのこともアリシアの口から話すと、ジルとオリヴァーは驚きつつも賛成した。頼りになるなぁと、改めてオリヴァーは彼女の成長ぶりに感心する。そしてジルは、嬉しさのあまり、お姉ちゃんと叫びながらアリシアに抱き着いた。
もっともアリシアはすぐさまジルを引きはがし、後でねと優しく諭した。完全に姉妹じゃねぇかというオリヴァーのツッコミに、二人が答えることは終ぞなかった。
いざギルドへ向かってみると、そこは既に大騒ぎとなっていた。一体何事かと思っていると、受付嬢がアリシアたちの姿を見つけ、慌ててカウンターを飛び越えて一直線に走ってくる。
「み、皆さん……ちょ、ちょうどいいところに……ギ、ギルドマスターがお呼びです」
そう言われて受付嬢に引っ張られるまま、アリシアたちはウェーズリーの部屋に案内される。そこにはウェーズリーの他に、一人の兵士がいた。
兵士はケガをしているらしく、頭や体のあちこちに包帯が巻かれている。この場にいるということは、この兵士が何か関係していることなのだろうか。
アリシアたちがそう思っていると、ウェーズリーの口から衝撃の事実が語られた。
「昨晩のことだ。ラッセルと思わしき人物が、西の街門の門番をなぎ倒し、そのまま外へ出ていったらしい」
アリシアたちは一瞬、ウェーズリーが何を言っているのか分からなかった。
しかし、兵士も同意するかのようにコクリと頷いたことで、決してデタラメな話ではないことが分かってしまう。
「確かに暗くてよく見えなかったことは否めませんが、その者の胸元に、真新しい勲章のバッジがつけられてました」
「ここ最近の間で、ワシが冒険者にバッジを与えた人物は、ラッセルただ一人だ。本人である可能性は限りなく高いだろう」
アリシアたちの表情が青ざめていく。どうしてラッセルはそんなことを、という考えが浮かんでは消えていた。
そして兵士から、更に状況の説明が付け加えられる。
「あくまで自分が見た限りですが、あの者は正気を保っているとは思えませんでした。何か悪いモノにでも憑りつかれているような……そんな感じでしたね」
その言葉を聞いた瞬間、アリシアたちの中で一つの可能性を見出した。それと似たような事件を、サントノ王国でも体験したからだ。
「もしかして……魔力が?」
アリシアがそう尋ねると、ウェーズリーが頷いた。
「恐らくな。ワシも気になったので外門を調べてみたところ、禍々しい魔力の気配が、わずかながら感じられたのだ。属性は恐らく闇だな。そしてその魔力は、西に向かって伸びているようだ。エルフの里かパンナの森か、その目的地までは分からんがな」
ウェーズリーは立ち上がり、窓の外の景色を見ながら呟くように言う。
「仮にそれがラッセルだとして、何故そんなことになったのか。そう易々と罠にハマるようなヤツではないと思っておったが……ラッセルに何か変な様子はなかったか?」
そう尋ねられた三人は、試しに昨日の記憶を掘り起こしてみる。するとジルの中で、一つの可能性が見出された。
「もしかしてだけど……アリシアが強くなったのを見て、悔しくなったんじゃ?」
ジルの言葉にオリヴァーは納得するかのように頷く。
「あー、確かにアイツ負けず嫌いだし、それはあり得そうだな。でもそれならなんで、アイツは西なんぞに行ったんだ?」
「思い出してみなよ。アリシアが精神的に成長したキッカケをさ」
ジルにそう言われたオリヴァーは少し考えてみる。すると頭の中に、一人の少年の姿が思い浮かんできた。
「……マキトか。確かエルフの里へ行ったっつってたもんな。となると、急いで止めに行かねぇとヤバいんじゃねぇか?」
「うむ。エルフの里へ行ったという確証はないが、いずれにせよ放っておけば、多大な被害が出てしまうだろうな」
ウェーズリーの言葉に、三人は緊張を走らせながらコクリと頷いた。しかしジルは、心の中で強く思っていることがあった。
(もっとも一番あり得そうなのは、マキちゃんに対する嫉妬だと思うんだよね。昨日もアリシアがマキちゃんのことを話しているときだって、アイツすっごい面白くなさそうな顔してたもんなぁ……)
昨晩の食事の様子を思い返してみる。アリシアはマキトたちと旅をしていた時のことを話していた。
とても楽しそうに語っており、眩しい笑顔を浮かべていた。それに反比例するかのように、ラッセルの笑みは引きつっており、明らかに無理している感があった。
それを見たジルは、ほんの少しだけ不安を抱いていたが、その後は特に何もなかったため、考え過ぎかと思って忘れてしまったのだ。
注意が足りなかったかと後悔しつつ、ジルは更に思う。
(そう考えれば、西のほうへ行ったっていうのも頷けるんだよ。マキちゃんと決着をつけるためとかね。まぁ、確証もないから、判断のしようもないんだけど)
ジルがそう思いながら隣を見ると、アリシアと視線がぶつかった。その小さな笑みに力強さと頼もしさを感じ、少し心が軽くなったような気がした。
「とりあえず西に行ってみる? 他に手がかりもないしさ」
「そうだね。エルフの里も気になるし……」
「だな」
ジルの提案にアリシアとオリヴァーが賛成すると、窓際にいたウェーズリーが歩いてくる。
「くれぐれも気をつけてな。恐らくラッセルとは別に、禍々しい魔力を放った張本人がおるハズだ。とても自然発生したようには思えん。でなければワシを含めて、誰も全く気づかんというのはおかしいからな」
「分かりました。肝に銘じておきます」
アリシアがそう返事すると、ウェーズリーは深いため息とともに、窓の外を見ながら呟くように言う。
「確かにラッセルはとても優秀な冒険者だが、自分の正義感に囚われ過ぎるという弱点がある。もう少し気楽に考え、心に余裕を持たせなければ、更なる困難を乗り越えるのは難しいだろう」
「その言葉、俺のほうからしっかりと伝えておきますよ」
オリヴァーが力強く発言すると、ウェーズリーが頼んだぞと頷くのだった。
三人はギルドを後にし、手早く旅立ちの準備を整えていく。そして西の街門を目指して歩いていった。
(アイツの暴走をみすみす許しちまった以上、俺にも責任はある。ラッセルは必ず俺が止めてみせるぜ!)
(こんなことになるんなら、さっさとアリシアとの関係性を進めるように、あたしからも背中を押してあげるべきだったのかな? とにかく、今は追いかけないとだね!)
(もしエルフの里へ行ったのなら、マキトたちが危ないかもしれない!)
オリヴァー、ジル、そしてアリシアがそれぞれ思いながら、西の街門にたどり着く。そこでとある冒険者と門番の二人が話していた。
いや、門番が険しい表情で、今しがた外から戻ってきた冒険者を問い詰めていた。
「本当に何事もなかったんだな?」
「さっきから何度もそう言ってるじゃないですか。夕べはパンナの森で一夜を明かし、こうして今戻ってきたんです。平和で静かな夜でしたよ。人懐っこいグリーンスライムたちとも遊びましたし、むしろあれ以上に安全な森はありませんね。断言します!」
胸を張って冒険者が言い切った瞬間、アリシアたち三人は顔を見合わせた。
「どうやらパンナの森の可能性はなさそうだな。となると……」
「エルフの里だね」
オリヴァーに続いてジルがそう言うと、アリシアが表情を引き締めて頷いた。
「まずはそこへ行こうよ。嫌な予感がするから、急いだほうがいいかも!」
アリシアの言葉に、ジルとオリヴァーが頷きを返した。
三人は門番に一声かけて街門を出る。西に続く道を歩きながら、アリシアはその先にいるであろう少年と魔物たちの姿を思い浮かべた。
(待っててねマキト! 今すぐ私が行くから!)
アリシアは気づいていなかった。この時点で既に、自分が心配しているのはラッセルではなくなっていることに。
そしてそれが後に、ややこしい事態を作り上げてしまう結果になることも、当然ながら今はまだ、気づく由もないのであった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次回から『第五章 エルフの里編』を開始します。
次回は火曜日の0時~1時(月曜日深夜)あたりに更新する予定です。