第七十話 怪しい雲行き
「全く……どうしてこの僕が、魔物のエサなど食べなければならんのだ?」
ランプの明かりが小さく灯る小屋の隅で、エルヴィンがモシャモシャと口を動かしながら文句を言っている。
計画実行前の腹ごしらえをしているのだが、ビーズを除く二人の表情は、不満な様子を隠そうとしない。それでも空腹には勝てないらしく、出された食事を口に運ぶ作業は続けていた。
ビーズが用意したのは、乾物や塩漬け肉を中心とした保存食。といっても実際に料理と呼べるモノは、塩味の利いた肉入りスープぐらいであり、後は出来合いの品を並べただけの夕食であった。
これがもしマキトたち冒険者であれば、何の文句も言わずに食べたことだろう。場合によっては、どこで仕入れたのかを尋ねる者だっていたかもしれない。
つまりそれぐらいこの保存食は、かなり美味しいモノだと言えるのだが、残念ながらエルヴィンとミネルバには、ウケがよろしくなかった。
「キサマが奮発すると言うから、どんな豪華な食事が出てくるのかと思えば……」
「少しは黙って食事することはできませんの? ただでさえ美味しくない料理が、更に喉を通らなくなってしまいますわ」
「も、申し訳ございません、ミネルバ様」
瞬時に取り繕った笑顔でペコペコ平謝りした後、エルヴィンはキッと凄まじい視線でビーズを睨みつける。これも全てキサマが悪いんだからな、という恨み声が聞こえてくるようであった。
もっともビーズは視線を合わせず、黙々とスープをすすっており、まるで相手にしていない。それが余計にエルヴィンの怒りに触れてしまう。
「おいキサマ! この僕の視線を無視するとは、いい度胸をしているな!」
「いきなり怒鳴らないでくださいまし。ビックリして喉に詰まらせかけましたわ」
「め、面目次第もございません」
再びエルヴィンは、取り繕った笑顔で頭をペコペコ下げる。その内心では、苛立ちが募っていた。
できることなら怒鳴り散らしてやりたいが、相手は一国の王女。もし手を出せば、その時点で破滅を迎えることぐらい、エルヴィンも分かっているつもりであった。
ここは我慢の為所だと、納得しなければならない。一番の目的はセドへの復讐なのだから。それだけは絶対に果たさないと、これまでの輝かしい状況が戻ってくることなどあり得ない。
乾燥した果物の塊を思いっきりかぶりついて咀嚼しながら、エルヴィンは憎しみ満載の表情を浮かべるのだった。
「ふぅ。全く持って美味しくありませんでしたが、この際それは置いておきましょう。今夜で目的が果たせるのならば、この程度の我慢は容易いモノです」
ナプキンで口元を拭くミネルバの目の前には、完食されたお皿があった。その言葉を聞いて、エルヴィンはこれ見よがしに笑顔を浮かべて声を上げる。
「なんて素晴らしいお覚悟をお持ちだ! このエルヴィン、感服いたしました!」
「それはどうも」
しかしミネルバは、特に笑顔などを向けることなく、アッサリと言うだけであった。
エルヴィンが自分を持ちあげていることぐらい、最初からお見通しだった。これまでもそのような類いをする人物は、数えてもキリがないほどいたのだから。
内心でため息をついているミネルバに、エルヴィンが不安そうな表情を浮かべる。
「あ、あのぉ……自分は何か、お気に召さないことでも致しましたでしょうか?」
「なんでもありませんわ。それにしても、エルヴィン様は本当に優しい方なのですね。マクレッド家の将来は安泰のようで、実になによりでございます♪」
明るいおしとやかな声でにっこりと笑うミネルバに、エルヴィンは顔を赤らめながら嬉しそうな笑みを見せる。
「ありがとうございますっ! ミネルバ様にそう言っていただけるだけで、自分の未来が素晴らしく輝いてきたかのようですよ!」
実に陽気な笑い声が、小屋の中に響き渡る。しかしその雰囲気はどこか微妙であり、果たしてエルヴィンはそこに気づいているのかどうか。
未だご機嫌に笑い続けるエルヴィンに、ミネルバは呆れた表情で顔を背ける。
(……ここまで扱いやすい男は初めてかもしれませんわ。器の小ささは素でしたのね。これだったら捨てる必要が出てきても、後ろめたさを感じなくて済みますわ。ある意味ツイてるかもしれませんわね。良い駒が手に入ったことで)
ひっそりと笑うミネルバ。しかしその目の前では、エルヴィンが笑いながらも心の中で呟いていた。
(ふぅ、危ない危ない。この僕の華麗なる機転で、どうにか切り抜けたか。このお姫様はテキトーに持ちあげておけば、勝手に笑顔を見せてくれる。実に扱いやすくて助かるってもんだ。どうやら僕は思わぬところで、良い駒を手に入れてしまったらしい♪)
頭の中ではそんなことを考えつつも、表面上ではミネルバを褒め称えることを決して忘れない。ある意味、実に器用な男であった。
本人はバレてないと本気で思っているが、ミネルバも、そしてビーズもなんとなくだが察していた。
(やれやれ……まさしく滑稽とは、このことを言うのでしょうかね)
ビーズは思わずほくそ笑んでしまう。
このバカバカしさも、立派な利用価値の一つ。自分の目的を果たすためには、むしろ都合が良いとさえ思った。
更にビーズは、二人もまた自分を出し抜こうとしていることは、最初からお見通しであった。何気にちゃんと周囲のことも見れていたのだ。
そしてエルヴィンとミネルバの二人にも、既に自分の考えがバレているだろうと想定していた。流石にそれぐらいは読んでいるだろうと思ったのだ。
(性格はともかくとして、このお二人は貴族や王族として、それなりに良い教育を施されてきているハズ。ならば戦略について勉強していても不思議ではない。どこで本性を表すのか……油断は禁物ですね)
ビーズは表情を引き締める。目的を必ず成功させるためには、手段も努力も惜しまないつもりであった。
しかし、ビーズは気づいていなかった。その考えが実にムダなモノであることを。
エルヴィンもミネルバも、それぞれ自分のことしか考えておらず、出し抜かれることなんて夢にも思っていないことを。
「ミネルバ様、エルヴィン様。作戦は深夜に決行いたします。よろしいですね?」
ビーズが立ち上がりながら声をかけると、二人はニヤッとしながらコクリと頷く。
真っ暗な林の中を、不気味な笑い声が風に乗って、通り抜けていった。
◇ ◇ ◇
「ふやぁ~、静かでのどかで平和なのですぅ~」
真夜中の湖の畔にて、マキトたちは野営をしていた。仲間たちがぐっすりと眠っている中、マキトとラティは焚き火の番をしている。
静かな夜だった。夜行性の生き物の鳴き声、湖の水の音、そして焚き火のはぜる音。その全てが心を落ち着かせる。こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、本気でそう思えてしまうくらいに。
「お目当ての薬草も集め終わったし、あとは何日か、のんびりして帰ろうか」
「そうですね。それまでに色々と落ち着いていると良いのですけど……」
マキトとラティは、採取した薬草を入れた袋を見つめる。見つけるのが割と困難だと言われた薬草は、既に必要数よりも多く集めていた。
ここで大活躍したのは、マキトとバウニーを交えた四匹の魔物だった。
魔物特有の鋭い観察眼に加えて、マキトがラティを通して現地の魔物と仲良くなり、薬草の場所を次々と発見してしまったのだ。
おまけに現地の魔物たちが、湖の底に眠っていた水草までプレゼントしてくれた。
途轍もなく苦いが、凄まじい解毒効果があるとのことであり、早速すり潰して常備薬として保存することにした。
結局、一週間どころか一晩絶たないうちに、後は帰るだけの状態となったのである。
「もうすぐ半年か……」
ふとマキトは思い出して呟いた。それに対してラティが首を傾げる。
「何がですか?」
「この世界に来てから、もうすぐ半年になるんだなーって。今ちょっと数えてみたら、そんな感じだった」
「ふぇー、もうそんなになるのですか?」
ラティは普通に驚いていた。やっぱりそう言う反応するよなぁと、マキトは心の中でほくそ笑んだ。
「あぁ。だからどうなんだってワケじゃないけど、なんとなく思ってな」
「そうでしたか。でも早いですよね。なんかあっという間だった気がするのです」
「同感だ」
二人が揃って苦笑したところで、ラティがふと何かに気づいた反応を見せる。
「そういえばマスター。わたしたちって、これからどうするのですか?」
「どうするって?」
「前はエルフの里に行くって決めてましたけど、もう殆ど行く必要ありませんよね?」
「あー、言われてみればそうだな」
ロップルの故郷の手掛かりを得る。それがエルフの里を目指す理由だった。
しかし一昨日、セルジオと偶然の出会いを果たした結果、そこで話がまとまってしまった。ラティの言うとおり、確かに里へ行く必要性は殆どなくなっている。セルジオから遊びに来なさいと言われてはいるが、それも別にすぐである必要はどこにもない。
事実上、次の目的地があるようでない状態と化していることに、マキトは気づかされるのだった。
「……どうしようか? どっか行きたいところある?」
「特にこれといって思い浮かばないのです」
「だよなぁ……しばらくはスフォリアを拠点に、色んなクエストをこなしていこうか。エルフの里には、そのうち遊びに行くってことで良いだろ」
「良いんじゃないですかね。それならそれで楽しそうなのです」
マキトの意見にラティが賛成する。朝になったら、アリシアたちにもこのことを話してみようと思ったその時――――
「…………グルルゥッ!」
親タイガー亜種が突如、険しい表情とともに起き上がり、王都の方角を睨み出した。続けてスラキチとロップルも起き出してくる。
「キィ、キィッ!」
「キュウゥ……」
スラキチも親タイガー亜種と同じく、王都の方角に向かって威嚇しており、ロップルはどこか不安そうな表情であった。
「ニャアッ!」
「お、おいバウニー!」
バウニーも何かを感じたらしく、飛び起きて王都の方角を睨みつける。それに気づいたセドが慌てて起き上がり、見るからに普通じゃない魔物たちの様子に驚いた。
突然の状況にワケが分からなくなる中、セドはマキトに問い詰める。
「マキト、コイツら一体どうしたんだ?」
「俺にも分かんないよ……なんか突然こんな感じになって……」
やや感情的になりながら、マキトは不安そうに様子を見ていた。ラティが体を震わせながら、マキトの傍に飛んでくる。
「マスター……なんだかザワザワするのです。凄くイヤな感じなのです」
真剣に怯えているラティの表情に、マキトはただごとじゃないと確信した。同時に、不安だった表情が引き締まる。危機感に塗りつぶされて、妙に冷静になっているような気さえしていた。
セドも同じことを思っていたらしく、やや強めの言葉でマキトに言った。
「アリシアたちも起こしたほうが良いぞ。流石にこれはおかしい!」
「分かった!」
マキトは急いでアリシアとコートニーを起こしに向かう。そしてセドは周囲を見渡してみるが、特に変な様子はない。
王都のほうを見てみると、途轍もない黒雲が覆っているのが見えた。しかし自分たちの上空、つまり真上に視線を向けてみると、そこは普通に綺麗な星空が広がっており、余計にその差は目立っていた。
「王都で何かが起きている……いや、もしくは起きようとしているのか?」
どちらにせよ、厄介なことであるのは間違いない。セドは直感でそう思った。
次回は木曜日の0時~1時(水曜日深夜)あたりに更新する予定です。