第六十六話 消えた王女
「えっ、王女様が消えた?」
「そうなんだよ。おかげで王宮は、朝から大騒ぎさ」
太陽が登ったばかりの早朝。マキトたちが泊まっている宿屋に、セドとバウニーが尋ねてきた。
ミネルバが忽然と姿を消したという知らせは、マキトたちの目を覚まさせるのには十分過ぎるほどであった。
コートニーが窓を開けて外を見てみると、そこには昨日と変わらない町の光景が広がっていた。王宮からも騒ぎ声などは全く聞こえてこない。こうして実際にセドが知らせに来なければ、間違いなく知る由もなかったと思えるほどに。
大騒ぎしているのは王宮だけであり、町に広まらないよう注意を払っている。
コートニーはそう思いながら、窓をゆっくりと閉じた。
「でも、どうして……誰かに連れ去られたとか?」
「可能性は否定できない。兄上と母上は、そうは思っていないみたいだがな」
セドがコートニーの質問に答える。あくびをするバウニーを撫でながら、小さなため息をついた。
「どうやらミネルバは、僕を本格的に始末しようと考えているらしい。ここに来たのも兄上から助言されたからなんだ。王宮でジッとしているほうが危険だと言われてな」
「物騒だな。まぁ、昨日の様子を見ていれば、別に不思議でもなんでもないか」
ミネルバがセドにちょっかいをかけている姿が、マキトの脳裏に蘇る。
どう考えても本気で見下しており、本気で疎ましく思っていた。挙句の果てには物理的な始末を考えるとは、一体どうすればそんなふうになるのだろうか。
妬みや嫉妬など可能性は色々と出てくるが、いくら考えてもキリがないとして、マキトは一旦思考を中断した。
「てんやわんやしているところに紛れて、何かを仕掛けてくるかもしれない。そう考えれば、兄上が僕に言ったことも頷けるというモノだ」
セドが目を閉じながら語る。それに対してコートニーが、少しだけ表情を強張らせながら言った。
「まさかとは思うけど……オースティン様も一枚噛んでるってことはないよね?」
「……流石にそれだけはないと、僕は思いたいがな」
重々しく発するセドに、マキトは意外そうな表情を向けた。
「疑いはするんだ? てっきりお兄さんのことは、全面的に信じてるように思えたんだけど?」
「少しでも可能性がある以上、視野に入れておく必要があると言うだけの話だ」
セドは目を閉じながら淡々と答える。そしてコホンと咳払いをして立ち上がり、表情を引き締めてマキトたちを見渡してきた。
「慌ただしくて済まないが、すぐに冒険者ギルドへ行こう。えっと……アリシアはまだ寝ているのか?」
「いや、もう起きてると思うけどな。ちょっと呼んでくるよ」
マキトとラティが隣の客室に向かい、ドアをノックをしながら呼びかけた。
「アリシアー、起きてるかーっ?」
「急いでいるので開けさせてもらうのですよー」
「え、ちょ、ちょっと待っ……」
なにやら慌てている声が聞こえてきたが、ラティが構わずドアを開けてしまう。
するとそこには――――
『あ……』
服を着ようとしていた下着姿のアリシアが立っていた。
「…………………………」
三人の声が重なったのを最後に、痛々しい沈黙が流れること数秒。マキトが右手を上げながら冷や汗を垂らし、なんとかアリシアに言葉を絞り出そうとする。
「………………ゴメン、何も見なかったということで……」
「えっとえっと、し、失礼しましたぁーっ!」
マキトに続いて、ラティも慌てて謝罪しながら、ドアを凄まじい勢いで閉めた。
残されたアリシアの表情が、みるみる真っ赤に染まっていき――――
「いやあああああぁぁぁーーーーっ!!」
建物を震わせるほどの絶叫が、曇り空の彼方まで響き渡るのだった。
◇ ◇ ◇
その頃王宮では、兵士やメイドたちが必死に駆けずり回っていた。
中央広間の入り口付近で、兵士と連絡とっているオースティンの表情は、険しさを極めているといっても過言ではなかった。
「ミネルバはまだ見つからないのか?」
「申し訳ございません。我々も全力を挙げて探しているのですが……」
「なんとしてでも探し出せ! もっと人数を増やすんだ!」
「はっ!」
連絡を終えた兵士は、再びミネルバを探しに向かう。見送ったオースティンは、深いため息をつきながら天井を見上げた。
「あのバカ妹が……流石に私も母上も、堪忍袋の緒が切れているんだぞ……!」
忌々しそうにオースティンが拳を震わせる。
ミネルバがセドを排除するべく動き出したことは、オースティンもフィリーネも予想していた。必死に探しているメイドや兵士たちも同じくであった。多くの者が昨晩の様子を目撃しているため、それ以外にあり得ないだろうと思われていた。
そこに一人の兵士が、オースティンの元に駆け付けてくる。
「オースティン様。一つお聞きしたいことがあるのですが……」
「どうした?」
「セド様のことです。正直、外出されていることが不安でなりません。ここは護衛を付けて、王宮内に匿ったほうがよろしかったのでは?」
その疑問はもっともだと言えた。フィリーネはセドに護衛をつけさせ、自室待機を考案していた。そこにオースティンが割り込んだことで、現在マキトたちの元にいるというワケである。
フィリーネは表情を歪ませながら拒否したが、オースティンが何かを話したことにより、渋々ながら了承されたのだ。
当然ながら、そのやり取りは兵士たちには聞こえておらず、メイドたちにも全く知らされていない。今みたく疑問の声が出てくるのは、むしろ自然なことかと思うオースティンであった。
「……確かにお前の疑問はもっともだ。普通ならばその意見を通すだろうからな。現在セドは、事実上の軟禁状態に陥っていると、恐らくミネルバも思っていることだろう。アイツの思う壺になることだけは、避けねばならなかった」
「もしかしてオースティン様は、裏をかくためにあえて?」
驚く兵士に対して、オースティンはフッと笑みを浮かべる。
「今回の騒ぎは、突発的である可能性が極めて高い。今のところ、町で何か動いている様子もないからな。どこかに隠れて、対策でも練っているのかもしれんな」
「お分かりになるのですか? 全てミネルバ様の計画である可能性とか……」
「それはないだろう。何故なら……」
オースティンは苦虫を噛み潰したような表情になりつつ――――
「アイツの頭の中には、計画という言葉など存在していないからな!」
実にハッキリとした口調でそう言い放った。
それを聞いた兵士は、段々と視線が逸れていくとともに、冷や汗が流れてくる。誤魔化せるモノならそうしたい。でもどう考えてもできそうにない。まさに苦渋の決断を兵士はした。
勇気を振り絞ってオースティンに視線を合わせ、兵士は震え気味に告げる。
「……失礼を承知で申し上げますが、私も身に覚えがございます」
「構わん。むしろそれを本人に突きつけてほしいくらいだ。何度言ったところで、大人しく聞くようなタマでもないがな……全く、おかげで私と母上がどれほど頭を痛めてきたことか……」
「心中、お察しいたします」
それ以外の言葉が兵士には見つからなかった。
兵士の申し訳なさそうな表情に、オースティンも我に返り咳払いをする。そして改めて表情を引き締めた。
「とにかく、セドのことは心配しなくていい。引き続き、捜索に当たってくれ」
「了解いたしました!」
兵士はビシッと敬礼し、ミネルバの捜索に向かって走り出す。そんな彼の後ろ姿を見送りながら、オースティンはため息交じりに思う。
どこまで周りに迷惑をかければ気が済むのか。いや、そもそも迷惑をかけている自覚すらないのだろう。ただ単に叱ったところで効果は得られない、と。
ミネルバを見つけたら見つけたで、更なる騒ぎに発展することは間違いない。
そう覚悟したオースティンは、自分も心当たりがありそうな部分を探してみようと思った、その時だった。
「オースティン様っ!」
見習いメイドの一人から、近くの林にある小屋の情報が飛び込んできたのは。
◇ ◇ ◇
「ビーズが暮らしている小屋か……行ってみる価値はありそうだな」
兵士数人を引き連れて、オースティンは林の中を突き進む。
ある日、野草取りで林の中をウロウロしていたら、薄気味悪い小屋を発見した。それが見習いメイドから提供された情報だった。
オースティンはそれを聞いた瞬間、とあるウワサを思い出した。
宮廷魔導師になるという野心が大きすぎて、出世街道を閉ざされてしまった男。しかしそれでもまだ諦めておらず、どこかに隠れ住んで研究しており、虎視眈々と機会を伺っているらしいと。
その話自体は、王宮の魔導師たちが面白おかしく話していただけのことであり、きっと雑談用の作り話なのだろうと、オースティンは気にも留めなかった。まさかここに来て、本当である可能性が出てくるとは思わなかった。
自分の浅はかさを後悔しつつ、別の悪い予感をオースティンは抱いていた。
「もし、宮廷魔導師の座をまだ諦めていないのだとして、それをミネルバが知ってしまったら……面倒なことになるな」
ミネルバがビーズを手駒にして利用しまくり、最後はゴミのように捨て去る。そんな光景が目に浮かぶようであった。
歩きながら想像するオースティンに、同行している兵士が話しかける。
「自分はそのビーズという方をよく知りませんが、話を聞く限り、とても危険な男に思えてきますね」
「いや、事実かなり危険な男さ。女王様が宮廷魔導師への道を閉ざしたのも、実に正解だったと言えるよ。そうですよね、オースティン様?」
「そうだな。そこは確かに間違いないだろう」
兵士二人の言葉に、オースティンが同意する。その瞬間、オースティンの表情が強張り、目をスッと細めた。
「魔力の気配が濃くなってきた。気を引き締めて行け!」
『はっ!』
周囲を警戒しながらゆっくりと進み、やがて一つの小屋が見えてきた。
特に気配は感じられず、それが余計に不気味さを醸し出している。
「私が行く。お前たちは念のために構えていろ」
オースティンが一人で前に出て、小屋のドアを勢いよく開ける。長いこと掃除をしていないのか、どこか埃っぽく感じた。
「…………誰もいない、か……」
傍にあったランプに明かりを灯してみると、部屋の様子がハッキリと見えた。
乱雑に積み重ねられた書物。飾りらしい飾りは一つも見当たらず、食べ物による生臭さとカビ臭さが、ほんのりと鼻を刺激してくる。
誰かが生活しているようだが、とても衛生的とは言えなかった。
「ビーズがここを拠点としていた可能性が、どうやら高まってきたな。魔法関連の書物……それもかなり専門的なモノを閲覧するとなれば、その人物像も限られてくるというモノだ」
今一度部屋の中をぐるっと見渡した後、オースティンは兵士たちに声をかける。
「戻るぞ。このことを女王に報告しなければな」
「見張りはよろしいのですか?」
「あぁ」
一言だけそう答え、オースティンは小屋を後にする。
魔力を察知することはできない兵士たちを、下手に小屋を見張らせておくほうが危険だと判断したのだ。
攻撃されて重傷を負うならまだしも、操られる魔法をかけられでもしたら、王宮が混乱状態になりかねない。自らの成果を披露したいビーズならば、それぐらいの魔法、もしくはそれに準ずる魔法器具を制作していたとしても、全く持って不思議ではない。
数ヶ月前、サントノ王国の第二王女シルヴィアが、闇の魔力によって操られたという情報が入らなければ、ここまでの予想は立てられなかっただろう。
そんなオースティンの考察をフィリーネに報告すると、フィリーネも納得するかのように頷いていた。
「分かったわ。魔導師たちを正式に派遣して、そこを調査させましょう。その場の指揮は……頼めるわね?」
「お任せください。それでは、これで失礼いたします」
オースティンがお辞儀をして去った瞬間、フィリーネの執務室に、お菓子を咀嚼する音が大きく響き渡る。
この場にいるのはフィリーネの他に、来客としてもう一人いるのだった。
「本当に大変なことになったもんだのう」
エルフの里の長老、セルジオが呑気そうに言った。ソファーに深く座りながら、紙袋に入ったお菓子を取り出し、口に放り込む。
鳴り止むことのないザクザクという音が、フィリーネの神経を逆撫でしていくのだった。
「…………セルジオ様。そう思ってくださっているのだとしたら、せめて別の場所でお食べになってはくれませんか? 正直申しますと、邪魔過ぎてなりません!」
「ワシのことは気にせんでくれ」
「気になるからこうして申し上げているんです!」
「ホッホッホ♪ ワシもまだまだ捨てたもんじゃなさそうだな」
セルジオの楽しそうな声に、フィリーネは深いため息をついて押し黙る。相手にするだけ時間のムダだと判断したのだ。
それを察したセルジオも、つまらなさそうな表情で、再びお菓子をかじり出す。
「不思議なモノだな。ここに来て一気に問題が浮上しまくっとるわい。まるで誰かさんがサボったツケが波となり、ザバァっと押し寄せてきたような感じだな」
その瞬間、フィリーネの手がピタッと止まる。同時に何かが込み上げてきた。
歯をギリッと鳴らし、何かを言い返そうとしたその瞬間、セルジオはよっこらせと言いながら立ち上がった。
「さて……邪魔をして済まなんだな。ワシもそろそろ失礼するよ」
セルジオは執務室のドアに向かってスタスタと歩いて行く。
「お帰りになられるのですか?」
「それも良いが、ちょいと気になることもある。ワシはワシで、少しばかり動いてみようかと思っておるよ」
妙に真剣な口調のセルジオは、そのまま執務室のドアを開けようとする。その時フィリーネが、バンと両手で机を叩きながら立ち上がった。
「……一応申し上げておきますが、余計なことはなさらないでくださいね?」
「肝に銘じておこう。ではな」
ニッコリ笑って頷いたセルジオは、今度こそ執務室を後にした。一人になって、ようやく静かになったところで、フィリーネは天井を見上げながら思う。
「サボった、か……確かに言えてるかもしれないわね」
フィリーネは手のひらで目を覆いながら、自虐的な笑みを浮かべる。
王族であるが故に、庶民との子育てに対する考え方の違いは確かに大きい。それでも一人の親として、自分の子供と向き合うことは必要なことだ。少なくともそこに関してだけは、身分の違いなど一切関係ない。
昨今の事情としては、国王だろうが関係なく、むしろ積極的に自ら子育てを行う意識が強くなっているのだ。特にサントノ王国で発生した事件の影響が強い。
第二王女を鍛え直すべく、国王が自ら立ち上がったという話は、王族や貴族の間でも非常に語り草となったほどであった。
ちなみにフィリーネは、王族と言えど子育ての失敗はあるのねと、殆ど他人事のように思っていた。
数ヶ月前の自分が恥ずかしくて仕方がない。長年の過ちに気づくチャンスを逃してしまった。今更後悔しても遅いのだろう。現に騒ぎは発生してしまっているし、あくまでこれは序章に過ぎない。
なにせ不安要素は、ミネルバ一人だけではないのだから。
「ビーズが出てくる可能性は十分あり得る。そしてマクレッド家の坊やも……流石にそれだけはないと思いたいけど……油断は禁物ね」
昨夜、ミネルバの一件の後に、突如としてもう一つ出来事が起こっていた。
その件に関しては終わったと見ていたのだが、今になって妙に嫌な予感を感じ、もしかしたらこの騒ぎに絡んでくる可能性があるのではと、フィリーネは思わずにはいられないのだった。
――――そしてその予感は、実に厄介な形で当たってしまうことになる。
◇ ◇ ◇
一方その頃、王宮とは反対方向にある林の中を、エルヴィンが走っていた。
「くそっ……全く、どうしてこの僕がこんな目に合わなければ……っ!」
いつもの煌びやかな衣装とは全く違う、いわば庶民が良く来ているような衣装に身を包んでおり、頭には大き目の帽子を深く被っている。それがエルヴィンであることは、誰も分からないだろう。
現にここに来るまでに、木こりの老人と一人すれ違ったが、全くバレていない。貴族である自分に気づかないとはどういう了見だ、と怒鳴りそうになったが、どうにか抑え込んで走り続けた。
余裕がない状態でありながらも、自分らしさを捨てていない。
そこの部分だけは、本当にある意味でだが、周囲からとても称賛されていたりするのであった。
「父上も母上も分かっていない。どうしてこの僕が謹慎されるのだ? 貴族の中において、特に選ばれた存在であるこの僕が! 全く実に不愉快極まりないぞ!」
盛大に苛立ちながらも、エルヴィンは走る速度を緩めない。すると今度は突然、誇らしげな表情で笑い始めた。
「実に不本意だったが、あの脱走の手口は我ながら素晴らしかったな。完璧過ぎる僕だからこそ、あそこまで鮮やかに行えたというモノだ♪」
エルヴィンは部屋から抜け出した時のことを思い出す。
窓の手すりにロープを括りつけ、二階から地面に垂らしたロープを握り、器用に壁を蹴りながら少しずつ下に降りていく。とても素人がやっているとは思えないほどの軽やかさであった。
そんな中、エルヴィンは文句を言う口を全く止めていない。むしろ文句をリズムにしている節さえ感じられる。今の彼の姿を見れば、色々な意味で器用だと思えてしまうだろう。
回想を終えたところで、エルヴィンは少し速度を緩めながら周囲を見渡す。
「それはそうと、しばらく身を隠せそうな場所はどこかにないのか? 無人の家があれば一番良いんだが、どうにも見つからんな」
そもそも都合よく無人の建物などあるハズがない。しかしやはりと言うかなんというか、エルヴィンは苛立ちを募らせていた。どうして必要な時に限って見つからないんだと、まるで小さな子供のように駄々をこねながら。
「あの妖精を連れた人間族……そしてロクデナシのセド王子め! そもそもこんなことになったのは、全てアイツらのせいだ! 絶対に許してはおけんぞ!」
エルヴィンは激しい怒りに燃えながら、昨晩の出来事を思い出すのだった。
次回は火曜日の0時(月曜日深夜)あたりに更新する予定です。