第百五十五話 朝の光へ
ヴァルフェミオンの地下で起こった事件は、表に出ることなく収束した。
昼過ぎに発生した魔法具の暴走事故も、とある魔導師が魔法実験に失敗したということで、それほど表沙汰になることもなく処理されていた。
学園の見回りをしていたシルヴィアとアリシアたちは、一足先に地下から戻ってきたダグラスから、そのほうな報告を受けていた。
多少なり疑問は残ったが、無事に収束したという情報は、彼女たちの表情を安堵させるのだった。
学園や町などの地上は、特に異常はなかった。マサノブたちの映像も、地上で流されることはなかったとのこと。
すなわちアリシアたちは、騒ぎの全貌を殆ど把握していないことになり、マキトたちが巻き込まれていたことも知らないということだ。
(既に事態は収束しているんだ。余計な心配をさせる必要もあるまい)
そう思ったダグラスは、マキトたちのことは伏せておくことに決めた。彼らはまだ地下にいるハズだという事実も含めて。
「事故が発生するちょっと前くらいですかね。私も久々に、マキト君たちと会いましたよ。早々に目的も果たしたから、そろそろ旅立とうかなと言ってました」
「そうですか……だとしたら、もうとっくに出発してるでしょうね」
ダグラスの言葉を聞いたアリシアは、残念そうにそう言った。そこにシルヴィアが深いため息をつく。
「お会いできなくて残念ですわ。二年前の件で、まだ私からちゃんと謝罪をしてないですから……」
「次の機会にすればいい。その気持ちを大切にしておくんだ」
「シャウナお姉さま……分かりましたわ!」
シルヴィアが感極まりながらシャウナに抱き着く。その光景にもう慣れたのか、アリシアたちも、また始まったよと言わんばかりに苦笑するのだった。
ダグラスはシルヴィアに一言告げ、再び地下へ戻っていく。
捕らえられた研究所の魔導師たちは皆、魔法拘束具によって魔法が使えない状態となっており、魔法で逃げることはできなくなっていた。
マサノブとサヤコという例外を除いて。
(まさか拘束を解いて逃げ去ってしまうとはな。まぁ、研究していた張本人たちでもあるし、あり得ない話でもないか……)
ダグラスは少し前の出来事を回想する。
閉じ込められていたダグラスたちは、エステルが魔力の壁を解除するスイッチを作動させたおかげで、脱出することができた。そしてエステルから、ユグラシアたちの手によって捕らえられた、マサノブとサヤコの身柄を受け取ったのだった。
研究所内には、いくつかの監禁部屋が用意されていた。違反を起こした魔導師を反省させるためのモノらしい。
そこにトップである二人が入れられるとは、なんとも皮肉な話だ。
ダグラスたちがそう呟きながら、二人を監禁部屋に入れた、その時だった。
なんと二人はダグラスたちが離れた隙を突いて、魔法拘束具を解除、無効化してしまったのだ。それと同時に、二人は魔法を発動した。
――ヴァルフェミオンは諦めるが、異世界転移魔法は絶対に諦めんぞ!
――アタシは負けない。この十数年をムダにしてなるモノか!
そう言い残して、二人は姿を消した。エステルによれば、恐らく独自に開発を進めていた転移魔法を使ったのだろうと推測された。
「今思えば、逃げることも計画のうちじゃったのかもしれんな」
「クラーレ殿……」
いつの間にか傍に来ていたクラーレの言葉に、ダグラスはわずかに驚きながら振り向いた。
「休まれなくて大丈夫ですか? 激しい戦いを繰り広げたと聞いておりますが」
「なぁに、あんなの準備運動に過ぎんわい。ちょっと本気を出しただけで、あっという間じゃったわ」
「そうですか」
にこやかに語るクラーレに、無理をしている様子はない。それを感じ取ったダグラスは、少々引きつりながらも苦笑した。
「まぁそんなことより、あのマサノブとサヤコという黒幕たちじゃが……」
クラーレは笑顔から一転、表情を引き締める。
「恐らく逃げることを計算した上で、お前さんたちの侵入も許したのかもしれん。理由は単純じゃ。年老いた自分たちの話を、外部の誰かに聞いてほしかった。ましてや数十年もかけた研究じゃ。気持ちは募っておったことじゃろうて」
それを聞いたダグラスは目を見開いた。
「そんなことで……と、言いたいところですが、きっとそんなことだからこそ、なのでしょうね」
「うむ。これも年寄りの面倒な部分の一つというモノじゃよ。まぁ、ワシが言うのもどうかとは思うがな」
クラーレとダグラスが互いに苦笑しあっているところに――
「そして一番の問題は……まだ何も終わっておらず、そもそも始まってすらないとも言える点です」
ローランドがネルソンとともに現れながら言った。
「これからもあの老人たちは、闇の中で生きていくのだと思われます。異世界転移魔法の開発も、最後の最後まで諦めることはないでしょう。彼らの願いは、元の世界へ帰りたいという、たった一つに尽きるのですから」
「もう誰にも止められねぇだろうな。あの爺さんたちには闇がある。誰にも取り除けねぇほどの漆黒の闇がよ」
ネルソンが耳を引っ張りながら言うと、再びローランドが口を開いた。
「いつかまた、世間を騒がす出来事が起こる。それを防ぐことは恐らくできない。ならばせめて我々は、その時に備えておくことが必要不可欠。それを今回、改めて胸に刻み込まねばなりませんね」
「あぁ、同感だ」
「同じくです」
ネルソンとダグラスが頷くのを見て、更にローランドは言う。
「特に今回、私は殆ど何もできませんでした。全てはクラーレ殿やエステル殿、そしてユグラシア様と……あの魔物使いの少年と魔物たちのおかげです」
「確かにな。俺も映像で見てたが、ドラゴンに化ける霊獣なんて初めて見たぜ」
苦笑を浮かべるネルソンは、思い出していたことを話す。
「もうずっと前の話だが……俺は一度、魔物使いに出会ったことがある。人間族の女で、あの少年みてぇに魔物を頭に乗っけてたんだ。確か名前は……」
「サリア……ではありませんか?」
ダグラスの呟きに、ネルソンが目を見開く。
「そうそう。確かそんな名前だ。ダグラスも知ってたのか?」
「すれ違った程度ですがね。マキト君に会うまで、ずっと忘れてましたよ」
どこか懐かしそうな様子で、ダグラスは目を閉じる。
「もしかしたらマキト君は彼女の……いや、確証はありませんからね。今は言わないでおきましょう」
「ま、昔の話だもんな」
苦笑するネルソンだったが、彼もまた思っていた。マキトがサリアの息子なのではないかと。
実際それは紛れもない真実なのだが、如何せん彼らには、確証に至る材料が全くないも同然だった。
粋がっていた子供の頃、その女性を見たネルソンは、不思議な気持ちに駆られたのを思い出す。
サリアはどこか独特な雰囲気を醸し出していた。とびきりな美人というワケでもないのに、これまで見たことのない女性の一人に思えてならなかった。
それでも長い時間の経過が、記憶から薄れさせてしまった。
ある意味とても残酷のようにすら思えてくる。
そんな中、彼女と同じ魔物使いの少年が目の前に現れた。同時に薄れていた記憶が呼び起された。
果たして本当に偶然だろうか。まるで神様が、思い出させるためにわざわざ示し合わせたのではないか。
その真偽は定かではない。しかしこれも不思議な縁に感じてならない。
フッと小さな笑みを浮かべながら、ネルソンはそう思った。
「ところで、賢者様は今、どこにいるんだ?」
「大広間に残ってます。魔物使いの少年たちが、そこで休んでるらしくて……」
周囲を見渡す素振りをしながら質問するネルソンに、ローランドが答えた。
「なら、迎えにでも行こうかの……まだいればいいのだがな」
そう呟きながら、クラーレが大広間に向けて歩き出す。最後のセリフは小さな声だったため、ローランドたちの耳には殆ど届くことはなかった。
五人は長い廊下を歩き、やがてボロボロとなった隠し扉に辿り着く。
高台に吹き付ける夜風を浴びながら、ユグラシアがオランジェ王国の原野をジッと見下ろしていた。
しかしそこに、マキトや魔物たちの姿はどこにもなかった。
クラーレは想像していたと言わんばかりに小さな笑みを浮かべ、ユグラシアに話しかける。
「ユグラシア殿」
「あ、クラーレさん。どうされましたか?」
問いかけられたクラーレは、まずマサノブとサヤコが逃げ去ったことを伝えた。それを聞いたユグラシアの反応は、やはりそうでしたかという一言。黙って捕まっているような方々ではないと思っていたらしい。
他に被害はないことを伝えたクラーレは、一番尋ねたかったことを口に出す。
「マキトたちは……もう?」
「えぇ、つい先ほど、ここから元気に旅立っていきました」
ユグラシアは再び外に視線を向け、穏やかな笑みを浮かべた。
(ありがとう、マキト君。旅の無事を祈っているわ――)
◇ ◇ ◇
東の空が少しずつ明るくなってきた頃――マキトたちはドラゴンに変身したフォレオに乗り、オランジェ王国の原野の上を飛んでいた。
「フォレオ、調子はどうだ?」
『だいじょーぶだよー。魔力をたっぷり吸収して元気いっぱい、ってね♪』
背に乗るマキトが話しかけると、フォレオは上機嫌にそう答えた。
「わたしたちも同じなのです。ここで敵が襲ってきても、また変身してバンバン戦えるのですよ!」
「キュッ!」
「くきゅーっ!」
ラティの言葉に続き、ロップルやリムも、そのとおりだと鳴き声で示した。
戦いが終わり、マキトたちは大広間で休憩していた。しかし思いのほかすぐに、魔物たちが回復してしまったのだ。
サヤコやマサノブとの戦いにおいて、それほど大きなダメージを負わずに済んだことに加え、あの大広間には地下通路以上の魔力が満ちており、それをたくさん無理なく取り込めたからだろうと、予測されていた。
魔物たちも特に無理をしている様子はなく、フォレオも再びドラゴンに変身してみたところ、このまま皆を乗せて飛べると自信たっぷりに言った。
それを聞いたマキトは、じゃあこのまま出発しよう、と言い出したのである。
――それじゃ賢者様。またいつか、どこかで!
――バイバイなのですーっ!
マキトたちはユグラシアにそう告げ、再びドラゴンに変身したフォレオにさっさと乗り込み、そのまま破壊された壁から大空へ飛び出した。
また面倒になる前に旅立ってしまおうと思い、その気持ちがマキトと魔物たちとの間で一致した結果であった。
そして現在、マキトたちはオランジェ王国の夜空を満喫している。夜明け前の冷たい澄んだ空気を吸い込み、実に気分が良かった。
「それにしてもさ、今回もなんか俺たちの知らないところで、妙なことになっていたみたいだな」
「ですね。まぁいつものことなのですよ。気にしないのが一番なのです」
「そーゆーもんかねぇ?」
「なのですなのです♪」
どこまでも明るいラティに、マキトも思わず苦笑する。だがそれもまた、いつものことだと思った。
マキトは開き直ったかのように小さく笑い、そして心の中で呟いた。
(まぁ、確かに考えてても仕方ないか。今は俺たちの旅を楽しもう)
こうしてまた、一つの出来事が幕を閉じた。しかしそれはあくまで、彼らの旅における一ページに過ぎないのである。
旅は人生そのものだ。長く果てしなく、道が尽きない限り、彼らはどこまでも進んでいく。これまでと同じように、ひたすらまっすぐ進んでいく。
そこには特に、大きな理由があるわけでもない。
ただ、自分がそうしたいから。魔物たちと一緒に、どこまでも行きたいから。
そんな気持ちを抱きつつ、マキトは進む先である東の空を見つめる。
太陽が昇ってくる。暗い夜空を、朝の光が照らしてくる。その光に向かって今、自分たちは飛んでいるのだ。
かけがえのない魔物たちと一緒に、強い意志を込めた笑みを浮かべながら。
「町に着いたら、フカフカのベッドで休みたいな」
『その前にごはん食べたーい!』
「キュウ、キュウッ!」
「くきゅーっ!」
「携帯食料もたくさん買ってーって、ロップルとリムが」
「ハハッ、お前たち本当にそれ好きだね」
「ちなみにわたしも好きなのです」
『ぼくもーっ!』
「はいはい。分かってますって」
少年と魔物たちは、優雅に空を飛んでいく。そんな彼らを見守るかのように、朝の光はゆっくりと昇ってくるのだった。
さて、魔物使いのストーリーは、これにてオシマイとなります。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。