第百四十五話 突入!オランジェ王国
今回のお話から、第九章の開始となります。
新たな国への一歩は、いつも新鮮な気分にさせてくれる。ましてや初めて訪れる国であるならば、尚更だと言えるだろう。
それはオランジェ王国も、決して例外ではない。
緑が多かったスフォリア王国とも、荒野が目立つサントノ王国とも、そしてなだらかな平原と山が広がるシュトル王国ともどこか違う。むしろその全てを兼ね備えており、なおかつどこか寒々しいような印象だ。
それでいて、暮らしにくいというワケでもなさそうだとマキトは思った。
国境でもオランジェ王国の特産品はたくさん見かけたし、むしろ世界一たくさん手に入るんだと言わんばかりであった。
この大陸も旅のし甲斐がある。一体どんなモノが待っているんだろう。
そんなワクワク感が、マキトの胸の中で広がっていた。
「いよいよオランジェ王国に入りましたね」
国境の出口から広がる原野を見渡しながら、ラティが言う。
「橋を一つ渡っただけなのに、なんだか全然違う雰囲気なのです」
「確かにな。そんなに距離変わらないハズなのに……あ、ところでさぁ……」
マキトも同じく周囲の景色を見渡していたところで、何かに気づいた素振りを見せながら、後ろを振り返る。
「ユグさんも、オランジェ王国に来るのは、凄い久しぶりなんだっけ?」
その問いかけに、ユグさんと呼ばれた女性――ユグラシアがニコッと笑う。
「えぇ。ずっと森の中だったから、とても新鮮に感じるわ」
深緑のローブを身に纏う彼女の姿は、立派な魔導師の冒険者に見える。そしてその見た目は人間族と変わらず、周囲からは美人だと思われても、神族だとバレたことは一度もない。
ユグラシアがマキトたちの旅に同行しているのは何故か。事は数ヶ月前に遡る。
マキトたちはドラゴンになったフォレオで、サントノ王国を飛んでいた。その際に大森林へ寄り道したのだ。スライムの隠れ里にて、長老スライムからよろしく伝えてほしいと言われた約束を果たすためだ。
そして特に厄介な出来事も起こらず、マキトたちはユグラシアと再会し、伝えるべきことを伝え終えた。すると今度はユグラシアのほうから、マキトたちの旅に同行したいと言い出してきたのだ。
マキトたちが魔法都市ヴァルフェミオンに行くと聞いて、自分も行ってみたいと思ったこと。そしてドラゴンに変身するフォレオに興味を抱いたこと。この二つが主な理由とされている。
――そう、あくまで表向きでそうされているだけだ。
ユグラシアの中では、たまには森の外に出て違う大陸へ遊びに出かけてみたい、という気持ちが少なからずあった。そこにちょうどマキトたちが現れ、話を聞いたことにより、その気持ちが抑えきれなくなった。
実のところこれが一番大きな理由だったりするのだが、それはユグラシアの心の中だけのヒミツだったりする。
妖精の長老であるロズも、ユグラシアの気持ちは最初から知っていたらしく、森の留守はお任せくださいという一言のみで、黙って送り出していた。
あのガンコじいさんが珍しいもんだとマキトは思っていたが、他の妖精たちがこっそり話してくれた。
何だかんだで、ラティが顔を見せに来てくれたのが嬉しかったんだよと。
故に今回は何も言わず見逃してくれたのだと、妖精たちは予測していたのだ。それを聞いたマキトは改めてロズを見ると、確かにどことなく表情が柔らかくなっているような気がした。
特に断る理由もなかったマキトは、ユグラシアの申し出を受け、一緒に大森林を出発し、こうしてここまで旅をしてきたのだった。
(それにしても、ユグさんというあだ名も、すっかり馴染んでしまったわね)
前はユグラシアのことを賢者様と呼んでいたマキトだったが、それだと周囲が騒がしくなりかねないという理由で、即興で思いついたのがキッカケである。
それ以来マキトは、ユグラシアのことを『ユグさん』と呼ぶようになった。ちなみにラティは『ユグさま』と呼ぶようになっている。
ユグラシアも、それはそれで新鮮な感じがして良いと喜んではいた。しかし今となっては、別の呼び方でも良かったかなと思いつつある。
例えばそう――お母さんとか。
そんなこともユグラシアがひっそりと考えていることを、マキトや魔物たちは知る由もないのだった。
(そう思うようになった私も、少しは変わったのかしら?)
ユグラシアはマキトと魔物たちを見る。
彼らを見守るのが特に楽しいと思っていた。息子を見守る母親というのは、こんな感じなのだろうか。自分には夫にも子供にも恵まれなかったからこそ、余計そう思えてしまうのかもしれない。
自然と目を閉じながら、そんなことを考えるユグラシアに気づき、マキトたちはどうしたんだろうかと首を傾げる。
すると――
「やぁ、皆さん。こんなところで会うとは奇遇ですね」
いつの間に近づいてきていたのか、振り返るとそこには、紺色のローブを羽織った人物が立っていた。
マキトと魔物たちは、その人物に見覚えがあり、目を見開いた。
「ジャクレン!」
「どうも」
驚きながら叫ぶマキトに対し、魔物研究家のジャクレンは、どこまでも落ち着いた様子で笑みを浮かべているのだった。
◇ ◇ ◇
国境の出口では落ち着いて話せないだろうとのことで、マキトたちはジャクレンとともに、原野の静かな場所へ移動した。
そこでジャクレンは、自らいそいそとお茶の準備を始める。
ポカンと呆けるマキトたちをよそに、手早く火を起こしてお湯を沸かし、ポットに封を切ったばかりの新しい茶葉を入れた。
「ちょうどオランジェ特産の茶葉が手に入りましてね。折角なので、皆さんにもご馳走しようかと思いまして」
ジャクレンはそう言いながら、人数分のカップに熱い茶を注いでいく。魔物たちにはオランジェ王国限定の焼き菓子が配られた。どうやら皆揃って大いに気に入ったらしく、モシャモシャ食べる表情は、幸せそうな笑顔だった。
「さぁどうぞ。熱いのでお気をつけください」
「えぇ、いただきます」
ジャクレンからカップを受け取ったユグラシアは、ふぅふぅと息を吹きかけ、熱い茶を一口すすり、ゆっくりと味わう。
「……とても美味しいわ。また一段と腕を上げたみたいね」
「お褒めに預かり光栄でございます」
どこか白々しさを感じつつも、決して険悪ではない。むしろこれが当たり前なんだと言わんばかりの雰囲気。それを目の当たりにしたマキトは、ジャクレンが淹れたお茶を飲みながら戸惑いを覚えていた。
「さっきから気になってたんだけど、ユグさんとジャクレンって知り合いなの?」
とりあえず、頭の中に浮かんでいた疑問を投げかけてみる。すると何故か、二人は笑顔を硬直させてしまい、やがて何かを考え出す。
これには流石のマキトも気になってしまう。何かマズいことでも聞いたのだろうかと不安になる。
そして待つこと数秒。先に口を開いたのはユグラシアだった。
「そうねぇ……昔、ちょっと色々あった、とでも言っておこうかしら?」
「えぇ、確かにありましたね。それはもう色々と」
ジャクレンもユグラシアに続いて、笑顔のまま頷いた。
「……ふーん」
マキトはお茶のカップを口に近づけながら呟いた。その色々という部分が多少なり気になってはいたが、どうしても知りたいワケでもないため、別に無理して聞かなくても良いかと結論付けた。
「そういえば……つい最近、とある場所でライザックと会ったんですよ」
ジャクレンが思い出した素振りとともに口を開いた。
「相変わらず熱心に研究をしてましたね。今はとてもいい感じだから、しばらく外で何かをするヒマもないとか、そんなことを言ってました」
「……安心して良いのか警戒したほうが良いのか、よく分かんない感じだな」
引きつった表情でマキトはカップを置いた。
「ライザックの研究っつったら魔法絡みだよな……ヴァルフェミオンで遭遇したりしなけりゃいいんだけど」
その言葉を聞いたジャクレンは、純粋に驚いた様子を見せる。
「ヴァルフェミオンへ行かれるのですか?」
「うん。もしかしたらそこに、世話になった人がいるかもしれないんでね」
「そうですか……」
表情から笑みを消すジャクレンに、今度はユグラシアが問いかける。
「何か気がかりなことがあるようね?」
「えぇ」
ジャクレンは頷き、そして顔を上げてマキトたちを見た。
「皆さんは、ヴァルフェミオンのことを、どれくらい知ってますか?」
「え? どれくらいって……」
尋ねられたマキトは、一瞬たじろぎ、そして空を仰ぐ。
「歴史的には割と新しい魔法学校のある都市で、特にここ数年で急激に発展してきたってのは、ウワサ程度で聞いたな」
「世界各地から、魔導師や魔法剣士を集めてるとも聞いたわね。生徒としては勿論のこと、先生として勧誘を受けた人も、どんどん増えてきているとか」
「特に悪いウワサはなかったと思うのです」
マキトに続いてユグラシア、ラティが記憶を掘り起こしながら言うと、ジャクレンは納得するかのようにしみじみと頷いた。
「……なるほど。やはり世間でも、大体そのように広まっているみたいですね」
それを聞いたユグラシアは、スッと目を細めた。
「その言い方だと、魔法都市には何かしらの裏がある、ということかしら?」
「えぇ。そう思っていただいたほうが賢明かと」
話が早くて助かります、と言わんばかりにジャクレンは笑みを浮かべる。
「僕が持ってる情報をお話ししましょう。信じるかどうかはお任せということで」
「お願いするわ」
そしてジャクレンは、マキトたちにヴァルフェミオンの情報を話した。
マキトたちが聞いたウワサは、概ね本当であり、実際にそこで良い方向に成長を遂げた魔導師や魔法剣士もたくさんいる。教諭として招かれた方々も、大きな成果として、それぞれの王都に評価が届けられているとか。
しかしながら、ヴァルフェミオンにはかなりの謎があることも確かであった。
まずは都市を作った人物――すなわち創立者についてだ。
公式に明かされている創立者は、あくまで表向きでしかない。現在も普通に存在しているが、本当の創立者は別にいるとのこと。
「数ヶ月前のことです。僕はその創立者の方とお会いする機会がありました。どこにでもいそうな、貴族風の中年男という感じでしたね」
ジャクレンは温くなったお茶を飲み干した。
「しかし実際に話してみたところ、どうにも言葉に重みがありませんでした。まるで用意された台本を読んでいるかのような、そんな印象を受けました」
ジャクレンは当時の光景を思い出す。どことなく妙に感じ、他愛のない雑談に持ち込みつつ頃合いを見計らい、そしてさりげなく問いただしてみた。
「魔法都市を設立したキッカケに、戦争時代も関係しているそうですが……」
「それについては、私も聞いてないので分かりませんなぁ」
「あぁ、それなら仕方ありませんね」
「全くですな」
『アハハハハハハハ♪』
当時の回想を一人芝居で演じたジャクレンは、再びマキトたちに視線を戻す。
「――とまぁ、こんな感じで、恐らく創立者は別にいると思ったワケですね」
ジャクレンの話を聞いたマキトたちは、揃って表情を引きつらせていた。
「……そのオッサン、本当に大丈夫なのか?」
「代理だとしても不安過ぎるのです」
「よく今まで誰にもバレずにやってこられたモノだわ」
マキト、ラティ、そしてユグラシアが次々と呆れた口調で言い放つ。その様子にジャクレンは、思わず苦笑を浮かべた。
「まぁ、創立者の代理だけならば、まだ良かったかもしれません。こちらが気にさえしなければ、大事になることもありませんからね」
「つまり、他にも怪しげな部分があるということかしら?」
「お察しのとおりです」
ユグラシアの問いかけにジャクレンは頷き、そして再び語り始めた。
ヴァルフェミオンにまつわるキナ臭いウワサ話だ。
地下には巨大な魔法研究施設があり、そこで禁断の魔法が秘密裏に研究されているとか。世界各地から、魔導師など魔力を持つ者を集めているのも、その研究が関係しているとか、そもそもヴァルフェミオンが作られたのは、禁断の魔法を完成させるためだったりするとか。
ここまで話したジャクレンは、再びマキトたちに視線を戻した。
「もっともこれは全て、あくまで僕が勝手に感じた印象に過ぎません。見当違いという可能性も大いにあり得ますし、もしそうならば、それに越したことはないとも思っています」
いつもの笑みを浮かべるジャクレンだったが、マキトたちの表情は完全に引きつっていた。どれも普通にあり得そうな話だと思ったからだ。
ここでユグラシアが、表情を引き締めながら口を開く。
「それが本当なら見過ごせないわね。色々と気にもなるし、ヴァルフェミオンに着いたら調べてみようかしら。場合によっては時間を使うことになるかも」
「ってことは……」
マキトの呟きに、ユグラシアは頷いた。
「ヴァルフェミオンに着いたら、マキト君たちともお別れになると思うわ。私個人の用事に、あなたたちを巻き込みたくないし」
「俺たちが手伝うってのは……しないほうが良いんだろうな」
ユグラシアは申し訳なさそうな表情を浮かべ、マキトの言葉に対して頷いた。それに対してマキトは、アッサリと納得したような反応を見せる。
「分かった。じゃあ俺たちは俺たちで、さっさと用事を済ませるよ。それで面倒なことになる前に、とっととヴァルフェミオンを旅立つさ」
「寂しくなりますけど、仕方がないですよね」
ラティも言葉のとおり、寂しそうな様子を見せつつも笑みを浮かべていた。そんな彼らに対し、ユグラシアの表情は更に申し訳なさそうなそれになる。
「本当にありがとう。そしてゴメンなさい。ワガママが過ぎてしまってるわね」
「いいよ。きっとまたどこかで会えるだろうし」
「マスターの言うとおりなのです。だから気にしなくて良いのです」
マキトとラティがそう言いながら笑いかけると、ユグラシアも笑顔を浮かべる。ジャクレンはそんな彼らを見て、まるで親子のようですねと思うのだった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ僕は、スフォリア王国へ向かうので、これで失礼します」
「あぁ、色々とありがとう」
「バイバイなのです」
別れの挨拶を交わしたマキトたちは、西にある国境に向かって去りゆくジャクレンを見送った。
そして改めて、東にあるヴァルフェミオンを目指して、マキトたちは歩き出す。
原野をしばらく歩くと、一本の道に出た。
東に向かって伸びていることを確認したところで、反対方向から一台の馬車が走ってくるのが見えた。行商ではなく、客を乗せて運ぶ類いのモノであった。
とりあえず道を塞ぐわけにもいかない。そう思ったマキトたちは道を開け、先に馬車を行かせた。後ろからのんびり歩いていこうとしたその時、何故か少し先のほうで馬車がゆっくりと止まる。
そして――
「マキト! やっぱりマキトだ!」
馬車の荷台から、一人の少女が嬉しそうな表情とともに飛び降りてくる。見覚えのあるその少女の顔に、マキトたちも驚くのだった。
「ア、アリシア?」
かつて、ある事情で一緒に旅をしていた、ハーフエルフの少女。エルフの里で別れて以来となっていたアリシアと、思わぬ形で再会するマキトたちであった。