白い透明感
雪が降って喜んでいたのは小学生までで、気付いたら憂鬱のタネになっていた。
髪の毛広がっちゃうなあとか、こないだ買ったインヒールだと歩きづらいかなあとか、お母さんに雪かきしろって言われるかなあとか。
レースのカーテンの奥でひらひらと舞う白雪姫を眺めながらそんなことを考えているの。
今日みたいな日に雪が降ると人々はホワイトクリスマスだね、なんて言って厚めのコートを着込んで街へ出向くけど、雨の日でさえ出かけるのを嫌がる私が雪の日に外へ出るなんてことはありえない。
はずだった。
夏は空気が澄んでいるから空が綺麗だ、とよく言う。
でもそれじゃあまるで冬の空が汚いみたいじゃないの。
確かに冬の空に透明感はないけれど、そのおかげで陽の光がやわらかいキャンドルみたいにあたたかく感じられる。
だから私は冬の空の方が好きだったりする。
それはちょうど太陽が地平線に沈んで、空の半分くらいが暗くなってきた頃。
どうやら私はこたつで雑誌を読みながら寝てしまっていたみたい。
寝起きで半分しか開かない目でスマホの通知を見る。
見慣れない人からLINEがきていた。
開いてみるとそれはクラスの男子からだった。
私はまだ寝ぼけてるのかと思った。
とりあえず一旦スマホを置いてこたつから出た。
うわ、寒い。
と思わずつぶやいた。
こたつって人類で最強の発明なんじゃないかなとか考えられるくらいには目が覚めたのでもう一回さっきのLINEを見てみる。
やっぱりクラスの男子からだった。
学校ではそこそこ話すけどLINEは一回もしたことがないクラスの男子。
だからちょっとだけびっくりした。
『今日の夜って暇? いいとこ連れてってあげるよ』
なんで上から目線なんだ。
暇なんかじゃない!と返してやりたかったけど実際暇だし、いいとこっていうのがなんなのかちょっとだけ気になった。
『まあ一応暇だけど、いいとこってどこ?』
『それは秘密、7時に駅集合な』
駅っていうのは多分学校の最寄り駅のこと。
そこそこ大きい駅だから混んでるだろうなあ。
『あ、厚着してこいよ、めっちゃ寒くなるから』
いきなり優しくしてくるのはずるいよ。
言われた通りちゃんと防寒をして家を出た。
雪はいつのまにか止んでいて降っていた跡すらなかった。
私が寝ちゃってからすぐに止んだのかな。
世間の人たちは残念がるだろうなあ。
でも私にとっては嬉しい限りだ、心なしか足取りが軽くなった気がした。
待ち合わせ5分前に駅に着いた私はその人の多さに驚いた。
だって予想を遥かに超えていたんだもん。
『こんな中で待ち合わせなんて無理だよ!』
『じゃあ北口出たとこのコーヒー屋のとこ来て』
場所はわかるけど身動きが思うように取れなくて出口にたどり着くまで5分もかかってしまった。
せっかくはやく来たのにこれじゃプラマイゼロね。
「よお、メリークリスマス」
「メリークリスマス、どこに連れてってくれるの?」
「秘密だって言ったろ、まあ乗れよ」
「バイク持ってたんだね、知らなかった」
「おう、意外か?」
「ちょっとびっくりした」
駅から伸びる大通りは寒そうに並ぶ木たちがライトアップされていてとても綺麗だった。
その下を人々とは逆の方向へ向かうのだった。
さすがクリスマス、見えるのはカップルばかりでみんな手を繋いだりじゃれあったりしていて幸せそうだ。
多分私たちもそう見られてるよね。
まあ、悪い気はしないけど。
「誰かさんが厚着してこいって言うからせっかくお気に入りのニット被ってきたのに」
「そりゃ悪いな、寒くない?」
「うん、大丈夫だよ」
「てかお前、ちゃんとつかまれよ落ちるぞ」
「そんなドジじゃない」
「第一にそこはつかむとこじゃねえよ、俺につかまれ」
「どうやって?」
「腰に手をまわすだけ」
「やだよ、恥ずかしい」
「落ちても知らないからな」
学校ではよく話すけど、こんな近くで彼の声を聞いたことがなかったからなんだか新鮮に思えた。
もし雪があのまま降り続いていたら彼はどうしただろう。
電車で行こうとしたかな?
いや、そもそもなんで誘ってくれたのかが一番の疑問だった。
せっかくのクリスマスなのに、私なんかでいいのかな。
「さて問題です、冬の夜に一番綺麗なものはなんでしょう」
「んー、イルミネーション?」
「それじゃあありきたりすぎるだろ」
「えー、わかんない」
「そうですか、残念」
「ねえ、山登ってるの?この道」
「おう」
「てことは遊園地?観覧車見えるよー!!」
「遊園地は通過しまーす」
「なーんーでー!!!!!」
「だって用ねえもん」
「連れてってくれたらイケメンなのに」
「もっといいとこ連れてってやるから待っとけ」
冬の山はこんなに寒いものだとは思ってなかった。
いや、そもそも山に来るとは思ってなかったよ。
厚着してこいってこういうことだったのね。
駅に着いたときは汗がにじむくらいだったのにもうすでにちょっと寒い。
そうこう思ってるうちに私たちは遊園地の駐車場に向かって列をつくってるクルマの横を通りすぎた。
本当に遊園地には行かないんだ。
彼はあんな調子だからもし遊園地に行ったとしても私はそこまで驚かないだろう。
発する言葉の真意がいつも読み取れなくて、だからいろんなパターンを予想するから驚きが少ないのかも。
ただ、それが毎回だとは限らなかった。
どうやら到着したのは山の頂上のようで、大きな駐車場はがらりとしていた。
電灯もあまりなく、バイクの唸りが乾いた空気に呼応してなんだか不気味だ。
彼はエンジンを切ってヘルメットを取る。
私も外そうと思ったのだけれど外し方がわからなくてあたふたしていて。
それを見た彼はプラスチックの留め具を外してくれた。
私の首元に伸ばしたその手はとても冷たかった。
駐車場の奥には見晴らし台のようなものがあって、山なのにそれはまるで灯台のように見えた。
いつもの生活で意識せずとも視界に入っているこの山にこんなものがあったなんて知らなかった。
見晴らし台の中には螺旋階段がてっぺんまで続いていてここもまた電球ひとつなかった。
彼がスマホのライトをつけると空までの錆び付いた道が浮かび上がった。
階段は思ったよりもきつかった、視界が悪いけど手すりは掴みたくない。
そんなことをしていたから私はよろけてしまった。
重心が後ろに傾く、受け止めてくれるものなんてもちろんそこにはない。
あっ、と思わず声が漏れる。
それが彼の耳に届いたかはわからないけど、気付いたら私は彼の腕の中にいた。
前にいた彼が私を引き寄せてくれた。
自然と抱き合う形になる私たち。
誰にも見られていなくてよかった、と冷静に考えられるようになるにはかなり時間がかかったけど。
階段を上り終わって、街を一望できる高さに私たちはいた。
寒いはずの山の風が気持ち良くて火照った体を冷ましてくれた。
学校の教室の半分もないようなスペースだけど見上げれば視界に入りきらないほどの星空が広がって。
夏は空気が澄んでいるから空が綺麗だ、とよく言う。
でもそれじゃあまるで冬の空が汚いみたいじゃないの。
確かに冬の空に透明感はないけれど、遠くで光る星達がキラキラ輝いて、どんなイルミネーションよりも綺麗だと思った。
だから私は冬の空の方が好きだったりする。
「いいとこだろ?」
「うん、とても、ありがとうね」
「ここは俺の秘密の場所だからさ」
「確かに知らなかったもん、こんなとこがあるなんて」
そうして私たちは星空を眺めながら他愛もない話をした。
いつもより彼との距離は近かった。
時間はあっという間に過ぎて、もう帰らなくてはいけなくなった。
ヘルメットはやっぱり自分じゃつけれなかったから彼にやってもらった。
さっきと変わらず彼の手は冷たくて、せめてものお礼にと思い彼の手を取って握った。
びっくりした様子で私の顔を見る彼。
一呼吸、時が止まり、彼が手を離す。
そうして彼はスロットルを握って、はやく乗らないと置いてくぞ、と言わんばかりだ。
少し照れてるのかな、なんて思ってる私も例外じゃない。
私が彼の後ろに座って、バイクが走り出す。
「山道走ってても綺麗だね、宇宙船に乗ってるみたい」
「すっかりバイクが気に入ったみたいだな」
「うん!案外好きになっちゃった」
「いつでも乗せてやるよ」
「じゃあ次は初日の出かな?」
「お、いいね」
「えっ、冗談で言ったんだけど」
「俺は冗談で言ってないよ」
「だからいきなりそういうこと言うのはずるいってば」
また来年も連れてってね。
そうつぶやいた私の声はエンジンの音に掻き消されて彼にはきっと聞こえていない。
私はぎゅっと彼の背中に抱き着いた。




