ある執事の多大なる受難の話
レベル0シリーズです。イエーイ
女の子は泣きそうだった。
女の子の執事は無表情だった。
ある女性は高らかに爆笑していた。
空は真っ青で、大地は緑で覆われており、人々は平和に暮らしている――わけなどない。
そんな平和ボケした世界とは正反対だ、と現魔王は思う。
地上とはうって変わって、ここには太陽の光というものは存在しない。あるのは怪しく紫に光る月のようなものだけ。この世界は夜しか存在しない。――そう、ここは魔界と呼ばれる世界。
ここで生息している生き物たちは、闇をたいへん好む。光に耐性のある種もいるが、そうではない種もまた現存している。
「ここは狭すぎる‥‥」
そうぼやきながら魔王は執事が用意した飲料を喉へと通す。血のような深紅色をしたそれはどこか狂気を感取させる。
「オレらがなんでこんな肩身のせめぇ思いをしねーとならねぇんだ。全ては闇から始まったんだ。それなら闇に還るのがなんじゃねーのか」
憂いの表情を浮かべながら、ため息をつく。
「ここからじゃよくわかるぜ‥‥民が苦しんでいる姿がな‥」
「厨二乙。」
執事はそう言うと、魔王のコップを取り上げた。ゴミを見るような目つきで冷笑する。
「ドヤ顔でトマトジュース飲まないでください。キモいです」
捲し立てるように、彼女は早口で続ける。何の感情も漂わせず。
「魔王様‥いや、マクシーネ。アナタの幼馴染として言いますね。むかしっっっっっから、その厨二口調も直らないし、痛いことも平気で言うのも直らない。仕えてるこちらの身になってください。痛い、痛すぎる。鳥肌やべぇよ。話変わりますけど、民衆もそこまで苦しんでいませんからね。今の生活に満足してますからね」
言いたいことをぶちまけた後、執事はマクシーネという名の魔王の顔色を窺う。正視してしまうと、視線を逸らすことが出来なくなってしまった。今更ながら、執事は表情を変ずる。
「ロミルダの馬鹿野郎オオオオオオ!!!」
右の頬に一発、拳が打ち込まれた。
「ごふぅ‥!」
壁まで吹っ飛ばされて、躰がめり込む。ズルズル、と壁に背を預ける格好になる。口の中は血で満たされ、恐らく何本かの骨は確実に逝っているだろう。
それでも、そんな破目になっても一切気にならない。
自分の拳を片方の手で隠し、今にも零れそうな涙を浮かべたマクシーネを実見してしまったから。
そのまま、彼女は魔界城を去っていく。足音だけは薄れていく意識の中でも感じた。
こうして、彼女の執事ロミルダは広い魔界城に取り残された。
「オ、オレ悪くねーもん‥」
ヒッ、とかヒックみたいな嗚咽を洩らしながら、マクシーネは泣き縋る。マクシーネは、目の前にいる女性の膝に顔を埋めながら、更に落涙する。
「まぁーねぇー‥でも死んでるかもね、ロミルダくん」
そう返答したのは髪の黒い女性。肩の辺りまで艶やかな髪が伸びている。頭にはマクシーネと同じ角が二本生えている。どこかマクシーネと似た面影を感受させられる。
呆れたような表情で、膝に埋まっている頭を撫でる。マクシーネの髪が乱れる。
「うううう‥マルガーネェ」
「ママと呼べよ」
着物の裾でマクシーネの顔を拭く。
「まぁ、でもいい加減キサマらも大人しくなってもらわねーとな。いつまで経っても世界なんて手に入らねーしな」
マクシーネの両脇に手を差し込み、無理やりに立ちあがせる。
袴の埃を払うように、何回か着物を叩く。マクシーネの両頬をつまみながら、いやな笑みを浮かべる。
「な、なんだよ‥?」
自分よりも高い位置にあるマルガーネの顔を凝視する。意味がわからないようで、頭にいくつものハテナマークを浮かべる。そんな顔をしているマルガーネを包み込む。こうして見ると親子と一目瞭然である。
「第三白三十八回、仲直り大会ー♪」
全力でマクシーネは渋面した。正反対に、マルガーネは至極楽しげに細く笑む。
ぼろい恰好で治療室から退出して来たのはロミルダだ。殴られた右頬は大きなガーゼが顔の四分の一を占めている。左腕は骨折し、上腕のギプスで固定されている。それ以外に、外傷は見当たらない。
いつのまにか治療室のベッドに横たわっていた。その辺りの記憶は皆無に等しい。気が付いたら、全身包帯でグルグル巻きにされていた。服の上からは見えないが、躰の四分の三は包帯に包まれている。
「はぁー‥‥どこに行ったのやら、マクシーネ」
窓の外に広がる月の紫の光を目に写しながら呟く。自分が傷だらけにされたことについては何も思っていないような顔をしている。
「ザ○ラルー!」
「ぐふっ」
ぱたんきゅーん。後頭部に頭突きを喰らう。それもすごいスピードの上にとても硬い。二度目の気絶の兆しを感知する。
「というか‥ザ○ラルは蘇生確、率‥五十%だ、か‥‥」
暗転。
何かに引き摺られる感覚の中、寝覚める。
「痛いわっ! 顔の半分土だらけじゃねーか!!」
覚醒したロミルダは大声で喚き散らす。それもそうだ、彼女の状態は右足を引っ張られ、ズルズルと引き摺られているのだから。左側の顔は完全に地面と密着している。
「口の中、土味しかしねーわ! 運ぶならもう少し丁寧にしろよ!!」
突然、引っ張れていた右足を離される。その小さな刺激で他の怪我へと響く。ロミルダは顔を顰める。刺激を与えた本人は、未だこちらを振り向かない。その様子に、ロミルダは小さく溜息をつく。
「何がしたいんですか? マクシーネ様」
落ち着いたところで、周りを見渡してみる。どこかで見た覚えがある風景だとロミルダは思った。ゆっくりと立ち上がる。左の顔面をほぼ支配している土を払う。口の中にある土を唾と共に吐き出すが、それでもジャリジャリと砂が残る。
マクシーネは一連の動作が終わるのを見届ける。その表情は不機嫌そうだ。そして、ロミルダの右腕を掴み、早足に歩き出す。ロミルダは引っ張られ、連行される形となる。
暫く沈黙したままの時が過ぎる。
「むかし‥」
唐突に何かを切り出す。ロミルダは何も言わず、その後ろ姿をじっと見る。なんとなく握られた手の力が強くなった気がした。
「よく‥ここに来て二人で談笑した‥‥」
ぼそぼそと口籠るように喋る。
ロミルダの中で、微かに昔の記憶が甦る。本当におぼろげで断片的な記憶。二人で笑い合いながら歩いた過去の思い出。
マクシーネの顔を見ようとしたが、ロミルダの視界からでは不可能。しかし、耳が真っ赤なのは丸わかりである。
ロミルダは微笑を浮かべる。ああ、なるほどと胸の中で納得する。これは彼女なりの仲直りの方法なのだと理解する。同時に、なんて不器用で分かり辛いとも思う。
もうこれは自分が折れてもいいと思えるほど彼女の姿は無様だ。
謝りの言葉を口にしようと開く。
「マクシー‥「ぎゃああああ!?」
謝罪の言葉はマクシーネの叫び声で掻き消される。
「なんだよ!? てめぇー人がせっかく‥!」
「ロミルダ! アレ! アレ!」
「はぁ?」
必死に何かを訴えかける。どこかを指さしているので、ロミルダはその方向に目を向ける。目が点となる。見なきゃよかったとも思う。
「ななな‥なにあれ?」
なんとも間抜けな声を出す。呆然と思考力が停止する。
丸い巨大な岩石が勢いよく転がってきている光景など信じられないだろう。
「ギャアアアアアアアアア!!?」
「うわあああああ!! どうしよ? どうしよ!?」
「どうしよっておまっ‥魔力使え」
衝突。これがもしドッチボールなら顔面セーフなのかもしれない。
加速した巨大な球にぶち当たられ、二人は呆気なく崖の底へと落下する。
「「いやあああああああ‥‥‥!?」」
段々と小さくなっていく悲鳴。彼女たちかが救助されるのは、およそ五日後の話である。
「ふふふ~ん♪」
鼻歌を歌いながらマルガーネは歩く。誰もいなくなった魔界城の最上階へと足を運ぶ。
「苦難を共に乗り越えた二人は絆が深まるんだったか‥?」
クスクスと笑いを零しながらぶっちゃける。
「落としといて正解だったかもな。いやー、いい仕事したわー」
最上階へと着き、ある一室に入る。その部屋には大きなベッドがこしらえてある。そこへ飛び込む。仰向けに寝転がる。
「疲れたから寝るとするかー感謝しろよぉ、あほ娘ェ」
それだけ言うと、早々に夢の世界へと飛び立つ。
この物語は、アホの主人を持った執事がアホに巻き込まれながら懸命に生きていくという苦労物語なのかもしれない。
誤字、脱字なんてなかった。