人質生活
「お食事の時間です」
生気のない、ミイラのように痩せこけた老人が、呼び鈴を鳴らして告げた。
食事と聞いて、ミュミュの表情が、パッと華やいだが、老人は付け加えた。
「お食事は、ラン・ファ様の分しか、ございません」
途端に、がっかりして、ミュミュはうなだれた。
「私の分をわけてあげるわ。ミュミュちゃん、一緒に行きましょう」
ダグトに背中の羽をむしり取られてしまった妖精は、飛ぶことも出来ないので、ラン・ファに手伝ってもらいながら、嬉しそうに、彼女の肩に乗った。
さびれた廊下を、老人の後をついて進んでいくと、灯りのもれた部屋に着く。
部屋には、既に、ダグトが来ていた。
ラン・ファの豪華な部屋とはほど遠く、そこは何の飾りもなく、ただ長いテーブルがひとつあるだけだった。
テーブルの上には、ダグト用の燭台、距離を隔てて向かい側には、ラン・ファ用にもう一台、燭台が置いてある。
長いテーブルの端と端に、向かい合って、ダグトとラン・ファが食事を始める。
ダグトの皿には、ごく少量の食べ物しかなかった。代わりに、小さな飴のような、黒い錠剤が、杯に数粒あった。
魔道士の中には食事を摂らず、栄養分や魔力を高める効果のある、このような錠剤で済ませてしまう者も多い。魔法道具を扱う正規の魔導士協会でも、売られていた。
そして、その横にある杯には、魔道士が飲むのを許された唯一の酒、薄めのカシス酒が注がれていた。
比べて、ラン・ファの食事は、豪勢なものであった。
トリを丸ごと香草で焼いたもの、いろいろな果物や木の実をふんだんに使ったサラダ、黄金豆のスープなど、まるで、貴族の食卓のようであった。
「すごぉ〜い! こんなにすごい食べ物、ミュミュ、アストーレに行った時以来だよー! 」
ミュミュは目をきらきらさせて、テーブルの上を、ちょろちょろと歩き回り、皿の中のものを覗き込んでいた。
「ちっ。まったく下品な妖精だ。それは、ラン・ファのために作らせた食事だ。お前の分はないと、何度言えばわかるのだ」
ダグトが睨む。
ミュミュは、びくびくと恐れをなして、ラン・ファの腕の後ろに隠れてしまった。
「毎日毎日、こんな豪勢な食事をさせられ続けたら、ブタになっちゃうわ。私を太らせる気? ミュミュちゃん、良かったら食べて」
ラン・ファはダグトに軽く悪態をつくと、ミュミュにも食べ易いように、肉や野菜を切り分けた。
彼女に勧められるまま、ミュミュは、そろそろと食べ物に手を伸ばすが、やはり、ダグトを恐れているのか、視線を気にしながら、テーブルの上の、ラン・ファの胸元近くで脚を伸ばして座り、遠慮しがちに食べ始めた。
「おいしい? 」
ラン・ファが尋ねる。
「うん、おいしい! 」
ミュミュが答えると、ラン・ファは、にっこり微笑んだ。
この三日間は、常に、このような調子であった。
ラン・ファについていこうとする度に、ミュミュは追い払われそうになるのだが、そんな時は、決まってラン・ファが助けるので、ミュミュはラン・ファの行くところには、どこにでもくっついてまわり、そのおかげで、食事にも入浴にも与ることができたのだった。
始めのうちは、邪険にしていたダグトも、自分には決して見せることのないラン・ファのやさしい笑顔が、垣間見られることから、ミュミュがそこにいることも、さほど悪くはないと思うようになっていったのだが、根がひねくれていたため、常にミュミュに意地悪をしてしまうのは、仕方がなかった。
ミュミュの方も、この三日間、ダグトや外のモンスターたちに怯えながらも、楽しく過ごしていた。
異次元に飛ばされてしまった、ヴァルドリューズのことも気がかりではあったが、きっとなんとかしてくれるだろうと、彼を信じてもいれば、時々淋しくなることがあっても、ラン・ファが慰めてくれ、それまで旅したいろいろな国のことや、東洋に伝わる子供向けの物語など、ミュミュの知らない珍しい話をして、楽しませてくれたので、ミュミュはすぐにラン・ファが大好きになったのだった。
「ミュミュちゃんは、中原のアストーレにも、行ったことがあるの? 」
ラン・ファが尋ねると、ミュミュは、嬉しそうな顔になった。
「うん! ちょうどお祭りやってたんだよー。カイルと一緒に見に行ったんだけど、町娘がワラワラいっぱい寄ってきて、カイルは、そっちと遊びに行っちゃったから、ミュミュね、つまんなくなっちゃって、ひとりでプラプラしてたの。そしたらね、ケインとクレアがデートしててね、ネックレスを買ってあげてたから、ミュミュにもちょうだいって言って、アンクレット買ってもらったのー」
ミュミュは、左の足首にはめた、人間の小指用に作られた、銀色の指輪を、自慢げに指さしてみせた。
「素敵じゃない! いいものをもらって、良かったわね」
ラン・ファが微笑む。
「ほしい? 」
「あら、ミュミュちゃんが、ケインくんからもらった大事なものなんでしょう? 私がもらうわけには、いかないわ」
ミュミュは首を横に振った。
「別にいいよ」
「でも、ミュミュちゃんは、ケインくんにとって、大事なヒトなんじゃなかったの? この間、そう言ってたじゃない? 」
「でもね、それはね、ミュミュが妖精だから。妖精は、勇者に付くものなんだって。ミュミュ、ケインのことも好きだけど、一番好きなのは、ヴァルのおにいちゃん! 」
「まあ! そうだったの? 」
ラン・ファが驚いてみせた。
すると、いきなりダグトが音を立てて椅子から立ったので、ミュミュがびっくりして、ラン・ファの胸の中に駆け込んでしまった。
ダグトは、ぎらぎらした目で、ミュミュを睨んでいたが、何も言わなかった。
「どうしたのよ、ダグト? いきなり立ち上がったりして。ミュミュちゃんが怖がっちゃったじゃないの」
何事もなかったように、そのまま食事を続けるラン・ファをも、じろりと睨む。
ダグトは、三日前に消息を絶ったヴァルドリューズの行方を、未だ見つけられないでいることに、苛立っていた。その時、彼をさかさまの森から連れ出した、謎の少年にもである。
この休養期間中に見つけられなかったのは、かなり手痛いことであった。
予定では、とうにヴァルドリューズを倒してしまっていたはずなのだから。
今日から、またしばらくは魔道士の塔に勤務しなければならず、そうなると、これまでのようにヴァルドリューズの探索には、なかなか時間を割いてはいられないのだった。
「くだらないことばっかりペラペラ喋りやがって、このうるさいお喋りなチビが! 見ろ、もう時間になってしまったじゃないか! 」
ダグトは、ひとりで腹を立てて、部屋を出ていった。
執事の痩せた老人が、出口まで見送りについて行くが、その老人にまで怒鳴り散らしている声が、ドア越しに聞こえてきていた。
「……ふ、ふ、……ふえ〜ん! 」
ミュミュが泣き出した。
「よしよし。怖かったわよね。可哀想に」
ラン・ファは服の中に隠れているミュミュを手に乗せ、やさしく撫でた。
「多分、あいつは、ヴァルドリューズを見つけられなくて、イライラしてるんだと思うわ。それに、しばらくは、魔道士の塔に通う日が続くわ。それは、こっちにとって好都合よ」
「う、……うん、うん」
ミュミュは泣き止み、ラン・ファに何度も頷いた。
「給仕と執事は魔物じゃなくて、普通の人間を、ダグトが魔法で洗脳したの。多分、普通の黒魔法で。給仕は二日に一回買い出しに、町まで行くから、その時がチャンスよ。脱出の下準備が出来るかも」
ラン・ファの予想通り、給仕のまるまる太った、執事とは正反対の男が、館を出て行くのが窓から見えた。
ラン・ファは部屋を出ると、調理室を通り抜け、忍び足で回廊に出た。ミュミュは、ラン・ファの肩の上に、ちょこんと座っている。
『確か、そこの部屋だったわ、以前、首飾りがしまってあったのは。もう少しというところで、ダグトに見つかってしまったけど』
ラン・ファは、ミュミュにしか聞こえないよう、黒魔法の『心話』で話しかけた。
昼の間は、差し込む光によって、館の中も、多少は明るい。銅でできた数ある扉には、それぞれ違った模様が刻印されていた。
冠の柄が彫られた扉の鍵穴から、ラン・ファが室内を覗いてみる。
古びた椅子の上に、無造作に、布がかけられ、ちょっとした装飾の小箱が置かれている。小箱からは、連なった青い石が、はみ出していた。
ラン・ファは、その青い石を見つめると、部屋から離れ、今度は、水瓶の柄の部屋を覗く。
呪術道具がいくつか並べられ、奥の壁には、赤い玉石と装飾のある剣が、立て掛けられていた。
その後、何事もなかったような顔で回廊を進み、再び調理室を通って、ラン・ファは、自分の部屋へ戻っていった。
「見たでしょう、ミュミュちゃん。冠の部屋の宝石箱には、私のネックレスが、水瓶の部屋には、剣があるのよ」
「うん。ミュミュも見たよ」
ラン・ファは、少し真面目な顔になって、ささやいた。
「あの二つさえあれば、ミュミュちゃんの羽が治らないうちでも、なんとかここを脱出できるわ」
「じゃあ、今、取りに行くの? 」
「いいえ、まだだめだわ。あの二つの部屋の扉には、ダグトの結界が張ってあるの。触れただけで、探知されちゃうわ」
ダグトと聞いて、ミュミュは、ぶるっと身体を震わせた。
「じゃあ、どうすればいいの? 」
「それはね……」
ラン・ファが言いかけた時であった。
「ラン・ファ様、湯浴みの支度が整いました」
執事の声が、部屋の外から聞こえる。
「まったく、朝と夜に湯浴みなんて……。優遇してくれるのは有り難いけど、なんか押し付けがましくてね。ダグト本人も、一日二回も湯浴みをするのよ。あの潔癖性には、時々うんざりしちゃう」
ラン・ファが本当にうんざりした顔で、ミュミュに肩をすくめてみせた。
「その割りには、このおうち、古くて汚いよね。さっきの宝物のお部屋とか、ろうかとかには、クモの巣だってあったし。おねえちゃんの部屋と、ごはん食べるところと、お風呂は綺麗なのにね」
ミュミュが執事に聞こえないよう、ラン・ファの耳元で、こっそり言った。
ラン・ファも、こっそり、ミュミュの耳に返した。
「ここは単なる廃墟だったんだと思うわ。モンスターのいる森の近くに住むなんて、普通はイヤよね? この館は、あいつの病んだ精神の現れなのよ。だから、ボロボロなの」
「きゃははは! 」
ミュミュは腹を抱えて笑っていた。
執事は振り返りもせずに、そのままゆっくりと浴室へと、二人を案内していった。