白いゴーレム
さかさまの森の住民たちは、唐突なモンスターの襲来に戸惑い、混乱し、逃げ回っていた。
どれほどヴァルドリューズが、素早くモンスターを消し去ろうと、どこからともなく湧いてくるため、きりがなかった。
「一体、どうしたことだね!? この森では、迷い込んだ人間どもが、勝手に死んでゆくことはあっても、それ以外は平和だった。それが、どうして、いきなり別の次元に棲むこんなモンスターどもが、現れるんだい!? 」
ヴァルドリューズの側を飛び回っている逆さコウモリが喚く。
「おそらく、ダグトの仕業だ」
抑揚のない口調で、ヴァルドリューズが答える。
その間にも、黒いオオトカゲを数頭倒し、次のモンスターへと光速で向かう。
「ダグトって……、ああ、そう言えば、ひとりだけ、ここを行き来できる人間がいたのを思い出したよ! そいつのことかい? 」
「おそらく」
「あの人間は特殊だよ。なにか、護符のようなものを持っているのかも知れないね! 」
コウモリは、一声鳴いてから続けた。
「そいつが、いったい、なんだって、この森に、モンスターを仕向けたんだい? ワシらは、あやつには、なんにもしてないじゃないか」
「お前たちにというよりも、ヤツの狙いは、この私だ。このように、モンスターを仕掛けて、私の魔力を減らそうというのだろう」
「ギエーッ! 」
背後から、コウモリにかじりついた、鋭い牙を持つ魔ガラスを、ヴァルドリューズの放った光線が、撃ち落とす。
「ああ、あんた、助かったよ! 」
礼を言うコウモリには見向きもせず、ヴァルドリューズは、モンスター退治を続けた。
「なあ、あんた、そのダグトってやつが、あんたの魔力を減らすために、こんなことをしてるんだとしら、あんた、それがわかってて、なんでわざわざ、こんな魔力を消耗させるようなことをしてんのさ? 」
コウモリは、ヴァルドリューズの速度に、なんとか遅れをとらないよう、ついていく。
「奴は、私が『ここ』から抜け出せない限り、このようにモンスターを送り続けることだろう。残念ながら、今はまだ抜け出す方法は見つからない。魔力が消耗するのがわかっていても、私が原因で、本来関係のないここの住民が巻き込まれ、虐殺されるのを、黙って見ているわけにはいかないだろう」
ダグトは、きっと、自分を弱らせてから、強力なモンスターを送り込んでくるに違いない。そして、とどめは、対抗呪文のない、古代魔法とやらをぶつけてくるのだろう。
そう推測する彼であったが、何の感情も現れていない表情で、ひたすらモンスターたちを消滅させていった。
「相変わらず、涼し気な顔しやがって」
ふん、とダグトは、鼻で笑った。
水晶球には、さかさまの森でモンスターを次々と倒していくヴァルドリューズが映っていた。
「奴の呪文の発動の速さからすると、唱えなくともできる魔法は、かなり多い。悔しいが、それは、俺以上かも知れない」
暗闇の中で、水晶球に近付くダグトの顔が、青白く照らされる。
「だが、貴様は、俺には勝てん。勝てぬのだ! 」
ダグトが球を囲む仕草をし、呪文を唱え終えてから、言った。
「白き古代のゴーレムよ、さかさまの森へ、向かうがいい」
水晶球全体が、白く光った。
ダグトの小さな笑いは、大きく、豪快な笑いへと転じていった。
さかさまの森は、燃えていた。モンスターの吐く炎によって。
ヴァルドリューズは火を消しながら、湧き、溢れる魔物を、消滅させる。
その近くには、逆さまのコウモリが、ずっとついてきていた。
「まったく、キリがないね! 」
コウモリが喚く。
ヴァルドリューズは冷静な表情のまま、モンスターを攻撃し続ける。
「ダグトが何か送ってくるとすれば、そろそろだろう」
「なんで、そんなことが、わかるんだい? 」
「奴とは、付き合いが長いのでな」
ヴァルドリューズの目の前のモンスターが燃え、消滅すると、前方に景色の歪みが起こった。
布を中央でひねり、よじれたところから、割れたガラスを通して見たように、向こう側の景色は歪んで見える。
そのようにして起こった空間のひずみから、透明の風が吹き込むと、それが徐々に、倍ほどもある人間の形を帯びていった。
(やはり、古代魔法で来たか)
碧い、切れ長の瞳は、細められた。
(一か八か、試してみるか)
ヴァルドリューズは、すでに呪文を唱えていた。
前方にいる透明な物体は、彼の予測通りの白いゴーレムへと、変貌していく。
「うわあ! 今までと違うヤツが出て来たよ! 」
コウモリが、ギャーギャー叫びながら言った。
ゴーレムの動き出すのと、彼の呪文の発動は、同時だった。
突き出された彼のてのひらからは、銀色の炎が噴き出した。
それは、彼が、魔神グルーヌ・ルーの知識を得て編み出した、邪悪なものに致命傷を与える力を持つ、銀の炎ーーシルバー・フレアーーであった。
「グウウウウ……! 」
銀の炎の衝撃に押し出されたゴーレムが、呻き声のようなものを上げるが、炎は、ゴーレムの身体を素通りしてしまったように、白い怪物には、穴ひとつ開いてはいないのだった。
(効かぬか……! )
普通の人間であれば、この場合、舌打ちや、落胆などの反応を見せるところだったが、例の如く、彼の表情は、一向に変わってはいない。
ゴーレムは、彼に向かい、走り出した。
石で出来た人形の見た目からは、想像もつかないほど、素早い動きだ。
ふいっと、ヴァルドリューズが移動し、ゴーレムとは離れたところに現れる。
ゴーレムは方向を変えるが、捕まえる寸前で、彼の姿は移動するのだった。
「あ、あんた、どこに行くんだね!? 」
コウモリが必死に付いて行こうと、翼をばさばさ言わせているが、
「ついて来るな」
ヴァルドリューズの返事に、その場に留まり、どうしていいかわからず、おたおたとしていた。
もっとも被害の少なそうな場所を、探りながら、ゴーレムを自分に引き付けているヴァルドリューズの姿は、すぐにコウモリの視界から消えた。
「ふふん、そうやって、少しでも時間を稼ぎ、対策を練ってるってわけか。体力と魔力の消耗を早めるだけだというのに」
暗闇で水晶球を覗き込む、青白い顔は、にやにや笑っていた。
「お前の黒魔法は、そのゴーレムには効かんのだ。それがわかった時でも、そんな涼しい顔は、していられるか? 」
ダグトの脳裏には、故郷にあるラータン・マオの宮廷が、浮かんだ。
宮廷魔道士たちが、一丸となって、ヴァルドリューズを襲った時、彼は、まったくの無抵抗であった。
「あの時ですら、お前は、苦しさに悶えたりはしなかった。死を覚悟した、安らかな表情さえ、見せていた」
ダグトは奥歯を噛み締めると、再び、水晶球を見る。
「俺は、そんなものが見たいわけではない。ただでは殺さん。お前には、人としての尊厳など、最後まで与えぬわ! 」
残忍な輝きを放つ瞳が、暗がりの部屋の中で、鋭く光った。
さかさまの住民のいない場所へ来たものの、ゴーレムの攻撃を防ぐ手立ては、ヴァルドリューズにはなかった。
ただひたすらよけているのみである。
(呪文が効かないとなると、後は、グルーヌ・ルーを召喚するしか……! )
それは、最も危険な方法であった。
彼が、これまで魔神を召喚したのは、知識を得るのみであった。魔神そのものを召喚し、暴走させずに、思い通りに操ることは、誰にも不可能であった。
ふいに、ゴーレムの姿が消えた。
ヴァルドリューズが気配を察し、よけた時には、遅かった。
ゴーレムの石の腕に、がっしりと捕まっていた。
「くっ……! 」
碧い瞳が、僅かに歪む。
冷たい石の腕が、ヴァルドリューズの身体をしめつける。
骨が軋むのを感じる。
だが、どの呪文も、ゴーレムには効き目がない。
ましてや、力でかなうわけはなく、振り解こうにも、びくともしない。
ごきん、と軋みを上げていた、どこかの骨が、とうとう折れた。
さすがに、ヴァルドリューズの瞳が、僅かに苦痛に歪む。額からは、冷や汗が流れ出した。
さっそく回復を試みるが、不思議なことに、自分にかけた回復呪文すら効かない。
(ゴーレムによる傷さえも、回復不可能か)
もう手立てはない。
危険ではあるが、魔神を召喚するしかない。
そうヴァルドリューズが覚悟した時であった。
「それは、やめた方がいい」
どこからか、声が聞こえて来たと思うと、しめつけていた石の腕の感触が、急激に解け、彼の身体は、どさっと地面に落ちた。
苦痛の中、片方の目だけで、辺りを見回すと、ゴーレムが離れたところに見える。
いったい何が起こったのか。
魔神を召喚してはいない。それどころか、何の呪文も唱えては、いないはずであった。
ヴァルドリューズにはわからなかった。それは、ゴーレム自身もそうであったのか、瞬時に逃がしてしまった獲物を探しているのか、戸惑った様子が見えた。
起き上がろうとするが、身体が言うことをきかない。
やがで、ゴーレムが離れた地面に横たわるヴァルドリューズを見付け、喰らいつくような勢いで迫る。
次は、このように運良く逃げられる気はしなかったヴァルドリューズが、覚悟を決めた時だった。
ゴーレムの動きが止まった。
ヴァルドリューズとゴーレムとの間に、何かが突然現れたのだった。
白い衣を羽織った、華奢な男だった。
男というには、語弊があるほど、艶かしい姿だ。
ヴァルドリューズの聞いた声は、この人物だと、彼は直感した。
肩まで伸ばした薄い茶色の髪と同じ色の瞳が、ゴーレムに、にやりと笑いかけた。
「おや、この僕を攻撃しようというのかい? お前ごときが、そんなことしていいのか? 」
まだ二〇歳にも満たないほどに見えるその少年は、腕を組み、石の人形を見据えた。
ゴーレムは、戸惑った様子を見せていたが、突き出した両腕をだらりと下げ、動かなくなった。
「さ、お前には、用はないよ。もうお帰り」
少年がそう言うと、ゴーレムの姿は、ぼやぼやと消えていき、完全に景色の中に溶け込んでしまった。
少年は、即座にヴァルドリューズを抱えると、一瞬にして消えた。
「畜生! もう少しというところで……! いったい、何者なんだ、あいつは! 」
水晶球を覗いていたダグトは、怒りをあらわにして喚いた。
「俺の呼び出したゴーレムを、簡単に引っ込めやがった! 魔道士の塔には、あんなヤツはいなかったはずだ。おのれ……、どこの魔道士だ!? 」
ダグトは、悔しさに、思わず拳を握り締め、地団駄を踏んだ。
空間を渡り、ヴァルドリューズと少年は、とある野原に来ていた。
「……お前は……」
「シッ、喋らないで」
呻くように尋ねたヴァルドリューズを、少年は草むらに横たえると、てのひらを向けた。
白っぽい穏やかな光線が、ヴァルドリューズの身体全体に行き渡る。
(回復魔法とは、少し違う……? )
しばらくすると、ヴァルドリューズの身体は、もとの通りに復活していた。
「危ないところだったね。間に合って、良かったよ」
少年は、にっこり笑った。
ゆっくり起き上がると、ヴァルドリューズは、改めて、彼を見た。
年の頃は、十五、六であろうか。白く透き通る肌に、チェリー色の唇、薄茶色の髪ーーどれを取っても、全体の色素が薄く、身体付きも華奢である。
一緒に旅をしてきたマリスと、なんとなく似た、中性的な感じもある。
だが、マリスの方は、王女であった割りには、もう少し頑丈そうに見え、彼と並べれば、マリスの方が、よほど強そうに見えてしまうほどだと、ヴァルドリューズは思った。
「お前は、何者だ? 」
「きみの味方だよ」
そのいたずらっぽい中にも、少々コケティッシュな趣のある微笑み方も、彼には、マリスを連想させた。
「あのゴーレムは、古代魔法によるものだった。現在の魔道では対抗するすべはまだ見つからないと聞いていたが、なぜお前には、封じることが出来たのだ? 」
少年は、ひょいっと、近くの岩に腰かけて、足を組んだ。
「『古代から呼び覚まされたもの』だったからこそ、あのゴーレムには、僕のオーラがはっきりとわかった、とも言えるね。わかれば、ゴーレムは、僕には逆らえない。彼には、自分を召喚した主人よりも、僕の存在の方が大きかったんだよ。なぜか、わかるかい? 」
少年は、人差し指を立て、真顔になった。
「僕はね、……人間じゃないんだよ」
ヴァルドリューズの表情は、特には、変わらなかった。
「あれ? 今、僕、とっても重大なことを打ち明けたんだけど、……全然驚いてないんだね? 」
拍子抜けした少年は、まばたきをした。
「さかさまの森から他の次元に移動する抗体を、人間は持ち合わせてはいないと聞いていたのでな」
ヴァルドリューズの口調は、普段の抑揚のないものだった。
「そ、それにしたってさ、もうちょっと驚いてもいいんじゃない? だって、人間じゃないってことはさ、いろんなことが考えられるじゃないか。ああ、かと言って、魔族じゃないからね」
少々プライドが傷付いたのか、幾分、少年はむきになっていた。対するヴァルドリューズは、冷静なままであった。
「この世には、人間の形をしてはいても、そうでないものも多い。私の周りには、妖精や、魔界の王子もいたのでな」
「そっか。それじゃあ、僕のことも、そんなに不思議ではなかったんだね」
女性的な少年は、改めて、ヴァルドリューズを見直した。
「実はね、きみに、お願いがあるんだよ」
「聞いている暇はない」
にべもなく断られた少年が、苦笑する。
「ずいぶんなことを言うねえ。僕は今、きみの命を助けてあげたんだよ? その命の恩人の頼みが、きけないって言うのかい? 」
「悪いが、そういうことだ。助けてもらったことには、感謝はしているが」
「感謝しているようには見えないなぁ」
少年は、からかうような瞳を向け、岩の上で、脚をぶらぶらさせた。
「とっても困っている人たちが、いるんだけどなぁ。きみなら、そんなに時間はかからないと思うんだけど、ダメかなぁ」
「だめだ。悪いが、他を当たってくれ」
「そんな……聞くだけ聞いてくれたって、いいじゃないか」
「本当に時間が惜しいのだ。どうしてもというなら、私の方の用事が済んでからにしてもらいたい」
少年は肩をすくめた。
「そんなに急がなくても、あの妖精のお嬢ちゃんは大丈夫だよ。とって喰われたりなんかしないってば」
ぎらり、と静かに、ヴァルドリューズの目が光った。
「そんな怖い顔しないでよ。僕は、何でも知ってるんだってば。だから、僕の頼みさえ聞いてくれれば、あのとらわれの妖精のいる場所まで、連れていってあげるからさぁ」
ヴァルドリューズの瞳が油断なく、少年を見つめる。
「まだ僕を信用しないの? しょうがないなぁ」
少年は、ぴょんと岩から降り、真面目な表情になった。
「今言ったことは本当だよ。すべての魔力を支配する神ジャスティニアスの名において、誓うよ」
「……!? 」
ヴァルドリューズの瞳が、見開かれた。
彼なりにも、衝撃を受けたようであった。