甦る古代魔法
ヴァルドリューズが、東へと飛ぶ。
あまりの早さに、魔道用語では『光速』と呼ぶ。
だが、いくらも行かないうちに、彼は、進むのをやめなければならなかった。
魔道士の塔から、少し離れた森の上であった。
背後に気配を感じた彼は、振り向きもせずに、口を開いた。
「来たか」
その一言は、背後の人物を言い当てていた。
まさしく、彼の探し求めるダグト本人に違いなかった。
「くっくっく……。まさか、本当に、魔道士の塔まで来るとはな。自分の立場がわかっていないのか、それとも、そんな判断も出来ないほど、動揺してるのか」
ヴァルドリューズは、その声に、ゆっくりと振り向いた。
何の感情も映し出してはいない碧い瞳が、古くからの知人をとらえる。
東洋を思わせる顔立ち、酷薄そうな細い瞳、こけた頬をした、痩せた背の高い男は、嫌味な笑い方をした。
そのダグトの横には、二人の魔道士がいた。
二人は、警戒しているように、油断なく、ヴァルドリューズを睨んでいる。
彼ら三人は、ヤミ魔道士を取り締まっている最中だと、ヴァルドリューズは推測した。
「ミュミュは、どうした」
表情を変えることなく、ヴァルドリューズが、ダグトに尋ねる。
「そんなに、あの妖精が大事かね。あんな、なんの役にも立たない、無力な生き物が」
腕を組んだダグトが、ヴァルドリューズを、蔑んで笑う。
「私は約束通り、お前との過去の因縁に決着をつけるために、こうして来た。もうミュミュを人質に取る必要はないだろう。早く自由にしてやれ」
ダグトは、細い目を一層細めた。
「珍しく、感情的になってるじゃねえか。天才魔道士ヴァルドリューズ殿ともあろうお方がよぉ。俺は、正々堂々と、お前と勝負する気はない。お前の苦痛に歪む顔さえ見られれば、それでいいんだからな」
ダグトは、笑い声を立てた。
ヴァルドリューズは何も言わずに、ダグトを見つめ、僅かに眉が動いた。
傍から見れば、ヴァルドリューズは冷静そのものであるのだが、昔から彼をよく知るダグトには、彼の心情を、少なくとも、他の人間よりは、感じられていた。
残りの二人は、どうしたものかと、顔を見合わせていたが、ヴァルドリューズを捕えるには、今がチャンスと目配せをし、呪文を唱え始めた。
「おっと、お前たちは、もう用なしだ」
ダグトの声に、二人は驚いた。
「なぜだ、ダグト! 」
「ヤミ魔道士は捕えよとの上からの命令ではなかったか! 」
ダグトの視線は、冷たく、彼らに注がれる。
「俺が、必ず、ヴァルドリューズを突き出してやる。だから、お前たちは、こいつを見なかったことにしておけ」
「なにを言うのだ、ダグト。上の命令は、絶対のはずだ。勝手なことは許されぬ。みすみすヴァルドリューズのような大物を逃したとあれば、お前にも処罰が待っているのだぞ! 」
「だから、絶対に、こいつを逃がしたりはしないって、言ってんだろ? こっちには、切り札があるんだからよ。ただ突き出して、罰するだけじゃ面白くねえ。もっとも、『魔神グルーヌ・ルー』を呼び出せる貴様は、単なる処罰では、済まされないことは、わかっているが」
ダグトの、ヴァルドリューズを見つめる瞳が、ぎらっと光る。
「ついてこい、ヴァルドリューズ。長年に渡る貴様への恨み、一気に、はらしてやる」
ヴァルドリューズの碧い瞳も、鋭くダグトに向く。
「お前には、特に恨みはなかったが、ミュミュを巻き込んでしまったことは、私にも責任はある。ミュミュの様子によっては、手加減はしない」
ダグトが、忌々しいそうに言った。
「俺に恨みはないだと? 手加減はしないだと? お前は、ああまでした俺のことを、恨みもしなければ、本当の実力を見せたことはないとも言うのか? てめえ、どこまでも、俺をバカにしやがって……! いいだろう、貴様のその思い上がりを、なし崩してやるぜ! 」
ダグトの姿は瞬時に消えた。
後を追うヴァルドリューズも消える。
取り残された魔道士たちは、どうすることもできず、しばらく二人の消えた後を見つめていた。
ヘイドの言っていた通り、ダグトの影は、東の方向へ向かっていた。
その後に、ヴァルドリューズが、ぴったりとついていく。
「この辺がいいだろう」
ダグトが突然止まった。
ヴァルドリューズも止まると、そこは、まだ空間の中であり、景色は奇妙な色合いを見せたままである。
「ここが、どうかしたのか、ダグト。お前のアジトではないはず」
「まあ、そう慌てるなよ」
ダグトは腕を組み、ヴァルドリューズから視線を反らすと、遠くを見つめた。
「魔道ってのは、いったい、誰がどうやって編み出し、何を目的としたのか、お前は考えたことがあるか? 」
ヴァルドリューズの返事などは待たずに、ダグトは続けた。
「俺は魔道士になり、お前の後を追うようにしてきた。その時、ふと考えた。一番始めに考えついたやつのことを。もしかしたら、思い付いたのは、人間ではなく、別の種族から教わったのかも知れない……とかな。最近になって知ったんだが、魔道士の塔本部には、魔道の礎とも思われるものが、ずっと保管されていたんだ。魔道士の塔は、所属している魔道士にさえ、秘密にしておく事柄が多いのは、お前も知っているだろう。上層部の人間ばかりが、情報を独り占めしてやがるんだ」
ダグトは、ちらっとヴァルドリューズに目をやるが、反応がないのがわかると、面白くなさそうに、口の中で舌打ちした。
「俺は、そんな面白そうな情報を、秘密にしてるなんて、もったいない話だと思った。俺たちの、日頃、何の意識もせずに使っている魔法の原点とも言えるものが、発見されてるんだぜ。せめて、本部の人間にだけは、それを公表する義務があるんじゃねえか? オイシイとこは、上が独り占めだぜ。それじゃあ、俺たちが、いくら上級ランクになろうが、差がつくじゃねえか」
「それが、『使えるもの』であるとわかれば、公表するだろう。上層部では、まだ対処の仕方がわからぬだけだろう」
平静なヴァルドリューズに、ダグトは、ますます面白くなさそうに、顔を歪めた。
「お前は、ベーシル・ヘイドに可愛がられてたから、上層部贔屓なんだろうけどよ、あいつらだって、何を考えてるか、わかりゃしない。それこそ、『そいつ』を使って、世界を制するつもりかも知れない。そうなりゃ、いつまでたっても、俺たちの時代なんて、来るわけがねえ。だから、俺は、こっそり手に入れてやったのさ。『そいつ』の一部をな」
ダグトが、にやっと笑った瞬間だった。
ハッと、ヴァルドリューズが顔色を変えて飛び退き、ダグトと、大きく距離を取る。
ぼわぁっ!
二人の間の空気が揺れた。
ヴァルドリューズには、何も見えなかった。
ただ透明な影が、すぐそこに現れ、それに呑まれると危険な気がしたのだ。
「さすがに、勘がいいな」
くっくっくと、ダグトが笑う。
彼の手には、いつの間にか、宝玉のついた木の杖が握られている。
「ダグト、何を……! 」
ヴァルドリューズが、見上げる。
ダグトは、にやにやしながら答えた。
「どうやら、貴様ですら、まだ知らなかったようだな。古代魔法の威力を」
「古代魔法……!? 」
ヴァルドリューズの頭の中に、ベーシル・ヘイドの言葉が甦る。
「まさか、ダグト……! 」
僅かに困惑した様子のヴァルドリューズを見て、ダグトは、満足気に笑う。
「眠らせたままでは、宝の持ち腐れだから、この俺が、甦らせてやるのさ。究極の魔法をな! 」
ダグトは杖を大きく振るい、何かの呪文を唱えた。
ヴァルドリューズの知らない呪文だ。
突如、杖から、透明の何かが噴き出した。
それは、次第に巨大なヒトのような形を作っていく。
(これは、まさか……ゴーレム!? )
ヴァルドリューズが、さっとてのひらをかざし、結界を張るが、その巨大な透明のゴーレムは、結界に触れても、何も感じなかったらしく、彼の身体を一瞬で覆い尽くしたのだった。
(呪文が効かない!? )
透明のゴーレムは、ヴァルドリューズの全身を覆うと、真っ白に染まり、彼の姿は、外からは、まったく見えなくなった。
「ふはははは! どうやら、お前の力を持ってしても、古代魔法には及ばないらしい。もっとも、現在の魔法とは、原理も異なるらしいから、対抗できるはずもないのだが」
ダグトは腕を組み、悦に入った様子で、白い巨大な人形の、丸まって、びくともしない背を、見下ろした。
「さて、お前の探していた妖精だがーー」
ダグトは、懐に、手を入れた。
ちょうど、てのひらに乗るくらいの、羽を生やした小さな人間のような少女が、周りを薄い膜ででも出来たような球の形に覆われ、ふわふわと浮かび上がった。
「ここにいるが、その様子では、見て確かめることも出来まい」
おかしそうにダグトが笑う横では、球の中の妖精は、びくびくした態度で、その光景を見た。
「ふん。恐ろしくて、声も出ないか。あれが、お前を助けに来た魔道士のなれの果てだ。まったく口ほどにもない奴だ」
ダグトが笑うのが聞こえると、妖精は、固まっている白いものを、じっと見つめた。
「……お兄ちゃん? 」
怯えながら、声をかける。
「ミュミュ、……ミュミュか? ……無事か? 」
白い塊から聞こえたのは、確かに、妖精の聞き慣れた声である。
「お兄ちゃん? ヴァルのお兄ちゃんなの!? ミュミュを助けに来てくれたの? お兄ちゃーん、お兄ちゃーん! 」
だが、必死に抜け出そうとするヴァルドリューズの意志に反して、白い個体は、ますます彼の身体をしめつけた。
「どうしたの? お兄ちゃんなら、そんな石の人形なんか、やっつけられるでしょう? どうしたの? 」
「はっはっはっ、チビ、あれは、ただの魔物などではないのだ。魔道士の使う魔法などは、まったく効かないのだ」
ミュミュは驚いて飛び上がると、自分を包んでいる球の膜を破ろうと、懸命に手で押すが、膜は破れそうもない。
「お兄ちゃん、大丈夫? 大丈夫? 頑張って! なんとか、ゴーレムをやっつけて! 」
ヴァルドリューズを必死に励ますミュミュだが、ダグトの言う通り、彼がいくら呪文を唱えようが、発動した魔法は、まるで、すべてゴーレムの身体に吸収されていくように、効果はなかったのだった。
「貴様は、もうおしまいだ。残念だったな、ヴァルドリューズ。だが、せめて、もう少しだけ、寿命は与えてやる。貴様が苦しみ、俺に呪いの言葉を吐きながら、どうすることも出来ずに、みっともなく死んでいくのを、たっぷり観賞させてもらうとしよう」
そのダグトに対し、ミュミュが、球の中で飛び上がった。
「なんてこと言うの!? ヴァルのお兄ちゃんと、勝負するんじゃなかったの? ずるいよー! ちゃんと魔法で、対決しなよー! そうしたら、ヴァルのお兄ちゃんが、あんたなんかに負けるわけないんだからねっ! 」
「やかましい妖精だ」
ダグトは、面倒臭そうにそう言うと、ミュミュの入った球を、一撫でするような仕草をした。
途端に、ミュミュの音声だけが途絶え、口をパクパクさせて、膜を叩いているだけとなった。
ダグトの声が、かろうじて耳に届いていたヴァルドリューズは、もがきながら、呻くように言った。
「ミュミュを……ミュミュを、放して、やれ……! 」
彼をしめつける白い人形ごと、ダグトは冷たい目で見下ろした。
「こんな妖精がどうなろうと、知ったことではないだろう。どうせ、貴様は、死ぬしかないのだ」
そう呟くと、ダグトは、ミュミュを懐にしまい、杖をもう一振りした。
白い塊ごと、ヴァルドリューズの姿は、あえなく、そこから、ふっと消えた。
「ざまあ見ろ、ヴァルドリューズ! 」
勝ち誇ったようなダグトの笑い声は、いつまでも、空間の中に、響いていた。