魔道士ヘイドの話
「記述によれば、一〇〇〇年前の神族と魔族の戦いによって、破れた闇の帝王『ダーク・デスター』が、一〇〇〇年の時を経て復活すると、魔族の間に言い伝えられている。そして、モンスターの増殖は、『ダーク・デスター』の復活が近いことを示す、と」
それは、ヴァルドリューズが魔道士の塔本部に勤めていた当時、上層部と、一握りの魔道士にしか知らされていないことであった。ヴァルドリューズも、そのひとりである。
そして、彼は、それを、ベアトリクスの伝説の大魔道士からも、告げられていた。
「予言に出て来る『七つの星』や『黒い盾』『金色の竜』などのキーワードは、未だ解明されてはおらぬ。上層部では担当グループが、日々研究に当たっているが、限界も感じて来ている。そこで、世界に散らばる大魔道士たちとコンタクトを取り、研究に協力を求めようということにもなった。だが、ほとんどの大魔道士は伝説上の者であり、実際には、ごく僅かしか存在しない。そこで、お前に、その辺りのことを、尋ねてみたかったのだ」
ヘイドは、険しい視線を、ヴァルドリューズに向けた。確信を持った目であった。
ヴァルドリューズは、ゆっくりとまばたきをしてから、口を開いた。
「私が出会ったことのある大魔道士は、二人。ひとりは『蒼い大魔道士』ビシャム・アジズ。もうひとりは……、ベアトリクス王国元宮廷魔道士、『黒い大魔道士』と呼ばれるゴールダヌス殿です」
ヘイドの青い瞳は見開かれ、唇が開くが、声は出ない。
しばらくして、絞り出すような声が漏れた。
「……あの伝説の大魔道士たちに、出会ったというのか! ヴァルドリューズ」
驚愕に見開かれた(とは言うものの、普通の人間の驚愕した時ほどではなかったが)ヘイドの瞳を、ヴァルドリューズの碧眼は、平然と受け止めた。
「……信じられぬ……! あのお二方に出会うとは……! 」
ヘイドは我に返って、改めてヴァルドリューズを見直した。
「しかも、お前は、ここに、こうして無事でいる。大魔道士ーー特に、蒼い大魔道士に出会って、無事でいたものなど、魔道士の塔始まって以来かも知れぬ」
「そうだろうか? 」
「何を言うか。蒼い大魔道士と出会い、正規の魔道士のままでいられた者など、存在しない。皆、彼の魔道に見入られ、魔道士の塔から脱し、彼の手先へと寝返った者のみが、生きることを許されているのだ。ここ魔道士の塔本部でも、何人の重要な魔道士たちが、彼に奪い去られていったことか……! 」
球議から手を放し、少し気持ちを抑えてから、ヘイドは再び質問した。
「もう一方の、ゴールダヌス殿の目撃情報は、どれも曖昧なものであり、大半が、彼の名を語った偽物だった。お前は、本物のあのお方にも、出会ったというのだな? 」
ヴァルドリューズが頷く。
その右手の人差し指が、自分の額を指す。
「このカシス・ルビーは、ゴールダヌス殿から頂いたものだ。私の魔力が高まったのも、彼の魔力を分けてもらったことが大きい」
ヘイドの表情は、こわばったままであった。
「……魔力を……、大魔道士の魔力を、分けてもらっただと……? 」
ごくんと、ヘイドが唾を飲む。
「……どうりで、もとから高かったお前の魔力が、更に高まったわけだ。……そして、お前は、ゴールダヌス殿から、何を命じられたのだ? 」
ヴァルドリューズは、静かに答えた。
「ベアトリクスのマリス王女を守り、共に、世界に湧き出たモンスターを、一掃すること」
ヘイドは、しばらく言葉を発しなかった。
じっと、ヴァルドリューズの表情のない瞳を見据えていたが、やがて、口を開く。
「そうか。それで、お前は、ベアトリクスの出奔した王女と、旅をしていたのか」
ヴァルドリューズの目が注意深く、考え込むように黙ってしまったヘイドに、注がれた。
それに気が付いたヘイドは、少しだけ表情を和らげた。
「心配するな。これ以上は、そちらの事情に立ち入らぬ。伝説の大魔道士の命令とあらば、私たち一介の魔道士たちは、滅多に踏み込むことはできない。大魔道士クラスの者の考えていることなと、そう簡単に理解出来るものではないのだから」
ヴァルドリューズの瞳が、多少和む。
(ヴァルドリューズのバックについているのが、ゴールダヌス殿であるとわかれば、こやつと王女が組み、禁呪をおかしているという噂にも、目をつぶるしかあるまい。ここで、真相を知ってしまえば、私も、魔道士の塔上層部として、黙っているわけにはいかず、こやつを捕えねばなるまい。だが、大魔道士殿のお考えであれば、魔道士の塔と言えども、手を出すことは出来ぬ。道理で、こやつの周りには、大きな力が働いているような気がしたものだ)
ヘイドがそれ以上踏み込んで来ないことがわかると、ヴァルドリューズも、緊張が解けた。
(お許し下さい、ベーシル・ヘイド殿。いくら上司であり、信頼して来たあなたであっても、ゴールダヌス殿の計画は、詳しく打ち明けることはできない。ましてや、魔物の予言の、二つ目の解釈なども……)
(本当のことなど、誰にもわかりはしない。大魔道士殿の解釈ですら、曖昧な部分が多いのだから)
(グルーヌ・ルーの力を使って調べたところ、大魔道士殿の計画も、マリスに獣神を召喚し、無敵の戦闘力を手に入れたところで、彼女とーー正確には獣神と、魔界の王との一触即発は避けねばならぬのかも知れないのだ)
真実を究明しない限り、やたらに話せば、混乱に陥れるだけだと、彼は思っていた。
事実、彼が、それを打ち明けたのは、ただひとり。
当のマリスではなく、途中から旅に加わった、伝説の剣を持つ戦士ケインだけであった。
その時のやり取りが、脳裏を駆けめぐる。
『よくそんなこと、簡単に言えるな? 魔道を極めると、人間らしい感情は無くしてしまうもんなのか!? お前は、マリスと、少なくとも一年は一緒に旅をしてたってのに、彼女に対して何も情は湧かなかったのか? 彼女は、ただの『サンダガー』を召喚させる道具で、お前が彼女を護るのは、魔王に対抗するまでなのか? 暴走すれば、マリスを斬るなんて淡々と言うし……!』
『サンダガーを守護神に持ったのと、一国の王女だったということが重なったために、陰謀に巻き込まれ、ややこしい敵に追われることにもなって……結局、マリスは、自分で自分の身を守るしかないのか……? 』
年齢よりも幼く見えてしまうことを、気に病んでいたケインであったが、遣る瀬なさと、もどかしさが、熱い思いとなって噴き出すその様子からは、幼さは感じられない。
『ヴァルなら、守ってやれるじゃないか。お前のような上級魔道士ならーーあの蒼い大魔道士だって、一目置いてるようだったお前の力なら、マリスを守ってやることが出来るじゃないか』
黒の大魔道士ゴールダヌスと匹敵する力を持つと言われている、蒼い大魔道士ビシャム・アジズは、マリスの高い魔力と、守護神である獣神に、深く関心を持ち、彼女の祖国ベアトリクス王国をも、手に入れたがっている。
蒼い大魔道士には、現在の魔道士の中では、敵う者はいないとされている。
魔道士の中でも、かなりの実力を持つと言われる、ここにいるヴァルドリューズも、ベーシル・ヘイドでさえも。
『だから、お前が助けてやれ』
『魔道士は剣を持たない。だからこそ、時には、剣が脅威に思えることがある』
『魔道士の力を持ってしても出来なかったことーーすなわち、マスター・ソードを手にすることが出来たというのに、なぜ、お前は、その剣を使おうとしない? なぜ、魔石をすぐに探さなかった? お前には、彼らを倒すことが出来るかも知れない。その威力を、身を以て経験したことのあるお前になら、想像の付くことではないか? 』
そうケインに告げたことは、ヴァルドリューズの本心であった。
ただ、伝説の武器を手にしているから、という安易な理由で、知り合ったばかりのケインを、簡単に信用したのではなかった。
剣の腕だけでなく、彼が注目したのは、その誠実さであった。
マリスと二人を旅をしている頃、腕っ節を自慢する傭兵が、現れたのを覚えている。 彼女とは恋仲であったにもかかわらず、誠実味に欠けており、いざと言う時は、真っ先に逃げ出すという始末であった。
『愛情なんて、思ったほど、心をつなぎ止めてはいないものね』
そうマリスが投げやりに言ったこともあったが、彼は、それは的確ではない、と思った。
『愛情』が、ということではなく、逃げ出した彼自身と、厳しい精神修行から逃げ出したかったマリス自身にも、問題があったのだと、彼だけは見抜いていた。
その後に知り合ったケイン、カイル、クレア、妖精のミュミュとの旅は、楽しく、充実していたせいか、マリスも逃げることはなく、またヴァルドリューズの気持ちも、彼らによって、徐々に解きほぐれていることも事実であった。
『ある剣士の青年とも出会うだろう。その青年が、私たちの運命に、大いに力を貸してくれることだろう』
魔神グルーヌ・ルーは、そう予言した。
剣の中の剣と言われている、北方の巨人族の持つ大剣バスター・ブレードと、魔力を司る神ジャスティニアスの造ったドラゴン・マスター・ソード。
ヴァルドリューズは初めてケインと会った時に、直感で、この青年だと思った。
彼は、ケインと行動を共にして行くうちに、漠然とではあったが、ケインに対し、信頼感を抱くようになっていった。
「さて、今日も、お前から、重大な情報をもらった」
長い沈黙の後、ベーシル・ヘイドが口を開く。
「例え、禁呪を犯していようと、やはり、お前のことは、泳がせておくに限る。だが、ヤミ魔道士狩りに精を出す連中には、いちいち説明してはおられん。魔物の予言の話すら、知らぬ者ばかりなのだから。話せば、大混乱になり兼ねぬ。悪いが、追手は自分でなんとかしてもらおう。お前ならば、それくらいは、うまく立ち回ってくれるであろう」
ヘイドは、すまなそうな顔で言った。
ヴァルドリューズも、わかっているというように、無言で頷いた。
「蒼い大魔道士はともかく、ゴールダヌス殿は、今、どのようにしておられる?
少々変わった方だと聞くが……? 」
ヴァルドリューズの表情が陰った。
「……大魔道士殿は、ベアトリクスで、ヤミ魔道士グスタフによって、倒された」
「……なんと……! 」
ヘイドは再び驚愕した。
「大魔道士ほどのお方が、ヤミ魔道士如きに!? 」
ゴールダヌスがマリスとヴァルドリューズに魔力を分け与えたため、彼自身の魔力が急激に下がり、結界が弱まってしまい、敵に見つかったのだと、ヴァルドリューズが説明する。
納得しようとするヘイドではあったが、どこか腑に落ちない思いでいる様子だ。
「……それでは、ゴールダヌス殿を探し、お知恵を頂くということは、もう無理であるのだな。お前と王女が、あのお方に、最後に出会った者であったか」
ヘイドは、なんとも言えない表情で呟いた。
ヴァルドリューズは、ふと思い出したように口を開いた。
「私たちの他に、もうひとり、彼に出会った魔道士がいる。今でも正規の魔道士として、健在なはずだ」
ヘイドが顔を上げ、ヴァルドリューズを見つめた。
「伝説の大魔道士に出会った魔道士が、まだ他にもいるというのか? それは、誰だ? 」
正規の魔道士であれば、答えても差し障りはないと、ヴァルドリューズは判断した。
「ベアトリクス王国王子セルフィスの、側付き宮廷魔道士で、ギルシュという男だ」
「ギルシュ……はて? 名前は、聞いたことがあるような……」
「私と入れ替わりに、魔道士の塔本部に入ったと聞いた」
ヘイドの瞳が開かれた。
「おお、思い出したぞ。彼は、ベアトリクス前国王の側付きであったバルカスに、引き抜かれて、ベアトリクスの宮廷魔道士となった者であった。確か、出身もベアトリクスであったな。お前とは違い、あまり人目を引かず、目立たなかったので、私もつい忘れておったのだが、……そうか、あやつも、大魔道士殿にお会いしたひとりであったか」
ヘイドは懐かし気に、目元をほころばせたが、すぐに表情を曇らせた。
「バルカスは、私の同期であり、親友であったが、魔道士の塔にも、顔を出さなくなり、行方が知れなくなってしまった。ベアトリクスでは療養中の国王が、突然、姿をくらませ、その直後に、実妹である今の女王が即位したと聞くが……。バルカスの失踪も、国王の失踪と関係があると、私は踏んでいるのだが、……いや、ここでは、関係のない話であったな」
ヘイドは呟いた後で首を横に振ると、ヴァルドリューズを見上げた。
「ベアトリクスでは宮廷魔道士が多く、組織も古くから独自のものがある。宮廷魔道士の長が、ガグラから若いザビアンに代わってから、あまり魔道士の塔にも報告に来なくなったので、あちらの状態が、今ひとつ掴めなかったのだが、機会があれば、ギルシュにも話を聞いてみたいものだ。王子の側付きとなると、彼がこちらに赴くのは難しいであろうな。折りを見て、訪ねてみるとするか」
「できれば、彼とは、あなたご自身が、内密に会って頂きたい」
「わかっておる」
ヘイドが微笑んだ。
「あの国には、魔道士の塔は、深くは干渉しない。何せ、魔道士の塔支部が、独立しているかのようなものだからな。加えて、城内では陰謀が張りめぐらされている、という噂も聞く。魔道士の塔では、そのような厄介事には巻き込まれたくはないのでな。大魔道士とのコンタクトを図ろうというのも、上層部のみでの話。下の者どもは、一切知らぬこと。ギルシュに会わねばならぬ時は、私が直接彼のもとへ赴くことになろう」
その彼の言葉に、ヴァルドリューズは安心した。
「いろいろと、貴重な話を聞かせてもらったな。この間も同様であったが、お前の方からは、私には、何も尋ねなかった。今度こそは、お前の欲しい情報を、差し障りのない範囲で、答えよう」
ヴァルドリューズは、もとの表情のない顔に戻ると、静かな声で尋ねた。
「ダグトの行方を、教えて頂けないだろうか? 」
「お前の同僚であった、あの男か」
ヘイドは腕を組み、しばらく何かを考えていた。
「あの男は、謎が多い。本部に、ちゃんと勤務はしているが、よくない噂もある。
お前とも、何かあったのか? 」
ヘイドは、ヴァルドリューズを気遣うように、見上げた。
ヴァルドリューズの表情は、変わらない。
「彼に会うのなら、心してゆくがいい。あやつは、昔から、お前に対抗意識があっただけでなく、……『あるもの』を、手に入れたと思われる。魔道士の塔内でも内密にしてきた、ある重要なものが、近頃、紛失したことと、関係しているのではないか、と上層部では睨んでいるのだが、なかなかその証拠を掴めないでいる。もし、ダグトが、その『あるもの』を手にしてしまったのだとしたら……恐ろしいことになるやも知れぬぞ」
「それほどに、強大な力なのですか? 」
ヴァルドリューズの問いかけに、ヘイドは首を横に振る。
「わからぬ。だが、今の魔道では、対処のしようがないのだ……! 」
思い詰めた様子のヘイドであったが、気を取り直し、だがまだ重い口調で告げた。
「ダグトのアジトは、『さかさまの森』の近くにあると聞く」
「さかさまの森……? 」
「次元を超えたどこかに、そう呼ばれるところがある。その近くに、彼の隠れ家があると言うが、謝って、その森に足を踏み入れてしまえば、二度と抜け出すことは出来ない。ダグト自身は、なぜだか行き来が可能だが、特殊なアイテムでも持っているのかも知れぬ。そのような危険を冒さずとも、次の彼の出勤日は三日後だ。その時に会えるよう、私が、こっそり取りはからっても良い」
ヴァルドリューズは首を振った。
「せっかくのお言葉だが、三日も待っている余裕は、私にはないのです。直接、奴のアジトへ向かう。『さかさまの森』の方向を教えてもらいたい」
「大いに危険だぞ。それでも、行くというのか? 」
慎重に頷くヴァルドリューズを、ヘイドは、じっと見つめ、窓の外を向いた。
「どうやら、お前の決心は固いようだ。『さかさまの森』は、ここから、東の方向へ二つばかりを町を越え、森林地帯から、空間に入ると近い。そこからは、勘で行くのだ。気を付けるのだぞ」
「かたじけない。それでは、これで、失礼する」
簡単な挨拶の後、ヴァルドリューズは、室内から姿を消した。
「なんとまあ、素っ気ない奴よ。その辺は、変わらなんな」
誰もいなくなってしまった部屋で、ヘイドは苦笑した。
「しかし、奴は、以前とは、どこか変わったようだ。昔は、職務に忠実ではあったが、意志というものは、あまり感じられなかった。若いくせに、妙に冷めた奴だと思っていたが、……今の様子では、大分、人間らしい感情が出て来たようだ。それなりの、熱いものが感じられるわ」
ヘイドは、窓の外を見ながら、独り言を言い、微笑んだ。