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Dragon Sword Saga8『古代の魔法』  作者: かがみ透
第 Ⅴ 話 過去
15/19

過去 2

「よお、フェイ・ロン」


 背後からの声に、フェイ・ロンが振り返る。


 声の主は、ティエ・ジエンであった。


 二人は成人しており、魔道士の着る、定番のフード付きの黒いマント姿であった。


 肩に付くか付かないほどの長い黒髪に、碧い瞳は変わらないフェイ・ロンと、短い黒髪、黒く細い瞳のティエ・ジエンは、幼い頃の面影が、多少残ってはいた。


「お前、『ヴァルドリューズ』って名前をもらったんだってな。知識の豊富な魔道士の名だっていうじゃねえか。格闘家の血筋で、腕も良かったお前にしてみれば、随分、拍子抜けさせてくれるぜ。俺は『ダグト』だ。攻撃力のあった魔道士の名前なんだとよ」


 フェイ・ロンは何も答えず、ちらっとティエ・ジエンを見ただけで、書類の整理を続けた。


「今日からは、俺も、この『魔道士の塔』本部の一員だ。よろしく頼むぜ、ヴァルドリューズさんよ」


 意地悪な口振りでそう言うと、ダグトは、ヴァルドリューズを一瞥して行った。


 しばらく、魔道士の塔に勤める年月が続く。


 そこでも、ダグトは、相変わらずヴァルドリューズに対する敵対心を指摘され、注意を受けることが多く、それが、魔道士たちの間に知れ渡っていった。


 当のヴァルドリューズ本人は、そのようなことは気にもせず、淡々と日々の仕事をこなしていた。


 相手にされていないと知ると、余計にダグトは彼に突っかかっていき、それがまた魔道士の上司たちに怒られる結果となるのだった。


 二年ほど勤めた後、ヴァルドリューズはその能力を買われ、魔道士の塔上層部に引き抜かれるという話を断り、故郷であるラータン・マオの宮廷魔道士となった。


「また俺と違う道へ行こうというのか!? お前にとって、俺などは、取るに足らん人間だというのか……! 」


 ダグトはヴァルドリューズの後を追うように、ラータン・マオの宮廷魔道士に志願した。


 ラータン・マオでは、古くからいる宮廷魔道士たちと、若い魔道士たちとの派閥があった。

 年老いた魔道士たちは、ほとんど学者のように、古い書物を解読したり、天空に浮かぶ星々の観察をしたりなど、現実にはあまり役に立たないことを研究していたので、実際に、宮廷に貢献していたのは、若い方のグループであったと言えた。


 若いとはいうものの、その中の年長は五〇代であり、最年少は二〇代前半のヴァルドリューズやダグトを含む、数人である。

 『ラータンの宮廷魔道士』と言えば、こちらを指す場合が多かった。


 ラータン・マオは、代々皇帝の治める国で、ベアトリクスの絶対王政よりも、さらに独裁色の濃い国であった。

 皇帝の命令は、どのような場合でも絶対である。例え、それが、法に触れることであっても。

 そのようなこともあり、ラータンでは、他国には公表せず、内密に行われる事柄が多かった。

 小さな国の侵略は勿論、皇帝の欲望通りに、欲しいものはどのような手段を使ってでも手に入れ、皇帝の気に入らない人物は、すぐに死罪、または抹殺してきた。


 この頃には、それまでのように権力を振り翳すことに、興味がなくなってきた皇帝は、魔道に非常に関心を寄せるようになっていった。

 彼自身、かなり年老いてもきていたので、自分の老い先を心配するようになったのだ。


 そこで、古くからいる魔道士たちには、不老長寿の妙薬を作る、または、そのような魔法を編み出すことを、宮廷魔道士たちには、この世で最強の魔神を召喚することを、それぞれ命令した。


 その二つさえ手に入れば、怖いものはない。不老不死の上、魔神の力を操れれば、東洋を統一することはおろか、世界を征服することさえ可能だ。


 そうなれば、広大な砂漠を挟んで隣国の大国ベアトリクスでさえ、(かな)うまい。


 皇帝の欲望は、果てしなく広がっていったのだった。


 新人の宮廷魔道士であるヴァルドリューズは、若くして優秀であったため、すぐに皇帝に気に入られた。

 男ながらに、その稀な美しさも、すぐに人目を惹いた。


 ある時、宮廷魔道士たちを並べ、皇帝が言った。


「どうだ、ヴァルドリューズ。お前ならば、黒い魔神『グルーヌ・ルー』の召喚は容易いであろう? 」


 お付きの美しい女たちが、皇帝の周りで、大きな羽根扇子で、優雅に仰いでいる。


 その女たちのうちにも、ヴァルドリューズを、うっとりとした目で、見つめるものも少なくない。


「お言葉ながら、陛下」


 ヴァルドリューズが進み出て、跪く。


「『グルーヌ・ルー』の召喚は、魔道士の法則で禁じられております。召喚して操ることなどは、容易ではありません。魔神が暴走すれば、このラータンなどは、一遍に滅びてしまうことでしょう。国ひとつで済めば、まだ良い方です。ですから、『グルーヌ・ルー』を召喚するなどという危険なお考えは、できれば忘れて頂き、最強の国を目指すならば、軍隊の育成に力を入れた方が確実だと思われます」


「ほほう、余の案には、賛成しかねると言うのか? 」


 皇帝の目が光るのを、その場にいた家臣たちが、ひやっとしたように頭をさらに低くし、ヴァルドリューズに注目する。


「私なら、召喚してみせましょう」


 静まり返る中で、そう進み出て跪いたのは、ダグトであった。


「この者は、魔神の召喚に自信がないから、このように申し立てているのです。私めに任せていただければ、どのような不可能な召喚魔法にも、取り組んでみせましょう! 」


「ほう! そなたは、確か、召喚魔法を得意とするのであったな。これは、頼もしい限りじゃ! 」


 皇帝は、嬉々として、ダグトを見た。


「ダグト、グルーヌ・ルーの召喚など、簡単に引き受けてはならん。世界がどんなことになるか、お前もわかっているだろう? 」


 隣で、ヴァルドリューズが囁く。


「珍しく、俺に指図するじゃねえか。俺が、貴様より劣っていない証拠に、俺が先に召喚してやるぜ」


 ダグトが、にやっと笑ってから、皇帝に視線を戻す。


「皇帝陛下のご命令は、絶対であります。陛下のお望みとあらば、何でも叶えて差し上げる努力をするのは、宮廷魔道士として、当たり前の勤め。魔神の召喚を、是非成功させてご覧にいれましょう! 」


 ダグトの言葉に、皇帝は、ますます機嫌を良くしていった。


 ヴァルドリューズは仕方なく、魔神の召喚を研究することに同意した。


「ただし、魔神の召喚は、正規の魔道士にとっては禁呪に当たるもの。私は、魔道士の塔から籍を抜いてから、研究致します」


 ヴァルドリューズは、深く頭を下げた。


「けっ、格好つけやがって! 」


 その横で、ダグトは、小さく悪態をついた。




 幾人かの新人宮廷魔道士たちは、日々、魔神召喚を研究していたが、一向にその成果は現れずにいた。


 そのような中で、ある時、ヴァルドリューズが成功した話を耳にしたダグトが、出勤日でなかったにもかかわらず、宮廷に駆けつけた。


「ヴァルドリューズ、貴様、グルーヌ・ルーの召喚に成功したとは、本当か!? 」


 呼吸を乱しながら現れたダグトに、ヴァルドリューズは、ゆっくりと振り向いた。


「全体を召喚するのは、極めて危険だったため、その知識のみを召喚するよう、心がけていたのだ」


「それで……出来たってのか!? 」


 ヴァルドリューズが頷く。


 ダグトは、その場に、ぼう然と、立ち尽くした。


「……そんな……! あの魔神を召喚するなど、無に等しかった。召喚魔法を得意とする、この俺でさえ……! 俺では、駄目なのか? なぜ、ヤツに出来て、俺には、出来んのだ! 」


 ヴァルドリューズの背を、食い入るように、彼は見つめた。


「ここでも、フェイ・ロンには勝てなかった……。ヤツと俺では、そこまで差があるというのか……!? 」


 それからは、気の抜けたように、おとなしくなってしまったダグトであったが、数日後、彼を奮い立たせた出来事が起こる。


 魔神の召喚は、どの宮廷魔道士たちも、驚くばかりであった。

 皇帝は、大満足である。

 だが、古くからいる魔道士たちは、決して、いい顔はしなかった。


 ある時、彼らは、まとまって、皇帝に会いに行き、魔神がどれほど危険なものかを、今さらながらに、皇帝に説明したのだった。


「そちたちに頼んでおいた、不老不死の妙薬は、どうしたのだ? 」


「陛下、今は、それどころでは、ありませぬ」

「そうです。あのヴァルドリューズという男、彼は危険です」


 老魔道士たちは、口々に訴えた。

 しまいには、ヴァルドリューズが魔神の力を利用して、皇帝の座を奪うつもりなのではないか、とまで言い出す者もいたほどであった。


 いざという時の決断は、それまで、この年寄りたちの言いなりになってきた皇帝は、徐々に、ヴァルドリューズを危険人物と見なしていくようになり、とうとう、彼を追放するため、宮廷魔道士たちと、兵士たちを、ヴァルドリューズにけしかけた。


 それを率先していたのが、言わずと知れたダグトであった。


「フェイ・ロン、貴様さえいなければ、俺が一番なんだ! 貴様さえ、いなくなれば……! 」


 魔道士たち、兵士たちの攻撃をよけようともせず、受け止めていたヴァルドリューズは、薄れていく意識の中で、それまで起こった出来事が、走馬灯のように流れていくのを覚えた。




『なんということだ……! なぜ、この子だけ違うのだ? 』


 厳格な顔つきの、口髭を生やした父親が、顔をこわばらせている。


 息子の目が碧いことや、整い過ぎた顔の造りが、明らかに、自分たちの血統ではないことから、父と母が言い争っているのを、幼い頃から、フェイ・ロンは、しょっちゅう目にしていた。


 母も、他の兄弟たちを見る目とは、明らかに違う、どこか怯えたような、異星人でも見るかのような、怯えた、憎悪も混じった目で、いつも彼を見ている。


 彼は、家にいるのが、だんだん苦痛になり、家の道場ではなく、外へ通うようになった。


 そのうち、彼の魔力が異様に高いとわかると、両親は、途端に、彼にやさしくなった。

 魔道というのは、人々にとって、不思議な魅力のあるもので、それからの彼は、神族たちからも神童と呼ばれるようになり、大事にされるようになった。


 だが、それでも、フェイ・ロンの心は、親、親族達から遠のいていった。

 彼らが自分を見てくれるのではなく、その異常な魔力に興味を示していたのが、幼い自分にも感じられたからであった。


 成長し、ようやく家を離れ、魔道士の塔に勤めるようになった彼は、たいした目標があるわけでもなく、なんとなく空虚な生活を送っていたが、それに対して、疑問を持つようでもなかった。


 時々、ダグトが、つっかかってはくるが、それも気にはならなかった。


 上司であるベーシル・ヘイドが、自分のいる上層部へ来ないかと誘いをかけてきたが、なぜか、ラータンの宮廷魔道士になることを選んだ。

 もしかしたら、自分の居心地の悪かったラータンを、少しでも変えたいと、思ったのかも知れなかったし、親たちの期待に応えなくてはとも、どこかで思っていたのかも知れなかった。


 現に、魔道士の塔に勤めた彼は、父母よりも収入が良く、楽をさせてあげられた。

 親戚たちも彼との血のつながりを自慢し、魔道士の塔の口利きで、良い仕事にも就けた。

 だが、彼自身は、媚びへつらう人間と、そうでない人間の区別が付くようになる一方だった。


 魔道士の塔から籍を抜き、禁呪である魔神の召喚に成功しても、自分には、いったい何が残るというのだろう。この空しさを埋められるほどのことではないように、仲間の攻撃を浴びながら、彼は、漠然と感じていた。


「なんだ、その既に、死を覚悟したようなツラは! 」


 ダグトは、ヴァルドリューズに対する攻撃に、一層パワーをそそいだ。


「お前は、幼い頃から、一緒に育った者に裏切られ、攻撃されているのだぞ。悔しくはないのか!? お前よりも劣る俺にやられていて、情けないとも思わないのか! 」


 途切れかけた意識の中で、ダグトの声が聞こえていた。


 死にかけたヴァルドリューズの美しくも血の気の引いた顔に、一層触発されたように、ダグトが、魔力を貯めた、巨大な魔法を放った瞬間、ヴァルドリューズの姿は、そこから消えた。




 窓の映像は消えた。

 暗い闇夜が見えるだけである。


 ミュミュは、いつの間にか、泣いていたことに気が付いた。

 ラン・ファの結界に包まれ、ふわふわ浮いたまま、両手で目をこすり、涙を拭った。


「……ずっと辛かったのね。二人とも」


 呟いたラン・ファを、ダグトもヴァルドリューズも見つめた。

 ラン・ファの瞳は、潤んでいた。


「ティエ・ジエンのフェイ・ロンに対しての歪んだ思いは、その実力を認めた上のことだったのね。尊敬さえも、感じられなくはなかったわ。私のことなんて、後からついてきたんじゃないの? むしろ、フェイ・ロンに対するライバル心を(あお)るために、こじつけているように、私には思えるわ」


「そんなことはない! 俺は、フェイ・ロンのことは、ただ憎んでいた! 」


 ラン・ファは、憐れむような目を、ダグトに向けた。


「あなたは、ただ愛されたかっただけよ。誰かに認められ、愛され、自分がここにいることを、証明してみせたかったのよ」


 地面に視線を落とし、孤独感をかみしめたような顔になったダグトは、キッと、ヴァルドリューズを見据えた。


「俺は、いずれ、ラン・ファを手にしたかった。それさえも、叶わなかった。なのに、貴様は……! 幼い頃から、武道や魔道の才能があり、皆に認められ、順風満帆に歩んでいった貴様は、ついに、ラン・ファまで手に入れた。ラン・ファの過去を覗き、次々と現れては消えていく男たちのことも、どれほど憎んだことか……! その最後が、貴様であったとはな、フェイ・ロン……! 」


 ミュミュが我に返り、ダグトとヴァルドリューズ、ラン・ファを見比べた。


 思わず、ラン・ファとヴァルドリューズも、顔を見合わせる。

 ラン・ファの頬が紅潮していくのに対し、ヴァルドリューズの方は、どこも変わらなかった。


「なぜ、貴様ばかりが、うまくいく? なぜ、貴様ばかりが、どこへ行っても、受け入れられるのだ!? 」


「ちょっと待ってよ! 」


 顔を赤らめたまま、ラン・ファが一歩踏み込み、ダグトを睨む。


「人のプライバシーに、勝手に立ち入らないでよ! そういうことに、魔法を使うことは、禁じられているでしょう!? 」


「そうだよ、おじちゃん、ひどいよ! 」


 ミュミュも一緒になって、ダグトを睨んだ。


 ダグトは、じろっと、ミュミュを見た。


「貴様は、さっきから、俺のことをじじい扱いしているが、俺は、ヴァルドリューズと同い年だ! わかったか! 」


 ミュミュは「ひえーっ! 」と(ひる)みながらも、おそるおそる言ってみた。


「だ、だって、ヴァルのおにいちゃんの方が、若く見えるよ。きれいだし……」


 ダグトは、ますます面白くなさそうな顔になっていった。


「容姿のことは、どうでもいい! とにかく、俺は、何もかもを手にしたフェイ・ロンが、行く先々で、その才能を知らしめ、尊敬され、特別扱いされていくのを目の当たりにするのは、もうたくさんだった。道場のお師匠も、お前には期待していた。親に見放された俺とは違い、お前は、両親とも同じ屋根の下に住んでいた。魔道の修行も順調らしいとの噂が、武道も魔道も伸び悩んでいた俺を、一層苦しめた。なぜ、貴様ばかりがトントンと行き、この俺は、いつまでたっても(くすぶ)っているのかと……! 」


 その時の悔しさを噛み締めている彼の目が、ヴァルドリューズに向けられる。


「それは、違うわ。さっき、あなたの見せた映像で、あなたが、フェイ・ロンの想いも取り込んだのを見て、わかったでしょう? 私は、確信したわ。才能のある人にだって、悩みはあるし、トントンと、何事もうまく行っているように見えても、実はそうでもない場合もある。ましてや、フェイ・ロンは、その並大抵でない能力を授かってしまったために、大魔道士にも見込まれ、大きな宿命まで背負わされてしまった。あなたや私では、抱え切れずに、押しつぶされてしまうほどのね」


 ダグトが、ぎりぎりと奥歯を(きし)ませて、ラン・ファを見た。


「……またしても、この俺よりも、フェイ・ロンの方が、(まさ)っているというのか? 」


「なにも、あなたはだめだとは言っていないわ。あなただって、実力はあるじゃない。才能のあるなしじゃないの、持っている力を、どのように使うかで、その人の価値は決まるのよ」


「俺のことは受け入れずに、ヤツのことは受け入れた。俺のことを、人間的にも、ヤツより劣っていると思っているくせに! 」


 ダグトは、だだっ子のように、ラン・ファに、自分の思いをぶつけていた。


 だが、ラン・ファは、甘い顔はしなかった。


「そう思い込んでいるのは、あなた自身よ。私のことを、本当に愛しているわけでもないくせに、都合良く、引き合いに出さないでくれる? あなたは、フェイ・ロンに執着しているだけ。彼からは、もういい加減、頭を切り離したらどうなの? ラータンの宮廷魔道士を辞めて、魔道士の塔本部に戻ったのなら、腹を決めて、本来の魔道士としての勤めを果たすべきよ」


 ダグトの顔が上気していく。


「うるさい、黙れ! もうたくさんだ! 」


 ダグトが、いきなり、てのひらをラン・ファに向け、電光の魔法を発動させた。


 ヴァルドリューズが、咄嗟にマントでラン・ファとミュミュを包む。


 電光は、マントに吸収された。


「それが、お前の愛する者に対して、することか? 」


「うるせえ! 勝ち誇ってんじゃねえよ! 」


 そう(わめ)くダグトに対し、ヴァルドリューズの目が光る。


「吟遊詩人、そこにいるのだろう」


 唐突なヴァルドリューズのセリフに、後ろから、ひょいっと出て来た男が言った。


「よくわかったね」


 ヴァルドリューズよりも、背の低い、華奢なその男は、コケティッシュに瞳を輝かせている。


「ちっ! やはり、生きていやがったか! 」


 ダグトが小さく舌打ちした。


「二人を安全なところへ連れて行け。俺は、ヤツを倒す! 」


 ヴァルドリューズにしては、珍しく感情が高ぶった口調であった。


「やれやれ、それが、人にものを頼む態度かねぇ。でも、まあ、いいよ」


 吟遊詩人は肩を竦めると、ヴァルドリューズのマントの中から、ラン・ファの手を取って連れ出し、ミュミュをてのひらの上に乗せた。


「フェイ・ロン! 」


 ヴァルドリューズは、じっと、ラン・ファの心配そうな顔を、見つめた。


「必ず戻る。ミュミュと待っていてくれ」


 静かだが、強い意志の現れた瞳だった。

 ラン・ファは頷いた。


「ミュミュ、ケインのところへ戻っていろ」


「うん! おにいちゃん、頑張って! あんなヤツに負けちゃダメだよ! 」


 ミュミュに答えるように微笑んだヴァルドリューズは、もう一度ラン・ファを見ると、ダグトを振り返った。


 ダグトとヴァルドリューズの戦闘が始まる緊迫した空気の中を、吟遊詩人はラン・ファとミュミュを結界で守ると、ふいっと、その場から消えたのだった。




「あなたは、何者なの? 」


 魔力を増強する首飾りを着用すれば、空間を渡ることの出来る彼女にとっては、見慣れた、目まぐるしく動く景色の中を移動する。

 ラン・ファの質問には答えずに、吟遊詩人は、にっこり笑った。


「あなたが、噂に名高い、伝説の女戦士さんですね? お会いできて光栄だなぁ! 」


「光栄だなんて、そんな大それたもんじゃないわ」


「いえいえ、あなたのことは、既に伝説になりつつありますよ。元ベアトリクス特殊部隊将軍、東洋出身の黒鷹の女戦士コウ・ラン・ファ子爵」


 ラン・ファが、きりっとした表情になる。


「お世辞は、もういいわ。私たちを、どこへ連れて行こうっていうの? あなたは、ヴァルドリューズの仲間なの? 」


「ああ、そうそう! その前に、お嬢ちゃんの羽を治さないとね」


 吟遊詩人は、ラン・ファの結界を解かれたミュミュを、てのひらに乗せて、包帯をほどき、背に、もう片方の手をかざした。


 ミュミュの背からは、みるみるうちに、透明の羽が二つ生え、元通り、ミュミュの身体ほどの大きさにまで、伸びていったのだった。


「わーい、治った、治ったー! 」


 ミュミュは満足そうに、羽をぱたたたっと、勢いよく羽ばたかせてから、喜んで飛び回った。


 ラン・ファは、信じられない表情で、ミュミュと吟遊詩人を見ていた。


「おにいちゃん、ありがとう! 」


「どういたしまして」


 吟遊詩人は、にこにこしながら、丁寧に、ミュミュに礼をしてみせた。


「さて、これで、安心して、あなたの質問に答えられる。どこへ行くのかに関しては、さっきヴァルドリューズさんが行っていた、『ケインのところ』へ向かいます。久しぶりに、師弟のご対面が出来ますよ」


「えっ? 」


 詩人は、驚いているラン・ファに、微笑んだ。


「あなたのお弟子さんと、一緒にいる勇者のことです。そこで、あなたがダグトに捕まる前に手に入れた情報を、彼らに届けてもらえませんか? 」


「ミュミュちゃんの話していたケインくんと、マリスは、今一緒にいるのね? 」


「ええ、そうです。彼も、伝説の勇者になりつつある人物かも知れませんよ」


 ラン・ファの頭の中には、ある元気な少年の面影が浮かび上がった。


「ダン……彼の噂も耳にしたわ。伝説の勇者になるつつある人が、彼以外にも存在していたなんて……」


 呟いてから、吟遊詩人を改めて見直すと、ラン・ファは続けて言った。


「あなたが何のことを言っているのかはわからないけど、ダグトに捕まる前に、私が手に入れた情報なんて、ベアトリクスのことしかないわよ。それが、あなたの言う伝説の勇者ケインくんとやらに、何の関係があるというのかしら? 」


「そんなに難しく考えなくても、いいんですよ。ベアトリクスの情報は、彼らの今いるところからは遠いものですから、なかなか聞こえてこないので、貴重なんです。だから、あなたのお弟子さんにだけではなく、一緒に旅をしている皆さんにも、教えて差し上げた方がいいんじゃないかなぁって、思っただけです」


 ラン・ファが、吟遊詩人を、油断のない目で見つめた。


「あなた、いったい何者なの? 魔道士とは思えないわね。そもそも、妖精の羽を治す呪文なんて、聞いたこともないわ。マリスとは仲間なの? 信用出来るんでしょうね? 」


 詩人は、何とも言えない表情で、彼女に返した。


「仲間とまで言い切れるかどうか……。あなたのお弟子さんは、いずれ、ベアトリクスに行かなくてはならなくなるでしょう。だから、ベアトリクスの情報は、なるべく彼女に伝えておかなくてはなりません。彼女の仲間たちも、一緒に向かうのですから。人伝に流れてきたものではなく、実際、目にして来た人の、確かな情報を、知らせてあげて欲しいんです。彼女が、ベアトリクスに向かう時期の判断を見誤ってしまえば、すべてが水の泡になり、全員が危険な目に合う恐れもあるのです。とりあえず、僕のことは、吟遊詩人とでも呼んでください。あなたのお弟子さんーーマリスさんを守っている勇者ケインを、さらに見守っている者、とだけ言っておきましょう」


「マリス……」


 ラン・ファが吟遊詩人から視線を反らし、しばらく物思いにふけっていた。


 ミュミュは、二人が話している間も、じっと、吟遊詩人の顔を眺めていた。


 二人の会話が途切れたところで、ミュミュが、ぱたたたっと、治ったばかりの羽を鳴らせ、切り出した。


「ねえねえ、吟遊詩人のおにいちゃん、前に、どこかで会わなかった? 」


「えっ? 」


 吟遊詩人が、ドキッとした顔でミュミュを振り返り、慌てて、ミュミュから目を背けた。


「さ、さあ……。僕、女の子の顔って、なかなか覚えないからねぇ」


「ふーん……」


 ミュミュは、しばらく首を傾げていたが、そのうち、気にしなくなった。


「さあ、もうすぐ着きますよ、皆のところへ」


 二人を連れた吟遊詩人は、空間を渡るスピードを、上げていった。


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