過去 1
「やっと本気になったようだな」
上目遣いに、ダグトが、にやりと笑う。
「待って! 」
ラン・ファの声に、皆は振り返った。
「戦う前に、聞いておきたいことがあるの」
ヴァルドリューズの腕の中から、怪我をした腕を庇いながら、よろめくように、一歩進み出た彼女が、ダグトを見据えた。
「ダグト、あなた、なぜ、そうもヴァルドリューズにこだわるの? 古代魔法まで手に入れて。仮にも、私たちは、幼い頃からの知り合い同士。戦うことに、意味なんてあるの? 最強になったのなら、魔道士の塔からも籍を抜き、あなたの目の前には二度と現れることのなかったヴァルドリューズに、わざわざ挑むことはないんじゃないの? 」
ダグトは、やれやれと、肩を竦めた。
「わからんのか? もう少し、ものわかりのいい女だと思っていたが、仕方がない。全部話してやろう。お前達の想念も取り込んで」
ダグトは、両手を抱えるような形に持ち上げ、呪文を唱えた。
そして、真顔になり、ヴァルドリューズを向いた。
「俺は、幼い頃から、ラン・ファが好きだった。そして、お前のことが、憎かったのだ、フェイ・ロン」
ダグトが、ヴァルドリューズを、もとの名で呼んだ。
静まり返った三人の間で、ミュミュには、人間たちの情念のようなもの、特に、ダグトの強い情念が、伝わったように、ビクッとした。
「このおじちゃん、ヴァルのおにいちゃん、ラン・ファおねえちゃん……、みんな、小さい頃からの知り合い……幼馴染みだった……!? 」
ミュミュは、三人を見つめていた。
「これを、見るがいい」
ダグトが後ろを振り返り様に仰ぐと、アジトの割られていない窓に、ある映像が映し出された。
ラン・ファにも、ヴァルドリューズにも、見覚えのある風景だ。
そこは、東洋の大国ラータン・マオのある街中、すなわち、三人の故郷であった。
木造の建物が映る。
東洋の伝統的な体術を学ぶ道場である。
東洋でも、特に、ラータン・マオでは、身体と精神を鍛えるため、子供達は男女ともに、武道を習うのが、昔からの習わしとなっていた。
木造の床の上では、黄色に赤い縁取りのある上下、腰に黒い帯を巻いた道着を着た子供たち、幼い子から十代半ばほどの子までが、それぞれに練習をしていた。
皆、東洋人の特徴である浅黒い肌に、黒い目、黒髪である。
中でも、特に、目鼻立ちの整った少女がいた。
髪を二つの団子のように、頭の両端で丸めている。
外見だけではなく、その子の武道の腕も、目を見張るものがあった。
明らかに、彼女よりも背の高い男子を、背負い投げた。
ひとりの大柄な、初老の男が、彼女に近付いていく。
えらの張った、顎の突き出た厳格な顔の男だった。
「ラン・ファ、手首の返しが甘いぞ」
「はい、お師匠さま」
老師は、幼いラン・ファの手を取って教える。
ラン・ファは一礼すると、練習を続けた。
休憩時間になると、子供達は集まり、わいわい話を始める。
ラン・ファの家は、ラータン・マオの外れ、南方にあった。
人口も少なく、道場もなかったので、少し名の知れたこの道場に通うため、親元を離れ、住み込みで生活していた。
同じく住み込みの子供達も、両親には、なかなか会えずに、淋しい思いをしているせいか、子供達同士は仲が良った。
毎日、親が迎えに来るような近所から通っている子に対して、意地悪をしてしまう子もいたが、道場の中では、ケンカはご法度だったため、師匠に見付かれば、厳しく罰せられる。
ラン・ファたち住み込みの子供たちは、寄り集まって座り込み、喋っていると、窓際に、ひとりでいる少年に気付いた。
「ねえねえ、あの子、誰だっけ? 」
仲間のひとりが、誰にともなく問いかけた。
「あんなヤツ、この道場にいたっけ? 」
「ほら、代々格闘家のウォン家のフェイ・ロンだよ」
ラン・ファは、フェイ・ロンを、じっと見つめた。
黒いつややかな髪が、窓から入る風になびいている。
その横顔は、あまりに整っており、感情を表に出さないところが、大いに子供離れしているため、他の子供たちは、彼には、なかなか寄りつこうとはしなかった。
「ハーフなのかな? 肌の色は一緒だけど、目は碧いし、私たちとは違う国の人みたい」
ラン・ファが言った。
「それが、あいつだけ、一族とは、目の色も、顔つきも違うんだってよ。不気味だよなぁ」
「不気味? とてもきれいな顔だと思うけど……? 」
「ああ〜、ラン・ファ、フェイ・ロンのこと、好きなんでしょ〜? 」
ラン・ファの隣にいた少女が、ひやかした。それを聞いた周りの少年たちは、途端に口を噤む。
「まさか、喋ったこともないのに。……ただ、あの子って、いつもひとりじゃない? どうして、みんな、あの子と遊ばないのかな? 悪い子には見えないのに」
ラン・ファがそう言っても、隣の少女は、からかうように笑うだけであった。
少年のひとりが答える。
「あいつ、なーんか近寄り難いんだよなー。話しかけても、あんまり喋んないし」
「ふうん……」
ラン・ファ自身も、フェイ・ロンは近付きにくいと思っていたことには変わりないので、自分から話しかけてみようとは思わなかった。
よく見ると、彼が窓の近くに立つと、いつも小鳥や虫たちが、やってくるようだ。
彼も、そのような生き物は嫌いではないらしく、手に止まらせるなどして、可愛がっているようであった。
ラン・ファは、自分よりも、二つ年下の、その少年を、しばらく見つめてから、仲間との会話に戻った。
組手の練習をしていた時だった。
ラン・ファは、仲の良い少女と組んでいる。
この日は、選ばれた少年たちだけが、ある型を教えられていた。
それを、すぐに組手に取り入れられたのは、フェイ・ロンであった。
以来、目立たなかったフェイ・ロンは、技を覚えるのが誰よりも早いと、皆の間で注目されるようになっていった。
真面目に修練に取り組んでいる姿も、師匠には買われていて、武道の筋もいいと褒められていた。
それが、逆に、子供たちからすると、より一層、彼には近付き難くなってしまったようでもあった。
ラン・ファが同じ住み込みの子たちと、道場の中を掃除していると、少年たちが、決まって、フェイ・ロンのことを悪く言うのを、よく耳にした。
武道の腕は、彼の方が上だったため、挑むこともできないのが余計に悔しかったのか、彼らは、もっぱら悪口だけで、済ませていた。
「あんなふうに、影で悪口を言っているだけなんて、かえってみっともないわ」
ラン・ファが口を尖らせて、友達に言うと、友達の少女は、またしても、冷やかすように笑うので、ラン・ファも、しまいには、何も言わなくなった。
その少年たちが、ある時、フェイ・ロンを捕まえた。
「おまえ、生意気なんだよ! 」
「親が武道家なら、わざわざここの道場に来なくたって、いいじゃねえか。親の道場で習えよ! 」
師匠が席を外した隙をついて、少年たちが、フェイ・ロンを取り囲み、攻め始めた。
囲まれたフェイ・ロンの方は、相変わらず、子供らしくない無表情な瞳のまま、少年たちを、じっと見据えている。
うんともすんとも言わない彼に、とうとう少年たちの怒りは爆発した。
「なんだ、てめえ! 俺たちよりも、ちょっと技を覚えてるからって、バカにしてんのか!? 」
ひとりが、シュッと拳を突き出した。
パシッと、フェイ・ロンが手の甲で払い除ける。
カッとなった少年は、今度は蹴りを繰り出すが、それもまた手でよけられてしまった。
他の少年たちも、攻撃を開始していたが、フェイ・ロンは全てよけ、少人数だけを相手に出来るよう躱しながら、対抗していった。
「何をしている! 」
騒ぎを聞きつけ、師匠が飛んできた。
暴れていた子供たちは、静かになり、横一列に並んだ。
見ていた少女たちが、先にケンカを売ったのが少年たちの方だと言いつけるが、師匠は、公平に罰すると言う。
ひとりずつの肩を、後ろから、幅の細い、分厚い板で、力強く叩いていく。その痛さに、泣き出す少年もいたほどだ。
師匠は、なぜか、フェイ・ロンには、他の子供たちよりも強く叩いていた。ケンカをしかけた子たちよりも。
一見ひどい扱いではあったが、師匠が、それだけ、彼には強くなって欲しいと、期待を込めているのだろう。そう感じた、ある少年は、悔しさに唇をかんでいた。
少年たちが、痛さのあまりに泣き出しても、自分だけは泣くまい、こんなことですら、彼に負けるわけにはいかない、彼は、自分よりも強く叩かれているのだから、とでも自分に言い聞かせているように、肩と背の痛み耐えているようであった。
最後まで泣かなかったのは、フェイ・ロンと、その少年、つまり、始めに彼に殴り掛かった少年ティエ・ジエンーーそれが、ダグトであった。
ティエ・ジエンは、フェイ・ロンに対するライバル心から、一層、修行に励むようになっていった。だが、追いついたと思えば、引き離されるという、ままならない思いを繰り返していくうちに、いつしかフェイ・ロンしか目に入らなくなり、彼を負かすことが、知らず知らずのうちに、目標となっていた。
ティエ・ジエンが、彼を目の敵にする理由は、他にもあった。
ラン・ファと同じく住み込みで生活している彼からすれば、近所から通うフェイ・ロンは、羨ましい限りである。
近所であっても、フェイ・ロンの両親は、滅多に道場に姿を見せることはなかったが、近くに家があるというだけで、充分、彼を妬む理由になった。
これまでは、そのような子供たちは苛めて、憂さを晴らしていたのが、フェイ・ロンにはそれが出来なかったのが、彼にとって、一番面白くないことだった。
ましてや、武道の腕も、どんなに頑張っても、彼を超せないのも、忌々しさが募る一方だった。
ある時、突然、フェイ・ロンが、道場に来なくなった。
体調でも崩したのだろうと、始めは誰も不思議にも思わなかったのが、何日しても現れないので、次第に、噂になっていった。
誰かが、師匠から聞いたことでは、彼は生まれつき、非常に魔力が高かったため、人よりも早く魔道の修行に入ることになったのだと。
これには、師匠自身もショックを受けたようであった。
このまま鍛えていけば、武道の達人となる素質を持っていたと見込んでいただけに、師匠にとっては、フェイ・ロンが辞めることが残念で、仕方がなかったのだった。
そして、もうひとり、ショックを受けたのは、ティエ・ジエンであった。
彼を叩きのめし、いつかは追い抜いてやろうと思っていた目標を失った。
フェイ・ロンのいなくなった道場では、気の抜けたようになってしまったことを、誰もが感じながら、鍛錬を重ねていた。
次に、ラン・ファが、道場から出て行くことになった。
東洋が誇る最強の武術を操る女武道家が、道場を見学した際に、彼女に目を留めたのだった。
それまで、あちこちの道場を回ったが、これはと思う少女に出会えなかった、是非、自分の技『武浮遊術』を伝授したい、そう老師に切り出したのだった。
これには、老師も渋ったが、どうしてもと、女がねばるので、ラン・ファと彼女の両親とも話をし、彼女を手放すことになったのだった。
すっかり活気がなくなり、師匠もイライラして怒りっぽくなってしまった頃、今度は、ティエ・ジエンまでが、辞めることになった。
目標を失ってしまった彼は、どうしても、フェイ・ロンに勝ちたいと思うあまり、自分も魔道の勉強をしたいと申し出したのだった。
そのような理由で武道を辞めることは許さぬと、さんざん師匠に怒られるが、調べてみると、彼の魔力も、常人より、かなり高いことがわかる。
彼の両親の魔力は普通であったが、父親の家系に、魔道士がいた。その素質を、彼が受け継いでいたようだった。
フェイ・ロンは、自宅に魔道士の教師が来て、マンツーマンで魔道の修行をしていたが、ティエ・ジエンは、道場の近くにある、魔道の学問所に住み込むことになった。
それから、しばらく月日が経った。
女武道家に、『武浮遊術』の訓練を受けていたラン・ファは、夕飯の買い出しに、町へ出向いた。ここでも、住み込みには変わりなかったので、家事も手伝わなくてはならない。
まだ十三歳ほどであった彼女だが、道場に住み込んでいた時と、同じような生活であったため、苦とは感じていないようだ。
町中には、いろいろな露店が並んでいる。野菜や果物を売っている店があれば、スープの屋台や、ちょっとした食べ物の店も、乱雑に並んでいた。
その雑踏の中で、ぴたりと、ラン・ファの足が止まった。
見覚えのある人物を見つけたのだった。
フェイ・ロンであった。
彼は、屋台で買った、肉と魚の入ったスープを、通りから離れた石段に、腰かけて、啜っていた。
「フェイ・ロン」
ラン・ファが、人混みを抜け、走っていく。
フェイ・ロンは、顔を上げるが、何も喋らない。
「あたしよ、コウ・ラン・ファ……ラン・ファよ。あなたと一緒の道場にいたわ」
フェイ・ロンは、不思議そうに、ラン・ファを見るが、よくは覚えていないようだった。
「今、おうちで、魔道士の勉強をしているんでしょう? どう? 進んでる? 」
話しかけにくかったはずのフェイ・ロンに対し、ラン・ファは、いい機会だと思ったのか、石段を上がると、彼の隣に座り、気軽に話しかけていた。
「魔道の勉強って、どんなことするの? 」
「……他の人には、話しちゃいけないって、言われてるから」
まだ声変わりをしていない、少年の声だった。
初めて口をきいたフェイ・ロンを、ラン・ファが嬉しそうに、微笑んで見つめた。
彼の方は、何事もなく、ただスープを啜っている。
「……ずいぶん、辛そうなスープね」
ラン・ファは、フェイ・ロンの手元を覗き込んだ。
赤い香辛料の粒に、油の浮いた赤いスープ。野菜の切れ端と、肉の破片、魚の身が少々入っているだけだ。
「いつも道場の帰りは、おなかが空いてたから、このスープを飲んでから、家に帰ってたんだ」
フェイ・ロンがスープの入った木の器を、差し出した。
食べ物を分け与えるのは、東洋の習慣であったため、特に珍しいことではない。
ラン・ファは、フェイ・ロンの、東洋の人種には珍しい碧い瞳に、一瞬見蕩れたように見つめてから、器を受け取り、スープを啜ってみる。
「なにこれ! かっらーい! 」
すぐに咳き込み、顔をしかめて、器を返す。
「そう? 」
フェイ・ロンは、平気な顔で、ラン・ファが辛いと思ったスープを啜り続けていた。
気が付くと、彼の隣には、小鳥が降りてきていた。
フェイ・ロンは、膝の上に乗せていた、野菜の詰まった饅頭をちぎると、小鳥に放った。
小鳥は、それをついばむと、さえずり始めた。
別の小動物、ネズミやネコも、いつの間にかやってきて、彼の横に座ったり、肩の上によじ登ったりしていた。
「どうして、フェイ・ロンの周りには、いつも動物がたくさん寄ってくるの? 」
ラン・ファは、今まで不思議に思っていたことを、この機会に尋ねる。
「さあ、わからないけど……。動物って、自然に寄ってくるものなんじゃないの? 」
「そんなことないわよ。飼っているんならともかく、野生の動物は、滅多に人には寄ってこないものよ」
「そうだったのか……」
饅頭を食べ終わった小鳥が、はばたき、フェイ・ロンの頭の上に乗った。
彼は気にもせず、スープを啜る。鳥は、彼の頭上から落ちないようにと、足を踏ん張っていた。
「そんなに大変なら、頭の上に、乗らなきゃいいのに」
と、ラン・ファが、鳥に向かい、おかしそうに笑った。
スープを飲み終えたフェイ・ロンが、膝の上に飛び乗ってきた、白い毛の長いネコを抱き上げ、ラン・ファに渡した。
「うわぁ、かわいい! 」
ラン・ファは、ネコを抱きしめた。
ネコは、バタバタと足を動かして暴れたが、フェイ・ロンが、やさしく微笑むと、自然と、おとなしくなった。
ラン・ファは、この子でも笑うことあるんだ、と少し安心したように、彼を眺めていた。
その一部始終を、物陰から、見つめていた者がいた。
ティエ・ジエンであった。
彼もフェイ・ロンと同じく魔道の道を選んだが、魔道士の教師たちに「心がよくない! 」と叱られ、思うように修行が、はかどらないでいた。
むしゃくしゃして歩いている最中に、フェイ・ロンを見つけた彼は、咄嗟に隠れた。
そして、ラン・ファが加わり、彼らが動物たちとたわむれているのを見ているうちに、以前にも増して、激しい嫉妬と憎悪が、その表情に沸き起こったのだった。
窓に映った映像は、そこで静止した。
暗闇の部屋に差し込む唯一の月明かりの中で、ダグトが、ヴァルドリューズの方を向いて、重く口を開いた。
「あの時から、ラン・ファは、貴様に釘付けだった」
「……そんなこと、あったかしら? 言われてみれば、あったようにも思うけど……」
ラン・ファが首を傾げた。
そして、ヴァルドリューズ本人は、そんなことは、まったく覚えがなさそうであった。
ミュミュは、まだラン・ファの張った球の結界の中で、ふわふわと浮かんでいて、三人の顔を、それぞれきょろきょろと、見回していた。
ダグトが表情を変えずに言った。
「お前との因縁は、成人し、正規の魔道士となってからも続く」
窓には、魔道士の塔の建物が、映し出された。
そこには、今よりも、二年ほど前のヴァルドリューズがいた。
そして、そこから始まる話は、今のヴァルドリューズの記憶にも新しいことであった。




