ダグトとラン・ファ
「なによ、急に入ってきて、なんのつもりよ? 」
ラン・ファは立ち上がり、テーブルの上の削りかけた宝石が見えないよう、さりげなくハンカチをかけた。
ダグトは、じっと、ラン・ファを見ながら、手にしている高級なドレスと、宝石の詰まった箱を差し出す。
「そういうものは、いらないって言ってるでしょう? 特に、あなたからは、何も受け取るわけにはいかないわ」
ラン・ファが、ムッとした顔になる。
ダグトは表情もなくラン・ファを見つめていたが、そのうち、持っていたドレスと宝石箱を、ベッドの上に放った。
「置いていっても無駄よ。どうせ、私は、あなたからもらったものなんて、一切身に付けるつもりはないんだから。さ、出て行ってちょうだい。用もないのに、女の部屋に、いつまでもいるもんじゃないわ」
ラン・ファが冷たくあしらうと、ダグトが彼女の肩を掴んだ。
ラン・ファは、一層冷たい目でダグトを見た。
ダグトの目が、ピクッと怖じ気付いたかに見えたが、ラン・ファの顎を掴み、無理矢理上に向かせると、強引に口づけた。
「おねえちゃん! 」
ミュミュが心配そうに叫ぶが、すぐに、ダグトがラン・ファを突き放した。
ダグトの唇の端から、僅かに血が流れていた。
ラン・ファは、無言のまま、彼を睨む。
「ラン・ファ、なぜ、そうも俺を拒絶するのだ? こんなにも、心からお前に尽くしている俺の気持ちが、なぜわからんのだ! 」
ダグトは切れた唇の血を拭おうともせずに、顔を紅潮させた。
ミュミュが怯えた目で、ダグトと、ダグトを睨んだままのラン・ファとを見る。
「この部屋にある調度品も、ドレスも、皆、お前のために手に入れてやったというのに、いつもいつも、いったい何が気に入らんと言うんだ! 」
ダグトが怒鳴り散らした。
だが、彼女の凛とした態度は、変わらなかった。
「勝手に物を押し付けておいて、それが、愛情だと言えるの? 私には、そんな豪華な物は必要ないって、いつも言ってるでしょう? どんなに、あなたが尽くした気になろうと、私の気持ちは変わらない。あなたを受け入れることは、どんな状況であれ、絶対に有り得ないのよ」
その言葉に触発され、ダグトの顔には、ますます怒りが現れる。
「そこまで、俺を拒むのか!? 強気でいられるのも、今のうちだぞ。俺にそんな口を利いたことを、すぐに後悔させてやる! 」
ダグトが呪文を唱えると、部屋の四隅から、じわじわと黒いものが沸き出していった。それらは、人の腕ほどもある、足はないが、節足動物に似た体節を持つモンスターであった。
黒いモンスターは、一斉に、ラン・ファに襲いかかった。
魔力を増強するネックレスを持たないラン・ファでも、ある程度の防御結界を張ることは出来るが、下等なモンスターと違い、それらは結界を食い破っていく。
実態が浮かび上がっては消え、いくら弾き飛ばしても、また現れる。
とうとう、ラン・ファの両手両足に絡み付き、彼女の動きを封じ込めた。
「おねえちゃん! 」
ミュミュが叫ぶ。
ダグトは、笑った。
「お前には、『武遊浮術』があるからな、迂闊には、近付けん。だが、そうなってしまえば、さすがのお前でも、自由に動くことはままならんだろう」
ダグトが合図すると、ラン・ファの身体は浮き上がっていき、ベッドに仰向けに、どさりと落とされた。
「おねえちゃん! おねえちゃん! 」
ミュミュの悲鳴のような声と、ダグトの悦に入った笑い声とが重なった。
ベッドに押さえつけられたラン・ファは必死にもがくが、やはり、魔物を振り切ることは出来ない。
「どうだ、ラン・ファ? 俺には、敵うまい? いい加減、諦めて、俺の女になれ。俺の女になれば、一生、何の不自由もなく、贅沢な暮らしが出来るのだぞ。どんな奴らがかかってこようが、俺には敵うものか。俺は、最強の魔法を手に入れたのだからな! 」
ダグトはベッドに上がると、ラン・ファの顔を見下ろした。
「最強の魔法……? 」
「そうだ。今の魔法の原点にもなっているという。従って、どんな上級の魔道士であろうとーー例え、ヴァルドリューズほどの者であろうと、それには、敵わないのだ。古代魔法を手にした俺だけが、この世で、最強の魔道士なのだ! 」
「古代魔法……! 」
ラン・ファの瞳が、大きく開かれた。
「……そういうことなの。わかったわ。あんたの使う何か特殊な魔法っていうのが」
「わかったところで、お前には、どうしようもない」
ダグトが、ラン・ファの胸に、手をかけた。
「おねえちゃん! おねえちゃんに何するの! やめてー! 」
泣き叫ぶミュミュを、ダグトが一瞥する。
その細い目に睨まれると、ミュミュは、恐怖のあまり、すくんでしまった。
どうすることも出来ずに、テーブルの上から、ハラハラしながら見ているしかない。
「俺と、一生共に暮らせ、ラン・ファ。俺は、この世で、最強の男になったのだ! 」
ダグトが、ラン・ファの襟元を引きちぎり、手首を掴むと、あらわになった健康的な褐色の肌に、食いつくように乱暴に口づけた。
ミュミュはおろおろしているうちに、次第に、しくしくと泣き出してしまった。
ふと、何も抵抗しなくなったラン・ファを、観念していると思ったダグトは、顔を上げて確かめた。が、彼の見たものは、彼女の観念した表情ではなく、冷たい、だが、どこか憐れむようでもある黒い瞳だった。
その彼女の瞳に、ダグトの手は思わず止まった。
「……哀れな人。あなたが、どんなに最強の男になろうと、そんなことでは、私の心は動かないというのに。例え、強くなくても、人の心を動かせる人っているのよ。強さだけが人間の価値を決めるのではないわ。私は、相手に強さなんて、求めない。やさしい心があればいい。それがわからないあなたを、受け入れることなんて、絶対に、有り得ないのよ」
ラン・ファは、キッと、すぐ真上にあるダグトの顔を見据えてから、続けた。
「私の心を無視した行動を取りたいなら、そうすればいいわ。そうすればするほど、私は、あなたを軽蔑する。そして、いつか、絶対に殺してやるわ! 」
ラン・ファにのしかかっていたダグトは、彼女の鋭い視線に、一瞬たじろいだ。
「くそっ! どいつもこいつも、俺をバカにしやがって! 」
吐き捨てるようにそう言うと、ラン・ファに背を向け、ふいっと部屋から姿を消した。
同時に、ラン・ファの手足を押さえつけていたモンスターたちも、ぼわぼわと消えていったのだった。
「お、おねえちゃーん! 」
ミュミュが泣きながら、ベッドによじ登り、起き上がったラン・ファに飛びついた。
「大丈夫? 大丈夫? なんにも出来なくて、ごめんね! 」
「いいえ、そんなことないわ、私は大丈夫よ。それよりも、ミュミュちゃんには、怖い思いをさせちゃって、その方が心配だわ」
ラン・ファが、いつものやさしい表情で、ミュミュを撫でる。
ミュミュは、一旦頷くが、慌てて、首を横に振った。
「ミュミュ、全然、こわくなんか、なかったよ! ホントだよ! 」
必死にそう言うミュミュに、ラン・ファが微笑んだ。
ラン・ファはミュミュを撫でると、ベッドから降り、胸まで裂けたドレスのまま、壁に備え付けてある大きな姿見の前に立った。
「あ~あ、こんなにしちゃって。まったく、あいつは、女の扱いがなってないんだから。あんなに乱暴なんじゃ、どんな女も逃げ出しちゃうわよ。それにしても、私の服は、これ一着しかなかったし、かと言ってあいつのくれたくれたモンなんか着るのは、まっぴらだし……」
ラン・ファは部屋の中をきょろきょろ見回した。
壁にかけてある大判の布に、目が留まる。東洋風の織物である。
ラン・ファはそれを壁からはずすと、端同士を捻って首の後ろで結び、ドレスを脱いでから、布を身体全体に巻き付け、腰の横でもう一方の端と端とを結んだ。
「これで、よし、と」
布の長さもちょうどよく、背の高いラン・ファでも、膝下まで隠れるほどであった。
そうして見ると、それがただの壁かけではなく、そのような服であったかのようだ。
東洋では、大判の布を、そのように、服の上から羽織ることもあった。
ミュミュは口を開けて、ぼうっと見とれていた。
「ミュミュちゃん、悪いけど、宝石を削るのを、手伝ってくれない? 」
ミュミュが、ハッとして、ラン・ファを見直した。
「もうこんなところ、我慢できないわ。なんとか今夜中に、あいつの持って来た宝石全部を粉にして、『魔除け』を作ったら、ここから脱出するのよ」
ラン・ファの真剣な瞳に、ミュミュも頷いた。
ダグトは、時空の合間を『光速』で移動していた。
魔道士の塔での出来事があった上、ラン・ファにまで拒絶され、ヴァルドリューズは、いつまで経っても見つからない。
なにもかもうまく行かないことで、相当にイライラとしていた彼は、どこか小さな異次元の森でも破壊して、すっきりしようという危険な考えになっていた。
その手頃な場所を探している最中だ。
ふいに、彼の表情が変わる。
「見つけたぞ……! ついに、見つけたぞ! 」
ダグトは方向転換し、スピードを上げる。
彼が地に降り立つと同時に、風圧が起こった。
人間界とは明らかに違う、巨大な木々ばかりが茂る、密林であった。
泥のような沼があり、大型の爬虫類系動物が、這いずっていた。
辺りを見渡していたダグトが、再び『光速』で飛ぶ。
密林が少し開け、小さな沼がいくつもある。
そこに立つ、ひとりの黒いマント姿を見つめるダグトの表情が、薄笑いへと変わっていく。
「とうとう見つけたぞ、ヴァルドリューズ。手こずらせやがって! 」
ヴァルドリューズは、普段のような表情を現していない顔で、ダグトを見る。
「今は、あの女男は一緒ではないらしいな。お前に、あんな仲間がいたとは、俺も知らなかったぜ」
「ダグト、ここでは、ここの生物に迷惑がかかる。場所を移そう」
ヴァルドリューズの申し入れに、ダグトは、口の端を上げてみせた。
「その必要はない。すべてなくなれば関係ないだろう? 」
ダグトはヴァルドリューズから目を反らさずに、てのひらを横にかざした。
ひゅうっ……ボワッ!
放たれた炎が、密林を焼き尽くす。
そばにいた爬虫類系生物たちが、慌てて、悲鳴を上げ、逃げ惑った。
「やめろ! 」
ヴァルドリューズが、ダグトの腕を掴む。
「なんだ、最初から、こうすれば良かったのか」
ヴァルドリューズの表情に多少の怒りが現れたのを、ふふんと、満足そうに笑ったダグトは、彼の手を乱暴に振り解くと、威力を増した火の球を、続けざまに放った。
ごおおおお……!
燃え盛る炎。木々や草花が焼け、バチバチと音を立て、煙が舞い上がる。
「ふう、なんとか間に合った! 」
ダグトとヴァルドリューズからは、少し離れたところだった。
吟遊詩人が、まだ被害のない密林の中に現れる。
小動物を腕に抱え、大型の動物たちは、彼の周りに円形に集まっていた。
ダグトの放った火球が落ちるよりも早く駆けつけた彼が、辺りにいた動物たちを、結界で守って運んだのだ。
「いきなり、なんてことするんだ、あいつは! もう少しで、『この世界』の生態系がくずれるところだった」
吟遊詩人は動物たちを避難させながら、遠巻きに、二人の魔道士を見ていた。
戦闘は、既に始まっていた。
二人の間には、充分な距離があり、その間を、いくつもの火球や稲妻が飛び交うが、相手に達することなく消えていく。
二人は宙に浮き、激しく空中でぶつかりあった。
それは、普通の人間の目には、あまりの速さ故に、見ることは出来ない。
それが見える者は、彼らと同じ上級魔道士か、それ以上の実力を持つ者と言えた。
だが、吟遊詩人には見えていた。
「驚いたな。ダグトのヤツも、結構やるじゃないか。あんなに黒魔法の実力があるんだったら、なにも古代魔法なんて引っ張り出さなくたって、充分、ヴァルドリューズとやり合えるだろうに」
ダグトの方は、いつの間にか、魔道士の持つ、宝玉のついた杖を取り出していた。
対するヴァルドリューズは何も持たず、ダグトのロッドを素手で防いでいる。
ヴァルドリューズが杖を使っているところは、旅の仲間たちも見たことがない。
激しい空中戦を目で追いながら、吟遊詩人は呟いた。
「杖を持たない主義の魔道士か……。どちらが有利とは言えない。すべては、実力で決まるのだから」
ダグトは、まだ古代魔法は使っていない。
このような激しい戦いでは、呪文など唱える暇はなかった。
次々とロッドから魔法を発動させるので精一杯である。
ロッドでなら、唱えなくともできる魔法が増えるのだ。
ロッドを持たないヴァルドリューズには、唱えなくとも使える魔法が多いのを、
ダグトは熟知していた。
黒魔法だけでは、自分の方が不利だと思うダグトは、古代魔法を使うチャンスを、ヴァルドリューズに魔法攻撃をしかけながら、または回避しながら、虎視眈々と狙う。
そして、そのような彼の胸の内は、ヴァルドリューズにもわかっていた。
必ず切り札として、古代魔法を使うだろうが、そうはさせまいと、ダグトの動きを封じることに専念する。
二つの黒い影は、いつまでも空中で激しくぶつかり合っては弾き飛び、再びぶつかり合うを繰り返す。
その戦況を、腕を組み、じっと見据えている吟遊詩人の瞳も、油断なく光っていた。




