ぼくが死んだらどうする?
高校に行く準備をしながら、リビングでニュースを見ていた。電車への飛び込み自殺らしい。お茶漬けを食べながらダイヤの確認をする父さん。ニュースに対して『朝から迷惑ねぇ』と不満を口にする母さん。
ぼくは何故だかこの空気が、授業で習った革命前のフランスに見えた。貴族たちの処刑を笑いながら眺める貴族たちの姿に。
でも、日本では革命は起こらない。ぼくも、起こってほしくないと思っている。
だけど、大人も子どもも、死をエンタメ化してるように感じてしまう。誰かの死に自分の思想を生やして臭い言葉や暴言を吐き、共感者を集って評価を押してもらう。
それが、なんだかグロい。
ぼくは飛び込み自殺した人の事を知らない。どんな物語があって、どんな苦しみがあって、何のために生まれたのかも、知らない。
一人の命って、本来ならとても重いはずだ。子どもの頃にそう習ってきた。自殺をするなっていう宗教には属してないけど、して良いって言う宗教なんていうのは、ないはずだ。
長い思考のせいでご飯が不味い。
こういう考えを抱くことはおかしいのだろうか。どうして両親は人の死のニュースに対して『他人事』でいられるのだろうか。
明日、会社が倒産して収入がなくなって再就職できなくなったり、離婚して生活が変わったり、詐欺に遭って全財産を奪われたりしてもおかしくない。
その時に、ぼくなら生きようと思えるだろうか。全てを諦めて『死のう』とするかもしれない。そのとき周りはどんな反応をするのかな。飛び込み自殺した人と同じなのかな。
ちょっと分からないや。訊いてみよう。
「ねぇ、父さん。ぼくが死んだらどうする?」
父さんは、ぼくの問いに笑って応えた。
「お前のどこに死ぬ要素があるんだ」
自信のある顔だった。まるで(お前の生活は俺が支えているのだから大丈夫だ)と言っているかのような表情だった。
(答えになってないな)
父さんは、きっとぼくが自殺したら驚くだろう。たしかにぼくには、悩みも何もない。そんな奴が自殺をするのはおかしい。
でも、その常識を破って、ニュースに載ってやろうとする馬鹿者だったらぼくは自殺するかもしれない。
「ねぇ母さん。ぼくが死んだらどうする?」
しばらく考えて母さんはこう言った。
「え、やめてちょうだい。そういう話はセンスないわよ」
話にならなかった。
聞いてすらくれない。
(もし……本当にぼくが死にたくなったとき、頼りになるのはこの2人じゃないのかも)
そう考えたら、少しだけ心が不安定になった。ニュースは切り替わり、アザラシ特集になる。母さんが「あらー、可愛いわねぇ」と、さっきの飛び込み自殺のことを忘れたように言った。
その瞬間がとてつもなくグロく感じた。ぼくも、大人になったら同じようになっているのだろうか。それとも、このグロさに耐えかねて自殺することもあるのだろうか。
そんな疑問を抱えて、今日も学校へ行く。不登校の子が今、何をしてるのかも知らずに。
最後まで読んでくれてありがとうございます。




