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明日もこのベンチで

作者: かも ねぎ
掲載日:2026/05/15


 芝を駆け回る子どもの声が、青空に吸い込まれていく。

 等間隔に並んだ黒いポールのガス灯。


 幅の広い白い石畳。

 花壇に整然と植えられた季節の花は、風に揃って揺れていた。


 その石畳を、彼のブーツがゆったりと打つ。


 仕事の合間。

 彼はいつもこの王立自然公園へと足を運ぶ。


 決まった時間。

 決まった道のり。

 そして、決まったベンチ。


 だが、今日だけは、すでに先客がいた。


 ベンチの端には、落ち着いたスモークブルーのドレスの女性。


 昼下がりのこの時間、他のベンチも既に人で埋まっている。

 彼は仕方無しに、女性とは反対側の端に腰掛けた。


 暖かい風。

 彼はほっと息をつく。


 だが――気になった。

 どうしても、視線がそちらへ向いてしまう。


 スモークブルーの女性が、先程からそわそわと落ち着きがない。


 彼は、ちらと隣を見た。


 きっちりとまとめられた墨色の髪の女性。その灰の瞳は、石畳を忙しくなぞっている。落ち着いた見た目なのに、瞳も指先も、じっとしていない。


 ふと、目が合う。


 彼女の灰の瞳に、焦げ茶の髪の彼が映り込んだ。


「あ……」

 

 女性は小さく声を上げた。

 彼は、その榛色の瞳を細めて、小さく頷く。


「その……指輪を落としてしまって……」


 彼女は苦く笑いながら俯いた。


「さっきまではあったんです。少し外してみようと思ったら、うっかり弾いてしまって……」

「え……それは大変だ」


 彼はベンチを立ち、その下を覗き込む。

 

「あ……そんな……申し訳ない」


 彼女も椅子から腰を浮かせるが、彼は首を振った。


「大切なものなのでしょう?

 二人で探したほうが、きっと見つかりやすい」


 女性は唇を噛むと、やがて頷く。

 席を立ち、広い石畳に視線を巡らせた。


 しばらく二人で探していたが、

 ――結局指輪は見つからなかった。


 二人は静かに隣り合ってベンチに座った。


「……あなたの手までお借りしたのに……。申し訳ないわ」

「いえ……それはお気になさらず」


 女性は細く息を吐いた。

 華奢な肩が、より細く見える。


 彼は慌てて公園を見渡した。


「ほ……ほら、鳩です」


 彼女が顔を上げる。

 白い鳩が、ぽっぽっと鳴きながら歩いていた。


「……そうですね。鳩ですね」

「白いですね」

「え? ……はい。白いですね」

「えぇっと……」


 彼はまた、視線を巡らせる。


「ほら……花壇の花、綺麗ですね。青い花……」

「デルフィニウムですか?」

「あ……そういう名前なのですか?」

「涼しげで美しいですね」

「はい。その奥の紫の花はラベンダーですよね」

「そうですね」

「あれは、僕でも名前を知ってます」


 彼が少しだけ胸を張ると、女性はそれをきょとんと見つめた。

 少し遅れて、口に手を添えて笑い出す。


「ふふ……。うふふふ」


 彼は、それを不思議そうに見た。そして、頬を指先でかく。


「……慰めようとしてくださっているのですね。

 ありがとうございます。お優しい方」

「とんでもない………。

 不器用で……うまくできず」


 女性はひとしきり笑った後、まっすぐに彼の瞳を見た。

 灰の瞳はやわらかく陽射しを受けて、水晶のように輝いている。


「いいえ。大成功ですわ。とても元気になれましたもの」


 彼はその瞳を見つめ、ふっと力を抜くように視線を外した。


「それは……良かった」


 彼はポケットから時計を取り出すと、その時間を確認した。


「……そろそろ戻らなくては」

「そうですね。私も戻らないといけませんわ」


 揃って立ち上がったとき、

 ――コトッと小さな音。

 

 彼女の服の裾から、小さな金色が転がり落ち、彼の足元へ。


 彼は、腰を屈めて、指輪を拾い上げた。


 金に、小さなアメジストが埋め込まれた指輪。


 彼は女性に向き直ると、そっと手を取って指輪をのせた。


「……見つかって良かった」


 彼女は、榛色の瞳を見上げる。


「……大切な方から貰ったものなのでしょう? 

 もう、なくされませんように」


 彼の瞳が、少しだけ寂しげに細められた。

 彼の手が、彼女の手から離れる。


「祖母の……形見なのです」


 彼女は両手で大切に指輪を包み込んだ。

 彼の瞳が、わずかに見開かれる。


「……あ……そ、そうなのですか」


 彼女は、少しだけいたずらっ子のように口角を上げた。


「男性からいただいたことは、ありませんわ」


 日傘を差したご婦人たちが、彼らの後ろをゆっくりと通り過ぎていく。

 

 柔らかい風が、彼女の後れ毛をかすかに揺らした。


 彼女がやわらかく笑むと、彼も、つられるように笑った。


「……またお会いできますか?」

「……このベンチで明日も休憩しますわ」


 時を告げる鐘楼の音。

 

 二人して、ハッと顔をあげた。


「本当に戻らなくては」

「私もです」


 頭を下げあい、踵を返す。

 別々の方向へ、早足で歩き出した。


 女性は、振り返った。


 フロックコートの裾を揺らして去る紳士の後ろ姿。


 彼女の頬が緩む。

 また前を向いて、急ぎ足で仕事場に戻る。


 いつもの王立自然公園。

 いつも揺れている季節の花。

 いつもの広い白い石畳。


 いつもの、決まったベンチ。


 だけど、明日は、少しだけ違うかもしれない。

 

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