もう一人の転生者が荒稼ぎしてたので、元営業マンとしてお近づきになりに行きました
この世界に来て三年。俺がようやく覚えたのは、期待しないことの大切さだった。
前世は群馬県前橋市で中堅メーカーの営業をしていた。三十二歳、独身、趣味は週末のサウナ。可もなく不可もない人生が、居眠り運転のトラックに突っ込まれて終わった。
目が覚めたら赤ん坊だった。——まあ、よくある話だ。少なくともこの手の小説ではよくある話だった。
ただし、俺に与えられたのはチートでも、魔法の才能でも、由緒ある家柄でもなかった。農村の三男坊。畑を耕し、たまに街に出て日雇いの荷運びをする。それが俺の異世界ライフだった。
ステータスを確認しても、目を引くスキルは一つもない。
——まあ、いいさ。前世だって営業成績は中の中だった。身の丈に合った暮らしをするのは得意だ。
そんな諦観を胸に生きていた俺の日常が壊れたのは、街道沿いの宿場町で荷運びをしていた、三年目の春のことだった。
◆
最初は手の感触で気づいた。
荷運びの帰り道、宿場町の市場を通りかかった時のことだ。露店の一つに、見慣れない銀色の食器が並んでいた。皿、コップ、スプーン。鈍く光る銀色の表面は、銀にしては白っぽく、錫にしては光沢が強い。
なんとなく手に取った。
——軽い。
ありえないほど、軽い。
見た目は金属の皿だ。だが手に乗せた重さは、まるで木の器のよう。銀でも錫でも鉄でもない。この軽さ、この質感、この銀白色。
俺の頭の中で、前世の記憶が弾けた。
アルミニウムだ。
「嘘だろ……」
隣で一緒に荷物を運んでいた同僚のドルフが、俺の呟きに首を傾げる。
「どうした、シンジ?」
「この食器……これ、何でできてるか知ってるか?」
「ああ、ルクス商会の新商品だろ。軽くて丈夫で錆びないって、貴族の間で大人気だよ。最近は王都からも注文が入ってるって話だ」
ルクス商会。その名前を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
前世で中堅メーカーの営業をしていた俺には分かる。アルミニウムは地球上で最もありふれた金属だが、精錬には電気分解が必要だ。十九世紀には金より高価だった。鍛冶場の炉と金槌しかないこの世界で、こんなものが作れるはずがない。
——こいつを作った人間は、現代の知識を持っている。
つまり、俺と同じ転生者だ。
三年間、この世界に同類はいないと思っていた。孤独を当然のものとして受け入れていた。それが——すぐ北の商業都市に、もう一人いる。
胸の奥で、錆びついていた何かが軋んだ。
期待するな、と自分に言い聞かせた。だが足は、もう北を向いていた。
◆
ルクスという男の評判は、北の商業都市エルドに着く前から聞こえてきた。
「若いのに大した男だ。石鹸って知ってるか? あれを使うと肌がすべすべになるんだ」
「蒸留酒も凄いぞ。普通の酒の三倍の値段で飛ぶように売れてる」
「ガラスの食器なんか、貴族の間で大流行だ。ルクス商会に注文が殺到してるらしい」
石鹸。蒸留酒。ガラス製品。——全て、中世ヨーロッパの技術史で転換点になった発明だ。こいつは現代知識を片っ端から商品化して、荒稼ぎしている。
だが、良い話だけではなかった。
「あの男、職人の扱いが酷いって噂だぜ。技術を教えるだけ教えて、利益はほとんど自分の懐だ」
「住民も不満を溜めてるよ。工房の煤煙が酷いのに、領主に取り入ってるから誰も文句が言えない」
俺は慎重に動いた。エルドの街で荷運びの仕事を見つけ、ルクス商会に出入りする業者に顔を繋ぎ、少しずつ内側に入り込んでいった。
前世の営業で学んだことがある。初対面で本題に切り込む奴は信用されない。まずは周辺から情報を集め、相手の性格を把握し、接点を作る。——異世界でも、人間関係の基本は変わらなかった。
三ヶ月かけて、俺はルクス商会の納品業者として定期的に出入りするようになった。
そしてようやく、本人と対面した。
ルクスは二十代半ばに見える金髪の青年だった。この世界の人間としてはやや長身で、仕立ての良い服を着て、取り巻きの商人たちを従えている。
第一印象は——嫌な奴、だった。
「おい、その樽の置き方が違う。こっちだ、こっち。——この世界の人間は段取りってものを知らないのか」
俺に向けた言葉ではなかったが、近くの荷運び人夫に浴びせたその台詞で、こいつの人間性が透けて見えた。
現代の知識を持つ自分が上、この世界の人間は下。——そういう驕りが、全身から滲んでいる。
だが同時に、俺はこいつの有能さも認めざるを得なかった。商会の運営は効率的だし、製品の品質管理も行き届いている。金の流れを見る目も鋭い。前世では相当やり手のビジネスマンだったんだろう。
問題は、そのやり手ぶりが「この世界の人間を舐めている」ことに立脚していることだった。
数回の納品を重ねるうちに、ルクスは俺に微妙な関心を示し始めた。
きっかけは些細なことだった。納品の際、俺は無意識にやっていたのだ。指示されたらまず「はい」と返事をする。荷物を置いたら「こちらでよろしいですか」と確認する。すれ違う商会の人間には軽く会釈する。次に必要な荷物を聞かれる前に「次はあちらの木箱ですね」と先回りする。
——全部、前世の営業で体に刻み込まれた癖だ。
この世界の荷運び人夫は、怒鳴られたら動く。言われたことだけやる。当たり前だ、教育の質が違う。だから俺の立ち居振る舞いは、良くも悪くも浮いていた。
「お前、他の荷運びと全然違うな」
ある日、ルクスが腕を組んだまま俺を眺めて言った。
「返事が良い。先を読んで動く。相手の目を見て話す。——この世界の人間にはいない動き方だ」
心臓が跳ねた。だが平静を装って返した。
「ありがとうございます。親のしつけが厳しかっただけですよ」
「ふうん」
ルクスは何か言いたげな目で俺を見た。——こいつ、勘は鋭い。
敵か味方か。まだ判断がつかない。俺は距離を保ったまま、観察を続けた。
◆
転機は、あまりにも間の悪い夜に訪れた。
商会の取引先を交えた宴会。俺は納品業者枠の末席で酒を飲んでいたが、異世界の酒は度数の見当がつかない。特にルクス商会の蒸留酒は、見た目の透明さに反して凶悪な度数だった。
気がつけば、べろべろに酔っていた。
宴もたけなわ。人が減り始めた頃、なぜかルクスが俺の隣に腰を下ろした。
「お前、面白いな。周りの奴は酔うと馬鹿になるのに、お前は酔っても目が死んでない」
「……あー、前の会社の飲み会で鍛えられましたからね」
——口が滑った。
前の会社。この世界に「会社」はない。
ルクスの目が変わった。酔いが一瞬で冷めたような、鋭い光が瞳の奥に灯る。
沈黙が落ちた。宴会の喧噪が遠くなる。
「……お前、」
ルクスが低い声で言った。
「今——『会社』って言ったよな?」
しまった、と思った時にはもう遅い。酔った頭がまともな言い訳を生成してくれない。
俺は自棄になって——たぶん蒸留酒のアルコール度数のせいで——本当のことを言った。
「……俺、前世で群馬にいたんですよ。前橋のメーカーで営業やってました」
ルクスの顔から、全ての表情が消えた。
五秒。十秒。永遠のような沈黙。
そしてルクスは——笑い出した。
「マジかよ。お前——グンマーかよ」
「は?」
「俺、高崎。駅前の家電量販店の裏のマンションに住んでた」
世界がひっくり返った。
「高崎……」
「お前前橋だろ? 国道17号で繋がってんじゃん。つか前橋って何があるんだっけ。県庁?」
「うるせえ。高崎こそ駅だけだろうが」
「はあ? 高崎はパスタの街だぞ?」
「そんなの誰も知らねえよ」
堰を切ったように、前世の話が溢れ出した。
焼きまんじゅうは味噌だれ以外認めるか否か。(認めるわけねえだろ。)利根川の水は冷たかったか。コンビニは前橋と高崎のどっちが多いか。どうでもいい話ばかりだった。だが——三年間、誰にも言えなかった世界の話ができる喜びが、胸の奥から止めどなく湧き上がってきた。
気がつけば互いに泣いていた。異世界の片隅で、群馬県出身の男が二人、蒸留酒を飲みながら泣いていた。
端から見たら相当気持ち悪い絵面だったと思う。
◆
あの夜から、俺とルクスの関係は一変した。
ルクスは俺を商会の「相談役」として迎え入れた。正式な肩書きはないが、ルクスの私室に出入りし、経営方針について意見を交わす立場だ。
打ち解けてみると、ルクスの素顔は思ったより普通だった。前世は高崎のIT企業でエンジニアをしていたらしい。技術には強いが、人を動かすのが下手。だから「上から押さえつける」やり方しか知らないのだ。
俺はルクスに率直に意見した。
「職人の扱いを変えろ。技術を教えるだけ教えて利益を吸い上げてたら、いずれ逃げられるぞ」
「住民への還元を増やせ。煤煙の補償もしろ。反感が溜まりすぎてる、このままじゃ暴動が起きる」
「領主に取り入るのは構わないが、領主の家臣にも顔を売っておけ。一人に依存する構造は危ない」
前世の営業で叩き込まれた「顧客管理」のノウハウを、そのまま異世界の商会経営にぶつけた。
ルクスは——聞いた。
あの傲慢で、誰の意見も聞かなかった男が、俺の言葉には素直に頷いた。
翌日には職人の給与体系を見直し始め、翌週には住民への煤煙補償金の制度を作った。一ヶ月後には家臣団への贈答品リストを俺と一緒に作っていた。
「お前の言う通りにしたら、職人の離職が止まった。つか新しい応募が増えてる」
「当たり前だ。人を大事にすれば人が集まる。営業の基本だろ」
「営業の基本ねえ。——グンマーの営業マン、案外やるじゃん」
ルクスは笑った。俺も笑った。
本当に、嬉しかった。
前世では中の中の営業マン。この世界ではただの荷運び。何者にもなれなかった俺の言葉が、初めて誰かの人生を良い方向に変えている。
——それが「俺の力」ではなく、「俺のスキル」のせいだとは、この時の俺は知らなかった。
◆
違和感に気づいたのは、相談役になって五ヶ月目のことだった。
「シンジ、新しい工房をどこに建てるか、お前の意見を聞きたい」
「シンジ、明日の領主との会食、何を話せばいい?」
「シンジ、今日の夕飯は何がいいと思う?」
——最後のは流石におかしいだろう。
あの傲慢で独善的だったルクスが、朝から晩まで俺に相談してくる。大きな経営判断から日々の食事まで。まるで——自分では何も決められない人間のように。
最初は「信頼されている」と思った。だがそれにしては度が過ぎる。
そして、ルクスだけじゃないことに気づいた。
下宿の大家のマルタさんは、毎朝俺に「今日は何を煮たらいいかね?」と聞いてくる。酒場の店主は新メニューを俺に相談してから出す。商会の番頭は、俺がいない時は帳簿をつけるのを後回しにする。
俺が何か言うと、みんなが従う。
反論がない。抵抗がない。自然に、当然のように、俺の助言に流れていく。
背筋に冷たいものが走った。
自分のステータスを開き、じっと見つめた。普段は見慣れたスキル欄。——取得スキルなし。三年間ずっとそうだった。
だが今日は、違う角度で集中してみた。前世の営業時代、契約書の但し書きに目を通すように。見落としがないか、一行ずつ。
——スキル欄の、さらに下。普段は表示されない灰色の領域に、小さな文字が浮かんだ。
【傾聴 Lv.???】
分類:禁忌
効果:対象の話を聞き、助言を与えることで、対象の意思決定に深く干渉する。
信頼関係が深いほど効果は増大する。
対象は「自分の意思で決定した」と認識する。
備考:発動は常時。解除は不可能。
文字が滲んだ。——いや、滲んだのは俺の視界の方だった。
助言をするたびに。相手の話を聞くたびに。俺は無意識に、相手の心に手を突っ込んでいた。
ルクスが素直になったのは、改心したからじゃない。
マルタさんが毎朝相談してくるのは、俺を頼りにしてるからじゃない。
全部——このスキルのせいだ。
俺がやっていたのは「助言」なんかじゃなかった。
支配だ。
吐き気がした。三年間、自分は何者にもなれないと思っていた。何の力も持たない凡人だと。だが実際には、出会った人間を片っ端から操り人形にしていたのだ。
無自覚に。善意で。——だからこそ最悪だ。
◆
その夜、俺はルクスの私室のドアを叩いた。
「話がある」
ルクスは書類から顔を上げた。俺の顔色を見て、酒ではなく茶を淹れた。——五ヶ月前の傲慢な男なら、こんな気遣いはしなかった。それも俺のスキルのおかげか。そう考えると余計に気分が悪くなった。
全てを話した。隠しスキルのこと。効果のこと。お前が俺に従うのはスキルのせいかもしれないこと。
言い終わった後、ルクスは長い間沈黙していた。
蝋燭の炎が揺れる。窓の外で夜鳥が鳴いている。
「……知ってた」
ルクスが口を開いた。
「は?」
「途中から薄々気づいてた。三ヶ月目くらいか。お前の言葉に逆らおうとすると、頭の中にもやがかかるんだよ。——普通じゃないと思った」
「なら、なんで——」
「お前の助言が全部正しかったからだ」
ルクスは俺の目をまっすぐに見た。
「職人を大事にしろ。住民に還元しろ。人を見下すな。——全部、俺が本当は分かってたのに目を逸らしてたことだ。前世でもそうだった。技術はあるのに人間関係で躓く。自分でも分かってるのに直せない。——お前のスキルのおかげで、ようやく素直になれたんだよ」
「それでも操ってたことに変わりはない」
「ああ、そうだな。気分は良くない」
沈黙が落ちた。重い沈黙だった。
俺は唇を噛んだ。三年間求めていた「仲間」が、自分の手で壊れていく音がした。
「……このスキル、封印する方法を探す。だからそれまでは——」
「もったいなくね?」
ルクスが遮った。罪悪感に沈む俺を、蝋燭の炎を映した琥珀色の目がまっすぐ射抜く。
「金と技術は俺が持ってる。商品で民の暮らしを良くすることはできる。——だけどな、シンジ。上に立つ人間の心は、石鹸じゃ変えられねえんだよ」
「……何が言いたい」
「俺の経済力と、お前の【傾聴】。二つ揃えば——この国ごと変えられる」
息が止まった。
「領主に取り入って、話を聞いて、助言する。お前が信頼を築いた相手は、お前の言葉を自分の意思として受け入れる。領主の上の貴族も、そのまた上も——全部だ」
「……国盗りをやれってか。群馬の営業マンに」
「そうだ、国盗りだ」
ルクスは悪びれもせずに言い切った。
「お前の【傾聴】で上を操って、俺の金と技術で下を固める。二人で丸ごと乗っ取るんだよ、この国を」
——馬鹿げてる。荒唐無稽だ。だが、ルクスの目は笑っていなかった。本気だ。こいつは本気で言っている。
そして——俺の胸の奥で、錆びついていた何かが外れた。
三年間、期待しないことだけを学んで生きてきた。だがもう、期待しない理由がない。
「……やるか」
「おう。やるぞ」
俺は杯を取った。蒸留酒を注ぎ、もう一つの杯をルクスに差し出す。
二つの杯が、乾いた音を立てた。安い陶器の音だった。だがその音は——国を獲ると誓った、二人の群馬県民の契約の音だった。
ルクスが酒を一口飲んで、思い出したように言った。
「そういやシンジ、一つ面白い話がある」
「なんだ」
「この街の領主——ハインリヒ伯の屋敷にな、妙な奴がいるんだよ。伯の末の娘なんだが」
「妙って?」
「五歳のガキのくせに、たまにありえない知識を出す。先月なんか、商会に視察に来た時に俺のガラス工房を見て『ソーダ灰の配合比、少し高くないですか』って言いやがった。——五歳がだぞ?」
アルミの精錬を知っている俺。石鹸やガラスを作るルクス。そして——ガラスの配合比に口を出す五歳児。
「……転生者か」
「たぶんな。だがとぼけてやがる。普段はおとなしい令嬢を演じてて、ボロを出すのは年に数回。——俺が探りを入れても、にこにこ笑ってかわすだけだ」
ルクスが杯を置いて、にやりと笑った。
「営業マンの出番じゃねえか? あの手のポーカーフェイス、崩すの得意だろ」
俺も笑った。口元だけじゃなく——腹の底から。
「行くか。まずはそいつの正体を暴きに」
窓の外で、夜が白み始めていた。
(了)




