表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血の中の宇宙  作者: 普通


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/17

内なる発熱

1885年、盛夏。


湿気は重く、夜も冷えない。


その夜、ドランは巡回を終えたあと、珍しく椅子に腰を下ろしたまま動かなかった。


「少し寒い」


そう言って、腕を擦る。


外気は温い。

寒さを感じる理由はない。


ラヴランは顔を上げる。


「体温を測れ」


水銀柱がゆっくりと上がる。


38度。


ドランは苦笑する。


「疲労でしょう」


だがその一時間後、悪寒が始まった。


歯が鳴る。

毛布が震える。


ラヴランは時計を見る。


午後四時を少し過ぎている。


胸の奥が、静かに冷える。


採血。


顕微鏡。


視野の中央に、輪状体。


数はまだ少ない。


だが確かに、いる。


ラヴランは焦点を合わせ直す。


誤認ではない。


ドランの血液の中に、

彼らが追い続けてきた寄生体がある。


「先生」


ドランは震えながら言う。


「記録を……」


その言葉は、研究者のものだった。


ラヴランは頷く。


発症時刻。

悪寒の持続時間。

発汗開始。


全てを書き留める。


手は、わずかに震えていた。


発作は三時間続いた。


やがて大量の汗とともに熱が下がる。


ドランは蒼白な顔で横たわる。


「刺された記録は?」


ラヴランは問いかける。


ドランは目を閉じたまま答える。


「三日前の夕刻……二か所」


三日。


記録と一致する。


だがそれだけでは足りない。


彼は湿地にも出入りしていた。

患者の血液にも触れている。


感染経路は特定できない。


夜。


ラヴランは一人で顕微鏡を覗く。


ドランの血液標本。


寄生体は、成熟へ向かっている。


彼は思う。


もしこれが自分だったなら。


もし誤りなら。


研究は続かない。


責任の重みが、胸に落ちる。


自分の仮説が、同僚を危険に晒したのではないか。


だが彼は知っている。


彼らは同意して、この研究に立っている。


未知へ踏み込むことを選んだのは、二人だ。


翌日。


ドランは発汗後、やや回復する。


だが脾臓は腫れ、顔色は悪い。


「周期を見ましょう」


彼は弱い声で言う。


ラヴランは止めようとする。


「休め」


「いいえ。これは機会です」


科学者の目が、まだ消えていない。


三日後。


再び悪寒が始まる。


ほぼ同時刻。


採血。


寄生体は明らかに増えている。


分裂像。


発作直後に数が減少。


ラヴランは記録を閉じる。


周期性は、明瞭だ。


だが感染経路は、依然として霧の中にある。


ドランは兵舎にもいた。

患者にも触れた。

刺咬も受けた。


どれが橋だったのか。


特定できない。


「先生」


発作の合間、ドランが言う。


「もし私が回復したら、

 再び同じ環境に戻ります」


「なぜだ」


「確かめたい」


ラヴランは答えない。


確かめるとは、再感染を意味する。


危険だ。


だが知識は、時に身体を代償に求める。


数日後、ドランは徐々に回復する。


寄生体は減少し、発作は軽くなる。


完全ではないが、命に別状はない。


ラヴランは安堵を表に出さない。


ただ静かに記録をまとめる。


刺咬歴あり。

患者接触あり。

湿地滞在あり。


経路、未確定。


紙の上では、感情は削ぎ落とされる。


だが胸の奥では、別の思いが渦巻く。


もし媒介が昆虫なら、

我々は常に無防備だ。


もし接触なら、

研究そのものが危険だ。


もし空気なら、

防ぎようがない。


夜。


ドランは静かに眠っている。


ラヴランは窓を閉める。


羽音が遮断される。


だが彼は確信していない。


閉めたことで防げるのかどうか。


彼は日記に書く。


寄生体は、我々の内側にも入り得る。


真実を追う者も、例外ではない。


それでも我々は記録する。

恐れよりも、理解を選ぶために。


ランプを消す。


暗闇の中、病棟は静かだ。


だが血の中では、

微小な生命が規則正しく循環している。


橋はまだ見えない。


だが今やその存在は、

二人の身体に刻まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ