表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血の中の宇宙  作者: 普通


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/17

時間の痕跡

1885年、初夏のアルジェ。


日が長くなり、夕刻の湿気が濃くなる。


その時間帯に、発作は多い。


ドランは気づいていた。


だが彼は、それを口にする前に、記録を始めた。


病棟の巡回後、彼は兵士一人ひとりに尋ねる。


「昨夜、刺されましたか」


最初は曖昧な答えが返る。


「たぶん」

「覚えていない」

「何かに」


曖昧さを減らすため、彼は方法を変える。


夜間、兵舎に入り、

ランプの下で刺咬痕の位置と数を記録する。


腕。首筋。足首。


同時に、体温を測り、脈を記す。


時間を書き込む。


二十時。二十一時。二十二時。


ラヴランは黙ってその作業を見守る。


「まだ因果は示せない」


彼は言う。


「分かっています。

 ですが、時間は嘘をつきません」


ドランの声は落ち着いている。


数週間が過ぎる。


記録帳は厚みを増す。


刺咬の有無と発症までの日数。


三日後に高熱を出す者。

四日後の者。

発症しない者。


完全な一致はない。


だが、完全な無関係でもない。


「刺された者の方が、発症率は高い」


ドランが言う。


ラヴランは慎重に答える。


「湿地に近い者ほど刺されやすい。

 それだけの可能性もある」


相関は因果ではない。


数字は、解釈次第で形を変える。


ある夜、二人は兵舎に残った。


窓を閉めた部屋と、開けた部屋。


刺咬数の差を比較する。


翌朝、閉めた部屋の兵士は刺されていない。


開けた部屋では複数の痕。


だが発症は、まだ起こらない。


「潜伏期間があるのかもしれません」


ドランが呟く。


「血中の成熟には時間が必要だ」


ラヴランは顕微鏡を思い出す。


輪状体が増え、色素を蓄え、

やがて分裂するまでの周期。


もし外から侵入するなら、

その最初の瞬間は見えていない。


記録を重ねるうち、

一つの傾向が浮かぶ。


発症前数日の夕刻、刺咬を受けたという証言が多い。


だが例外もある。


全く刺されなかったと主張する者が発症する。


逆に、多数刺されても発症しない者がいる。


「免疫かもしれません」


ドランは言う。


「以前に感染した者は、軽症で済む可能性がある」


それは新たな仮説を生む。


寄生体は体内に残るのか。

再感染は起こるのか。


問いは増える。


パリへの報告書には、こう記された。


刺咬と発症の間に一定の時間的関連が示唆される。

ただし決定的証拠には至らず。


返答は慎重だった。


興味深い観察だが、偶然の可能性を排除できない。


紙は冷静だ。


だが現場では、数字が重みを持つ。


ある夕方、若い兵士が言った。


「先生、昨夜は窓を閉めました。

 刺されなかった」


その三日後、彼は発症しなかった。


偶然か。


それとも。


ラヴランは何も言わない。


記録帳に線を引くだけだ。


夜。


顕微鏡の前で、ラヴランは考える。


もし昆虫が媒介なら、

寄生体は体外で何らかの変化を受けるはずだ。


だがそれを観察する術がない。


今は、時間の痕跡を追うしかない。


彼は日記に書く。


刺咬は、可能性の一つに過ぎない。

しかし時間の列の中で、

それはしばしば発症の前に現れる。


我々はまだ、橋を見ていない。

だが川の流れは、同じ方向を示している。


窓の外で、羽音がかすかに響く。


それはまだ答えではない。


だが今や、それは

単なる環境音ではなくなっていた。

ありがとうございました

感想をいただけるとありがたいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ