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血の中の宇宙  作者: 普通


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見えない橋

1884年、アルジェ。


原因は見えた。


だが、道は見えない。


血液中の寄生体は、疑いようがない。

しかしそれが、いかにして別の身体へ渡るのか。


ラヴランは机に地図を広げていた。


発症した兵士たちの配置。

宿舎の位置。

井戸。

沼地。


赤い印が点在する。


「偏りがあります」


ドランが言う。


「湿地に近い兵舎ほど多い」


「空気の質か、水か」


ラヴランは呟く。


瘴気説を完全に捨てきるには、まだ材料が足りない。


最初に疑ったのは水だった。


井戸水を採取し、沈殿物を観察する。


濁りの中に微生物はいる。

だが血中の寄生体と一致する像は見つからない。


煮沸した水を飲ませた兵士も発症した。


水単独説は、揺らぐ。


次に土壌を調べた。


沼地の泥を乾燥させ、粉末にして観察する。


植物片、昆虫の残骸、細菌様の構造。


だが血中で見るあの輪状体は、現れない。


「空気中に浮遊する可能性は」


ドランが提案する。


二人は湿地で布を振り、粒子を集める。


だが顕微鏡下に、決定的な像はない。


空気は、あまりに広すぎる。


証明が難しい。


ある日、彼らは奇妙な事例に出会う。


湿地から離れた高台の兵士が発症した。


井戸も別だ。


「説明がつきません」


ドランは記録帳を閉じる。


ラヴランは黙って考える。


感染は、場所だけではない。


時間帯か。


接触か。


血か。


「輸血は?」


ドランが言う。


負傷兵への輸血が、ごく稀に行われる。


彼らは過去の記録を調べる。


だが発症者の大半は、輸血歴がない。


血液そのものが媒体なら、もっと限定的になるはずだ。


夕刻。


病棟の窓を開けると、外気が流れ込む。


同時に、小さな羽音が混じる。


ラヴランは無意識に手で払う。


「この季節は多いですね」


ドランが言う。


「何が」


「虫です」


窓辺に、小さな影がいくつも止まっている。


湿地に近い兵舎ほど、多い。


ラヴランはしばらくそれを見つめる。


だがすぐに視線を戻す。


「兵士は虫に刺される前から発症している例もある」


思考はそこで止まる。


刺咬と発症の正確な時間関係は、まだ整理されていない。


二人は接触経路を追う。


同じ食卓。

同じ寝具。

同じ作業。


しかし発症は、必ずしも隣り合った者同士で起こらない。


規則性があるようで、ない。


ある夜、ドランが言う。


「寄生体は血液内で成熟します。

 ならば血液が外へ出る瞬間が必要です」


「傷か」


「あるいは何かに吸われるか」


その言葉は、部屋に残る。


だが確証はない。


推測は、証明にならない。


数日後、彼らは一つの小実験を試みる。


発作期の患者の寝具を、健康な兵士の部屋へ移す。


結果は陰性。


次に、発症者の汗を布に含ませる。


これも陰性。


感染は、もっと限定的かもしれない。


もっと瞬間的かもしれない。


夜。


ラヴランは顕微鏡を覗きながら考える。


寄生体は赤血球の内部にいる。


外界に出れば脆弱なはずだ。


ならば、血液が直接移動する仕組みが要る。


彼は窓の外を見る。


夕闇。

湿地。

静かな水面。


羽音が一瞬、耳をかすめる。


だがそれは、数ある環境要因の一つに過ぎない。


まだ仮説の列の中に埋もれている。


水。

空気。

接触。

血液。

昆虫。


可能性は多い。


証拠は少ない。


ドランが言う。


「先生、我々は遠回りをしているのでしょうか」


ラヴランは首を振る。


「遠回りではない。

 道を削っている」


真実は一つでも、

そこへ至る道は無数にある。


彼らはその枝を一本ずつ折っている。


日記に記す。


感染経路は、霧の中にある。


だが霧は、形を持つ。

近づけば、輪郭が現れる。


我々はまだ、霧の中を歩いている。


ランプを消す。


闇の中で、小さな羽音がかすかに響く。


それはまだ、答えではない。


ただの環境音だ。


だがいつか、その音が意味を持つ日が来る。


今はまだ、

見えない橋を探しているだけだ。

ありがとうございました。

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