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血の中の宇宙  作者: 普通


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2/17

懐疑の都市

このテーマ難しい

1881年、パリ。


冬の空は鉛色だった。


アルジェの白い光とは違う。

ここでは光さえも、批評するかのように冷たい。


ラヴランは医学アカデミーの廊下を歩いていた。

石造りの壁が、足音を反響させる。


手には標本箱。

乾燥させた血液塗抹標本が、薄いガラス板の上で眠っている。


あの運動体。

あの、血の中で震えた糸状突起。


今日、それを示す。


扉が開く。


部屋には、灰色の髭をたくわえた教授たちが並んでいた。

細菌学がようやく形を成し始めた時代。

コッホの名が語られ、パスツールが尊敬される。


だがそれでも、マラリアは「瘴気」の病だった。


ラヴランは淡々と説明した。


「患者の血液中に、色素を含む寄生体を確認しました。

 それは自発的な運動を示します」


顕微鏡が回される。


沈黙。


やがて、一人が言った。


「色素顆粒の熱運動だ」


別の声。


「赤血球の変性だろう」


「空気感染を否定する根拠にはならない」


ラヴランは反論しようとした。

だが、言葉は喉で止まる。


彼らは見ている。

だが、見えていない。


夜。


安宿の机にランプの光が揺れる。


ラヴランはスケッチを広げた。


球体。輪状体。色素顆粒。

そして、あの糸状突起。


あれは偶然ではない。


もし誤りなら、なぜ同じ像が何十例も現れるのか。


彼は再び顕微鏡を覗く。


アルジェで採取した標本。


静止している。

動きはない。


あの瞬間は幻だったのか。


疑念が、ゆっくりと広がる。


翌朝、彼はアルジェへ戻る決断をする。


証明は、実地でしかできない。


パリは理論を求める。

アルジェは、事実を差し出す。


1882年、再びアルジェ。


軍病院の廊下に、あの湿った熱気が戻る。


若い兵士が担ぎ込まれる。


「三日熱です」


周期性のある発作。

悪寒、戦慄、発汗。


ラヴランは採血する。


顕微鏡。


赤血球の内部に、輪状体。

黒色顆粒がゆっくりと動く。


そして。


球体が破裂する。


内部から、無数の小体が飛び出す。


ラヴランは息を呑む。


分裂。


これは病的変化ではない。

増殖だ。


生き物でなければ起こらない。


彼は震える手で時間を記録する。


発熱の周期と、寄生体の変化。

発作前に成熟し、発作後に分裂する。


病のリズムと、寄生体のライフサイクルが一致している。


偶然ではない。


その夜、病棟で一人の兵士が亡くなる。


若い。

まだ二十にも満たない。


ラヴランは亡骸の脾臓を解剖する。


黒く腫れ上がった組織。


血液中と同じ色素が沈着している。


顕微鏡下で、無数の寄生体が見える。


彼は静かに呟く。


「君を殺したのは、空気ではない」


窓の外で、蚊が羽音を立てた。


彼はまだ知らない。


その小さな羽音が、物語の次の扉であることを。


パリからの書簡が届く。


「さらなる証拠を提示せよ。

 再現性と伝播経路の証明を求む。」


伝播経路。


血の中にいる生物が、どうやって別の人間へ移るのか。


血は飛ばない。

空気中にも見えない。


ラヴランは窓辺に立つ。


夕暮れ。

沼地から立ち上る湿気。


兵士たちは夕刻になると発熱する。


そして夕刻、最も多いもの。


蚊。


彼はゆっくりと振り返る。


まだ仮説にすぎない。


だが血の中の宇宙は、必ずどこかと繋がっている。


目に見えぬ道がある。


ランプの火を見つめながら、彼は日記に記す。


真実は、常に小さい。

だがそれを否定する声は、大きい。


私は今日、血の中に増殖を見た。

ならば次は、移動を見つけねばならない。


夜は深い。


だが顕微鏡の視野の中では、

微小な生命が確かに動いている。


人類が何千年も恐れた病は、

もはや「悪い空気」ではない。


それは、生き物だ。


そして生き物ならば、

道がある。


ありがとうございました。

感想をいただけるとありがたいです。

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