アルジェの夏
思い付き作品なので温かいでお願いします。
1878年、アルジェ。
朝焼けは白く、容赦なく大地を焼く光へと変わる。
軍病院の窓を開けると、乾いた熱気と共に、砂と汗と消毒液の匂いが流れ込んだ。
アルフォンス・ラヴラン軍医は、机に置かれた報告書を見下ろしていた。
「断続熱」
「三日熱」
「悪寒、戦慄、発汗」
患者は増え続けている。
フランス軍の若い兵士たちが、異国の地で高熱にうなされ、数日おきに震え、やがて衰弱していく。
原因は「瘴気」だと、皆が言う。
沼地から立ち上る悪い空気。腐敗した植物。熱帯の気候。
だがラヴランは、その説明に満足できなかった。
空気は見えない。
だが、血は見える。
彼は顕微鏡に目を落とす。
血液塗抹標本。
染色はまだ粗く、焦点はわずかに揺らぐ。
赤血球の海の中に、淡い影がある。
「……これは何だ」
丸い。だが、均一ではない。
内部に黒い顆粒がある。
彼は椅子を引き寄せ、さらに倍率を上げる。
黒い顆粒が、わずかに震えた。
その夜、若い伍長が搬送された。
激しい悪寒のあと、40度を超える高熱。
汗が止まらない。
脾臓は腫大している。
ラヴランは患者の血を採取し、すぐに顕微鏡へ向かった。
そして、見た。
赤血球の内部で、黒色の色素を持つ何かが形を変えている。
空気ではない。
沼ではない。
これは、生きている。
「寄生体……?」
言葉にした瞬間、背筋に冷たいものが走る。
もしこれが真実なら、マラリアは瘴気ではない。
血液中の生物による感染症ということになる。
それは、医学界の常識を覆す。
翌日、同僚の軍医ブリアンに標本を見せた。
「ただの変性だろう。熱による血液の変化だ」
「違う。動いている」
「顆粒が揺れているだけだ」
ラヴランは言い返せなかった。
顕微鏡は完璧ではない。
染色技術も未熟だ。
自分の目が誤っている可能性もある。
だが、あの動きは。
彼は夜通し観察を続けた。
そして数日後、決定的な瞬間が訪れる。
1880年11月6日。
その日は、風が強かった。
患者の血液を覗き込んでいたラヴランは、突然息を呑む。
黒色顆粒を含んだ球体から、細い糸のようなものが突き出した。
それは振動し、激しく揺れた。
まるで生き物が触手を伸ばすように。
ラヴランは立ち上がり、椅子を倒した。
「これは……動いている……!」
偶発的な揺れではない。
内部から生じた運動だ。
血の中に、独立した生命がいる。
彼は震える手でスケッチを描いた。
顆粒、輪状体、糸状突起。
この瞬間、千年以上「悪い空気」と信じられてきた病の正体が、顕微鏡の中で姿を現した。
だが発見は、祝福ではなかった。
パリの医学会は懐疑的だった。
「細菌ですら新しいのに、原虫だと?」
「妄想だ」
「熱帯の熱にやられたのではないか」
ラヴランは孤立した。
それでも彼は標本を送り続け、論文を書き続ける。
血の中の宇宙を、誰かが理解する日を信じて。
夜、彼は日記にこう記す。
私は悪い空気を見たのではない。
私は、血の中の星を見たのだ。
顕微鏡の向こうに広がる微小な世界。
そこには、人類の無知と、未来の医学が同時に存在していた。
ラヴランはまだ知らない。
十数年後、蚊が媒介者であることが証明されることも。
そして、自らがノーベル賞を受けることも。
今はただ、暗い室内でレンズを覗く一人の軍医に過ぎない。
だがその瞳は、歴史の向こう側を見ていた。
ありがとうございました。
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