チュニジアの夜
熱帯夜は男が欲しくなる。
モヒートで唇を潤して、暗い海の上に広がる星空を見つめる。
がんばれ、自分。大人な女を演じるのよ。目指せワンナイト。心の中で燃えるようなラテンのリズムを奏でる。
基本、まじめと言われる生活を送ってきた。でも、カレシは欲しいわけ。相思相愛なんて面倒臭いことは言わない。たまに会って、食事して、ホテル行くくらいの関係。昨今、インバウンドでシティホテルは高いから、なんなら相手の部屋でいい。
なのに、そんなささやかな希望すら叶わない……まま。気づいたら、コドオバ。
前に、一大決心をして遊ぼうって思ったことがある。マッチングアプリで出会って、銀座でパンケーキ食べてたら、近所のおば様に会ってしまった。
「ちょっとぉ、美咲ちゃん?」
げ。
立ち上がってご挨拶。ああ、今日は帰らないと。男と一緒だったのがバレてしまった。なんとか次に会う約束を取り付けつつ、その日は帰宅。すでに母には連絡が入っていた。
「なんだ。帰ってきちゃったの? そこそこイケメンだったって」
「ああ。えーっと。お隣さんにお会いしたの。びっくりしちゃった」
隣といっても、ビルを2つ隔てたお家。家はビルの谷間にある。
「ナイフとフォークすら、上手く使えない人って聞いたわ」
いーんだよ。セックスにナイフもフォークも要らないから。
「そーだったかな?」
とぼけておいた。
「美咲ちゃん、お父様の知り合いの息子さんと、今度ゴルフを一緒に」
「嫌!」
「お願いよ。お父様を助けてあげて」
「私だって忙しいの。仕事あるし」
くっそう。なんだって東京に星の数ほどあるカフェの1つで運命的に近所のおば様と会わなきゃならないわけ。
あの日、自室で友達のQちゃんにメッセージを送った。
『家、出たい』
『また言ってるw』
当時、私はQちゃんと長期休暇のたびに旅行していた。京都、北海道、パリ、NY、上海。
そのQちゃんとは、アラスカでオーロラを見たのが最後。
あのとき、Qちゃんが「アラスカに行きたい」って言って、私は「チュニジアに行きたい」って言った。ちょうど冬だったから、オーロラを見に行った。感動的だった。今度はチュニジアだねって言ってたのに。
感傷に浸りながらモヒートを飲む私、いい女に見えているかも。
日本では、他にも失敗してる。合コンでつかまえようと思ったわけ。なのに、父の知り合いの息子がいた。「美咲さんはオレが送るので」としっかり家まで送り届けられた。帰宅時刻は20時半。ふざけるな。親には「友達の家に泊まる」って言ってあったんだよ。
チュニジアはイスラム圏。それほど厳格ではなく、髪を隠していない女性は多い。けれど、イスラム圏外からの旅行者の露出は刺激的らしい。男性は野生的で積極的。願ったり叶ったり。きっと誰かが声をかけてくれるはず。私が着ているカットソーはフレンチ袖。体の線が想像できる。首の周りも普通に空いている。あくまでも普通。ふわりとしたスカートは膝丈。この国の男性にとっては華奢で魅力的な脚がにょっきりのはず。
「一緒に飲みませんか?」
かかった! 色っぽいと言われている、体ごと振り返りのあざとテク。とびっきりの妖艶な笑顔を浮かべて答える。
「ええ。喜んで」
あれ? なんで日本語?
そこにいたのは日本人。ま、いっかぁ。ここは異国。チュニジアの夜。
心の中のラテンのリズムはフォービートに変わってちょっとテンポが落ちた。
年齢は同じくらい。30代半ば。仕事で来たのかな。
「昼間、貴方をカレー屋で見かけました」
「あのお店のカレー、美味しくて」
「一人旅ですか?」
「はい」
「女性1人で危険じゃありませんか?」
「有名な観光地しか歩かないようにしてます。ご旅行ですか?」
もっとフランクに喋りたいのに、固くなってしまう。慣れてないから。それもあって外国人狙ってたのに。外国人だったら、イスラム圏でこの服で夜、1人で女性が飲んでるってだけで、メッセージが伝わる。夜を一緒に過ごしましょうって。敬語なんていらないし。
日本人か。あれこれ喋るのがメンドい。無駄な会話すっ飛ばしたい。汗ばんだ小麦色の肌も半端に伸びた無精ヒゲもワイルドセクシー。早く!
「まあ。そんなところです」
「お仕事だと思いました」
「今、バカンスシーズンなので」
そーだった。お盆に不自然なお見合いセッティングされていそうで逃げてきたんだった。30越えたんだから諦めればいいのに。両親はなかなか手強い。得に母。昨年のお盆、お寺の本堂で妙齢の男性と2人きりにされて頭に来た。今年もなんやかや企んでいそう。
家を出ようと何度も思った。普通に働いているんだから、生活できるはず……と思ったら、世間は甘くなかった。
『ええ、家賃が1カ月30万?!』
実家は都心部。徒歩圏に3つの駅あり。その利便性のまま物件探しをしたら、とんでもないことになった。実家の自室は6畳。隣にあるグランドピアノが置いてあるだけの部屋も実質私の部屋。グランドピアノも一緒にお引っ越しなんて考えたら無理。防音部屋はもっと高い。愛犬とも別れることになる。体重30キロのラフコリーだから、マンションへ連れていけない。1ヶ月30万を出しても、ピアノとわんこを諦めるなら、選択肢は1つ。……実家。
実家にいてもカレシくらい作れるはずだった。けれど、勤務している外資系の職場は思いのほかブラック。で、今に至る。
私と同じくモヒートを注文した男は、一口飲んで驚く。
「ノンアルじゃん」
「イスラム圏だから」
「いや、でも。いかにも飲んでるって雰囲気なのに。ははは」
笑われた。でもまあ、そこから話が弾んで、なんとか部屋に行くところまで持ち込んだ。ドアの前でキス。さあ、いよいよ! 申し訳ないけど朝まで奪い尽くすから。そう思っていたら、、、ドアの向こう側は、倉庫のようにダンボールが積み上げられた部屋。やっぱ倉庫。なんだかムアッとする。窓がない。ベッドはドアから1歩のところに一応あった。
「え、この部屋?」
「そ。貧乏旅行だから」
「シャワーとかは?」
「なし」
「さよーなら。おやすみなさい」
自分の部屋に戻って後悔した。この部屋に来て貰えばよかったって。臨機応変に対応できなかった自分が情けない。なんてこと。フライト時間があるから、夜は貴重。ホテル4泊のうち、残るのはあと1泊だけ。最後の日、恥を忍んで昨晩の部屋へ行ってみた。チェックアウト済みだった。
ぼーっと白と青の街を歩く。虚しい。
どうしようもなく快晴で、眩しいほど白い壁に美しい青の扉、青の窓。
Qちゃん、どうして私を一人にしたの? 一緒に遊びに来たかったよ。2人だったら男なんて釣らなくても楽しくて盛り上がったのに。ずーっと休みのたびに旅行できると思ってた。
成田で、旅先の男を見かけた。あの夜だけでも抱かれたいって思ったはずなのに、ぜんっぜんムサい人だった。職場の方が、イケメンいっぱいいる。人のこと言えないよね。向こうにとっての私だって、そんな存在。旅先の異性は5割りは妥協可。
頭の中で何度もリピートされたラテンのリズムもフォービートも止んでしまった。
私、もう、このまま、女、終わっていくのかも……。
帰宅すると、エアコンの特等席で愛犬が寝そべっていた。こいつは本当に犬なんだろーか。わんこと言えば、会社に行って、なんなら買い物に行って帰ってきただけでも5年ぶりに会えた最愛の人って感じで迎えるものなのに。
「ただいま」
お腹を上に仰向け、ヘソ天体制のまま、私の方に視線を向けただけ。仕方がないからこっちから近づいてお腹を撫でる。おー喜んでる喜んでる。尻尾、ちぎれちゃうよ。
その夜、夢にわんこが出てきた。わんこは安定のヘソ天から起き上がった。めずらしい。ご褒美もないのに私の前でお座りするなんて。人を小バカにしたように後ろ足で耳の後ろ掻いてるけどさ。
『しゃーねーな。オレを1番に思ってくれてるのは分かってんだ。オレだって美咲が1番好き』
『どしたの、ケンシロー。今さら』
『んー。オレも歳をとったってこと。前は美咲のボディガードでカレシポジだと思ってた』
『今は違うの?』
『1番好きってのは変わんない。でもさ』
『うん?』
『オレ以外の男は許さんって気持ち、なくなった』
『そんなん思ってくれてたの?』
『だから邪魔しまくった』
『え。』
具体的にどれ。心当たりがあり過ぎる。
『でももう今は違う。父親的な感じ』
『そーなの? ケンシロー』
『その前に兄貴的なときあったけど、それも過ぎた』
『ふーん』
『でもな、オレと会えなくなるよーな男はダメだ。ちゃんとオレが選ぶ』
目覚めると、ケンシローが私のベッドで眠ってた。だから暑かったんだ。変な夢見たし。
「おはよ、ケンシロー」
「くーん」
「お散歩行く?」
「くーん」
現在の時刻、朝4時半。毛むくじゃらのケンシローは夏の暑さが苦手。だから早朝に散歩する。それでも暑くて苦しそう。
「ね、ケンシロー。私の審美眼のレベルがあがっちゃったのはさ、ケンシローのせいだと思うよ。いつもイケメンだもんね」
飼い主あるある。自分の子が1番。
けれど、正面から来たボルゾイを見たら、王子様度に目を奪われる。ラフコリーって庶民だわ。都心部のせいか大型犬を散歩させている人は少ない。あら、今度はジャーマンシェパード。かっこよ。ハードボイルドなハリウッドスターと近所の小学生くらいの差。ケンシローは美少年小学生だからね。年寄りだけど。
「あ、ちょっと」
「こら」
いつもはまっすぐ歩くのに、ケンシローはジャーマンシェパードに寄っていく。驚いたのかシェパードは「わん」と反応。
「すみません」
「こちらこそ、あれ? チュニシアの」
そう言われて顔を上げると、先日の男だった。ムサくなくなってる。汗と埃でもさもさしていた髪がさらさらになってて、ヒゲが剃ってあって、よれっとした汚れが目立たない色のTシャツだったのがスカイブルーに変わっただけで、こんなに違うなんて。なんと言っても、でっかく凛々しいわんこを従えてイケメン度5割り増し。
なんとなく話が弾んで、どちらともなく散歩コースで探すようになって、気づいたら結婚してた。新居は両方の実家の散歩圏内。
『いいヤツ探してやっただろ?』
『あら、ケンシロー。え、ケンシローが探してくれたの?』
『散歩んときに探しまくった。知り合いに聞いてさ。出会いの前の日は、向こうから連絡来てたんだ』
『え、ラインとかすんの?』
『遠吠え』
『へー。感謝』
おーっと、夢。
幼稚園からの親友、Qちゃんは泣いて喜んでくれた。
「おめでとー、美咲。美咲が幸せならすっごく嬉しい。別に男が全てじゃないけどさ、結婚は墓場かもしれないし、まさかの相手の実家が近いってどーなのそれとかもあるよ。でもまあとにかくおめでとー」
なんか、祝福の涙なのかどーか疑わしい。
目が溶けるほど泣いたQちゃんは、一緒に遊びに来ていたパートナーとNYへ帰った。
ときどき思ったことが口からぽろっと出てしまう。
「カレシ欲しかったけど、別に、結婚までしなくてもよかったかも」
「カレシ? 男欲しかったのかと思った」
「そーゆーころもあったかも」
「はは。じゃ、合理的」
「合理的?」
「結婚」
「そーだっけ?」
「目的が達成のうえい見合い話シャットアウト」
「それ大きい」
「実家を駐車場代わりにできる」
「都内、高いもんね」
「とんでもない朝早くにお互いの実家に行ける」
「夏のわんこのお散歩は朝4時5時だよね」
なにより、コドオジコドオバって括りじゃなくなったね。あれ、実家暮らしって言葉に変えてくんないかな。
おわり




