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第四話:小料理一献、剛ここにあり

忘年会の宴は無事に終わり、ほろ酔い加減の一行は、スナック「ローズ」になだれ込んでいた。

年に一度の恒例行事、会社の飲み納め。気がつけば、剛は部長や課長といった年長陣に囲まれてカウンター席に座っていた。


ママが出してくれた付き出しは、冷えた枝豆とスモークチーズ、それに何やら形の崩れたポテトサラダ。どれも業務用冷凍食品を解凍しただけといった風情で、見た目からして味気ない。


普段の剛なら、気にせずビールをもう一杯頼んでいただろう。だがその夜は違った。


視線が一点を見つめ、口元がゆるやかに引き締まり、表情が一変する。

低く静かな声が、唐突に響いた。


「このようなもので“付き出し”などと……ふっ」


空気が変わった。あの“雄山モード”が、再び降臨したのである。



同僚たちはまた始まったとばかりに固唾を飲んだ。誰もツッコミを入れられない。なぜなら、その佇まいと声音が圧倒的すぎるからだ。



剛――否、雄山となった彼は、スモークチーズを一欠片口に含むと、しばし静かに咀嚼し、ポツリと呟いた。



「煙の香りが人工的すぎる。時間をかけて燻すことをせず、液体スモークに頼った味だな。これではチーズが哀れだ」



枝豆を一粒指でつまみ、皿に戻す。



「そしてこれ。冷凍の茹で戻し……氷の膜すら残っている。湯を通す一手間を惜しんだ結果、香りは飛び、食感は生煮え……ふむ」



と、そのとき剛は、ポテトサラダに目を留めた。

中に刻まれた玉ねぎと、申し訳程度のハム。味は均一、食感もぼやけている。だが――



「……救いは、ここにあるな」



剛はゆるやかに立ち上がった。


「すみません。少しキッチンをお借りできますかな。調味料とコンロを。刃物とまな板もあればなお良い」


「え?あ……どうぞ……?」

ママは状況を把握しきれぬまま頷いた。


そして剛は、付き出しの皿を持って奥のカウンターへ。


やがて店内には、香ばしい香りが漂い始めた。


彼はまず、ポテトサラダを軽く炒めて、玉ねぎの甘みを引き出した。

そこに、スモークチーズを加えて溶かし、香りを一段引き上げる。さらに枝豆をさやから外し、食感のアクセントとして和える。


隠し味に酢と胡椒を加えた即席ドレッシング。

冷蔵庫から取り出した柚子皮をすり下ろし、仕上げにふわりと乗せる。


わずか数分。

だが、それは確かに“料理”となって生まれ変わっていた。


「……お待たせしました」


剛が戻り、カウンターに皿を置く。

皆、まるで神棚を拝むような静けさでその皿を見つめていた。


「お、おう、いただきます……」


一人がスプーンを手に取った。ひと口。ふた口。


そして――


「うっ……うまっ! 何これ、え、え? 同じ素材なのこれ!?」

「えっ!? えええ!? ポテサラじゃん!? なのに、なんで……こんな……」


驚愕の声が、店内を満たした。



枝豆は温かく香り高く、ポテサラはチーズと玉ねぎの甘みが溶け合い、まるで上品なビストロの温製サラダのよう。柚子の香りが、重たくなりがちな味を爽やかに引き締めていた。



「まるで別物……」

「これ……一品料理として出せる……」

「ていうか剛くん、あんた本当に何者なん?」


ざわつく中で、雄山モードの剛はただ一言、言った。


「料理とは、素材の命を見抜くことだ。たとえ出来合いの惣菜であっても、その中に“光”があれば、手を加えるに値する」



部長が小声で「剛くん、やっぱり最近おかしいよ……」と呟いたが、誰もそれを否定しなかった。



一人の男が、スナックのキッチンで傲慢なまでの技と哲学を示した夜。

その味と威厳は、忘年会の記憶と共に、社内でしばらく語り草となったのだった。

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