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第三話:鍋奉行、降臨す

年末。都内の小さなIT会社・株式会社イリディウムでは、毎年恒例の忘年会が行われていた。

今年の会場は、会社から徒歩5分の雑居ビルの3階にある居酒屋「山岡家」。掘りごたつの座敷で、貸し切り状態のこぢんまりとした店だった。


参加者は全社員10名。年の瀬らしく、みな口々に今年のプロジェクトの愚痴や笑い話を飛ばし合い、そこかしこでビールのジョッキが乾いた音を立てていた。


剛もその輪にいた。40歳。未婚、彼女なし、童貞、趣味は映画鑑賞。


そして――数日前に突如として目覚めた、謎の「雄山モード」の持ち主である。


今日は発動しないでほしい。そう願いながら、剛は端っこの席に控えめに座っていた。宴会料理の第一陣はすでに出ており、枝豆、唐揚げ、ポテトフライなど定番が卓をにぎわせている。みな談笑しながら杯を傾けていた。


「さて、それじゃあ鍋いきましょうかね」


部長の一言で、店員が大きな土鍋を運び込んできた。

「寄せ鍋ですー! スープは店オリジナルの鶏ベースになってますー!」


鍋が中央に据えられ、火が入れられる。白菜、しいたけ、鶏つくね、豆腐、白身魚、春菊……具材はたっぷりだ。


「さて、誰が鍋奉行やる?」


斉藤が言うと、みな口を揃えて「お前やれよ」「いやいや田村さんの方が慣れてるだろ」と軽く押し付け合いになる。誰もが面倒くさい役割を避けたがっていた。


そのときだった。


「……私がやろう」


剛の口が、またもや勝手に動いた。


一同が振り返る。剛は静かに立ち上がり、鍋の前に歩み寄ると、まるで戦場に臨む武将のように正座した。


「なんか……急にスイッチ入ったぞ……」



田村がポツリとつぶやいた。



剛の目つきが変わっている。いや、人格そのものが変貌していた。眉間にしわを寄せ、何かを断罪するような鋭い視線。口調も低く、凛としている。



火加減を調整し、具材の並べ方を整える。

白菜は葉と芯を分け、火の通りを均一に。つくねは直接投入せず、スプーンで形を整えながら丁寧に落としていく。豆腐は崩れぬように慎重に。魚は皮目を上にして、灰汁が出ないようタイミングを見計らう。


「……このつくね、ただの鶏ではないな。軟骨を細かく刻んで混ぜてある。歯ごたえで客を喜ばせるつもりか。だが、それが徒になっている。火入れが過ぎれば軟骨だけが残る。味の“主役”が影に追いやられるということだ」


「……そ、そうなんすか?」


「そしてこの白身魚。スズキだな。悪くない。だが、皮の部分が乾いている。冷凍からの解凍処理が甘い。氷温解凍を怠った証拠だ」



居酒屋の店員が気まずそうに目を逸らす。だが剛――いや、雄山モードの剛は、容赦しない。



「さらに……このスープ。鶏の出汁に頼りすぎている。骨ごと炊いてはいるが、昆布が生きていない。出汁の“共演”というものを理解していない。まるで独唱だ。合唱になっていない」


空気がピリリと引き締まった。鍋を囲む宴会場で、ここだけ妙に荘厳な雰囲気が漂っている。


だが――剛は一転、語調を和らげた。


「しかし、だ」


小皿の春菊を摘まみ、口に運ぶ。


「この春菊はいい。産地は茨城だな。香りがしっかりしている。……悪くない選択だ」


その瞬間、店員がほっと息をついたのがわかった。

一同も「おお〜」と拍手。よくわからないまま、なぜか感動している。


やがて具材に火が通り始める。剛は各人の器に的確に取り分け、順番まで考慮してサーブしていく。


「まずは白菜と豆腐。舌を慣らすのにちょうどよい。つくねは最後だ。魚の香りを残すと他の風味が混ざる」


「は、はい……!」


なぜか皆、完全に剛に従っていた。

もはや彼はただのサラリーマンではない。鍋奉行の名を冠する“何か”だった。


そして宴もたけなわ、鍋の最後。

雑炊に移行する時間がきた。


「……誰か、卵を割ってくれ」


田村がパカッと器を割ると、剛はそれを受け取り、優雅にかき混ぜたあと、鍋に静かに流し込んだ。


「……混ぜるな。待て。黄身と白身が静かに広がる。それがよい」


「ま、混ぜちゃダメなのか……!」


誰もが勉強モードに入っていた。


そして、最後に一言。


「……胡麻をひとつまみ。葱は細く、決して主張させるな。これは余韻を演出する名脇役だ」


こうして完成した雑炊は、参加者の誰もが感嘆するほどの仕上がりだった。


「……剛、お前マジで何者だよ」


「なんか……今までで一番うまい雑炊食ったかも……」


「これ、店の人より剛くんの方がプロなんじゃ……」


剛は苦笑した。

そう、これが困るのだ。自分でも止められない。説明できない。だが発動したら、抑えきれない。


宴の終わり。片づけの最中、店主がそっと剛に近寄ってきた。


「……あの、よろしければ、ウチの冬のメニュー監修……お願いできたり、しますか?」


「い、いや、俺はただのサラリーマンでして……」


逃げるように断った剛の背に、部長がにやにやしながら言った。


「来年から“鍋の剛”で売れるかもなあ」


そんな軽口を背中に受けながら、剛はひとり、心の中で静かに叫んでいた。


「俺は……なんでこんなことになってるんだ!」


――しかし、次の雄山モードは、すでに待ち構えていた。

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