28 カフェのこと
京介が語る話は、どう考えても現実のものとは思えず、かのんはカウンターの椅子に腰かけ、戸惑いの表情で彼の顔を見つめた。
かのんは京介の恋人で、ルカは、京介の幼なじみだった。けれどふたりとも、通り魔に刺されて死んでしまった。
生きる気力を失った京介が出会ったのが、このカフェ。
死んだ人に出会えるというこのカフェでずっと、京介はかのんを待ち続けていたという。
そんな突拍子のない話を、かのんはレモングラスを飲みつつ黙って聞いていた。
「でも、その京介さんの恋人のかのん、さんと私は別人、です……よね?」
話しが終わり、遠慮がちに尋ねると、京介は肩をすくめる。
「たぶん。このカフェを訪れる『死んだ人』はどの人物も違う世界線、違う時間軸の同じ顔、同じ名前の人らしいから」
「面白い話だよねぇ。そうなるとこのカフェは、いくつもの世界といくつもの時間の交差点にあるってことだよね」
楽しそうにルカが言い、かのんはマグカップを両手で抱えてちらり、彼の方を見る。
今の話からしたら、ルカは京介に付き合わされた被害者、ではないだろうか。
なのに悲嘆にくれる様子はないし、むしろ状況を楽しんでいるようにも見える。
「ルカさんは帰りたいとか思わないんですか? だって、ルカさん、このカフェから……」
「そうだねえ。出られないみたいだね」
そう言って、ルカはニコッと笑う。
「それは京介も一緒だよね。京介はずっと、このカフェから出られない。そしてたぶん、願いが叶ったらこのカフェはなくなる」
言われた言葉に、かのんはハッとした。
そうか、京介の願いでこのカフェが出来たのなら、その願いが叶ったらカフェの役割は終わる。
かのんは目を大きく開き、震える唇で言った。
「じゃ、じゃぁ……ふたりは……」
「たぶん、もうすぐ消えるんじゃないかな」
そう笑って言った京介の顔はとても満足そうに見えた。
消える。というのはつまり死ぬ、ということではないのだろうか。
いや、京介もルカもある意味もう死んでいる?
今起きていることが余りにもかのんの理解を越えていて、訳が分からなくなる。
「な、え、あの……いいんですか? せっかく会えたのに、消えるなんて……」
お茶が入ったマグカップを置き、かのんは立ち上がって身を乗り出す。
すると京介は頷き言った。
「今、この状況が歪んだ俺の願いが作りだしたものだからね。俺の願いが叶えば、もう用はないから」
それはそうだろうけれど。
これは死、というのだろうか。なんだかわけがわからず、かのんは苦しさを覚えてぎゅっと、手を握りしめた。
「でも……でも……」
「俺は君に、ルカに会いたかった。そして君が生き延びることが俺の望みだったから」
「僕はそんな京介に付き合って小説をずっと書いてきた。楽しかったよ。読み返してみると、色んな人がこのカフェを訪れて、自分の時間を過ごしているんだ。中には違う世界に旅立っちゃった人もいるけれど。人には色々な物語があるものだね」
そう明るい声でルカが語る。
自分が消える、というのになぜ京介もルカもこんな明るい顔をしているのか、かのんには理解できなかった。
でもそれはふたりともとうに、生、という理から切り離されてしまっているからかもしれない。
かのんだけが、生きている。
だからかのんは現実に帰らないといけない。
「そ、んな……」
かのんはルカと京介の顔を交互に見る。
ルカはパソコンに向かってキーボードをうっている。
「ちょうど僕の物語も終わるしね」
そう満足げに呟いて。
「え、あ……嘘、でしょ?」
涙ぐむかのんに、京介が言う。
「ありがとう、俺の願いに付き合ってくれて」
「え……あ……」
いったいどう声をかければいいんだろうか。
かのんの頭の中は真っ白で、なにも思い浮かばない。
「『終わり』って言葉を入力するのは心地いいね」
と言い、ルカがパソコンを閉じる。
「ルカ、物語の終わりはどうなったの」
「あぁ、うん。それはね――カフェが消え、僕らも消える。後にかのんだけが残るんだけど記憶がないんだ。でも経験したことはなんとなく覚えてる。僕らに出会って過ごした時間は確かに彼女の中に残ってる。そしてかのんはね、本を見つけるんだ。『月の隠れ家で会いましょう』っていう本を」
「あぁ、このカフェの名前」
京介が言うと、ルカが頷き頬杖を突く。
「そう、その通りだよ。そこでかのんは――」
そこで言葉が途切れる。
かのんの周りの景色が、まるで割れたガラスのようにひび割れ崩れ出す。
「そ、んな……」
かのんは辺りを見回しそして、京介へと手を伸ばす。
けれど京介もまた、ひび割れた景色の中に溶け、姿が崩れてしまう。
「やだ……なんで……!」
声を上げてもカフェの崩壊は止まらない。
そして気がついたとき、かのんは駅からの帰り道に通る、歩道の上に立っていた。
「あ、れ……?」
かのんは驚き、辺りを見回す。
空には星がひろがり、ぽつぽつと外灯がついているのが見える。
「な、んで私……」
不思議に思いつつかのんはスマホを見る。
時刻は夜の八時過ぎ。
確か朝、十時過ぎに家を出て友達とランチを食べるために駅前へと向かった。そこで通り魔事件が起き、友達と無事を確認して泣いた。
そのあとなんとかご飯を食べ、買い物をして明るいうちにアパートへと帰ったはずなのに。
なぜかのんは、こんな時間に外にいるのか思い出せないでいた。
かのんは腕を組み、首を傾げる。
「あれ……なんか、誰かに会うために家を出たと思うんだけどな……」
けれど何も思い出せない。
そのとき、ぐう、と腹が鳴り、かのんは夕食を買いに来たのだと自分を納得させ、コンビニへと向かって歩き出した。




