24 その代償
十二月二十七日。
朝目が覚めて、京介は言いようのない違和感を覚えた。
昨夜もどこかに行ったはずなのに、それがどこなのか思い出せない。
けれど、匂いの記憶がある。
「ハーブティー……」
そうだ、これはきっとレモングラス。
昨夜、何かを確かめるために出かけた。そこでなにかあったはずだ。
「何があった? 大切な、何かが……」
京介にとって大切なものなんて限られている。
そう思い、京介は腕時計を撫でた。
充電ケーブルからスマホを抜き、ロックを解除して画像フォルダを開く。
そこに保存されたたくさんの記憶。
その多くに写るのは恋人であるかのんと、友人のルカだった。
他に大切なものなんてない。ということはふたりに関する何かがあったのだだろう。
昨夜と一昨日の記憶が曖昧なのは、その何かは覚えていてはいけないことなのだろうか?
「ハーブティー……そうだ、昨日もハーブティーの匂いを覚えていてそれは……ラベンダー」
記憶を呼び起こして京介は、スマホの画面に写る三人で撮った写真を見つめた。
「大切なものなら……もう一度それは起きるんじゃないのか?」
たぶんきっと、二度起きている。
ならばまた、何かは起きるんじゃないだろうか。
そう、僅かな希望を抱き、京介はゆっくりとベッドから起き上がった。
夜。
レストランでの仕事を終えて京介は帰り道を急ぐ。
時間的にはまだ人通りがあるはずなのに、辺りに人の気配も車の姿も見当たらなくなった。
異様に静かな夜。
そのことに違和感を覚えながらも京介は道を急いだ。
「あぁ、そうだ。このままいくとないはずの店があるんだ」
そうひとり呟きそして、京介はじっと、通りの向こうを見つめた。
知らない灯り。だけどたぶん、知っている灯り。
住宅街の一画に現れたその光に誘われるように、京介はまっすぐにその店に向かった。
その店の前には、想い出に出会えるカフェ、という看板が出ていた。
京介はその翌日も、その次の日もカフェを訪れた。
朝になると忘れてしまう。
だけどカフェで飲んだハーブティーの記憶を頼りに京介はそのカフェに通い続けた。
「ねえ、京介。僕と君がここで会うのは何回目?」
目の前にいる、大学生のルカの問いかけに、京介は指折り数えた。
「クリスマスの日からだから……もう六日目かな」
今日は十二月三十日。
京介が働くレストランは年末年始の休みに入ったが、この店は今日もあいている。
それに店内には数組の客の姿があった。
京介の言葉にルカは頬杖をついて言った。
「そうか。六日もあってるんだね。その割には会った人のことがおぼろげなんだけど……君はどう?」
「俺もここにいる間の事は覚えていないが……でも、匂いは覚えてる。ここで飲んだハーブティーの味と匂いは。そもそもハーブティーが飲める場所なんて限られているからな」
そう京介が答えると、ルカは興味深そうに目を見開いた。
「そうそう、匂いと味。匂いは記憶と直結するというからね。それだけは僕も覚えているんだよ。ハーブティーは確かに飲める場所が限られているからね。君はなかなか頭が回る」
嬉しそうに言い、ルカは運ばれてきたカモミールが入ったカップに口をつけた。
「でも……君しか現れないんだ」
そう京介は呟き、ラベンダーティーが入ったカップを見つめる。
「君にはもうひとり会いたい人がいるって事かい?」
ルカの問に京介は頷く。
「そうなんだ……なのに、彼女は現れない」
「あぁ、相手は女性? っていうことは恋人なのかな。不思議な話だね。恋人への想いの方が強いだろうに、君が会っているのは僕なのだから」
確かにルカの言う通りだと思う。
けれどその理由には心当たりがあった。
「たぶん、これのせいだと思う」
言いながら、京介は腕時計をルカの方に向けた。
「あぁ、そういうこと。君は僕じゃない僕から、その時計を貰ったの? そしてそれをずっと身に着けているとか?」
冗談交じりに言われたが、その全てが当たっていた。
これはルカが最後にくれたプレゼントで、いつも身に着けている。
「あぁ……これがあるから君が選ばれたのかもしれない」
「そういうことか。確かに所有物と繋がる人間の方が選ばれるはあるかもしれないけれど、彼女だったならその子から貰った物はあるんじゃないの? それでも彼女が現れないのかい?」
その問いに、京介は頷く。
今しているマフラーはかのんから貰った物だ。
けれど、彼女はいつまでも現れない。
京介はマフラーを撫で、息をついた。
「ここに通い続けると現実から切り離される」
そう、ルカが呟く。
その言葉に聞き覚えがあった。
きっとこのカフェのマスターが言っていた言葉だろう。
ルカはカウンターの方に目をやり言った。
「それって、どういう意味なんだろうね?」
「想像できないな」
「現実から切り離されると何が起こるんだろうね」
そう言ったルカの顔にはなぜか笑顔が浮かんでいた。
これは何か企んでいる顔だ。
ルカとは長い付き合いだからわかる。
いや、正確には彼は京介の知るルカではない。けれどその仕草、口調は京介の知っているルカそのものだった。
「ねえ気にならない? 何が起きるのか。それに確かマスターはこうも言っていた。『ルールを捻じ曲げれば、それなりの代償を支払うことになる』って。ということは何かしらの代償を支払えば、君の願いを叶えることも可能なのかなって思って思って」
そのルカの考えは京介と同じものだった。
現実から切り離された時、ルールを捻じ曲げたとき何が起きるのか? もしそれで願いがかなうのなら、それを望むのはいけないことなのだろうか。
「君の望みはその彼女に会う事なんでしょ?」
ルカの問いかけに、京介は神妙な顔で頷く。
「そうだ……ルカとかのん。俺が会いたいのはそのふたりだから」
「ははは、僕に会いたいって思ってもらえるのは嬉しいよ。君の願い、叶える方法あるといいけれど」
「……あぁ。ここに通い続ければそれがわかるのなら……俺は明日もここに来る」
「そうか。じゃあきっと僕もここに来るよ。君が通う限りは」
その答えもとてもルカらしい。
そう思い京介は微笑み頷き、ラベンダーティーが入ったカップを手にした。




