22 カフェ
十二月二十六日。
京介は仕事が休みだった。
ベッドから起き上がり、京介は室内を見回して首をかしげた。
昨日の夜、どこかにいった記憶があるのに、思い出そうとしても思い出せない。
いったい自分はどこに行ったのか。
夢でも見ていたのか、と思うけれどそうとも思えなかった。
夜、誰かに会ったはず。そう思い京介は腕時計を撫でる。
今でも蘇る血の記憶に、思わず口を押さえた。
「ルカ……かのん……」
何度名前を呼んでも、何度願っても出会えないふたり。
なのに何か、引っかかる。
覚えていないのに、昨日の夜とても大事な何かがあったように思う。
――夜、出かけようか? 昨日の夜、俺が何をしたのか確認するために。
仕事の帰り道に通る道を通れば、もしかしたら何か思い出すかもしれない。
そう決意して、京介はベッドから起き上がった。
本を読んだりサブスクでバラエティを見て時間をつぶした京介は、夜の七時に家を出た。
外の空気は冷たく冷えていて、吐く息が白くなる。
京介は通りに出て、駅へと向かう道を歩き、昨日の事を思い出していた。
仕事の帰り、誰かと会ったような記憶がある。
けれどそこから記憶がおぼろげだった
いつの間にか帰宅していて、でも何か飲み物の味が舌に残っていた。
その味が何かを思い出し、京介は足を止めて呟く。
「あれはラベンダー」
料理人としてのカンがそう告げていた。
けれどどこで飲んだのだろうか。
京介が働く店で、ラベンダーティーは提供していない。ならば帰り道にカフェかどこかに寄ったのだろうか。
いや、そんな夜にあいているカフェがあるとは思えなかった。
もやもやを抱えつつ、京介は通りを歩いていた。
その時、違和感を覚えた。
夜の七時だ。決して遅い時間ではない。
なのに先ほどから車も人も通らない。
まるでこの辺りだけ切り離されてしまったかのように静かだった。
京介は立ち止まり周りへと視線を巡らせる。
静かな住宅街の一画。
そこに知らない灯りがある。
どう見ても店だ。
京介がこの町に住んで数年経つが、ここに店はなかったはずだ。
「なんでこんなところに……」
京介は惹かれるようにその店へと近づいた。
何かの飲食店だろうか。白い外壁に、焦げ茶色の扉。
その扉の前には看板が出ていた。
『想い出に出会えるカフェ』
と。
「想い出……? これは……」
違和感を覚えつつ、京介は導かれるように扉のノブを握る。
そしてゆっくりと扉を開き中へと入った。
店内に入ると、オルゴールの音色が聞こえてきた。
何の曲かまではわからない。ゆったりとした音楽で、静かに時間が過ぎていく感じがする。
「いらっしゃいませ、おひとりですか?」
マスターと思われる女性がこちらへとやってくる。
何歳くらいだろうか。三十前だとは思う。落ち着いた雰囲気のその女性は、黒いエプロンを身に着けていた。
その女性を見て、京介は不思議に思い首を傾げた。
なぜかその女性を知っているような気がした。
記憶にはないのに、なぜか知っている。
「あの、初めて、ですか?」
そう京介が口にすると、女性は頷き言った。
「このカフェに来られるのは一度だけ、ですからね。そのはずです。もしかして、貴方は初めてではないと思うのですか?」
その言葉に、京介は自信なく頷く。
たぶん初めてではないと思う。
店の匂い、空気、女性の顔。知らないはずなのにどこか記憶の断片にあるように思う。
「俺は……昨日もここに来た?」
自問するように京介がそう口にすると、女性は困ったような顔になり言った。
「もし、そうであるなら……現実から切り離されてしまいますのでお気をつけて」
そう女性が言った後、
「お好きな席にどうぞ」
と告げて京介に背を向けた。
現実から切り離される。
その言葉も聞いた記憶がある。
居心地の悪さを感じていると、背後で扉が開く音がした。
「お待たせ」
聞き覚えのある青年の声に、京介はハッとして振り返る。
そこにいたのは、死んだはずのルカだった。
その姿を見て京介は目を見開き、昨日の出来事を思い出す。
そうだ。
昨日も京介はここに来て、ルカに会っている。
学生時代の姿をした、京介のことを知らないルカと。
「……ルカ……」
絞り出すような声で京介が言うと、彼はにこっと微笑み言った。
「やあ、京介、だっけ? また会ったね」
その笑顔に涙が出そうになりながら、京介は、
「そう、だな」
と答えるのが精いっぱいだった。




