19 痛み
オルゴールの音が大きく響くカフェ。
店内を見回せば、一組だけ客がいる。
時刻はすでに十時を過ぎている。
窓の外に目をやれば、かのんが知る町が見える。だけどこれは本物の景色なのだろうか。
とても穏やかな空気が流れるカフェだけど、わからないことだらけでかのんの心はずっとざわめいている。
死んだ息子と会っていた母親。
死んだ夫と会っていた老女。
かのんが知る限り、松尾さん以外に何度もここを訪れていた客はいない。
かのんはカウンターの中でカップを持つ京介を見る。
彼もこちらを見ていたようで視線が合い、彼はなぜか頬を紅くして視線をそらしてしまった。
「……京介、さん。どうかしました?」
「え? あ、いいや、何でもないよ……俺の知る人に君がとても似ているから、つい」
と言い、彼は寂しげに笑う。
「あぁ、私を呼んでいるのは京介さんなんですもんね。その理由も全部、話してくれるって約束、してますもんね」
京介をじっと見つめて言うと、彼は頷き答える。
「うん。それは約束するよ……あの日さえ超えれば」
そう答えて彼は俯いてしまう。
いったい何を隠しているのだろうか。
気になるけれど話すつもりもない相手から聞きだすすべなど持ち合わせていない。
「……私、死ぬんですか?」
そうかのんが口にすると、京介はばっと顔を上げて目を見開く。
「え? あ……う……」
呻き声を上げたかと思うと彼は口を押え、マグカップを置いて奥へと行ってしまった。
何だろうか今のは。
図星なのか。それとも別の理由か。
あの反応では何もわからない。とりあえず触れない方がよさそうだ、と思い、かのんはカフェオレが入ったカップを手にした。
「京介さん、大丈夫ですかね」
「大丈夫じゃないんじゃないかな」
パソコンから目を離さず、ルカが飄々と答える。
「そう、思いますよね」
「うん、思うよ。でもできることないから」
どこか諦めにも見える声で言いながら、ルカはパソコンに入力を続けた。
「私、食べ終わったら帰りますけど……今日も伝票がないんですよね」
「いいんじゃない? ただでご飯が食べられたと思えば」
笑いを含んだ声で言われ、かのんは、
「そうですね」
と答えてカフェオレを飲み干した。
結局、そのあとしばらく待っても京介は戻らなかったので、かのんはルカに挨拶をして、店を出る。
途中で振り返り店を見ると、暗い住宅街の角に、店の明かりがぼんやりと見えた。
辺りを歩く人もなく、静かな夜。
あの店は他に見える人がいないのだろうか。
そう思うと異様に感じて心がギュっとなる。
十二月十二日。その日にいったい何があるのだろうか。
わからないけれど、その日を無事に過ごせたら、全てが分かる。
「おやすみなさい」
誰にともなく呟いて、かのんはアパートへと向かって歩き出した。
――私、死ぬんですか?
かのんの言葉に動揺した京介は、ひとり店の奥で胸を押さえ荒い息を繰り返していた。
「う……あぁ……」
忘れもしない、あの日の出来事。
二〇二四年十二月十二日木曜日。
京介の世界が全て、変わった日。
ルカの記録によればあれから五年の月日が流れたらしい。
けれど、ここでは時間は経過しているはずなのに日にちの経過を感じたことはなかった。
あの日。
ルカとかのんが死んだ日。
駅前で起きた無差別殺傷事件で五人が殺された。その被害者の中に、ルカとかのんもいた。
かのんは、京介と会うために。
ルカは京介へとプレゼントを買うためにそれぞれ駅前にいた。
死んだ人間は決して帰ってこない。
そんなことはわかっているけれど。それでも京介は願わずにはいられなかった。
ふたりに、また会うことを。
大きく息を吸い、吐いて。
なんとか落ち着いてきたとき。
「京介」
ルカの声が、店の方から聞こえてくる。
「もう、お客さん帰ったよ」
言われて京介は、腕時計を見た。
あの日、ルカが買ってきた最期のプレゼントを。
時刻は十時半を過ぎていた。
どうやら三十分以上、引きこもってしまっていたらしい。
京介はなんとか店頭に出て、カウンターにいつもと変わらない姿で座り、微笑むルカの前に立つ。
「すまない、ルカ」
「あはは、大丈夫だよ。かのんさんも心配していたよ」
言いながら、彼は肘をつく。
「顔色がよくないね」
「そうだな」
それは自分でもよくわかっている。けれど思い出してしまった悲しみを処理する方法は、今でもわからない。
「何か、思い出したの?」
「あぁ。うん。忘れもしない、あの日の事を」
言いながら、彼は腕時計に触れる。
「あの日……よほど重要な日なんだね。それが十二日?」
「うん」
頷き京介は、泣きそうな顔でルカを見る。
何も知らないルカはいつもと同じ笑みを浮かべて京介を見ていた。
「あと少しだよ、ルカ」
「あぁ、そうなんだ。じゃあ、そうしたら僕はこの最初の物語を最後まで書けるって事かな?」
首を傾げて言うルカに、京介は頷く。
「そう、だと思う。そうしたら……きっと全部終わるから」
「わかったよ、京介。あと少しだけ、幸せな夢を見ているよ」
と言い、彼は目を閉じる。
そしてふっと、消えてしまった。




