中秋の名月
2019年の中秋の名月を基に書いた話です。
今年の月も綺麗でしたね。
家族団らんの時は過ぎ、風の音が耳をくすぐる。街灯と明かりの点いた家がぽつりぽつり。たったそれだけの明かりでも、今日は十分だった。
スーパーに行くと売っていた。レジにて20%引きのシール付き三本入りのみたらし団子。袋をがさがさ言わせながら、道を歩く。酒で火照った顔に秋の風が心地いい。
駅から歩いて10分。スーパーからだと徒歩八分。いつもは重い足取りも、今日は軽やかだ。ついでにスキップもできる。それもこれも、今日の帰り道がいつもより明るいことを知ったからだ。
いつもの道がいつもと違う。気づかせてくれたあの人は、やっぱりすごい。
家が見えてきた。気分は最高。歩く足もぴょこぴょこ跳ねた。
「うーさぎうさぎ、なにみてはねる」
職場に話し声が満ちる。定時から少し時間が経っているが、声音には疲れの中に清々しさが混じる。上司や顧客の無茶ぶり耐えた一週間の終わり。休日に夢を見て、パソコンの電源が次々と落とされる。会話を弾ませながら、何人かで連れ立って去っていく。
田中も飲みに誘おうと、帰り支度をする同僚に声を掛ける。隣の席の佐々木は恋人と会う約束が、前の席の渡辺はこれから旅行に向かい、斜め前の結城も先約があるらしい。お互いに良い休日をと話しながら、田中は気持ち肩を落とし、仕方ない、別の部署の同期でも誘うかと、一人違う廊下を歩く。いつもは急ぐ道のりをゆっくり歩く。
定時を過ぎているから、博識なあの人はいないだろうな。
労いの挨拶を言いながら同期の姿を探す。はて、席はどこだったか。
少し見渡した先にあった光景に、田中は固まる。
「田中じゃん、おっつー」
「なんだ。領収書はもう受け付けないぞ」
探していた同期の兼近の隣に、いないと思っていた人が同じ画面を覗き込んでいた。
「経理さんがまだいる…だと…?」
幻覚か…。明日は雨が降るかもしれない。
固まる田中を見て、経理さんこと星見は窓の外に目をやる。
「今日は中秋の名月だからな」
残業時間だというのに機嫌が良いようだ。いつもより口角が少し上がっている。
しかし中秋の名月だとは。
「今ってそんなの時季なんですね」
季節のことにはアンテナを張っていたつもりだったが、自分にはまだ難しいようだ。
「なんで中秋の名月が残業しててもいい理由になるんすか?手伝ってもらっててなんですけど。つーかちゅーしゅーの名月って何すか?」
一気に気が抜ける。兼近は根っからの理系だ。知らなくても仕方ないのかもしれない。
外を見やったまま、星見が口を開く。
「平たく言えば、『お月見』だ。十五夜という言葉もあるが、太陽暦の八月十五日の夜に見える月のことを指す。暦の上で、八月は秋の真ん中だから、中秋と言われている」
「へーそうなんっすね」
「……経理さん、もしかして“今日の質問“として話しました?」
首肯する星見。うなだれる田中。
「中秋の名月は知ってたのにっ」
「へーお前物知りだな」
言った兼近の頭を叩く。
「痛ってぇ!何で叩いたん⁉︎」
「俺はもっと深い学びをしたかったんだよ!」
「はぁ?」
「というか、今のは俺が聞いたんじゃないじゃないですか!」
田中は少し涙目だ。そんな田中に、兼近は疑問符を浮かべている。
「でも結局、中秋の名月が残業する理由になるのはなんでなんすか」
「……月を見上げながら帰るのも悪くない。そう思える日だから、だな」
そう言い、星見は鞄を手にした。
「さすが大人っすねー」
「じゃあ、俺らと飲みに行ったりは…」
「しない」
お疲れ、と足早に立ち去っていった。
様々な会話が入り乱れ、賑やかな喧騒溢れる。手頃な価格で料理とお酒が頼める居酒屋だ。覇気のある店員の声と食欲の湧く調理の音が店の盛況ぶりを証明している。
「はぁ〜〜〜〜〜」
軽やかな空気に、田中は重い溜め息を落とす。
「せっかくの金曜と酒と飯なのに、なんでそんな落ち込んでんの?」
「お前のせいだよ」
恨みを込めて睨んだが、何故睨まれているか心底わからないという顔をされてしまった。
そりゃそうだろうな。
星に関する話題が唯一のコミュニケーションツールだななんて思わないだろう。今の俺は、大人気なく勝手に拗ねているだけなのである。
性懲りもなく、またため息を吐いた。
「兼近はいいよな。星見さんといつでも話せて」
「ん?そうそう、星見さんすごいのよ。今使ってるツールが微妙にやりたいこととずれてて、いい感じに変えたかったんだけどうまくいかなくってさ。うんうん言ってたら、『どうした』って聞いてくれてさ。で、話したらすぐにピッタリのヤツ教えてくれてぇ。マジパネェよ」
「…お前、星見さんに『パネェ』はねぇよ。まぁすごい人なことに変わりないけど」
「ほんとそれ!なんで経理にいるのかナゾなくらいできる人だし」
「なんだかんだ、聞いたことに答えてくれるし」
「そう!そのアドバイスがドンピシャで解決すんのよ」
「そして颯爽と退勤していくのかっこよすぎるんだよね」
「できる大人!かっくい〜!」
喉を鳴らしてジョッキの中身を飲み干し、大きく息を吐いた。次の飲み物を注文する。
今はどんなふうに、空を眺めているのだろう。
今日も颯爽と去っていった彼を思い浮かべ、肴の料理を食べる。枝豆、たたきキュウリ、だし巻き卵、お造り三種盛り、たこわさ、唐揚げ、ホッケの開き、串焼きの盛り合わせ。ビール、ハイボール、レモンサワー。仕事の愚痴二割、恋バナ二割、星見への賞賛六割。(恋バナはほとんど嘆きだが)箸も杯も進み、程よく酔いのまわった二人。
「そう言えばさ、何?“今日の質問“って」
「あー、それね…」
どう説明しようか。長い話ではないけれど。
「いや、俺ってさ。特技って言えるものがないからさ」
「あるじゃん。土下座」
「そうだけど!そういう特技じゃなくて!いや特技でもないし!」
「またまたー」
照れんなよ、とばかりにあしらわれる。納得いかないが仕方ない。
「博識な星見さんなら、何かヒントになるもの知らないかなと思ったんだよ」
「へぇー」
聞いてきたくせにあっさりとした反応だ。
「星見さんて、年中行事ってーの?そういうの大事にしてんのね。もうそういうとこも大人だわー」
「だな」
天体に関しているからだ、ということはわからないだろう。
顔がにやけるのを必死に誤魔化す。
「あ、星見さんのSNSアカウントあるの知ってる?」
「は?何それ知らない」
一気ににやけが吹き飛んだ。
「まあ作ってから更新ないけど」
「…兼近が勝手に作ったな」
「へへっ、そんなほめるなよぉ」
「本音は?」
「めっっっっっちゃがんばった」
「だよね。ウェイ系はファッションでほんとは常識人だし」
「そんなことないし。ウェイ系でパーリーピーポーだし」
机に突っ伏しながら言う。その姿が物語っている。
「なんでそこまでしてアカウント作ってもらったの?アカウント教えて」
「だってああいう賢い人が、どんなこと考えているか気になったんよ。教える教える」
「一回も呟いてないけど。ありがとう。よくやった」
「まぁわかってたけども。もっとほめて」
「フォローしてるアカウントも、ニュースとか新聞とかだし。イメージそのまま」
「博識な人はどこでもそうなんだな」
ふーん、と画面を眺めていると操作していないのに画面が動いた。
「「あ!」」
棚の中からいつもより良い茶葉を選ぶ。
部屋の明かりは点けず、窓際に設けた机に夕食を運んだ。窓から入る風に一本のススキが靡く。
今日のような日には、料理に拘りたくなる。旬の酒の漬け焼きと赤みがかった味噌汁に、実家から届いた漬け物と米を盛る。米は土鍋で炊いた。久しぶりだったために底の方が少し焦げたが、これはこれで美味しい。粒が立ち、空からの明かりだけでも艶々と輝きを放つ。我ながら良い炊き上がりだ。最後に緑茶と御猪口一杯分の日本酒を添えれば、完成。
今年の月見御膳は豪華だ。
写真に残すくらいには気分が高揚しているようだ。浮かれついでに、職場の若い人に造らされたSNSに試しに上げてみようか。
一人、手を合わせて一口。
昨日から仕込みをした甲斐があった。
大根に染みた出汁、故郷の少々辛口の味噌が引き立っている。鮭の漬け焼きは程よく脂がのり、舌触りよく口の中で解れる。外からの明かりを弾く白飯はふっくらとして、噛めば噛むほど甘みが広がる。馴染みある漬け物がよい箸休めとなった。
部屋を照らす唯一の光源に眼を向ける。
それほど酒に強くはないのだが、良夜にちびりちびりと飲むのは好きだ。喉から顔が熱っていく。美味しい料理に舌鼓を打つ。
笑みとともに、言葉を溢す。
「月が綺麗だ」
軽やかな足取りもそのままに、玄関を開け、靴を脱ぎ、鞄を放ってそのままベランダへ。
ガサリと音を立てて、ビニール袋から中身を取り出し、落ちないように手すりに置いた。
携帯端末を空に、高原と並べた。画面に映るは、場所は違えど同じ空。
顔が緩むのを酒のせいにして、団子を一口。
「うま」
月が綺麗だと。浮かれるままに口ずさむ。
月は明るく、空を見上げる人を照らした。
8月の話を本当は先にあげたかったけれど、完全に筆が止まってしまっているので過去に書いていた本作をあげました。
食事風景を書くのは難しいけど楽しいです。