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星に願う  作者: 美影
5/9

星に満たされる

星見さんの休日。


このシリーズを書き始めたのは2019年ごろのため、2019年の天体事象をネタにしています。調べるのは大変ですが、楽しくもあります。

 穏やかなジャズがかかる。間々に店主が食器を扱う音や、コーヒーミルで豆を挽く音、サイフォンの音がセッションをする。香ばしい豆の香りが、店中を包んでいた。外からの鋭い日差しと温かな電球の色合いが、店内を程良く明るくする。濃い茶色を基調とした木製のカウンターやテーブル席。濃紅色をした硬めのクッションが馴染み、体をそっと支える。

 ここはとある珈琲店。店の奥のテーブル席に星見は腰掛けている。外光がテーブルを照らし、置かれたアイスコーヒーのグラスを通してステンドグラスのようにテーブルへ透けている。照明の柔らかな光で本を読む。ペラリとページを捲る音が、時折店内の音に交じって消えた。ふいに顔をあげて外の景色を眺める。日傘を指す人、汗を拭う人。談笑しながら歩く人、慌てたように走りゆく人。行き交う人々を眺めては、また活字の世界に目を戻す。今日は本屋大賞を受賞した作品で、風変わりな理系の人々とお料理男子が紡ぐ、美味しくて温かな青春小説だ。

 グラスが汗を掻き、アイスコーヒーもなくなる頃。星見が席を立つ。店主にすみませんと声を掛ける。何やら注文しているようだ。席に戻り、本の続きを開く。暫くしないうちに運ばれてきたのは、ナポリタンとコーヒーのおかわりだった。熱された鉄板が、ジュウジュウと声をあげる。鉄板の黒に、パスタの赤、具材のピーマンが映える。

「いただきます」

 ほっそりした指でフォークを握る。くるくると器用にパスタを一口分絡め取り、口に運ぶ。太めの麺にケチャップソースが纏わされ、程よい酸味と深みのある味わいが広がる。もっちりとした食感。昔ながらの喫茶店のナポリタンだ。倉庫にアイスコーヒーを飲むと、口内をさっぱりさせてくれる。いい組み合わせだ。一時、鉄板とフォークの擦れる音が、ページを捲る音と入れ替わる。店内も人の賑わいが増したようだ。食器の当たる音、談笑する声がBGMに成り変わった。

「ごちそうさまでした」

 食べ終えた皿を端に寄せ、また本を開いた。この喧騒を背景音楽にするのも悪くない。

 入店を知らせるベルが忙しなく鳴っていたが、次第に間を開けるようになる頃。おかわりしたコーヒーのグラスが空に近づいた。最後の一ページを読み終わる。ふーと息を吐き出して背もたれに寄りかかった。天井で回るファンを茫然と眺める。少しばかりそうしていると、コーヒーの残りを飲み干した。そのまま席を立つと、会計を済ませて店を後にした。

 日差しが涼んだ体を痛めつける。内側から汗が噴き上がる。見上げると青々とした空に、存在感のある雲がビルの向こうに見えた。

 ああ、夏だ。


 日向にいるだけで体力が、水分が吸い取られていく。干からびる前にと、次の目的地に向けて足を進めた。街路樹の下をなるべく通る。陽を遮るだけで、風が涼しく感じられる。しかし汗は止まらない。歩道を足早に進む。

 星見が次に扉を潜ったのは、本屋だった。一歩踏み入れた瞬間、冷えた空気に包まれる。一瞬息が詰まる気もしたが、すぐに治った。この温度の変化には慣れる気がしない。

 棚いっぱいに本が並ぶ。雑誌、小説、文庫本、ビジネス書、料理本、参考書など多岐にわたる。本を手に取る者、立ち読みする者、棚の前で吟味する者と様々だ。

 星見は書籍コーナーに足を向けた。新しい本を買いに来たのだ。星見が読む書籍は多様だが、今回は友人に勧められた小説にしようと決めている。表紙絵が気に入って買ったが泣けた。とても温かい気持ちになったからぜひ読んでほしいと推されたのだ。本屋の見出しによると本屋大賞ノミネート作品らしい。若くして亡くなった一人の女性、彼女に関わった人々によって思い出が語られていく。命の眩い煌めきを描く感動と祝福の物語。裏表紙のあらすじにはそう綴られていた。確かに面白そうだ。本を手に取り、続いて雑誌コーナーに行く、毎月購入している天体雑誌も手にしてレジに向かった。

 支払いが終わるとまた出入口に足を向ける。透明な扉の外の眩しさに怯むが、意を決して踏み出した。


 陽が傾き、僅かに橙を帯びてくる。星見は読んでいた本を閉じ、大きく伸びをする。時計に目をやると、短針が4を指していた。

 さて、作るか。

 エプロンをして早めに夕食作りに取り掛かる。なんせ今夜の天体観測の見処は深夜。それまでに仮眠をとっておきたい。

 まずは副菜作りから。きゅうりを一本、三等分に切って袋に入れ、麺棒などで叩く。キムチを刻み、油を切ったツナと共に、きゅうりを入れた袋へ入れ、全体を揉み込んで完成。

 ここで本日の主食の仕込みをしておこう。太刀魚はその名の通りまるで刀身のようにツヤッとしている。皮に斜めに切り込みを入れ、酒と塩を両面に塗して冷蔵庫で十分置いておく。

 その間に汁物に取り掛かる。用意するのはなすとごぼう。なすはヘタを切り落として縦半分にし、皮目に斜めに浅く切り込みを入れ、3cmの長さに切る。すぐに調理するため、水にさらす必要はない。ごぼうはささがきにして水にさらしておく。次に鍋に多めに油を入れる。油が温まったら、なすの皮目を下にして入れ、しばらく炒め揚げする。時折、なすの端を押さえて皮目全体に油が回るようにすると綺麗に仕上がる。皮目を炒めたら、裏返して反対側も炒めて、火が通ったら一度取り出す。残った油は拭き取っておく。鍋にだし汁と水気を切ったごぼうを入れて火にかける。あとはお湯が沸いてごぼうに火が通ったら味噌を溶き、ナスを入れるだけだ。器に盛る時にネギを盛り付けよう。

 汁物を火にかけている今の内に、ここで冷蔵庫で寝かせておいた太刀魚を取り出し、魚焼きグリルに入れて焼いていく。後片付けを思うとフライパンで調理したいが、出来上がりの美味しさを思えば仕方あるまい。

炊飯器が炊き上がりを陽気なメロディで告げる。帰った時に予約しておいた。蓋を開けると艶のある米が炊き上がっていた。ふんわりと混ぜて蓋を閉めて少し蒸らしておこう。

 お盆に箸や飲み物を用意している間に太刀魚が焼き上がった。それぞれを器に盛り付けて本日の献立が完成した。太刀魚の塩焼き、きゅうりとツナの旨辛和え、なすの炒め揚げの味噌汁、ご飯だ。旬の食材フルコース。いつもはこんなに手の込んだ料理を作らないが、見たい星空のある日は拘りたくなる。記念に写真で残しておこう。スマートフォンで写真を撮った。

 窓辺にある机にお盆ごと運んで席に着く。

「いただきます」

 箸を取った。まずは味噌汁からいただく。炒め揚げしたなすはトロッとして口に溶ける。皮はパリッとした食感が少々残っているのがいい。最後に入れたことで色落ちしていないのが見栄えよい。なすが吸った油が味噌汁に溶け出してコクを生んでいる。太刀魚は骨に沿って箸を入れると、するっとほぐれる。皮の芳ばしい香りとふわっとした身の食感。塩加減も程よく魚の旨みを引き立てている。副菜はきゅうりとツナにキムチの辛味がアクセントになっている。ご飯を口にすると、全てのおかずのまとめ役になってくれた。

 じっくり味わいながら窓の外を見る。東の空でもまだ明るいが、橙に青色が混ざり始めている。雲が夕陽を反射して朱に染まって浮いている。星が姿を見せるにはまだしばらく掛かるだろう。しかし、星は問題なく見れそうだ。星空に夢を見つつ、今は料理に舌鼓を打つ。


 ピピピピピー…

 携帯のアラームが鳴る。少々乱暴に携帯を掴んだ。時刻を見れば午前一時半。確かに自分が設定した時刻だった。瞼が重い。頭も重い。それでもなんとか体を起こした。

 台所に行きコーヒーメーカーのスイッチを押す。できるまでに顔を洗っておこう。温度を低くした水を顔にかける。幾分か目がすっきりした。眼鏡を掛ける。コーヒーの香ばしい香りが漂い、頭を爽快にさせる。マグカップに注ぎ、残りをポットに入れる。どちらもお盆に乗せてベランダに出る。昼間の暑さは太陽と共に沈んだようだ。少し冷えた夜風が頬を撫でる。お盆を小テーブルに置いて、椅子に腰掛けた。天体望遠鏡は既に用意済みである。

 空には細い月が浮かんでいる。近くに明るく輝いて見えるのがアルデバランだ。その周囲の星を繋ぎ、牛の顔と角を描くことでできるのがおうし座。アルデバランのあたりに広がっている星の集まりをヒアデス星団という。今夜は月がこのヒアデス星団の星々を隠すヒアデス星団食が起こる。始まるのはおよそ午前二時。今はまだ月が星を隠す前。これから長い時間をかけて、細い月が星の前を通過していくのだ。

 今回はスマートフォンでその様子を収めたく思い、星空の撮り方を予め検索しておいた。カメラを起動し、空に向ける。今目の前にしている空と同じように撮れるだろうか。いや、撮れなくてもいい。天体望遠鏡や双眼鏡を使わなければ現象を見ることは難しいのだから。これからゆっくりゆっくり変わっていく景色を楽しもう。月がアルデバランのすぐ横をすり抜けていく。今できる限りの操作をして、まずは一枚。

 パシャリ。


 星見は天体望遠鏡を覗き込んでいた。おうし座の星の一つが月に隠れようとしている。じわじわ、じわじわと。周りの星も飲み込んでいく。飲み込まれた星は、一時間は現れない。ずっと月に隠されている。星の隠れんぼか、月の悪戯か。どちらの解釈も面白い。隠れた星は、輝くのを休んでいるのだろうか、なんて、そんなはずはないのに、くだらないことを考えてみる。

 またカメラを構えて、

 パシャリ。

 コーヒーを飲みながら、星が姿を現すまでその星に思いを馳せながら、星空をのんびり眺めているとしよう。


 午前四時。欠伸が度々邪魔をする。コーヒーによるドーピングも効かなくなってきた。

 ここまでか。

 空の端から濃紺が白い幕に覆われ始めた。星々が姿を消していく。観測も難しくなるため潮時だろう。この時期は観測できる時間が短い。

 結局、星団食とはっきりわかるような写真は撮れなかった。最初から難しいとわかっていたのだ。仕方ない。

天体望遠鏡を部屋に戻した。窓を閉める前に、もう一度空を眺めて写真フォルダを開く。写真を捲るごとに、月の位置が移り変わっていく。

 この数枚の写真が撮れた。望遠鏡でまさに月が星を隠す瞬間が見れた。何より、月と星々で構成された空に、心が満たされた。

 太陽が完全に起きるまで、もう一眠りしておこう。瞼の裏に星空を貼り付ければ、まだ夜気分だ。今日からまた、頑張れるように。あと少しだけ、瞼の裏で月を見よう。

 今週も頑張るか。

 一つ息を吐き出して、今日の夜空に別れを告げた。


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