空に届け
田中くんと星見さんの七夕のお話。
空に届け
さらさら。さらさら。
飾られた笹が風に揺れて、葉と葉が擦れ合う。風といっても、空調の風だが。色紙の飾りが共に揺らぎ、彩りを与えている。
スーパーマーケットの一角に作られた七夕スペース。自由に願い事を書けるように、短冊とペンが用意されている。その脇に、素麺販売コーナーが設けられている。ありきたりではあるが、短冊の数を見ると好評のようだ。5月の終わりに見た時よりも色鮮やかな笹になっている。
「田中さんもお書きになりますか?」
そんなに見ていただろうか。さっきまで仕事の話をしていた担当者から提案された。せっかくだからと一枚手に取った。
お願い、お願いかぁ。悩みを解決するってことなら、積年の悩みの種である『趣味特技が見つかりますように』?でも、商談先に見られている状態でそんなプライベートなこと書いていいのか?じゃあ『健康成就』とか?いやお守りか。お願いを考えつくことがお願いになってきたな。みんなどんなお願いを書くのだろう。
ふと、ある人の顔が思い浮かぶ。自分の世界を広げてくれた経理さんの顔。
あの人は、何を願うのだろうか。
本日の外回りを終えて、会社に戻ってきた。結局、短冊には『世界が平和になりますように』とあたりさわりのないことを書いた。担当者とは、のんびりした会話ができたから営業としてはよかったのかもしれない。
「ただいま戻りました」
「おかえり田中」
真っ先に出迎えてくれたのは先輩の佐藤さん。いつも髪を一つにまとめてキリッとした姐御肌な女性だ。よく相談に乗ってくれる頼れる先輩である。
「おっかえり〜田中」
次に挨拶してきたのは同期の結城だ。背の高さと目力のある面長フェイスがチャームポイントだと自己紹介で述べていた。外見が平凡な田中にとっては羨ましい限りだ。週末は共に飲みに行くことが多い。
「田中くんおかえり」
最後に声をかけてきたのは課長。部署ではほんわかした空気感で外回り疲れを癒してくれる。けれども、取引先と相対するとびしっとした営業マンで会社の手を広げてきた凄腕だ。
「戻りました。まるまるスーパーさん快諾でした。新商品も置いてくださるそうです」
「そっかそっか。よかったねぇ」
今日の成果を報告すると笑顔で受け取ってくれた。それもこれも課長が今まで築いてきた人脈あっての快諾だと思うのだが、ありがたく乗っかっておこう。
そうだ。
「課長は短冊になんて書きますか?」
「ん?どうしたの急に」
「実は」
まるまるスーパーさんに5月末から七夕コーナーが設けられていること、短冊を書いてみるよう提案されたこと、何を書くか悩んだこと、みんなが何を書くか興味をもったこと、外回りでのあらましを話した。
「願い事かぁ。確かに改めて考えると悩むかも」
「私はそういう時は、織姫と彦星が会えますようにって書くようにしてる」
「メルヘンっすね」
「いいじゃないの。そのあとの会話もしやすいんだから。でも自分の願い事となると、うん…悩むわね」
さっきの二人も会話に加わってきた。三人でうーんと考える。課長も何か思案しているようだが、自分たちとは違う気がする。
「やってみたらいいんじゃない。会社でも」
と言ったのは課長だった。
「へ?」
そう声を出したのは誰だったのか。ぽかんとしていると課長は腰を上げて「ねぇ、広報さん」と隣の広報課に声を掛けていた。「いいですね」とすぐに聞こえてきた。三人で顔を見合わせた。
ひょんな疑問からとんでもないことになりそうだ。
営業課長発信で、社内で七夕祭りが開催されることになった。営業、広報と経理から一人ずつ借り出された。営業からは発端である田中が、広報からはショートヘアが似合うクールな女性の渡邊が、経理からは明るく陽気な男性の兼近が選出された。偶然にもどちらも田中の同期である。営業課長からは、社内での催しだから、簡単なものでいいと言われたものの、任されたのだから楽しめるものをと話し合う。
「まず、発端である短冊は飾るとして、あとは?」
「祭りっていうくらいだから社員全員集まってやるか?」
いつの間にか祭りと銘打たれたこの企画。飾りだけでは祭りとは言えないだろう。かといって各部署の仕事がある。就業後開催は家庭のある人にとっては参加しづらい。
「急な集まりになると困る人もいるし、自由参加の形にしたいな」
「いいんじゃない?」
「強制参加は嫌だよな」
「自由だとしても気軽に参加してほしいね」
「社内行事だし、うちらしさもほしいよな」
うーんと唸る。三人寄っても文殊の知恵はまだ出てこない。
「七夕まで半月だし、とりあえず飾りと短冊用意しながら考えましょ」
渡邊の言う通り、各自の作成ノルマを設定して、ひとまず解散することにした。食品メーカーらしさがあって自由に参加できる七夕祭り。どんなものがいいだろう。
通常業務が一段落したため、小休憩をとりに休憩スペースへ向かう。いいアイデアは浮かんでいない。田中は腕を組んで自販機の前で考え込む。その後ろを通って隣のコーヒーメーカーに行く人がいた。そっちを見ると、眼鏡をかけた小柄な社員がいた。
経理さんだ。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
星見はカップを手に窓際のカウンターへ行った。田中は適当に飲み物を決めて後を追った。
「七夕企画の発端になったらしいな」
星見の方から話を振ってきた。珍しいこともある。しかし、これに乗らない手はない。
「そうなんです。聞いてくださいよ。短冊になんのお願い事を書くかって話をしただけなのに、社内行事の企画になったんですよ。驚きですよ」
「そうか」
星見は静かに相槌を打つ。なんだか焦る気持ちが落ち着いてきた。
今日の質問のチャンスだ。七夕について聞いてみよう。
「経理さんは、七夕と聞いて何を思い浮かべます?」
「そうだな…」
星見は少し考える素振りを見せてから口を開く。
「七夕といえば、織姫と彦星の物語が有名だ」
「一年に一度だけ会えるっていう話ですよね」
機織りが上手で働き者の織姫と、同じく働き者で牛飼いの彦星を天帝が引き合わせ、二人は恋に落ちた。すると遊んでばかりで働かなくなった。怒った天帝は二人を天の川の両岸に引き離したが、悲しむ織姫に心を痛め、年に一度だけ会えるようにした伝説だ。
「仕事を怠ったのだから当然の報いだと思っている」
「手厳しいですね」
「でも、この話は中国で生まれたのだが、七月七日に天の川を挟んでベガとアルタイルが最も光り輝いているように見えることから作られたんだ。星空を見て、あのような物語を生み出した古人の想像力の豊かさには尊敬する」
中国で生まれた話だったのか。星空からストーリーが生まれて、海を渡って伝わり、それが今や風習になっているのだからロマンである。
「でも、七夕は雨が多くてなかなか会えないって話もありますよね」
「それは現代の暦上、梅雨にあたるからだ。旧暦の七月七日は、今の八月。だから昔は晴れの確率が高かったんだ」
「そうなんですね。じゃあ毎年会えてるのかな」
「さあな」
星見は手にした飲み物を一口飲む。
「あと、七夕の食べ物として有名なのは、索餅というお菓子や天の川に見立てた素麺。今は星の形を模したものを食べる人も増えたな。自社にもそういった商品があるようにな」
「確かにあります…ね…」
頭の中で何かが爆ぜた。自由に参加できて七夕を感じれる方法。思いついたかも。
缶の中身を一気に飲み干す。
「ありがとうございました!」
返事を待たずに休憩スペースを飛び出した。
七夕の一週間前から、七夕祭り企画をスタートさせた。社内の一角に七夕飾りと食品コーナーを設けた。食品コーナーには、自社の星形の商品や七夕仕様のパッケージの商品を置いて、誰でも好きな時に持っていって良いようにした。自然な流れで短冊を書ける机も設置している。これならば、休憩がてら七夕祭りに参加することができ、気軽に楽しんでもらえるのではないだろうか。スペース設置を上に掛け合った時は緊張したものだ。
できた七夕スペースに田中、渡邊、兼近は大きく頷いた。早速来てくれているのは三人の同僚たち。その中に、佐藤と結城もいた。それぞれ思い思いの願い事を書いて笹に飾っている。
七夕祭りは社員たちに好評だった。頻繁に商品を補充しに走ったりもしたが、あれからあっという間に一週間。
七夕当日。笹の彩りは予想以上。空は雨模様。
『給料アップ!』
『新商品がヒットしますように』
『休憩スペースに新種類の飲み物ください』
『コンサートチケットが当たりますように』
『新しいキャンプセットが欲しい』
短冊の彩りも様々だ。
「これ見た社長が給料アップしてくれないかな」
「俺も新しい服ほしー!短冊に書こっかなー」
「確かに夏っぽい商品に変えてくれないかな」
三人で短冊を見て、同意したり、笑ったりしていると、通りがかる影が一つ。星見だ。
「経理さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
「星見さん!見てくださいよこの笹!」
兼近に絡まれる星見。この企画を思いついたのも星見のおかげだ。星見の七夕の話から思いついたのだから。そこでふと田中は思う。企画の話を振ってきたのは星見で、七夕の話をする星見は、いつもより丁寧に説明してくれていたような…。普段の質問には、必要最低限のことしか答えない。しかし、あの時は聞かれた以上のことまで話してくれた。それは、同僚の兼近から企画のことを聞いて、助け舟になればという気持ちで話してくれたのではないだろうか。
「ありがとうございます」
「なんのことだ」
すっとぼけられた。少し耳先が赤くなっているのは気のせいかもしれない。
「でも、こんだけ願い事があるのに、外は雨なんすよね」
「これじゃあ願い事が空に届かないかしら」
窓の外は雨が降り続いている。傘をさして歩く人ばかりだ。
ちらと星見の方を見て、にこっと笑うと、田中は口を開いた。
「大丈夫!旧暦では七夕は8月。きっとその日は晴れるよ!それまで置いて置けるように上には了承もらってるから、その時に願い事は空に持っていってもらおう!」
渡邊と兼近は少々驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。
喜ぶ二人を、星見の隣でそっと見ていた。ちゃんと教わったことが身になっている。そう感じられて、胸が温かくなった。隣の星見を見る。いつもより少し微笑んでいる気がした。
「今日の質問です。経理さんのお願い事はなんですか?」
「君の書類滑り込み癖が治りますように」
「そんなぁ!」
『この企画が成功しますように』
そう書かれた短冊があるのを、田中は気づくだろうか。
作者の発想力がないため、普通の企画内容になってしまいました。