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星に願う  作者: 美影
3/9

コーヒーの賄賂

営業の田中と経理の星見の日常の一コマ。梅雨の時期のお話。


 大粒の水滴が、鈍色の空から地面に降り注ぐ。会社の窓も、しきりに叩かれている。 

 田中翔太は階段を駆け上がっていた。一段飛ばしで駆け上がる。腕時計の秒針が動く音に急かされる。足音が喧しく鳴るのも気にしていられない。ファイルを掴む手に力が入る。

 間に合え間に合え間に合え!

「申請お願いします!」

 経理課に駆け込み、膝をつきながらも、手にした書類を差し出した。さながら土下座のようである。経理課の面々は、一様に苦笑いだ。

「締切二分前か」

「よく飽きもせず締切間際に滑り込むな君は」

 そう言って星見学は、田中の書類を受け取った。書類に目を通すと、パソコンに向き直り、キーボードを滑らかに打ち込む。しばらくしないうちに手が止まった。

「締切ジャスト」

「さすが星見さん。仕事が早い」

「あの人の書類裁きは惚れ惚れするよな」

 周囲が湧き立つ。

「見てないで仕事しなさい」

 経理課長の一言で皆仕事に戻っていった。

「休憩いただきます」

 と言って星見が席を立つ。

「星見くんは午後休まだだったね。いってらっしゃい」

 これまでのやり取りを眺めていた田中はハッとして、部屋を後にする星見を追いかけたのだった。


 思った通り、休憩スペースに星見はいた。コーヒーメーカーで商品が出来上がるのを待っているようだ。

「経理さん。先ほどはありがとうございました」

「ん」

 コーヒーを持って窓際に移動する星見に着いていく。窓の外を眺めているようだったので、同じように外に目をやる。

 雨粒が絶えず降り続いている。窓を時折強く叩く。走っていた時は気付かなかったが、雨足は弱まっていないらしい。いつもは隣のビルの向こうの空まで見通せる窓が、モザイクがかかったように不鮮明だ。

「今日の質問いいですか?」

「ダメだと言ったら辞めるのか?」

「やめません。へへ」

 そう答えると溜息を吐かれた。瞳だけこちらに向けられる。どうぞと言われている。遠慮せずに質問だせていただく。

「今日は『木星がへびつかい座で衝となる』って知ったんですけど、この『衝』ってどういうことなんですか?」

 宵の頃に南東の空で輝く木星が、へびつかい座で衝となるそうなのだ。衝という字の意味は「つきあたる」や「大事なところ。かなめ」らしいが、それだとよくわからない。

「『衝』は、外惑星が太陽とちょうど反対側に来る瞬間のことだ。この時、外惑星は最も地球に近づいて明るくなる上に、真夜中ごろに南中し、一晩中観測できる。今回の場合、外惑星は木星のことだな。太陽―地球―木星が真っ直ぐに並んで一晩中見やすくなる」

「なるほど。じゃあ木星が見つかったら、へびつかい座もわかるってことですか?」

「そうだな」

 今夜の空を見るのが楽しみになってきた。

 ドドドッと窓が強く叩かれる。雨粒と風がさらに増したようだ。気分が萎んでいく。星は見れないかもしれない。

「経理さんは、こういう雨の日はどうしているんですか?」

「質問は一日一つまでじゃなかったか?」

「いいじゃないですか!おしゃべりしましょうよ」

 また一つ溜息を吐かれてしまった。

「だって、せっかく調べても見れなかったら残念じゃないですか!梅雨入りしたせいで毎晩曇りか雨でしばらく星見れてないし。結局前と一緒ですることがないんですよ」

「まぁ…気持ちはわかるが」

 そうだな、と考えるそぶりを見せる。

「私は写真を見る」

「写真を?どんな?」

「天体写真だが、過去に同じような空が撮られた写真を検索して、空を見る。雲の向こう側を想像してな」

「わあー!素敵ですね」

 見えない空に想いを馳せて眺めるなんて考えもしなかった。

「星空は、一日二日でガラリと変わることはない。近しい空は晴れた日に見れるのだから、それまで待つのも楽しみ方の一つだと捉えている」

「確かに、それも楽しそう」

 やっぱり、経理さんと話すのは面白い。もっと話が聞きたい。

「たくさん答えてくださったお礼に、ご飯行きませんか?」

「行かない」

 取りつく島もなく断られた。星見はそのまま出口へ向かっていってしまった。

 面倒そうにしながらも、いつも質問に答えてくれる。その上、ギリギリに提出した書類も、なんだかんだで受理してくれるのだからもう頭が上がらない。

 俺、してもらっているばかりでは?

 質問には端的に、でもわかりやすく話してくれるので聞くのが楽しい。滑り込んだ書類もその日中に処理してくれる。

 何かお礼をするべきでは?

 今まで無償でどちらもしてもらっていたなんて、なんと図々しいのだろうか。これは絶対お礼をするべきだ。しかし、仰々しくしては受け取ってもらえない気がする。さて、どうするか。


 翌日。田中は、内ポケットに饅頭を潜ませていた。

 田中が一晩かけて考えた作戦。それは、『みんなにも配っているので経理さんもどうぞ作戦』だ。そのために、個包装のお菓子をスーパーで仕入れたのだ。今日は饅頭。明日はクッキーにしようか。

 星見を探す足が弾む。今日はこの後に外回りの予定が入っているのであまり時間はない。休憩スペースにいるといいのだが。

「あ、経理さん!」

 見かける時にはいつもいる窓際にその姿はあった。

「早速なんですけど、今日の質問です」


 星見は引き出しからチョコレートを取り出して、口に入れる。それを見た後輩の兼近が話しかけてきた。

「星見さん、最近お菓子食べてますね」

「ああ。もらうんだ。営業の田中から」

「へえー」

「締め切り伸ばしてもらう賄賂だったりして」

 まさかー!と周りで盛り上がるのを後にして、休憩に向かう。

 星見はここ数日、不思議に思っていた。田中からやたらとお菓子をもらうのである。饅頭に始まり、クッキーやビスケット、どら焼きなど、片手でつまめるような食べ物を、みんなにも配っているのでという台詞つきで渡してくるのだ。缶コーヒーの時もあった。今までそんなことはなかった。おかしい。何か変なことを考えているのだろうか、と。そうか。賄賂だったか。

「経理さん!」

 そら、今日も来た。一体どんな質問が飛び出すか。

「今日の質問ですけど、リニア彗星ってどんな星なんですか?」

 リニア彗星か。アメリカ空軍とNASAがリンカーン研究所により地球近傍小惑星サーベイ、リンカーン地球近傍小惑星探査で発見された彗星だ。今度、この彗星が近日点を通過するからこの質問が出たのだろう。そのように説明してやる。

「なるほどNASAが!」

 相も変わらず眩しい顔で聞いてくる。そして、内ポケットを探って何かを取り出してきた。

「はい。これみんなに配っているので、経理さんもどうぞ」

 差し出してきたのは、クッキー生地にチョコレートがコーティングされた棒状のお菓子だった。

「いやいい」

「そんなこと言わずにどうぞ」

 スーツのポケットに捩じ込んできた。そうされると突き返すのも面倒になってくる。なぜこうも渡したがるのか。

「最近こうやって渡してくるが、なぜなんだ」

「え?みんなに配ってるのでお裾分けですよ」

「これまではそんなことしていなかっただろう。どういう風の吹き回しだ。まさか締め切りを伸ばすための賄賂ではないだろうな」

「わ、賄賂だなんてそんな!ど、ういうも何もないですよー」

 田中の目がキョドキョドと踊る。

 怪しい。これは何かある。

 このまま見ていたら何か吐くのではないか。じとっと見つめ続けてみる。

 田中は懸命に目を逸らしていた。

 睨む星見、逸らす田中の構図が暫く続く。先に均衡を破ったのは田中だった。

「お礼です…」

「お礼?何のだ」

「質問に答えてくださってるお礼です…」

「お礼?そんなものいらん」

「そう言われると思って、お裾分けを装ってたんですよ」

「それにもいらんと言うのに強引に渡してくるのは誰だ」

「たはは」

 頭の後ろを掻く。開き直ったようだ。

「だから、受け取ってください!」

「断る」

「なんでですか?受け取ってくれてもいいじゃないですか」

「質問にただ答えるだけなのに、お礼など受け取れない」

「だけじゃないですよ!丁寧に教えてもらえてありがたく思ってるんですから」

「気持ちだけで」

「そう言わずに!」

 なぜ食い下がってくるのか。不思議でならない。引き下がらせる何か良案はないものか。

「なんでもいいのでお礼させてください!一番いいのは、ご飯奢らせてくだ」

「それは絶対にいらない」

 これはいらないと言っても差し出してくる。簡単なものはないか。目の端に見慣れたものが入った。

「そんなに言うならコーヒーでいい」

 いつも使うコーヒーメーカーを指差して言う。これなら無駄金を使うこともない。田中を使いにしているようで、やはり納得はできないが。

「本人が所望しているのだからいいな」

「そんな」

「それ以外は受け取らない」

 ぐう、と唸る。

「コーヒー、でいいんですね?」

「ああ」

「わかりました」

 田中が息を吐いた。溜息を吐きたいのは星見の方だった。

 しかし、これで田中が無駄に気を遣うことも減るだろう。気を遣うならば、締め切りに滑り込む習慣をなくしてほしいものだ。

「経理さんに貢ぐ物考えるの楽しかったのになー」

 星見は溜息を吐いた。


 タイピングの音がフロア各地で鳴っている。提出された書類と睨み合いながら、正確に打ち込んでいく。ここは『経理課』。それぞれノルマを達成するために作業に集中している。

本日の締め切り三分前。静かなフロアに、階段から響いてくる足音。

 ああまたか。そういう空気が漂う。

 皆の予想通り飛び込んできたのは田中だった。

「経理さん!書類お願いします!こちらお納めください!」

 紙袋を差し出す。星見が何かと除けば、近くの珈琲店のコーヒーだった。

 これではまるで

「賄賂じゃないか」

 すみません!

 田中の謝罪が、フロアに響いた。

田中の疑問は作者の疑問です。

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