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星に願う  作者: 美影
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星を見ること

 星見は丸くしていた目を鋭くすると疑念の声を上げた。

「世界?」

「えっとですね、なんと言えばいいか分からなくて」

 自分でも先程出てきた言葉が意味不明で困る。

「俺、趣味も特技もなくて、帰っても何もすることがないのが悩みで。この前の飲み会でちょろっとこぼしたら、上司からは適当に流されて。俺の悩みなんてそんなもんかと思ったんです。でも経理さんは『流星群が見れるからお願いしてみたら』って言ってくれたじゃないですか。あれから星空を眺めるのが楽しくて!あ、流れ星見ました!たくさん!自分の部屋なのに知らない景色があってビックリして。自分の世界が広がった気がしたんです。もう嬉しくて嬉しくて。もしかして経理さんならもっといろんなことを知っているんじゃないかと思って」

「だから“世界“か」

「はい」

「自分で調べたらいいだけじゃないのか」

「本も買ってネットでも調べてみたんですが…」

 やはり他力本願だろうか。ネットでどれがなんという星か、何座がどこにあるのか調べてもさっぱりだったのだ。星座早見盤なんかいつぶりだろう。照らし合わせてもなんとなくはわかるが確証がないのだ。せっかく趣味になりそうなものに出会えたのに挫けそうである。平凡な理解力の頭脳が憎い。

 よく考えれば、いやよく考えなくても迷惑な話か。

「すみません。変なこと言って」

 掴んでいた腕を離してだらんと下ろした。頭も重さのままに下げる。視界から磨かれた革靴が消えるのを待つ。

「………い」

 ぼそりと、何か告げられた。顔をそっと上げる。

「え?」

「簡単な質問に答えるくらいなら、してもいい」

「本当ですか⁉︎」

「調べたらすぐに分かることはやめたまえよ」

「はい!ありがとうございます!」

 顔が綻ぶのがわかる。では、と外に歩き出す背中に、失礼しますと挨拶して見送った。職場に戻る足が踊る。仕事が残っているのに。

 さて、何から教えてもらおうか。

 

 昨日はよく分からない約束をしてしまった。

 会社への道を歩きながら星見は思う。質問に答えるなどと、教師でもないのに面倒な。何故そのような約束をしてしまったのかと。

「あ、経理さん」

 田中は昨日見たのと同じ顔で挨拶をしてきた。

「早速なんですけど、この前東の空にこと座流星群が見えるって聞いて見てみたんですけど、全然見れなくて。どれがこと座なのかもわからなかったんですけど」

 スマートフォンの画面を見せてくる。

 思ったよりよく調べているようだ。確かに昨夜はこと座流星群が極大を迎えていた。だが、一般的なこと座流星群は4月で、今回のはこと座η《イータ》流星群で厳密には違うものだ。強度が低い上に今年は月光が明るく星見は観測を断念している。こと座の位置くらいは教えておくか。

「写真だと分かりづらいが、おそらくこの明るい星がベガ。この星を起点にして少々控えめな星々を結んだこの辺りがこと座だ」

「…結構ざっくりですね」

「この写真ではな。それにそんなものだ」

「そんなもの、ですか」

「それから今回の流星群は弱々しいから見れなくて当たり前だ」

「え、そうだったんですか」

 もっとよく調べないとですねと何かを思案した様子を尻目に自身の部署へ向かうとしよう。もうすでに一仕事終えた気分だ。

 ふう、と誰にも知られないように息を吐いた。


 時計が昼休憩の時刻を告げていた。星見が休憩スペースに持参の弁当を持って移動していた時だった。

「経理さん!」

 朝見た顔と同じ顔だった。

「次の質問なんですけど、この星がベガということはアルタイルとデネブもこの写真に写っていますか?」

 今朝見せてきた写真と同じものを翳される。ベガ、アルタイル、デネブの三つの一等星を結んでできる大きな三角形を夏の大三角という。夏の星空の目印だ。写真はベガが中心近くに撮影されているせいで、アルタイルまでは映っていない。

「デネブはあるが、アルタイルは映っていないな」

「そうですか…。もしかしてこれがデネブです?」

 少々勢いが弱まったかと思えば、すぐに次の質問を投げかけられる。切り替えの速さに感心しつつ、その通りだったので「ん」と返答しておいた。

「デネブってはくちょう座でしたよね?じゃあ」

「君、昼はいいのか」

 まだ続きそうだったので遮ってしまった。彼ははっとすると時計を確認する。

「この後商談が一件入ってるんでした!すみません、失礼します!」

 ドタバタと忙しなく休憩スペースから駆け出していった。

 漸く弁当の蓋を開けることができる。一つ息を落とした。


 短針が定時を示す。素早く荷物をまとめると、フロアに挨拶をしてエレベーターへと足を向ける。

「経理さん!」

 またあの顔である。今度は外からやってきた。

「ちょうど今外回りから戻ったところで帰る前に会えてラッキーです。昼の続きなんですけど」

 帰りたい。この時ほど願ったことはなかった。さっさと答えて終わらせるか。

「はくちょう座はこれだ。では」

「ありがとうございます!またお願いします!」

 またという言葉が引っかかったが、帰りたいという気持ちが勝り足早に立ち去った。

 明日も続くのだろうか。

 一抹の不安が過ぎる。


「おはようございます!」

 あの顔が会社で待ち構えていた。朝から気が重くなった。

「昨夜は月と木星が接近して見えましたね。木星はすごくわかりやすかったです。土星も同じ空に見えるそうですけど、どこにありますか?映ってますかね?」

 エレベーターに乗り込みながら、またスマートフォンの画面を見せてきた。昨日よりも画質がよく撮れている。月の西側に他より明るい星がある。おそらくこれだろう。東南東方向にはアンタレスも映っているが、答える必要はないだろう。

「ここだ」

「やっぱり!合ってました。ありがとうございます」

 答えている間に営業課のある階は過ぎたがいいのだろうか。

「あ!降りそびれた!」


 その日の昼休憩。

「経理さん!アンタレスってどんな星ですか?」

 その日の退勤前に。

「経理さん!天体観測のコツってなんですか?」

 その次の日も。

「経理さん!昨夜は土星と月が接近して見えましたね」

 週明けも。

「経理さん!星を見分けるコツってありますか?」

 その翌日も。

「経理さん!さそり座のケレスってこれで合ってます?」

 昼休憩にもまた来るかと身構えたが、どうやら来なさそうだ。肩透かしを食らった気分である。落ち着いて昼食を摂れるのが久しぶりのような錯覚さえある。

「あ、星見さん」

 食べ終えた頃に後輩の兼近が入ってきた。コンビニの袋を持っているところを見ると、休憩は今からのようだ。

「休憩終わりですか?」

「ん」

「そうだ。営業の田中が倒れたって聞きました?」

「なに?」

 今朝も質問しに来ていた彼が、倒れた?

「何故それを私に?」

「最近あいつ星見さんに懐いてたんで。ただの寝不足だったらしいけど、昼飯誘いに行ったらそうだって話されてヒヤッとしましたよー」

 寝不足と聞いて、これまで見せてきた写真や質問内容を思い出す。見える可能性の低い流星群。未明から明け方にかけて観測できる月と木星の最接近。同じく未明から明け方で大接近する月と土星。太陽・地球・ケレスが真っ直ぐに並んで一晩中見える時期。

「今どこに?」

「営業の応接スペースにいるらしいっすよ」

 簡単に礼を述べて休憩スペースを後にする。向かうのは、あの馬鹿のいる営業課だ。


 やってしまった。

 まさか職場で倒れるなんて思っていなかった。原因はわかっている。ただの寝不足だ。応接スペースで仮眠をとるように言われて大人しく寝ているが、情けないことこの上ない。仕事ではなく完全にプライベートでの寝不足で周りに迷惑をかけてしまった。

「あれ?星見くん。珍しいね営業課に来るなんて。なんか書類に不備あった?」

 どきりとする。経理さんだ。

「いや、田中に用があって来ました」

 怒られる。直感的にそう思った。アイマスク代わりと渡されたタオルで顔を隠す。

 気配が近づき、向かいの椅子に座った。

「大丈夫か」

「はい…」

 沈黙が落ちる。顔が見れずにタオルを握る。口を開いたのは、星見だった。

「悪かったな」

 がばりと起き上がる。

「経理さんが謝ることじゃ」

「私も嬉しかったのかもしれない」

 意外な言葉に彼の顔を見た。

「星について訊ねてくる人なんてそうそういない。自己満足で終わっていた知識を興味をもって訊く君がいて、私も舞い上がっていたのかもしれないな。だから気づくのが遅くなった。君が一晩中起きていることに。すまなかった」

 頭を下げる星見に何も言えなくなった。

「星は無理して観るものではないと、私は思っている」

「無理は…してますね…」

 倒れてしまった手前、否定することはできなかった。でも、無理をしていたわけではないことは伝えたかった。

「俺、最初に話したように嬉しかったんです。心から楽しいことなんて今までなかったんじゃないかって。でも、ただ眺めるだけが趣味でいいのかって思って。一生懸命調べて、その日の見所を逃さないようにと必死になってました。それでもわからないことが不安で。無理…してました…。向いてないんですかね、天体観測」

「もちろん、知識をもって観るかもたずに見るかでは違ってくるかもしれないが、焦って全て把握することはないんじゃないか。私だってまだわからないことはある」

「経理さんも…?」

「ああ」

 星見は頷くと、上を向いた。そこに星空があるように。

「観たい星を見失った時、そこにある星空を眺める。それだけで満たされる」

「それでいいんですか…?」

「少なくとも、私はいいと思っている」

 楽しくなかったか?と問いかけられる。

 楽しかった。どこにあるのか探しながら見ること。まだかまだかと流れる星を待ったことも。月と木星がだんだん近づいていく様子も。月から離れていた星が、翌日には近づいている変化も。全部楽しかった。

 いいんだ。わからないことがあっても、完璧でなくても、それを趣味と言ってもいいんだ。

 呼吸がしやすく感じる。

「ありがとうございます」

「ん。今日は睡眠をよくとることだ」

「はい」

 返事を聞くと、星見は立ち上がる。

「わからないことがあったら、また聞きに来るといい」

 嬉しい言葉を残して立ち去っていった。

「ただし、一日一つまでだ」

 田中は笑った。


調べても調べてもわからないのは作者の実体験です。

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