私と父親は血の繋がりがない! 赤の他人だけど愛してる!
“私と父親は血の繋がりがない! 他人だけど愛してる!”
私の母親は、専業主婦で父親とは25年間連れ添っている。
でも? 母親が浮気してできた子供が私だ!
二人の間に、長い間子供ができず母親は父親の母から随分と
いびられていたらしい。
『あらあら時子さん? まだ子供はデキないの?』
『お母さん、スミマセン! もう直ぐ子供もデキると思います。』
『もうそんな事を言って、何年経つのかしらね?』
『母さん! 時子をそんなにイジメるなよ!』
『伸夫だって分かってるんでしょ! 早く私は孫の顔が見たいだけなのよ。』
祖母はそう言うと? 必ずウソ泣きをしていたらしい。
“まるで祖母が悲劇のヒロイン”のように......。
でも、本当の悲劇のヒロインは母親だ!
*
・・・母親はずっとそう思っていたらしい。
でも子供ができないと年々母親にきつく当たる祖母。
それが遂に母親も耐えられなくなり、不倫に走ってしまった。
ふたりの間に子供ができなかった原因は、父親にあった。
父親は【無精子症】だったと後でわかる。
私は母親が不倫相手との間にデキた子だった。
父親もそれは、どこかで分かっていたのだろう。
祖母は私が母親のお腹の中にいると分かると、大喜びした!
私は“初孫”だったからだ。
父親は一人息子で、ずっと孫の顔を見たいと待ち続けていた祖母。
私が生まれた時は、祖母は感動して病院で泣き崩れたと聞いている。
最初に私が産まれて抱きかかえてくれたのも祖母だった。
お母さんもその時ばかりは素直に喜んでいたらしい。
でも? お父さんは違った!
私が産まれてから私が2歳になるまでの間は抱っこは一度もしなかった。
確かに、“私がお母さんと浮気相手との間にデキた子”なら?
お父さんとは一切、血が繋がってない他人だ!
そんな子を父親は愛せる訳がなかったのだろう。
お母さんもお父さんに何も言えなかったらしい。
でも? これで“嫁姑問題”はなくなった。
私がデキた事で2人の関係性が良くなったからだ。
その代わり、父親と母親の関係が悪くなった。
二人は別々の部屋になり、二人が話す時は私が常に居た。
そうじゃないと会話にならなかったのだろう。
『二佳? 今日の晩ご飯はなんだ?』
『お母さん、お父さんが今日の晩ご飯は何か聞いているよ。』
『煮魚ですよ。』
『だって、お父さん!』
『分かった、今日は家に帰って食べるとお母さんに言っといてくれ!』
『・・・・・・』
『うーん、もぉ~そこにお母さん居るんだから! 直接言ってよ!』
『じゃあ、行ってくる。』
『・・・・・・』
二人は完全に冷めきった夫婦になっていた。
でも? お父さんは私には物凄く優しかった。
今想えば? 血が繋がらない私をお父さんは愛情を込めて育てて
くれていたんだと思う。
自分のせいで子供ができなかったから? 後ろめたさもあったのだろう。
それでもお母さんをどこかで許せなかったから冷たくするしかなかった
のかと勝手に私はそう思っていた。
・・・何故なら、お母さんは私が中学生に上がる頃になると?
病気になりあっという間に亡くなってしまったからだ。
血の繋がらにお父さんとの私は二人暮らしになる。
10代の頃の私は反抗期で、長い間お父さんと一言も話さない時もあった。
それでもお父さんは私の為に、料理や洗濯、掃除、家事はほとんどお父さん
がしてくれた。
仕事だけでも大変だったはずだが、朝早く起きて私のお弁当まで作って
くれたお父さん。
今では私がお父さんの為にお弁当を作る。
そして私が18歳の時に分かった事があった。
私は、“心からお父さんを愛している事を、、、!”
父親としてではなく、“一人の男性としてお父さんを好きになっていた。”
そして私は父親にそっと告げる。
『“ごめん、私、本気でお父さんの事好きになっちゃったみたい!”』
『えぇ!?』
『愛してるの、お父さん!』
『・・・な、何を言ってるんだ!? お前は俺の娘だぞ!』
『でも? 私と血が繋がってないんだよね......。』
『・・・そ、それをどこで?』
『亡くなる前に、お母さんから訊いたわ。』
『うーん? でもな、血が繋がってなくても俺とお前は親子なんだぞ!』
『分かってる! でも好きなの!』
『・・・・・・』
私のお父さんへの想いはこれからどうなるのだろう?
どんなに好きでも、“親子”としてしか想ってくれない父。
こんなにも私は父親を愛してると言うのに......。
最後までお読みいただきありがとうございます。