第六話「吸血鬼ヒルダ」
マチルダさんの涙ぐんだ声が謁見の間に沁みた。その空気をテオは、ゆっくり切り裂いた。
「・・に、人間?」
「そうじゃ。」
「でも、真祖の吸血鬼は生まれ時から、アンデットであり生粋の吸血鬼だよね・・。」
「ほぅ、吸血鬼にやけに詳しいではないか。」
「うん、実はね僕はここから東に海を渡った大陸の、ある国の王子だったんだ。」
「王子?・・其方がか?」
「あはははっ、うん。一応ね。でももう、王族じゃ無いんだ〜お兄様に嫌われて、ここに流されちゃった。」
「そうか。妾と主人殿は同じ運命を背負っているのだのう。」
「え・・。」
ヒルダは、青白く細い腕をゆっくりと動かして、少し節立つ細くて長い指をテオに刺す。
「主人は都落ち、妾は落とし子。というわけじゃ。」
「っ・・!?」
そうか・・吸血鬼も人と交われると仮定するなら・・でもそんな事が可能なのかな?
僕は思わず口元に拳を当てて、考え込んでしまった。
「アンデットと人間の間に生命が誕生してしまったのだ。これほどの悲劇と神への冒涜が同居している事はなかろう。クククっ。」
「・・・。」
それからヒルダさんは滔々と過去を語ってくれた。もちろん、僕が今、彼女の主人だからだ。
妾の母は、帝国の姫だった。大事に育てられた姫は、皇宮から出た事がなかった。
そんなある日、一人の始祖の吸血鬼が帝国を滅ぼした。
その吸血鬼こそ妾の父、始祖の吸血鬼“ヴァン・アルフ・ドラキュラ”
普く吸血鬼の大王、その人だったのじゃ。
皇宮に残る最後の獲物、箱入りの姫は父上が食してきた獲物の中でも最上だったらしい。
初めて父上が、人間の命を奪うことを躊躇った。
いままで全ての生物を、一吸いで枯らしてきた父上がその血を惜しんだのだ。
それから父上は、足繁く廃城の一室に住まう人間の姫を訪ねた。
一つの奇跡は、また一つ奇跡を呼んだ。
吸血鬼が人と恋に落ちたのだ。
それが妾の悲劇の始まりであり、悪夢だった。
何も知らずに育ち5歳になった頃、母が病に罹り亡くなった。
それ以来父上は、姿を見せなくなり。
7歳になる頃、初めて出会った人間の優しい木こりを喰べた。
腹が膨れると、目の前にアンデットがいた。
妾は訳もわからず逃げ出した。
気づけば、人間から石を投げられ心臓に杭を打たれそうになっていた。
そんな時、父上が現れ死を振り撒き、妾をドラキュラ城へと連れ去った。
そこには、家族がいたが・・今度は死んだ方がマシだと思えるような仕打ちが待っていた。
父上が妾に与えた侍従がマチルダだったのだ。
マチルダだけが妾の身を案じてくれた。
毎日のように妾を姫様などと呼んでくれたのだ。
「これが妾の全てじゃ。今は、城を去りこのような辺鄙な孤島でマチルダと二人、悠々自適という訳じゃ。さぁ、これで主人の望みも叶ったであろう?・・・。なぜ、其方が泣くのじゃ・・」
僕は、ヒルダさんの話の途中から涙が止まらなくなっていた。左右の手で必死に、込み上げて溢れてしまう雫を拭きあげるけど、だめだ。止まらない。
「だって、ヒルダさんは素敵なお姫様じゃないですか!!人間とアンデッドの間に生まれた奇跡じゃないですか!!なんで、なんで、ヒック、そんなに、悲しそうに、ック、辛そうに語るんですか!!」
「・・奇跡。っふふふ、クックック、フハハハハ!妾が奇跡?!じゃと!!?人にもなれず、吸血鬼としても不完全な妾が奇跡などであってたまるものかっ!!!」
「あなたは分かっていない!!あなたがどれ程の奇跡の上に、生まれて来れたか。そしてどれほどの愛に包まれて・・・」
狂乱したヒルダがテオの話を遮った。ヒルダから放たれる黒いかまいたちがテオの皮膚を切り裂いた。
「黙れ!黙れ!!黙らんか!!!!」
「テオ様!!!」
すかさずオルガが、テオの前に立ちはだかり彼を守ろうとした。しかし、テオはオルガの腕を掴んだ。
「どいてオルガ。」
「なりません、私はテオ様を守ります。」
「違うよオルガ。今守るべきは僕じゃない。」
「何をおっしゃっているのですか?!」
僕じゃないよオルガ、今守るべきはヒルダさんだ。僕を殺す気なら、こんな弱い攻撃じゃない。
既に僕の貴血は彼女の体内に残っていない。
だから彼女は、さっき僕を殺せたはずだ。・・本当に気に障ったのなら。
テオは、オルガをずいっと押しのけてヒルダに近づいた。
「くっ、来るでない!来るなと言っておろうが・・近寄るな!!!」
また黒きかまいたちがテオを襲った。無数の切り傷がテオに刻まれた。
「「ゴックリ」」
二人の吸血鬼の喉が鳴る。あまりの芳醇な香りと甘味が、謁見の間に充満した。
テオは遂にヒルダの前まで来た。そして強く下唇を噛んだ。口一杯に血が溜まるとヒルダの両手を握って、精一杯彼女の顔を引き寄せた。
「ッツ!!?」
「テオ様!!?」
「ん///」
僕は彼女に思い出して欲しかった。僕の血を通じて、彼女が封印していた幸せだった頃の記憶を。
安心して、ほら思い出して、ヒルダさんとお母さんとお父さんが幸せだった頃を。
この小僧一体何を??!突然妾の唇を奪うとは、その上唾液まで流し込んで・・これはまずい唾液などでは無い!!これは貴血!!まずい!!このまま・・では・・
妾の中に、此奴の血が流れて来るのが嫌じゃない。むしろ心地よいと言えよう。・・暖かい。
・・ふっ、暖かいと感じたのはいつぶりであろうか。
ヒルダは、テオの接吻に身を任せ気持ちよさそうに瞳を閉じた。