IX.I don't forget
「よっ、慎っ!!」
「おはよ、智哉」
朝、それは今日の始まり。
俺にとっては、かけがえのない明日への希望でもあった。
教室に入れば、智哉が俺の肩を叩いて、挨拶をしてくる。
“彼女”がくれた、大切な日常。
俺が席に鞄を置けば、智哉も隣の机に腰をかける。
何気ない会話が、口元を緩める。
ここは、“彼女”が創った新たな世界。
歪みひとつない、真実の世界。
俺はこの世界で、あの時と何も変わらない、平凡な日常を過ごしている。
授業は気まぐれで、まじめに聞いていたり、たまに寝ていたり。
俺は、俺らしくいた。
放課後、智哉は俺に言った。
「今日、どっか行かね?」
それに対し、俺は席を立ち、首を横に小さく振った。
「悪いけど、今日はちょっと大事な用があるから、またな?」
俺はそう言って、教室を出た。
しかし、智哉がすぐに追いつき、俺の肩に手を乗せてきた。
「んじゃ、ちょちょっと付き合ってやっから、そのあと行こうぜ」
あまりに嬉しそうだったから、俺は思わず笑顔で、智哉の肩に手を回した。
気づけば、俺も何だか嬉しかった。
「ここ、か?」
「うん」
静かに佇む墓石は、何度来ても、優しく見える。
智哉は気まずそうな空気に、申し訳なさそうな顔をしている。
しかし、少ししんみりとしたこの空気は、サァーっと吹き抜けた風に乗って、遠くへ向かっていった。
実際、風が冷たかったせいで、智哉は豪快なくしゃみをして、笑う空気になっていた。
季節は、もうすっかり秋だった。
足元の紅葉は、カサカサと音を立てていた。
俺は少し笑ったところで、墓石をまっすぐと見つめた。
はっきりと掘られた“神谷家之墓”の文字が、心を揺さぶる。
「なぁ、神谷ってやつと知り合いなのか?」
不意に訊かれた智哉の言葉が、深く胸に突き刺さった。
そう・・・この世界で“神谷 海咲”は、軽トラックに轢かれ、すでに亡くなっているから、高校には来ていない。
だから、もちろん智哉は、海咲を知らない。
それはすごく悲しいけど、後悔はしていない。
海咲の最後の願いを、ちゃんと叶えられたから。
それでも、智哉に海咲を知っていてほしいなら、俺が言えばいい。
海咲のことを、ちゃんと智哉に教えればいい。
「今度、話すよ」
「んだよっ、言ってくれたっていいじゃ・・・って、まさか・・・」
途中で、智哉は言葉を切り、慎重に口を開いた。
「・・・元カノ、とか?」
「ん〜・・・まぁ、とりあえずお供えしとこう」
俺はそう言って、線香を供え、合掌した。
智哉も、少し遅れて手を合わせる。
そして、しばらくの沈黙の後、俺は智哉の肩に手を乗せた。
「よし、じゃあ次行こう」
「次っ!?・・・ったく、しゃぁねぇなっ!!」
そう言って、俺の背中をバシッと叩いた。
思いっきり叩かれて、少し痛かった。
「・・・」
智哉は、目の前の光景を目にして、唖然と口を開けていた。
目の前には、あの裏庭の桜の枝で作った十字架が、夕陽と向き合って立っていた。
崖に作られていて、向こう側には、海が広がっている。
果てしなく続く茜色の海を見ていると、海咲の嬉しそうな顔が、頭に浮かんだ。
俺は、首にかけている二つのネックレスのうち一つを、首から外し手に取った。
十字架のそばで、膝をつき、ネックレスをそっとかけた。
そのネックレスには、羽根がついていた。
「そのネックレス、何ていうんだ?」
智哉は、気のきいた言葉を言おうとしていたのだろう。
思いつかなくて、こんなことを聞いたんだと、俺にはすぐにわかった。
俺はふり返り、智哉に微笑み、口を開いた。
「“クジラの羽根”っていうんだ」
智哉は、やや首を傾げてから、なんとか納得したように頷いた。
おそらく、そういう作品名みたいなモンなんだな、と妥協したのだろう。
笑みしか、こぼれなかった。
「俺たちの・・・二人だけの想い出の羽根なんだ」
「ふ〜ん」
しばらく十字架を見つめていると、後ろから風が吹いた。
・・・持ってきてくれて、ありがと・・・。
声が聞こえてきた気がした。
風に揺られて、ネックレスから羽根がとれると、風に乗って、海の彼方へ飛んでいった。
「お、おい・・・羽根が取れちまったぞ?」
「違うよ。海咲が、羽根を持って帰ったんだ」
「海咲ってのは、この子か。・・・お前って、やっぱ変わってんな」
俺は苦笑いして、夕陽を眺めると、頭をパシッと叩かれた。
「そこツッコめよっつのっ!!」
思わず俺は「ご、ごめん」と謝ってしまったが、吹き出してしまった。
しんみりとしそうになると、何かと明るくなるように物事が動く。
本当は偶然かもしれないけど、俺は、海咲がただ俺たちに、笑っていてほしいと思っているから、そうなるんだと思っている。
智哉は、ここで会話を区切り、改めて口を開いた。
「なぁ、海咲って子について、聞かせてくれよ?」
「そうだな」
俺は思わず、自然と笑顔になった。
海咲は消えていく間際、俺に話しかけてきた。
・・・ねぇ、しんくん・・・さいごに、またおねがいがあるの・・・。
「言ってくれ」
・・・しんくんと、うみをみたいな・・・。
「わかった」
・・・あと・・・しんくんのてで、はねをわたしてほしいの・・・。
「うん」
・・・あっ、でも・・・それは、なつがおわってからにしてね・・・?
「相変わらず、注文が多いな」
・・・だって・・・さいごだもん・・・。
そう言った海咲の体は、半分消えていた。
光となって、空へと帰っていく。
その光に、涙が紛れているように見えた。
「最後じゃない・・・ずっと、一緒だ」
俺は羽根を握った。
すると、海咲は満面の笑顔で、口をひらいた。
・・・しんくん・・・だいすき・・・。
光は空へと帰っていった。
俺の頬は、涙で濡れていた。
「海咲のこと、絶対に忘れないから」
〜fin〜