第八話 未踏破領域の罠
こうして順調に探索を進めていく一行。
だが、初見ですんなり踏破させてくれるほど、未踏破領域は甘くなかった。
ーー坑道を超え、深淵領域に足を踏み入れてから二時間ほど。
円形の大きな広場のようなところで休んでいた時、それは現れたのだ。
「ーーオズッ!」
「ハァ、ハァ、キリがねぇぞ、クソがッ!」
黄金色に光る体躯は影のように黒く、浮いている。
次々と沸きだしてくる魔獣の一体ーー影蛇を迎撃しながらオズが叫んだ。
拳や影で倒しても、リリアが凍らせても無駄だった。
影蛇は氷の中を泳ぎ、飛び出してくるのだ。
「どういう仕組みなの、もうッ!」
ルージュが血の刃で切り裂きながら不満をぶつける。
既に地面に転がる影蛇の数は数百体を超えるーーなのにまだ。
「カレンさん、合わせてください!」
「はい!」
リリアとカレンが背中合わせになった。
二人は左右から迫ってくる影蛇を睨みながら両手を合わせた。
「《凍りつけ》、《茨の如く》……」
「大地の子よ、大地の子……」
カレンの足元から無数の砂粒が盛り上がり、土槍へと姿を変える。
リリアの周囲の空気が凍り付き、氷槍へと姿を変える。
そうして形成された槍の数ーー三百本以上。
周囲全てを埋め尽くすほどの槍が、大気を切り裂いて放たれた。
「『氷撃の矢』!」
「『大地の怒り』!」
断末魔の悲鳴が連鎖する。
蒼い血を撒き散らしながら倒れていく影蛇。
氷と土の槍が光の粒子となって消えていく頃、足の踏み場もないほど死体が転がっていた。
「なんとか凌ぎましたが……」
「ジーク、そちらは!?」
リリアは弾かれたように振り返る。
前方、入ってきた場所とは逆の出口を一人で担当しているのはジークだ。
彼は数千匹を超える魔獣の群れを、雷の壁を作って堰き止めていた。
「駄目かな。こいつら、倒した傍から分解したみたいに湧いてくる。本当にキリがないよ」
「……っ」
頬に冷や汗を垂らしながらジークは告げる。
一同の間に緊張が走った。
(今はまだ、ジークが持たせてくれていますが……)
(兄貴の力だって無限ってわけじゃねぇ。こんなところで疲労してたら)
(最深部の『主』にやられる。力を使いすぎれば不味いですわね)
(……うーん。正直、舐めてたかも)
ルージュはそう言いながら、足音を響かせて現れた魔獣たちを振り返る。
自分たちの逃げ道を塞ぐように、目のないゴリラのような魔獣が数十体。
血に飢えた彼らはゆっくりとこちらに近づいていた。
しかも、
「…………っ、なんかここ、寒くない?」
「確かに……底冷えするような寒さですね。しかも徐々に寒さが増してる」
相次ぐ魔獣の連鎖。安定しない環境、慣れない探索。
これが、これこそが未踏破領域に挑むという事なのだ。
「分かっていたことだけど……甘くはないね、やっぱり。でも」
呟き、ジークはアルから受け取った羽の一部を宙に浮かせ、背後に向かわせる。
「僕の友達を、舐めてもらっちゃ困るよ」
「ーーグォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
獣の雄叫びが響き渡った。
獲物を求めた魔獣たちがリリアたちに襲い掛かった声ーーではなく、
「援護するから、存分にやって、オズ」
「グラァッ!」
地竜化したオズワンが上げた威嚇の声である。
巨大な竜となった彼は口腔に光を溜める。周囲の闇を払うほどの超高熱。
「ーーーーーーーーーーーッ!」
地竜のブレスが、魔獣たちを真っ向から焼き払った!
衝撃の余波で大地が弾け、熱風がジークたちの間を駆け抜ける。
肌が焼けるような熱は、しかし、リリアの氷が温度を下げて守ってくれた。
かろうじて破壊から逃れた魔獣たちがオズワンに取り付こうとするが、ジークの剣が彼らを切り裂く。
そしてーー
「グルル……!」
勝ち誇ったようにオズワンが唸る。
光線の後に残されたのは、おびただしい魔獣の死体であった。
地竜化したオズワンは大きく口をあけながら、死体に食らいついていく。
ばりっ、ぼり!むちゃくちゃべちゃくちゃぁ…………。
薄暗い洞窟の内に響く咀嚼音に、ルージュが頬をひきつらせた。
「うーん。聞いてはいたけどグロい。よくそんなの食べられるね、ゴリラ」
「私たち獣人が強くなるには、ああするしかないですから」
カレンが複雑そうな表情でつぶやいた。
オズワンは獣人故に陽力を持たず、カレンやイズナのように精霊術もない。
だから魔獣の死体を喰らう事でエーテルを直接取り込み、おのれの肉体と魂を強化しているのだ。
こういった行為も、獣人たちが呪人と呼ばれる所以でもある。
「まぁ、強くなれるならそうするよね。あたしだってそうすると思う」
「ありがとうございます、ルージュ様」
以前、オズワンは冥界でジークたちと別れた後、魔獣を喰らって強くなろうとしていた。冥界に住まう魔獣たちを喰らって辿り着いた結果、その力を振るう機会はなかったが……。
(ま、お兄ちゃんの役に立ちたいって気持ちは伝わってくるよ。癪だけどね)
呟き、ルージュはジークの方を見やる。
先ほどから魔獣を食い止めていたジークは、勝機を見出したように目を眇めていた。
「トニトルス流双剣術異型」
無数の剣を砲台のように組み換え、狙いを一点に集中。
強烈に輝く光がルージュたちを照らし、
「『荷電粒子砲・極』!」
極限まで圧縮された雷の渦が、魔獣たちの中心を穿ち貫いた。
弾丸の如く魔獣の群れを突き破った光は、その最奥に居る本体を打ち砕く。
断末魔の声を上げ、魔獣の群れは次々と崩れ落ちていった。
「ハァ……やっぱり本体が奥に隠れてたんだ。これだから未踏破領域は……」
本体の位置を探るのに時間がかかってしまった。
そこまで疲れたわけではないが、仲間たちに負担をかけたことは申し訳ない。
「みんな、大丈夫?」
「はい。ジークが食い止めてくれてましたので」
「ん-ん。僕だけだと危なかったかも」
ふわりと微笑むリリアに頷きを返し、ジークは仲間たちの元へ。
「とりあえず進もうか。ここは血の匂いが濃すぎる。魔獣たちが
ーーゾクッ!
頭頂からつま先までを、凄まじい悪寒が駆け抜けた。
「ルージュッ! みんなを連れてそこからーー」
【いやぁ。なかなか良き女子たちだ。抱いていいか? いいよな?】
ぐわん、とリリアたちの足元に穴が開いた。
雷の速度で駆け抜け、手を伸ばしたジークだが、
「みんな」
「ジーク」「おにいちゃ」
伸ばした手は届かない。
足元の闇が彼女たちを引きずり込んだからだ。
彼女たちの姿が完全に消え、声にならないジークの叫びが響き渡った。
地面に魔剣の切っ先を向け、極大の雷が放たれる──。
それから、五分後。
「ーークソッ!」
ジークは足元の石を思いっきり蹴り飛ばした。
からん、と音を立てて転がっていく石が虚しくひび割れる。
「ハァ、ハァ、アルトノヴァで斬っても無駄か……!」
ジークは地面を親の仇のように睨みつけた。
因果を断つアルトノヴァであればリリアたちの後を追いかけられると思ったのだが、無駄だ。
どれだけ穴をあけても、リリアたちの気配はかけらも掴めない。
「たぶん、空間的に断絶している。しかも、さっきの気配……」
リリアたちを連れ込んだ声を思い出す。
あれは、間違いなくーー
(神霊……! この未踏破領域、神霊が居るの……!?)
深淵領域ニクセリスは冥界の神々の拠点となっていたような場所だ。
普通の未踏破領域に神霊は現れないが、ここならあり得るかもと思ってしまう。
だが、そうだとするなら問題は深刻化する。
「リリアたちが神霊に……勝てる……かな」
不安になってしまうのは、成長した仲間たちの底力を知らないからだ。まだジークたちは互いに全力を出していない。余力を残している。その状態で魔獣たちとばかリ戦い、神霊などの強力な敵とは戦わずに済んでいるが、今回はそれが裏目に出てしまった。今の彼女たちが神霊に勝てるかどうか、ジークには測れない。
「クソ、クソッ! また神々か……!」
ジークは声を荒げている自分にハッとした。
「……待て、落ち着け、僕。ふぅ……こういう時こそ、頭を冷やさないと」
未踏破領域では冷静さを失った者から命を落とす。
ジークはそのことを知っていて、呼吸を落ち着かせた。
息を吸って、吐く。地面に落としていた顔を上げた。
「……そう、そうだ。ルージュには僕の陽力が流れてるはず。アル、僕の力を追える?」
「きゅー? きゅ、きゅー!」
ジークは神獣形態のアルにおのれの匂いをかがせる。
これで上手くいくかどうか不安だったが、アルは翼を広げて「きゅー!」と空を回った。
「いけるんだね? よし、じゃあすぐに行こう」
ジークが呟いた、その瞬間だ。
『ーーお前は行かせない』
ハッ、とジークが振り向いた。
その鼻先を鋭い何かが通り過ぎて、頬に一筋の亀裂が走る。
「……っ、誰だ」
その場を飛び退いて体勢を整えるジーク。
闇から染み出るようなナニカが、彼の前に立ちふさがった。
「我は偉大なる神の眷属、モルゴス」
漆黒の鎧を纏い、額を覆う兜からは鋭い耳が覗いている。
血に濡れた赤い瞳がジークを射抜いた。
それは死の記憶に打ち勝ち、人の意思を残した悪魔。
それは冥王の眷属にして不死の都の住人。
「エルダー……! こんなところに……!?」
「ここは……我が神のおわす神聖な場所。貴様が居ていい場所ではない」
くぐもった声で呟き、モルゴスは剣を抜いた。
「大人しくここで待っているがいい。運命の子」
「……どいつもこいつも、勝手なことばかり言いやがって」
「ギュォ……」
ジリ、と雷が迸る。
アルトノヴァが唸ると同時に、無数の雷がその場に奔った。
「ぶっ潰してやる」
静かな怒りを纏い、ジークは飛び出した。