第六話 探索準備 × 抱える想い
『聖なる地』カルナックの北方、黒鉄山脈の地下深くに伸びる洞窟がある。
地下十キロを超える深さを誇り、その最奥に辿り着いた者は誰一人としていない。だがその分、そこから採掘される魔晶石の純度は桁違いと言われ、
強力な魔獣の素材や踏破の賞金を目当てに足を踏み入れる者は後を絶たない。
危険度Sの未踏破領域、『深淵領域ニクセリス』。
かつて冥界の神々が地上に侵略してきた際、拠点にしていたと言われる秘境である。
「最初はここがいいと思う」
異端討滅機構によりジークたちに与えられた活動拠点。
貴族屋敷のような大きな屋敷の居間で、ジークたちは話し合っていた。
「いきなり危険度Sの未踏破領域ですか……」
「うん、たぶん大丈夫だよ。みんなもいるし」
頬をひきつらせたカレンに、ジークは軽く返した。
カレンとしてはレギオンの初陣という事もあり、軽めの未踏破領域を攻略してから本番に向かいたいようである。
互いの連携、加護の効果、動き方の確認など、準備をしておきたい事が山ほどあるというのが彼女の意見で。
「最初に『深淵領域ニクセリス』というのは少し……いえ、かなり危険では?」
「アタシも同意見だ。最初はAランクの未踏破領域にしておいた方がいいんじゃないかね」
「……理由を聞いてもいいですか、ジーク?」
他の皆も同じ意見のようで、ジークに視線が集まる。
ジークは肩を竦めて、
「だって、最初に一番危険なところを行ってたら後が楽でしょ?」
「それは、そうですが……だからこそ最初は」
「ううん。逆だよ。期間は一か月しかないんだよ?」
ジークは譲らない。
「十個の未踏破領域にはたぶん、ほとんど連続で挑むことになると思う。それなら、疲れてどうしようもない時に挑むより、最初に一番難しい所を終わらせた方が楽だよ、絶対」
ハッ、とリリアとカレンは顔を見合わせた。
「なるほどね」とテレサは納得顔だ。
「ちゃんと考えてるってわけかい」
「失礼な。僕だって考えてるんですよ」
「では、最初に危険度Aを攻略してから危険度Sに挑むという方法もあるのでは? その方が危険も少ないかと」
「そんな甘い覚悟じゃどこに行っても死ぬよ? カレンさん」
「……!」
カレンは目を見開いた。
ピン、と尻尾を立たせた竜人に、ジークは告げる。
「危険度とか、初陣とか、そんなの関係ないよ。だって準備なら目的地に向かう間、いくらでも出来るじゃん」
「それは、確かに……」
「僕はたぶん、ここにいるみんなより未踏破領域に潜ってる。だから分かるんだ。あそこの本当の敵は、魔獣でも、環境でもない」
ジークは一拍置いて、
「油断だよ」
「……!」
「未踏破領域の主を倒した時、欲しいものを手に入れた時、逃げ切れた時、魔獣を倒した時、一瞬の気の緩みで、人は簡単に死ぬ。環境で、魔獣で、疲労で、毒で、すぐに死ぬ。だから、一番最初に危険なところに行って、気を引き締めなきゃ。あそこは、人が足を踏み入れるようなとこじゃない。僕たちはいつだって命懸けなんだってことを、身体に覚えこませないと」
淡々と語るジークの言葉に、その場の誰もが言葉を発せないでいた。
他の誰かが同じ話をしていたなら「心配しすぎだ」と一笑に付したであろう。
だが、語っているのは他でもない、ジークだ。
アステシアやゼレオティールといった伝説級の加護を宿し、
神霊ヴェヌリスを撃退し、第七、第六死徒を倒し、
月の女神エリージアから生き延び、冥王と渡り合った紛れもない英雄だ。
そのジークが、未踏破領域を危険だと言っている。
油断も慢心もなく、警戒をにじませた声で。
ごくり。と誰かが生唾を呑みこんだ。
張りつめた緊張が満ちた室内で、ジークは「まぁ」と相好を崩した。
「みんなと一緒なら、どこへだっていけると思うけどね。念のためだよ、念のため」
「そう、ですか」
リリアはほっと肩の力を抜いた。
(わたしはまだ、甘く見ていたかもしれませんね。ジークの事を……)
ただ強いだけではない。ただ優しいだけでもない。
この場の誰よりジークは地獄を……そして世界を知っている。
それは彼が十年近く世界を放浪した、痛みと経験の蓄積だ。
自分たちとは、積み重ねたモノが違う。
カレンも同じように感じたのだろう。
リリアとテレサが顔を見合わせた隣で、恐縮したように頭を下げた。
「わたくしが浅慮でございました。申し訳ありません、ジーク様」
「んーん。むしろありがと。僕が思わないことを言ってくれるのは嬉しい」
「ジーク様……」
ほぅ、とカレンは熱い息を吐いた。
すると、それまで黙っていたルージュが慌てたように二人の間に入り、
「はいストーップ! なんか知らないけどストーップ!」
「どうしたの、ルージュ?」
「どうしたの、じゃないよ! もう、お兄ちゃんの女たらし! あほ! 馬鹿!」
「えぇ……」
いきなり怒りだしたルージュにジークは困り顔だ。
このところ気分が変わりやすい妹の対処に頭を悩ませている。
(これがハンコウキって奴かな……うーん。年頃の女の子は難しい)
「お姉ちゃんも何か言ってよ!」
「ふふ。大丈夫ですよ、ルージュ。ジークはわたしたちから離れたりしませんから」
おいで、と言われてルージュはリリアの膝に収まった。
慈愛の笑みを浮かべる天使のリリアと、ふくれっつらの悪魔のルージュ。
絵になる二人を見て、「ハッ」とオズワンが鼻を鳴らす。
「ま、おれはどこでもいいんだけどな。どこに行ってもおれの拳で一撃ってやつよ」
「頼りにしてるね、オズ」
「ハッ!」
(兄貴が流石すぎてやべぇ。強くて頭も良いとかもうやべぇ……)
内心でそんなことを思うオズワンである。
カレンは少しばかり弟の気持ちに共感しつつ、
「では、明朝、出発いたしますか?」
「うん。職員さんが探索道具とかも持ってきてくれた事だし、一晩休んでから行こう」
「アタシは待ってるからね。みんな、生きて帰ってくるんだよ」
『はい!』
こうして会議は終わり、ジークたちはそれぞれの部屋へ赴く。
一人きりで静かになったが、どうにもジークは落ち着かない。
彼はふかふかのベッドや綺麗な絨毯、適度に飾られた調度品を眺め、呟いた。
「あんまり豪華すぎる部屋も、なんだか慣れないね……」
「きゅー!」
「あ、アル」
ベッドの脇に置いた魔剣が姿を変え、神獣形態となったアルが姿を見せた。
騒ぎになる事を防ぐためずっと剣の形だったのが、解放されたように宙を飛び回り、ジークの胸に飛び込んでくる。すりすりと頭をこすり付けてくるアルの頭を撫で、ジークはふわふわの羽毛に顔を埋めた。
「ごめん、ずっと窮屈だったね」
「きゅう」
「明日からまた忙しくなるけど……よろしくね」
「きゅ!」
「あははは! くすぐったいよ、アル」
ぺろぺろと頬を舐めてくる魔剣にジークはほっとした。
英雄だの、七聖将だの持ち上げられて、正直疲れていたのだ。
口がきけない分、アルトノヴァの暖かい気持ちが人一倍伝わってきて、疲れが癒されていく。
だが、その時。
こんこん、と扉がノックされた。
「ジーク、失礼しますね」
「リリア?」
扉を開けて入ってきたリリアに、ジークは顔を上げた。
彼女はジークが抱いているアルを見て嬉しそうに羽を動かす。
「わ、アルちゃん。うふふ。可愛いでちゅね~」
「きゅー!」
「わたしに甘えたいんですか? ふふ。いいですよ、ほら、おいで」
「きゅ、きゅー!」
アルがリリアの胸の中に飛び込んでいく。
天使である彼女の魔力が心地よいのか、アルはうっとりと目を閉じていた。
丸く収まった神獣の背を撫でながら、リリアはジークの隣へ座る。
「少し、お話いいですか?」
「もちろん。どうしたの?」
「転生してから、二人でゆっくり話せていなかったので」
「あぁ、忙しかったもんね……」
冥界でリリアが転生してからまだそこまで経っていない。
エル=セレスタでは慌ただしく出発したし、その後は魔導列車の中だ。
列車の中では会話が出来る時間も殆どなかったと言っていいだろう。
ジークは逃亡を防ぐために牢に入れられていたし、リリアは天使として崇められていた。
だから、だろうか。
頬を染めながら、チラチラと自分を見るリリアを、ぎゅっと抱きしめたくなって。
気付けばジークは手を伸ばしていた。
腕の中におさまったリリアは、うっとりとジークの肩に頭を預けた。
「すごく……会いたかったです。ちょっとしか離れてないのに」
「僕も会いたかった。なんかすごく離れてたみたいだったよね」
「……はい」
ぎゅっと、互いを抱きしめる手に力が入った。
リリアの体温が、心臓の鼓動が伝わり、ジークは身体が熱くなる。
自分の鼓動も、彼女に伝わっているのだろうか……。
「助けてくれて、ありがとうございました、ジーク」
「僕は何も……神様たちが転生させてくれなかったら、どうなってたか」
むしろ助けられた方だ。
冥王との戦いの際、リリアの声がなければジークは全てを諦めていた。
そう伝えると、リリアはゆっくりと首を横に振った。
「わたしの声がなくても、ジークは立ってましたよ」
「……そうかな」
「そうです。でも、少しでも助けになれたなら……良かった」
「……うん」
しばし、沈黙の時が流れる。
けれどそれは嫌な沈黙ではなく、むしろ心地よさすら感じる沈黙だ。
リリアがすぐそこに居る。それだけで無限の温もりがジークを包み込んでくれる。
「…………耳、お揃いになりましたね」
リリアがジークの長い耳に触れて囁く。
彼女の耳もまた、天使となったことで鋭く長くなっていた。
「ほんとだ。一緒だね」
「はい。なんだか嬉しいです」
「うん。僕も嬉しい」
「…………ね、ジーク」
「ん?」
リリアが身体を離し、鼻先が触れ合う距離で二人は見つめ合う。
もの言いたげな、真珠色の瞳が上目遣いにジークを見上げた。
頬を赤く染めた彼女の意図を察し、ジークは微笑み、顔を近づける。
二人の距離は零になり、唇と唇が触れ合った。
息継ぎするように口を離して、啄むように口づけを繰り返す。
会えなかった時間を取り戻すように、二人は互いの身体に手を伸ばしたーー。
「…………」
壁に背を預けていた一人の少女が、そっと扉から離れていく。
胸の中に渦巻く、甘く切ない思いから目を背けながら。
ーー聖なる地での夜は、こうして過ぎていった。




