第五話『最果ての方舟』
「そんな感じで、『七聖将』ってやつにされちゃった。なんか色々条件つけられちゃったんだけど、みんな、協力してくれる?」
「「「「…………………………」」」」
ジークの問いかけに、その場にいた全員が黙ったままだった。
謁見を終え、会議室を借りて事情を話し終えたところなのだが……
さすがに答えが返ってこないと不安になる。ジークはたまらず問い直した。
「あの、もしかして、ダメ……?」
「ダメなわけないです。絶対に付いていきます。そこは問題ありません」
ぴしゃり、とリリアが即答した。
「そう……? じゃあなんで黙ってたの?」
「いやだって……」
問いに、リリアは困ったようにテレサの方を見た。
呆れたような顔をしたテレサは、がしがしと頭を掻いて、
「予想の斜め上すぎて混乱していたんだよ。いくらなんでも出世が早すぎるだろう」
「そうかな……でも僕、七聖将ってやつには興味ないんだけど」
「何を仰いますか、ジーク様!」
カレンが拳を握って身を乗り出してくる。
「七聖将とは葬送官の中の葬送官、誰もが憧れる英雄の中の英雄ですよ!?」
「え、あ、そう。カレンさんちょっと近くない?」
「いーえ! こればかりは分かってもらわねば困ります!」
いいですか? とカレンは指を立て、
「葬送官となる者で序列三桁に入るのは百万人に一人と言われています。一桁であれば一千万人に一人、さらに七聖将となれば、異端討滅機構の花形! 死徒や神霊、大事件などに対処するエリート中のエリートなのですよ!」
「へぇ、そうなんだ」
「反応が薄い!?」
「あんまり興味ない……ってあで!?」
「興味なくても聞きな。もうじき七聖将になるんだから」
「ふぁい」
テレサに殴られたジークは頭をさすりながら話を聞く。
曰く、七聖将は人類にとって希望そのもの。
曰く、七聖将は後の世に影響を及ぼす功績を残した者が務める。
曰く、七聖将はその時代における人類最強の七人。
そして七聖将はルナマリア直属の部隊であり、彼ら一人一人が部隊を率いる指揮官でもある。
葬送官における最上位権限を持ち、必要とあらば仲間に死ねと命じる事もあるのだとか。
曰く、曰く、曰くーー。
「つまり、めちゃくちゃ責任重大ってこと?」
「まぁ、そういう事だね」
「えー………」
なにげなく頷いたテレサに、ジークは顔を顰めた。
見ず知らずの人間たちが英雄だともてはやしてきたことを思い出す。
彼らはジークが死徒を倒していなければ、絶対に自分を蔑んできたものたちだ。
正直、彼らを守るのにたくさんの仕事をこなすのは面倒だなと思う。
「ねぇ、わざと条件クリアしないってのはどう?」
「「「ダメに決まってるでしょう」」」
「そっかー……」
ジークは肩を落として、それまで黙っていたオズワンに水を向ける。
「オズはどう思う?」
「……最っっ高にイカすじゃねぇか」
「え、そう?」
「そうだよ、お前、分かってねぇのか?」
オズワンは興奮したように、
「ずーっとお前のことを馬鹿にしてきた奴らが、お前のことを上に見てヘコヘコ面下げなきゃいけねぇんだぜ? どんな嫌な命令でも聞かなきゃなんねぇんだぜ? 内心はどんなか知らねぇし興味もねぇが、最高にスカっとすると思わねぇか?」
「あー……それは、ちょっとあるかも」
ジークの場合、半魔という出生に対して人類全体に悪意を向けられていたのだ。
都合がいいと思うし彼らの態度に思うところはあるが、逆に言えば、そういった不快な視線から解放されたとも言える。もちろん、人類全体が自分を好意的に思っているなどとは思わないが。
「そっか……そういう考え方もあるんだ。オズはすごいね」
「あなたもたまには良いことを言いますね」
まぁ、とカレンは内心でオズワンにじと目を向ける。
(うおおおおおおおお! 兄貴が七聖将! やべぇやべぇ、やべぇえ!!)
(などと考えているんでしょうけど……目に出すぎですよ。愚弟)
「ま、お兄ちゃんなら大丈夫でしょ、多分、きっと」
ぬぅ、と影の中から出てきたルージュが言った。
異端討滅機構本部で姿を露わにした彼女に、リリアが心配そうに言った。
「ルージュ、大丈夫でした? バレませんでした?」
「ううん、きっちりバレたよ」
「「「は?」」」」
あっけからんと言い放ったルージュにジークは顔色を変える。
だが、ルージュの口は止まる事なく、彼女は蕩けたように頬に手を当てて、
「ついでにお兄ちゃん、異端討滅機構に喧嘩売っちゃった。カッコよかったなぁ」
「ちょ、ルージュ。それは言わない約束……! あ、ちょっと僕トイレに」
「「「ジーク?」」」
ぐりゅん、と女性陣の視線がジークに向く。
急いで扉から出ようとしていたジークは笑顔のリリアに肩を掴まれた。
目が全く笑っていない状態である。
「お話、しましょうか?」
「あ、あの、これには事情が」
「正座!」」
「はいぃいいい!」
悲鳴を上げたジークに対し、ルージュはにやにや笑っている。
お調子乗りな密告者に、ジークは恨みを込めて、
「ルージュ、今日はおやつ抜きだからね……!」
「そんなぁあああ!」
◆
「まずはレギオンを作らなければいけませんね」
お説教によって口から魂のようなものが出ているジークをよそに、リリアがその場を仕切る。テレサやカレン、オズワンも異存はないようだ。
「つってもよォ、そのレギオンってのぁ、獣人も参加できるもんなのかよォ」
「葬送官として登録していただければ出来ますよ」
通常、葬送官になる為には三年間、養成学校に通わなければならない。
だが、陽力を持たない獣人の場合は別だ。
加護の訓練や陽力に関する知識を必要としない彼らが葬送官に志願した場合、『補助官』という扱いで雇われる。その名の通り、彼らは葬送官の補佐、魔獣退治などの雑務を担う。
無論、イズナのように実力を示して正式な葬送官になる者は居るが、あくまで稀な例だ。葬送官になるにしても、陽力を持たない獣人は風当りが強いのが現状である。
「補助官、ね……まぁ今はそれでいい。すぐに駆け上がってやらァ」
「カレンさんは?」
「わたくしも、それで構いません」
「……失礼ですが、そもそも戦えるんですか?」
「えぇ、それは問題なく。愚弟以上の働きをお見せしましょう」
「病み上がりで無理してんじゃねぇよクソ姉きぁ!?」
「うっふふふ。愚弟、あとでお説教です♪」
仲の良い二人のやり取りにリリアは頬を緩める。
おのれの姉を思い出した彼女は感傷を振り払うように羽を動かし、
「お師匠様は……聞くまでもありませんでしたね」
「アタシみたいな老いぼれが若いもんの和に入るのはちょっとね。ひっく」
酒を煽りながら、テレサはそう言った。
あくまでいつも通りの様子を崩さないテレサ。
(お師匠様……以前よりも、遥かに)
リリアは一瞬眉を下げるも、
「リリア」
「…………分かっています」
咎めるように呼ばれ、リリアは首を振った。
「では、まずレギオン名を決めないと。何か案はありますか?」
「『最強無敵のバルボッサとその仲間たぐべ!?」
「そうですね……『時の方舟』……というのはいかがでしょう?」
「うーん。少し仰々しすぎる気が……ただ、方舟という単語は好きです」
「はいはーい! 『雷火の誓い』は? お兄ちゃんの元に集う仲間ってイメージ!」
「イメージとしてはいいかもですね、ルージュ」
「えへへ」
ルージュの頭を撫でながら、リリア。
「ジークは何か意見はありますか?」
「うーん」
水を向けられ、ジークは頭をひねった。
(レギオン、かぁ……)
レギオンは葬送官のバディが寄り集まって組む大隊のようなものだ。
悪魔の葬魂任務や未踏破領域の探索などで集まる事が多いと聞く。
元々は異端討滅機構が小隊やバディごとに指定していたのだが、加護の相性や仲の悪さは実戦を経てしか分からないため、発足から百年ほどで葬送官たちに結成が一任されるようになった。
あのアーロンも、四人でレギオンを組んでいたことを思い出す。
(そう言われても、名前、かぁ)
「お師匠様が所属していたのは『星屑の誓い』でしたね」
「まぁもう解散したけどねぇ」
参考になればと、リリアが引き合いに出した。
「そうだねぇ……じゃあ『天魔の集い』っていうのは?」
天使や悪魔、獣人、そういった種族を分け隔てなくという意味である。
色んな種族が集まっている自分たちだからこその名前だとジークは思うのだが、
「良い名前だと思うんですけど、『魔』という単語は悪魔を連想させるので、暗黙のタブーなんですよ」
「そうなんだ……」
ジークが肩を落とすと、オズワンが舌打ちした。
「さっきから否定してばっかだけどよォ、あんたは何かないのかよ、天使サマ」
「そうですね……」
リリアは顎に手を当てて考え始めた。
その間にも、ジークたちはああでもない、こうでもないと意見を交わす。
そして──
「『最果ての方舟』……というのはどうでしょう?」
リリアが挙げた単語に、ピタリと四人の話し声が止まった。
「長い戦いの夜を終わらせる、平和を運ぶ方舟になれれば……という意味を込めてみたんですけど」
ジークやルージュ、オズワンやカレンが顔を見合わせ、頷き合う。
「うん。すっごくいいと思う!」
「さすがお姉ちゃん。ゴリラとは発想が違うよ、発想が」
「お前も似たようなもんだったろうが吸血女ァ!」
「良い名前だと思います。わたくしの案も汲んでくれて嬉しいです」
全員の同意を得られ、リリアはホッとしたように微笑んだ。
「ではそれで行きましょう。まずはレギオン結成の申請をしないとですね」
「アタシは先に家で待ってるから、ゆっくりしておいで」
「師匠、お酒もほどほどにしてくださいね。いってきます!」
幸いにもここは異端討滅機構本部だ。
通常の葬送官が任務を受諾するロビーは一階にあり、すぐに移動した。
もちろんルージュは影に隠した上であったがーー
『おい、あれ見ろ。さっきの半魔だ』
『……マジで耳が長ぇんだな、悪魔みてぇだ』
『それだけじゃねぇ。あっちにいるのは天使だぞ? 天使がなんで葬送官やってんだよ』
『何もかも異例づくめ……大姫様のお気に入りって話は本当なの?』
『七聖将にも推薦されたらしいわ。ラナ様が猛反対したって話だけど……』
大勢の人たちが行き交うロビーで、ジークたちはかなり目立ってしまった。
街中に放送された立体映像は葬送官たちも確認しており、ジークの姿は知れ渡っている。リリアもリリアで目立つ容姿をしているから、余計に注目を浴びるのだろう。
とはいえ、
「なんか、思ったより絡んでくる人、少ないね?」
「そうですね……」
ジークとしては、いつぞやのオリヴィアの時のような事を想定していた。
あの時はジークの存在も認知されていなかったし、今と状況が全然違うがーー
と、そんな事を考えていたからか、
「ハッ! 良い気なもんだな、オイ。半魔が堂々とロビーを歩いてんのによ」
ズカズカと、ロビーの奥から歩いてくる大男。
獣人ではないが、熊のようなガタイをした禿頭の男だ。
「おい、調子乗んなよテメェ。いい気になってんじゃねぇぞ、あぁ?」
「あー。これだよ、これ。なんか安心感あるよね」
「あぁ!? 何笑ってやがんだテメェコラ!」
英雄だなんだと持ち上げられるより馴染みがある反応だ。
むしろ慣れている分、こちらの方がやりやすいとも言える。
「誰だか知りませんけど。そこ、退いてくれます?」
「勝手に通れよ」
顎をしゃくられたので、横を通り過ぎようとしたジーク。
だが、男はジークの行き道を塞ぐように体を横にずらした。
もう一度避けようとすると、さらに横へ、何度か繰り返したジークは顔を上げる。
「んだオラ。通らねぇのか?」
「退いてくれます?」
「やだね」
ハッ、と男は鼻で嗤った。
「死徒だの神霊だの倒したなんて嘘っぱちこきやがって。俺はお前みたいな嘘つきのお調子乗りが一番嫌いなんだよ。周りを騙してそんなに楽しいか? どうせそこの天使様に全部倒してもらったんだろ?」
ぺッ、と男は唾を吐いた。
ねばついた液体がジークの頬を垂れていく。
「テメェこの野郎……!」
「オズ、いい」
激昂したオズワンが進み出ようとするのを、ジークが止める。
男は歯噛みしたオズワンを嘲笑うように見た。
「獣人か。どうりで獣クセェと思ったぜ」
「…………っ」
男の悪辣な笑みに、周囲から同情的な声が聞こえてくる。
『あーあ、また始まったよ。ウォーレンの新入りイジメ』
『あいつ、初めて本部に赴任した葬送官ほぼ全員に喧嘩売るからなぁ』
『さて、あの子はどう出るかな……?』
どうやらこのウォーレンという男、常習犯のようである。
周りの声を聞いたジークは呆れ混じりにため息を吐いた。
(何処にでも居るもんだね、こういう人は)
(どうする、お兄ちゃん、やっちゃう?)
(こういうのは無視するに限るよ。無視が一番)
影の中の妹と会話したジークは、無視しようと身体をずらした。
再び立ち塞がろうとしたウォーレンだが、
「よっと」
「!?」
ジークはウォーレンの頭上を飛び越えて向こう側に着地する。
そのまま、手続きの窓口まで歩こうとしたのだが……。
「待てやコラ! 誰が通っていいっつった!?」
「……」
肩を掴もうとしてきたウォーレンを避け、ジークは無視。
すると、激昂した彼は口汚く嗤い、
「ハッ! 薄汚ねぇ半魔野郎は口答えも出来ねぇときやがる! それとも耳が聞こえねぇのか!?」
「……」
なおも、ジークは無視。
ウォレンは舌打ちし、攻撃方法を切り替えて周囲を見やる。
「なぁ知ってるかよ、お前ら!? こいつ童貞らしいぜ! 童貞野郎が七聖将なんて冗談じゃねぇだろ!? こんな口答えも出来ねぇクズに、俺たちの命を任せていいのかよ!?」
さざなみのような疑問が、ロビー中を駆け抜けていく。
異端討滅機構本部とあって、ここにいる葬送官のレベルは高い。
誰もが仲間殺しを経験し、大変な思いをしてきた者たちなのだろう。
そんな自分たちに、葬送官歴二ヶ月、仲間を殺した経験もないジークが指示を出す立場に立てるのか?
彼らが疑問を抱いたのを見てとって、ウォーレンは嗤った。
「無理だろ!? 任せらんねぇだろ!? 本音のとこじゃ、この半魔を認められねぇよな? おい、なんとか言ったらどうだ半魔野郎。暴力大好きな呪人野郎を連れてるくせに、喧嘩も出来ねぇのか!?」
「言わせておけば……!」
「愚弟」
ウォーレンに飛びかかろうとしたオズを止めるカレン。
ここで暴力を振るえばあいつの思い通りだ。そう彼女は悟ったのだ。
ーーけれど。
「ひひっ! 口ほどにもねぇとはこの事だ。獣野郎。臭ぇ、臭ぇ。薄汚ぇ半魔にゃお似合いの野蛮人共だよ!」
ジークは深く長い息を吐き、
「おい」
「ぁ? なんだーーッ!?」
振り向きざま、拳を思いっきり振りかぶった。
が、ど、だん、どぉん! と水切り石のように吹き飛んだウォーレン。
周囲の椅子を倒すだけでなく、彼は本部の壁に穴を開けて庭へ転がる。
「げ、ゲホ、ゲホッ!」
(ば、馬鹿な……ありえねぇ、ありえねぇ! 魔導砲にも耐える鉄壁の要塞だぞ!? 何メートルあると思ってやがる!? しかも、しかもあいつ、俺の加護を突破して……!)
ウォーレンが宿しているのは『絶対後手』の加護。
武の神の眷属の加護で、先制攻撃を加えた相手に必ずカウンターを決める力を持つ。彼はこの加護で何人もの新任葬送官たちに洗礼を与えてきた。
(なのに、なのに……! 加護が、効かねぇだと……!?)
「僕の事を馬鹿にするのは、いいんだけどさ」
がんっ! と起きあがろうとしたウォーレンの胸を足蹴にするジーク。
呻き声を上げた彼を一顧だにせず、足に力を込める。
バチバチと紫電が迸り、紅い眼光がウォーレンを貫いた。
「僕の友達を……仲間を馬鹿にするなよ」
「ぁ、ぁ……っ」
「聞いてるのか? 耳が聞こえないのか、クズめ」
「ひっ」
ウォーレンはのけぞった。
凄まじい陽力の奔流がジークを中心に咲き乱れる。
衝撃に耐えきれず、地面が放射状にひび割れた。
(こ、この、陽力、なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ……!)
「ば、バケモノ……!」
「そうだよ。知らなかったの? 僕はバケモノなんだ」
呟き、ジークはウォーレンの顔面を掴んで持ち上げた。
紅玉の瞳が、怯え切った瞳を覗き込む。
「バケモノに殺されるのと、二度と僕たちの前に現れないの、どっちがいい?」
「………!」
「五秒以内に選べ。選ばなきゃ殺す。五、四、三……」
「ーーそこまでだ」
ガキンっ! と硬いもの同士がぶつかる音が鳴り響く。
背後から迫った剣を、ジークが魔剣で受け止めた音だ。
振り向くと、そこには眼鏡をかけた銀髪の男がいた。
「葬送官同士の争いはご法度。犯罪行為だ。ジーク・トニトルス下二級葬送官」
厳しい面持ちをしたその男は、特級葬送官のバッチをつけている。
鍛え上げた細身の身体、その佇まいには一分の隙もない。
「……あなたは?」
「七聖将第二席。アレクサンダー・カルベローニ」
「七聖将……」
「自分が何をしているのか分かっているのか? ジーク・トニトルス」
問いを続けるアレクから目を離し、ジークはウォーレンを離した。
ぼと、とゴミのように落ちた彼は既に気絶している。
魔剣を鞘に納めたジークは視線を戻して、
「この人が勝手に吹き飛んだので、介抱しようと思いまして」
「……随分と手厚い介抱だ。あくまで争いをしたわけではないと言い張るのか?」
「はい。だって、証拠はあるんですか?」
「証拠も何も、お前と奴が争っていたのは誰もが……」
「誰も見ていないと思いますよ?」
聞いてみてはどうですか? とジークが提案する。
堂々とした嘘に対し眉を顰めたアレクが周りに尋ねると、
「……そうか」
その場にいた葬送官は呆然とした様子で首を横に振っていた。
ーーそう、彼らはジークがウォーレンを殴ったところを見ていなかった。
正確には、速すぎて見えなかったのだ。
ジークが残像のように動いたかと思うと、次の瞬間にウォレーンが吹き飛んでいたという具合である。
序列二桁の精鋭も混じっていた彼らが、その姿を捉えきれなかった。
その事実は、その場に大きな衝撃を与えた。
(いま、一瞬で消えて、あそこに、え、え? なに、なんなのあれ?)
(噂じゃ、二つの加護を得てるって話だけど……)
(ありえねぇ。速いって次元じゃねぇぞ……!?)
(ウォーレンの序列は二十七位だぞ……!?)
彼らの誰もがウォーレンのような考えだったわけではないが……。
異端討滅機構がしきりに英雄と持ち上げるジークを、よく思わない者がいたのも事実だ。線が細く、少年のような容姿の彼を舐めていたものは少なくない。
しかし今、その実力は証明された。
正直、速いだけの者はいくらでもいる。
ジークほど速く動ける者も、探せば居るだろう。
だが、目にも止まらぬ速さで間合いを詰め、絶妙な力加減で拳を振るうとなれば話は別だ。そこまでの速度になると、もはや人間の知覚では対応できない領域になってくる。自然、一瞬前で止まるなどして、速度の調整が必要だ。そうでなければ体当たりになるのが道理。
なのにジークは、光の速さで動きながら、正確無比にウォーレンの顎を捉えて見せた。しかも、死ななないように手加減をした上でだ。
言ってしまえばそれだけの事。
しかし、それが出来る者がどれだけいるかと言われれば……
世界を探しても居るかどうかというレベルだろう。
もはや誰一人、ジークを力不足だと思う者は居なかった。
「……確かに、誰もお前が攻撃した所を見ていなかったようだ」
「そのようですね。証拠ナシです」
「……訓練を倍にするか。未熟者どもめ」
「えっと……?」
ため息をついたアレクは「いや」と首を横に振った。
「いいか、許すのは今回だけだ」
アレクは念押しするように、
「もしもお前が七聖将となるならば、他の葬送官の規範とあらねばならん。七聖将は葬送官の上に立ち、導き、支えとなる者だからだ。例えどれだけおのれが侮辱されようと、仲間を貶められようと……規則は規則だ。秩序を守れないものに、七聖将たる足る資格はない。言っていることは分かるな?」
「売られた喧嘩は買うなという事ですか?」
「正しい方法で制裁をしろと言っている。七聖将にはその権限も与えられる」
「分かりました。七聖将になったらそうします」
「……よかろう。では、ゆけ」
「はい。後始末はお願いします。アレクさん」
「……む」
しれっと後始末を押し付けたジークにアレクは渋面を浮かべた。
先達として忠告した手前、彼の提案を断るわけにはいかなかった。
構わず、ジークは葬送官本部へ歩いて行く。
「ジーク! もう、壁を壊すのはやり過ぎですよ」
「ごめんごめん。でも、すぐ直せるでしょ。知らないけど」
実際にはかなりの予算と手間が必要である。
向こう三か月は給料が天引きされるが……彼は気にもしないだろう。
リリアはため息を吐き、仕方なさそうに笑った。
「……全く。まぁ、良いです。あと一歩遅かったらわたしが氷漬けにしてましたし」
茶目っぽく舌を出してそんな事を言う。
同じ気持ちだったことが嬉しくて、ジークは胸がポカポカした。
(あたしも、あとちょっとでヤバかったよ。お兄ちゃん)
(ルージュもよく我慢したね。偉いねぇ)
(えへへ……)
影の中に囁き、ジークはごしごしとまぶたを拭うオズワンに首を傾げた。
「どうしたの、オズ?」
「あ、あぁ!? んだよ、泣いてなんかねぇぞ、オォ!?」
「え、泣いてたの?」
「泣いてねぇよ馬鹿野郎!」
「そう? ならいいんだけど」
「ハ!」
獰猛に牙を剥き出しにして笑うオズワンだがーー
彼は内心で感動していた。
(あ、兄貴が……おれを、おれを……仲間って……!)
胸の中が熱くて、無限の力が湧き上がってくる。
この人について行きたい。この人のようになりたい……
際限のない憧れを、オズワンは隠し通すのに必死だった。
そんな弟の隣で、竜人の姉は高鳴る胸に手を当てる。
(今だけは愚弟の想いに同意です。この方は、友のために怒れる熱いお方……わたくしはよい主を持ちました。うっかりその想いに溺れないように気をつけませんと……リリア様だけでなく、ルージュ様もいる事ですし)
二人の想いに気づかず、ジークは首を傾げる。
「ま、いいや。早く登録しちゃおう!」
「そうですね」
手続きを終えたジークたちは、意気揚々と拠点へ帰還する。
なお、この騒動はすぐにカルナック中に広まった。
友の為に怒りを露わにしたという話はジークの英雄譚に新たなページを加え、人々の中でジークを模した人形が販売されるなど、ヒーローのように人気が高まった。
特に何かと差別の対象とされる獣人たちの反応は凄まじく、
『獣人のために怒った奇跡の英雄』としてジークが神格化されていくのだが……
彼がそれを知るのは、まだ先の話である。
やがて世界の運命を変え、時代を超えていくことになるレギオン。
『最果ての方舟』、結成の瞬間であった。