第四話 駆け上がる英雄
ここまで案内してくれたメイドが件の大姫だったーー。
信じられないが、周りの葬送官が膝をついているのは間違いないし、嘘の気配はない。ジークは今度こそしっかりと膝をつき、頭を下げた。
「えーっと……ごめんなさい、僕、全然気づかなくて……」
「良い。面白い余興じゃった。気づいたのはお主が初めてじゃぞ」
くく、とルナマリアは見た目とかけ離れた口調で笑う。
立て、と促される。周りの空気が弛緩したのを感じて、ジークは口を開いた。
「それで……あなたは、母さんのことを知ってるんですか?」
「あぁ。よく知っている。お主の父、ルプスの事もな」
「……!」
ジークは目を見開いた。
「……そう、ですか」
「赤子のお主とも会った事があるんじゃぞ? お主は覚えてないじゃろうが」
「…………なら、あなたは」
ーー僕たちを受け入れてくれなかったんですね。
そう言おうとして、ジークは口を閉じた。
そこまで皮肉を言うのは失礼だと思ったからだ。
しかし、ルナマリアはジークの心情を察したように眉を下げた。
「すまなかったと思っている」
「……」
「あの時は色々あった。それはもう、色々とな。その話は別の機会にしよう」
「……はい」
「今は過去より、お主の事じゃ。まずは……」
パチン、とルナマリアが指を鳴らす。
その瞬間、ジークの影が弾け、ルージュの身体が飛び出してきた。
「ル」手を伸ばそうとしたジーク。接近する影、刃が風を切る音、
「……………………ッ!」
ガキンッ! 激しい金属音が木霊する。
ギリ、と、ジークは鍔迫り合いの向こうでこちらを睨む護衛官を捉えていた。
「退きなさい、新人」
「退きません」
「そいつは悪魔よ。悪魔を庇うっての!?」
「ルージュは、僕の妹だッ!」
「なら死ね。悪魔を庇う奴はみんな死ね。死に腐れぇえええええええ!」
烈火のごとく、彼女は猛った。
全身に炎を纏う炎神と化した彼女に、影がまとわりつく。
「ルージュ、手を出すな!」
「でも、お兄ちゃ」
「後ろががら空きですよ」
刹那、ルージュの背後に迫るメイド。
手に暗器を携えた彼女は迷うことなくルージュの首を狩ろうとした。
ーーが。
「なッ」
ルージュの影がメイドの足を縛り、さらにジークの魔剣がメイドの首に突きつけられる。
ぱきん、と双剣の片割れが三つに分かれ、アルトノヴァが雷をほとばしらせて周囲を威嚇する。
葬送官たちは険しい顔だ。一瞬で広間の全てがジークの敵になっていた。
「あんた、何をしてるか分かってんの? これは反逆よ」
「だから?」
「悪魔を庇うお前に、葬送官としての居場所はないって言ってんの!」
「だから、それがどうした」
ギリ、とジークは全身から陽力を解放する。
大広間に居る葬送官は恐らく五人。
全員がジークより経験を積んだ熟練の葬送官。
ーー上等だ。
「ルージュを傷つける奴は許さない。誰であってもッ!」
「ジーク。異端討滅機構に歯向かうというのか?」
「この子は冥王の支配を受け付けない。僕が、絶対に守り抜く」
姫の射抜くような視線を真っ向から受け止め、ジークは言い放つ。
「この場でルージュを殺すというなら、僕は葬送官を辞めます」
「辞めてどうする」
「その後の事は、その時考えます」
「……ほざいてんじゃないわよ。あんた、ワタシに勝てる気でいるわけ?」
火花が散った。
「随分舐め腐ってくれてるじゃない、この童貞野郎がッ!!」
赤い髪が揺らめき、周囲の空気が歪む。
本能的に飛びのくと、一瞬前までいた場所に無数の炎槍が突き立っていた。
恐ろしいまでの陽力構築力。アステシアの加護をもってしても捉えきれない。恐らく、加護の発動から顕現までゼロコンマ一秒も経っていないだろう。
(……この人、この中で一番強い!)
手加減している場合ではない。
全力でやらなければこちらもやられる。ならば、
「アルトノ
「--そこまでじゃ!」
瞬間、鋭い声が大広間に響き渡った。
玉座から立ち上がったルナマリアが、眼下の四人を睨みつけている。
「双方、剣を引け。ラナ。妾はまだその子の処遇を決めておらんぞ」
「ですが姫様。こいつは悪魔です! 処分するためにわざと通したのではないんですか!」
「そんな事言っておらんじゃろ」
どうやらルージュの事はとっくにバレていたらしい。
結界やらなにやら色々通っていたから、それも当然か。
(でも、気づいた上でなんで……?)
「今ここでジークを喪うのは痛い。ならば悪魔の一人くらい受け入れても構わんじゃろうて」
「こいつが不死の都と繋がっていない保証はどこにあるんですか!?」
「冥王の魔力を感じない。不死の都と連絡を取る術がない。そのパイプもない」
ルナマリアは指折り数え上げ、
「半魔を受け入れている以上、冥王の支配から逃れた悪魔を受け入れても同じじゃろ」
ざわ、と葬送官たちが揺れに揺れた。
当然だろう。もしもルージュという例外を認めてしまえば……
自分たちが葬魂してきたエルダーたちの存在を、認める事になる。
冥王の魔力が断絶しているとはいえ、彼らには苦痛以外の何物でもないはずだ。
「それに、前例がないわけでもない。冥王の支配を逃れた悪魔は、今回を含めて三度確認されている」
「……例えそうでも、ワタシは、認めません。悪魔も、悪魔を庇う奴も……全員、敵だ……!」
ラナと呼ばれた護衛の葬送官は親の仇のようにジークを睨みつけた。
ルナマリアはフォローするように、
無論、と言葉を続ける。
「その子の存在を公にするわけにはいかん。……ルージュ、じゃったか? この子の事はこの場で秘密とする。街の中に出る事は許さないし、単独での行動も禁ずる。人類を傷つける事などもってのほかじゃ。もしもこれらの禁を破った場合、無条件に葬魂を許可する。それでどうか?」
「……それが、姫様のご意思とあらば」
ルージュを襲っていたメイドは刃を引き下げた。
ジークもまた魔剣を引き、三本に分かれた刃を元の形の戻す。
「ジークはどうか?」
「……僕も、それで構いません。いいよね、ルージュ?」
「うん」
元より、人の世界でルージュが自由に生きられるとはジークも思っていない。
たまには街の外に出て息抜きさせてあげないとな、と心の中にメモする。
「ラナ。妾は二度同じことを言うのは嫌いじゃ」
「………………………………分かり、ました」
有無を言わせないルナマリアの圧力に、ラナは項垂れた。
途端、周囲の空気が弛緩し、ジークに向けられる視線も弱くなる。
ルナマリアは息をつき、
「さて。その子の事はそれでよかろう。後は、お主の事じゃな」
「僕の事……?」
「うむ。お主が第六死徒キアーデ・ベルクを破ったことじゃ」
「……!」
ジークは目を見開いた。
「……キアーデを倒したのはカオナシたちにも言っていません。さっきの演説でも思いましたけど、一体それをどこで……」
「簡単なこと。神々が教えてくれたのじゃよ」
「あー……」
妙に納得した声を出してしまうジークである。
「異端討滅機構の歴史上、死徒を二体葬魂した葬送官はそう多くはない。よって、妾は通達しようと思う」
ルナマリアはくすりと微笑み、周りに宣言する。
「ジーク・トニトルスを序列七位に引き上げ、『七聖将』に任命する」
「「「なッ!?」」」
怒号が響いた。
「正気ですか、姫様!?」
「本気も本気、マジじゃ」
「ワタシは反対です! こんな童貞臭い男を七聖将にだなんて……姫様はお戯れがすぎます!」
「童貞臭いって……」
酷い言い草である。
ジークが顔を歪めると、ラナは「何よ」と不満げな顔をした。
「なんか文句ある? あんた、童貞でしょ?」
「んー。ていうか、そもそもどーてーって何ですか?」
「経験があるかないかってことよ! それくらいわかりなさい!」
なおも首を傾げるジークに、ルージュが囁く。
「えっちしたことがあるかってことだよ、お兄ちゃん」
ジークはようやく理解した。
「あ、そういう……その、経験ならありますけど」
「嘘おっしゃい! あんたから漂ってくるのよ。くさいくさい童貞臭が!」
「嘘じゃないですよ。その……えっちならしたことあります」
告げると、水を打ったようにその場が静まり返った。
すぐにラナの顔が真っ赤になって、
「ばっっっっっっっかじゃないの!? 性交渉の話じゃないわよ! この変態! 馬鹿! アホ!」
「え、違うんですか?」
「ちなみにラナは処女じゃ。何だったらお主がこの子の処女、貰うか? ジーク」
「姫様は余計なこと言わないでください! 誰がこんなやつと!?」
ふーッ、ふーッ、と獣のように呼吸を繰り返すラナ。
彼女は息を落ち着かせると、ごほんと咳払い。
「童貞って言うのはね……仲間を殺した経験があるかどうかってことよ」
「……!」
「悪魔化した仲間を殺した事がない。そんな奴に七聖将は務まらないわ」
「…………そうですか」
確かに、ジークはまだ悪魔になった仲間を殺した事はない。
アンナの時もルージュの時も、いつだってリリアに刃を振るわせてしまったからだ。
自分はただ、泣きわめくことしかできなかった。
そのことを自覚しているから、ジークは否定も反論もしなかった。
「『七聖将』に相応しくないっていうなら、いいですよ。別に僕、そういうの微塵も興味がないので……」
序列も上げたくて上げたわけじゃない。
叶うなら普通の葬送官として戦わせてほしいとジークは告げる。
だが、ルナマリアはじっとジークを見つめ、
「力には大いなる責任が伴う。お主の力は一介の葬送官にしておくには大きすぎる」
「そうですか……」
「それに、七聖将になれば両親の事も知れるぞ?」
「え、ぁ……!」
ジークはサンテレーゼの姫の言葉を思い出した。
『あなたが両親の事を知るには序列一桁の高みに至らなければならない』
確かにそう言っていた。
そして現在、ジークの序列は七位。
今ならば、両親の事を調べられるのだ。
「僕、序列一桁ですけど……七聖将にならないと調べられないんですか?」
「七聖将と序列八から九番までは権限レベルが二段階違う。むしろ序列八番までなら何も分からぬじゃろうな」
「……そうですか」
少しだけ、やる気が出てきた。
「姫様!」
「ラナ。くどい」
「……っ」
有無を言わさないルナマリアの声に、周囲の葬送官は言葉を呑みこんだ。
しかしラナは、なおも諦めずに、
「葬送官になりたての……たった数か月やそこらの新人に『七聖将』が務まるとは思いません。何より、そんな奴を仲間だとは思えない。同じ『七聖将』として条件を付けさせてください」
「……一理ある。聞こう」
(あの人、『七聖将』ってやつなんだ)
意外な事実に目を丸くしているジークをちらりと見るラナ。
彼女は真剣な表情で続けた。
「Sランク未踏破領域1ヶ所、Aランク九ヶ所の攻略。及び魔晶石二トンの納品。期限は一か月」
「……ほう」
「未踏破領域の攻略は葬送官としての登竜門。死徒を二体葬魂したなら余裕よね?」
挑発的な言葉に、ジークは顔を顰めた。
未踏破領域の攻略がどれだけ難しいのか、ジークは知っている。
激変する環境、自然の罠、魔獣や悪魔の奇襲……何度眠れない夜を過ごしたか。
『森葬領域』アズガルドでさえ、Bランクの未踏破領域なのだから、ラナの提示した条件を他の葬送官が聞けば、不可能だと口をそろえて言うだろう。
だが、
「まぁ、いいですよ。一か所に二日かければ充分ですし」
「……ッ、言うわね。出来るものならやってみるといいわ。未踏破領域はそんなに甘くないわよ」
「分かってますよ。えっと、もちろん一人じゃなくていいんですよね?」
「無論。仲間を束ねるのも『七聖将』に必要な才能じゃからな」
「なら、大丈夫ですよ。僕は一人じゃないですし……」
冥王に比べれば、どんな敵も霞んで見えるだろうから。
そんな言葉を呑みこんだジークに、ルナマリアは笑った。
「これは頼もしい! では、楽しみにしておこう」
「はい。じゃあ帰っていいですか?」
「うむ。一か月後、お主が帰ってきた時、また話をしようぞ」
それで話は終わりとなった。
ルージュを影に隠しながら、ジークは回廊を出てリリアたちの元へ向かう。
(妙な事になったな……でもまぁ、ルージュの事を大姫様に理解してもらえてよかった)
イズナにバレたときに覚悟していたが、やはり異端討滅機構は甘くない。
誰がどこでどう見ているか分からないし、今後はより一層警戒しておいた方がいいだろう。
『七聖将』になる事で何がどう変わるか聞きそびれたが……テレサに訊けば問題ないはず。
「頑張ろうね、ルージュ」
(全力で支えるよ。お兄ちゃん)
「うん」
半魔と悪魔の兄妹は人知れず言葉を交わし、その場を後にした。
◆
嵐のような少年が去った後の大広間。
残された葬送官たちが顔を見合わせて印象を話し合う中ーー
「あんな奴が七聖将なんて、ワタシ、どうしても納得できません」
七聖将第五席、ラナ・ヘイルダムは苦言を呈した。
頑なにジークを拒絶する彼女の様子に、ルナマリアは苦笑をこぼす。
「納得せずとも良い。使える者は使う。お主も七聖将なら、理解できているじゃろう」
孫を諭すように、彼女は続ける。
「このままでは人類は負ける」
「……っ」
ラナの表情が歪んだ。
異端討滅機構は人類と悪魔たちの戦いが拮抗していると喧伝している。
だが違う。そうではない。
例え死徒を二体滅ぼそうと、彼らが止まる事はない。
異端討滅機構に登録されている葬送官、その数十万超に対し──
不死の都が保有する悪魔、魔獣の総数は一千万を超えている。
その全てが戦力になるわけではないが、どちらにしても数の差は圧倒的だ。
「その均衡も、ジークの出現によって早晩崩れるじゃろう」
「……あの半魔は、それほどのものですか?」
「奴は運命の子じゃ。予言で示された混沌の時代が訪れようとしている」
「……」
押し黙るラナの背後から、五人の人影が現れた。
彼らはラナの肩を叩いてから、玉座の前に膝をつく。
「見たな、お主ら。あれがお主らの仲間になる男じゃ」
『はっ』
「ま、まだ決まっていません。条件をクリアしたわけじゃないんですから!」
「うむ。じゃから見守るとしよう」
ルナマリアは目を閉じ、瞼の裏にジークの姿を思い浮かべた。
ラナと刃を交えた、刺すような眼光を。
(……父親に似たな、ジーク)
大切な者の為なら世界を敵に回さんとする覚悟。
あれは全てと引き換えに家族を守ろうとした、彼の父と同じものだ。
ルナマリアは彼が条件をクリアすることを一ミリも疑わない。
「あの子の二つ名を考えておかねばな……何がいいかのう?」
また話せる時を楽しみにして、ルナマリアは腹心たちに問いかけるのだった。




